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週刊 横濱80’s

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2015年 07月 26日

新山下橋

 新山下橋とは、船舶貨物輸送のコンテナ化に伴い、本牧埠頭~山下橋~谷戸橋~本町通り~R16を通行する海コンが増加したことによる慢性的な渋滞、排ガスによる沿道周辺の公害問題が社会問題化し、これらを緩和することを目的に山下埠頭~新山下の貯木場~本牧埠頭へのバイパスルートとして1977年(昭和52年)着工され1979年(昭和54年)竣工した橋のこと。

 一般の人にはあまりなじみの無い橋だとは思いますが、この橋は下を船が航行出来るように比較的高さがあるために今も昔も眺望抜群(ベイブリッジのスカイウォークには負けますが)


 ということで、1982年(昭和57年)のある日の新山下橋から見た風景を。

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 ↑ということで、橋を渡って新山下側に入るとこんな感じのはしけ溜まり(新山下 はしけ溜まり)がありました。

*写真はすべて1982年撮影。





*来月8月のUP予定
8月 2日:横浜駅東口 スカイビル
8月 9日:高島町 横浜機関区の外壁
8月16日:高島埠頭
8月23日:「関係者以外の乗船を禁ず」の看板
8月30日:高島埠頭から見たみなとみらい21建設現場


by yokohama80s | 2015-07-26 00:04 | 山下埠頭 | Comments(0)
2015年 07月 19日

京浜運河

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*①千鳥町の川崎市営埠頭より京浜運河を挟んで対岸の東扇島を見るの図
(京浜運河の神奈川県側はほぼ当初の計画通りに航路幅6~7百m、干潮時水深9メートル、1万トンの船舶が航行及び錨泊可能なように作られている)
 

 京浜運河のあれこれについては、こちらの過去記事(東京港 -プロローグ編-)ですでに触れていますし、ググるとごっそり出て来ますので「以下省略」ということで^^。

 で結局のところ、東京~横浜を意味する"京浜"と名がついているものの浅野らが計画した京浜運河(横浜港から墨田川河口=東京港まで連続した港湾地帯を造成する構想だった)と言えるのは戦前までに完成していた鶴見川左岸から浮島町と東扇島の間のみで↓

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*②東扇島より扇町方面を見るの図
(写真左奥に船が停泊しているあたりが、扇町の三井埠頭と旧日満倉庫の私営埠頭)


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*③東扇島より浮島方面を見るの図
(ここが京浜運河東口こと川崎側の入口)


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*④東扇島の運河入口(川崎航路の京浜運河東口)を示す白灯台


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*⑤首都高湾岸線建設告知の看板(東扇島にて)


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*⑥東扇島拡張工事


東京側は戦争により運河の完成を見ることなく京浜運河事業そのものが事業廃止となり、戦中から戦後にかけて埋め立てられた品川埠頭、大井埠頭、京浜島と勝島、平和島、昭和島を挟む水路にその名前を残すだけとなっています↓。

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*⑦高浜水門と芝浦排水機場
(この水門の向こう側が京浜運河東京側の芝浦側起点になります)


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*⑧京浜島の京浜大橋
(ここが京浜運河の羽田側の入口)


 ちなみに京浜運河の神奈川側は、昭和46年(1971)の大黒埠頭の埋立により鶴見川右岸から横浜港まで水路が延長されたことにより期せずして「横浜港から東京港の間に港湾設備を完備した工業地帯を整備する」という浅野総一郎による京浜運河構想は神奈川県のみ完成した、という見方も出来るのではないでしょうか(川崎側が多摩川河口手前の浮島で東京側と分断されていますが……)

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*⑨灯台の右側が京浜運河の横浜側入口


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*⑩大黒大橋からの図
(現在でも鶴見航路ことつばさ橋をくぐった船舶が大黒大橋手前まで入って来ます)


 
*写真はすべて1987年撮影。




by yokohama80s | 2015-07-19 00:12 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)
2015年 07月 12日

鶴見線沿線・浜安善~浅野~新芝浦

 安善駅を出て浅野駅方面に向かってすぐに丁字路に突き当たります。
右に行けば産業道路、左に行けば米軍鶴見油槽所。
ということで、今週はこの丁字路を左に折れて、とにもかくにも安善駅から分岐した米軍油槽所に向かう線路を左手に見ながらコンビナートに囲まれた道を進むと↓

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*①


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*①


運河を渡り、さらに進んで踏切を渡ると右手にあるのが在日米軍鶴見貯油施設↓

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*②


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*③


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*④


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*⑤


 地図で下調べをした時点で想像がついていましたが、「まあ、こんなもんでしょ」ということで、来た道を戻って
安善駅の踏切を渡って、産業道路に出る道を進んで、最初の信号を左に折れてしばらく進むと丁字路にぶつかるので、そこを左に折れると安善駅のつぎの駅である浅野駅に到着。
 
 この駅には、線路と道路をまたいで旭運河と工場(当時は日本鋼管鶴見製鉄所)を結ぶ天井クレーンの錆びた鉄骨がありますが、そちらは過去に触れた(当ブログ記事「日本鋼管鶴見製鉄所・天井クレーン」)ので以下省略。

 ということで、今度は海芝浦へ向かう、鶴見線海芝浦支線の線路を左手に見ながら5分ほど歩くと見えてくるのが↓

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*⑥


東芝の京浜事業所の白いビル。
私の記憶が確かなら、この↑の写真に写っている3つのビルは戦前に建てられたものだったと思うのですが、あれやこれやの資料には何も書かれていないので「よくわかりません」ということでスルーして、東芝の工場入口の守衛所直前にあるのが、新芝浦駅↓

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*⑦


 でこのさらに先にあるのが、一般乗客は電車を降りても駅から一歩も出る事が出来ないことで有名な……というか、最近ではなにやら駅のホームからの眺めがメディアなどで頻繁に取り上げられたことから人気スポットになり、駅の地主でもある東芝さんが公園まで作っちゃった海芝浦駅があります。
しかしこれらの写真を撮影した当時には、日曜日に鶴見線に乗ろうなんていう酔狂な人はほぼ皆無だったし、日曜は列車本数が極端に少ないことから私は車で来ちゃったし、ということで海芝浦支線探訪はここで終了です^^。

*写真はすべて1986年撮影。




by yokohama80s | 2015-07-12 00:02 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)
2015年 07月 05日

鶴見線沿線・大川~武蔵白石~安善

 JR鶴見線とその沿線の埋立地については、こちらのサイト(ちょこっと鶴見線など)に詳しいですし、最近は「都会の中のローカル線」ということで鶴見線とその支線は人気を博しているようで、ググればごっそりと出てきますので、ご興味のあるムキはそちらをご参照頂くとして、ここでは撮影当時の話などを。

ということで、とにもかくにもまず最初は、当時、クモハ12という旧国電のブドウ色の電車が1両でトコトコ走っていた鶴見線大川支線沿いに白石運河に架かる大川橋を渡った先に大川駅があって、田舎の駅のように歩行者用の踏切を渡って駅前の道路をさらに渡ったところにあったのが↓

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*①大川駅前のバス停


 そしてそのさらに先には↓

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*②昭和電工川崎事業所大川地区あたり


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*③昭和電工川崎事業所大川地区あたり・その2


などがあるものの、予想に違わず工場の壁に囲まれてたいして見る物(写す物)も無いのでUターンして武蔵白石まで来た道を戻ると↓

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*④川崎区白石町1丁目・大川支線・武蔵白石踏切


工場向けの送電線があり……そう言えば、「浅野総一郎はこのあたりの工場の電力確保の為にあっちこっちに水力発電所と送電網まで作ったんだっけ」などと思いながら進んだ先には、当時は大川支線と鶴見線との分岐駅だった武蔵白石駅の都会の駅とは思えないクラシカルな駅舎↓

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*⑤鶴見線武蔵白石駅


 その脇の自転車置き場(?)を横目に見ながら↓

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*⑥鶴見線武蔵白石駅舎脇


5分ほど歩くと隣り駅の安善駅に到着。

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 話は少し前後しますが、川崎市と横浜市の市境を越えた安善駅手前くらいから道路の両側には工場地帯には似つかわしくない住宅が建ち並んでいる一角があります↓。

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*1944年に撮影された航空写真より


 なにやらこの三角地帯にあたる寛政町1~18番地あたりには、大正末頃に浅野セメントや、東京湾埋立会社の従業員住宅と商店などが建ち並んでいたそうな(撮影当時にはまったく気づきもしませんでしたが、現在もコンクリート造りの住宅が数棟残っているそうな)

 そこで今さらながら地図を見ると、工場地帯のど真ん中に住宅地があり、さらにその区画が山下町の中華街みたいに周りに比べるとちょっとヘンな角度になっている、ということは、「は、は~ん、これは江戸時代に埋め立てられた新田跡だな」と思って町名を見ると↓

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*⑦鶴見区寛政町・安善駅前


「寛政町」。
 ということは、町名に元号が使われているということは、西暦1789~1800年の「寛政年間」に埋め立てられたということに。
 
 そこで歴史的農業環境閲覧システムのKMLファイルをグーグルアースに落として現在の地形と明治初期の地図と比べてみると……「海の中だ」みたいな^^。

 で今度は今昔マップで埋め立て前の明治の頃の海岸線をなぞってみると、現在の産業道路の1本海側の寛政中学と東部総合技術校の間の道がもともとの海岸線とピッタリ一致。
 となると、「寛政町=寛政年間の新田説」は敢えなく却下、ということになり、「なぜにして三角形」という疑問はナゾのままとなりました^^。

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*⑧鶴見区寛政町18のタバコ屋
(最近、この近辺を徘徊する写真好きの間で人気があるようです)


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*⑨鶴見区寛政町19の焼き鳥屋さん


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*⑩鶴見区安善1丁目・浜安善方向へ行く踏切を渡った先にあった自治会の掲示板


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*⑪鶴見区寛政町21(現在の大塚家具)・佐久間鋳工所



*写真はすべて1986年撮影




by yokohama80s | 2015-07-05 00:08 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)