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2012年 04月 15日
![]() ![]() 上の二枚は、当時、まだ埋め立て工事中だった大黒埠頭のT4バースあたりで撮影しました。 ここで橋桁を組み立てて、後ろに写る世界最大級のクレーン船で吊り上げてしずしずと移動して橋脚に載せる、という算段。 でこちらはその四ヶ月後。 ![]() まだワイヤーどころかタワー部分も未完成で、真ん中部分にも橋桁は載っていませんが、早々とスカイラウンジが完成しています。 この後、工事の進捗は超スローモー。 ![]() のちに一世を風靡した某テレビ番組で「ベイブリッジ建設は難工事だった」という話を聞いてちょっとビックリしたことを憶えています。 しかしそうやって難工事の末に完成したベイブリッジも、完成当時は「世界最大級の客船であるQEⅡが楽勝で通過できる」と散々自慢していましたが、後年、QEⅡの後継船のQMⅡがベイブリッジを通過出来ずに大桟橋ではなく辺鄙で殺風景な大黒埠頭に接岸したというニュースを聞いて、「なんだかなぁ」という気持ちになったものです。 確か翌年にもQMⅡは横浜にやって来て、再び大黒埠頭に接岸したそうですが、乗客からの評判は散々だったそうで、これに懲りた船会社は「もう二度と横浜には来ない」と言っているんだとか......。 #
by yokohama80s
| 2012-04-15 18:38
| 鶴見・大黒埠頭
2012年 04月 08日
![]() ![]() 今回は、新港埠頭・市営公共上屋二号倉庫こと現・横浜赤レンガ倉庫二号館。 こちらの方が、前回の横浜税関保税一号倉庫こと現・横浜赤レンガ倉庫一号棟よりも新しそうですが、実際に一号倉庫が1913年(大正2年)に竣工し、こちらの二号倉庫が1911年(明治44年)と二年ほど古いにも関わらず、撮影当時の1980年代前半には、一号倉庫は廃墟。 二号倉庫は現役......と言っても、内部に荷物が仕舞われることはほとんどなく、一階プラットホーム部分に野積み状態......でも立派な現役。 言ってみれば、人が住まなくなった家はあっという間に荒れ果てる、という例えの通りの状態。 それはともかくとして、この二号倉庫の特徴は、なんといっても斜めを向いた断面。 このように奇妙な断面になっているのは二号倉庫だけで、もう一方の一号倉庫の方は震災で半分の大きさになる以前もその後も海側と同じくスパッと切り落とされた断面。 ではどうして二号倉庫だけが、こんな奇妙な角度になっているのかと言うと、聞くところによりますと当時、新港埠頭の表玄関は万国橋で、新港橋は言ってみれば裏口。 この為、当時サンフランシスコ、シアトル行きの定期船に乗船するためには、桜木町から歩くか、はたまたタクシーとか昔なら人力車などで万国橋を渡るか、東京からのボートトレインで新港埠頭にやってくるとことになるワケですが、するとちょうど真正面に二号倉庫が見えることになります。 ところが二号倉庫が建っている場所ですと、この時、倉庫の横側しか見えずに、それが来た人によそよそしい印象を与える、ということでこの倉庫を設計した人は、この埠頭に来た人を歓迎するかのように、ちょうどこの倉庫が目に入った時にレンガ造りの立派な断面が正面にド~ンと見えるように、切妻部分に窓をあしらい、さらに断面を三角形にして、この倉庫の顔にあたる部分が真正面に見えるようにしたのだそうです。 ![]() ただこのデザインは、倉庫を使う人にとっては、「荷物の収まりが悪い」とたいへん評判が悪かったそうで、この三角形になる部分はほとんど使われることがなかったそうです。 倉庫という何よりも機能性が重視される建造物に、このようなちょっとしたシャレを取り入れることが許された時代、というのも、「なんかいいなあ」と思わせる建造物です。 ![]() #
by yokohama80s
| 2012-04-08 18:29
| 新港埠頭
2012年 04月 01日
本日から、毎週道曜日に1980年代に撮影した横浜港の写真をUPする「週刊・横濱80's」を始めさせていただきます。 今後もとヨロシク、ということで、まず第一弾はどこの写真にしようかとさんざん迷いましたが、「やっぱここしかないでしょ」ということで、新港埠頭の「ちっこい方のレンガ倉庫」こと、正式名称・横浜税関保税一号倉庫こと現・横浜赤レンガ倉庫一号館に決定! ![]() このカットを撮るのに数年かかったと記憶しています。 と言うのも、一号倉庫と二号倉庫の間の空間には、常にトラックやら、ホネやら、海コンやら、荷積み待ちの建設機械やらなんやらかんやらが置かれていて、二号倉庫のプラットホームから邪魔者ナシに一号倉庫を見ることが出来なかったという次第。 でたまたま行った時に、邪魔者無く撮れたのが後にも先にもこのカットだけ。 でももうひとつの赤レンガ倉庫の、市営公共上屋二号倉庫こと現・横浜赤レンガ倉庫二号棟の方は、撮影当時の1983年頃はまだまだ現役でしたが、コチラの方はすでにハトの巣と化しておりまして、下を歩く時には「いつ上から鉄製の鎧戸が墜ちてくるか」とドキドキものだったことを憶えています。 今現在の綺麗に復元された姿からは想像もできないくらいの荒れっぷり。 ![]() ボロボロで今にも崩れそうな一号倉庫だったのに、なぜかこの「BAY8 BAY9」のペイントだけがハッキリ、クッキリ残っていたモノ。 ただ不思議なのは、「BAY8 BAY9」があっても、その前後の数字がどこにも見あたらないこと。 消えた跡すら見つからなかったこと。 このことが当時はナゾでしたが、復元された時に、このペイントは消されてしまったようで、とうとう永遠のナゾとなってしまいました。 ![]() #
by yokohama80s
| 2012-04-01 18:59
| 新港埠頭
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