人気ブログランキング |

週刊 横濱80’s

hama80s.exblog.jp
ブログトップ

<   2014年 09月 ( 4 )   > この月の画像一覧


2014年 09月 28日

首都高大黒大橋地組立ヤード

首都高1号線・横羽線の生麦ジャンクションから分岐して、大黒埠頭の大黒ジャンクションを結ぶ首都高速神奈川5号大黒線の大黒大橋は、先週の産業道路の大黒大橋に平行する形で京浜運河に架けられた上下二階建て構造の橋で1989年(平成元年)に開通しました。

ということで↓

c0247059_2253229.jpg
①1987年9月撮影


産業道路・大黒大橋の大黒町側から見た図で、左に見えるのが東電の横浜火力発電所で、下に見えるのが首都高大黒大橋の作業用仮設道路。

c0247059_22571623.jpg
②1987年9月撮影


c0247059_22572862.jpg
③1987年9月撮影


↑すでに橋脚は完成しています。

ってことで、橋を渡って大黒埠頭側の、現在の首都高湾岸線・つばさ橋の袂あたりに↓

c0247059_22575695.jpg
④1987年9月撮影


「仮称・高速大黒大橋 地組立ヤード」という看板の向こうに、すでに組立が終わった橋桁が。

c0247059_2313231.jpg
⑤1987年9月撮影


c0247059_232572.jpg
⑥1987年9月撮影


あとはクレーン船で吊り上げて橋桁に載せるのを待つばかり、という状態。

そして月日は流れて、三ヶ月後の12月↓。

c0247059_2375711.jpg
⑦1987年12月撮影


c0247059_2383082.jpg
⑧1987年12月撮影


橋桁に据え付けられていました。






*10月のUP予定

10月 5日:本牧埠頭・シンボルタワー
10月12日:新港埠頭・起重機車庫
10月19日:倉庫壁の落書き
10月26日:新港埠頭・新港サイロ


by yokohama80s | 2014-09-28 00:04 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)
2014年 09月 21日

大黒埠頭 大黒大橋

「大黒ふ頭は、海上出入貨物の増加やコンテナ化等に対応するため、昭和46年(1971)から平成2年(1990)にかけて鶴見区大黒町地先を埋立てて整備をした横浜港初の本格的な島式ふ頭(横浜市港湾局のHPより)」と、横浜市営工業地帯第三地区として1935年(昭和10年)頃に造成された現在の大黒町を結ぶ橋として1974年(昭和49年)竣工した斜張橋と呼ばれる部類の一種の吊り橋が大黒大橋です。

c0247059_1571513.jpg
①1984年、大黒埠頭側から撮影


たぶん橋が跨いでいる京浜運河を船舶が通行できるように、と言う魂胆で海面からの高さが取れる吊り橋という形態の橋を作ったものと思われますが、実際に橋の下を通過するのは主にマリンシャトルに代表されるような港内遊覧船とタグボートと艀くらいのものかと・・・・・・。

とにもかくにも、現在は横浜港の絶景スポットとして有名なようですが、撮影当時の80年代頃は、橋の上から釣り糸を垂らしている釣り人が時折見受けられる程度で(下を船が通過するときにはどうしたのだろう?)、歩道を歩いている人を見ることはまずありませんでした・・・・・・というか、歩くと最寄駅である京急・生麦駅まで1時間近くかかるし、いちおう生麦や鶴見駅方面へ行くバスがあるし、ということで、上り坂がキツイこの橋をわざわざ歩いて渡るような酔狂な人は皆無だったかと・・・・・・。

最後に蛇足ではありますが、個人的には冬場の朝にこの橋から見る富士山は、横浜市内から見える富士山の中では随一なのではないかと思います。
なにせ市内から見える富士山は、大山その他の丹沢山系に視界を遮られるために、六~七合目あたりから上しか見えないのに対して、この橋からだとみなとみらいをバックに裾からバッチリ見ることが出来ます。

たぶん初めてこの橋から富士山を見た人は、「富士山ってこんなに近くにあったっけ?」と思うこと請け合いです。
ただバイクなり車なりの足が無いと、この橋へ行くまでが大変なのが難点なのですが……。

c0247059_1573380.jpg
②1984年、大黒埠頭側から撮影


c0247059_1581667.jpg
③1987年撮影


c0247059_1585342.jpg
④1987年撮影


c0247059_159818.jpg
⑤1987年撮影


c0247059_1593577.jpg
⑥1984年、大黒埠頭側から撮影


c0247059_1542193.jpg
⑦1984年、大黒埠頭側から撮影





by yokohama80s | 2014-09-21 00:12 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)
2014年 09月 14日

首都高速1号線 生麦ジャンクション

京急生麦駅を降りて、どのような道順を選択するかに関わらず、とにもかくにも「イチコク」こと「第一京浜」こと「第一京浜国道」こと「国道15号」に出て、とにもかくにも国道の向かいにシャッターが降りた弁当屋(あれやこれやで何かと世間を騒がせることの多い某牛丼屋の前身なんだとか。確か撮影当時はまだ営業していた・・・・・・ような記憶が???)が見える交差点に出て、歩行者用の信号が青になったら横断歩道を渡り、ひたすら大黒埠頭方向に歩いて行くと生麦運河に架かる新弁天橋にたどり着きます↓。

c0247059_1965742.jpg
写真①


写真に写っている川が生麦運河と、そこに架かる新弁天橋で奥が鶴見倉庫で、積み上げられた箱状の物体はキリンビールの瓶用ビールケース。

c0247059_1991656.jpg
昭和40年度版横浜市三千分一地形図より


ちなみにこの運河は、1992年(平成4年)に埋め立てられて鶴見側が緑地公園、鶴見倉庫があったあたりでは、現在、首都高きたせんの生麦ジャンクションの建設工事が行われています。

さらに進むと、直進すると大黒埠頭、左折すると川崎方面、右折すると首都高横羽線に行く現在の・・・・・・というか、撮影当時も生麦ランプ交差点に到着↓。

c0247059_19125461.jpg
写真②


で首都高高架の下をくぐる歩道橋を上がると↓

c0247059_19135620.jpg
写真③


c0247059_1914943.jpg
写真④


交差点の川崎側には、横羽から分岐してベイブリッジに合流する首都高速神奈川5号大黒線の生麦ジャンクション用の橋脚が。

で歩道橋を渡った先には、道路を抱えるような形の橋脚が↓。

c0247059_20224999.jpg
写真⑤


ちなみに画面右が、撮影当時は中鋼鶴見工場で現在、重機のオークション会場だったけど、ここも"きたせん"生麦ジャンクション絡みの工事が行われているようです。

でその橋脚の足下から↓

c0247059_1919883.jpg
写真⑥


今は頭の上を首都高の高架が走っていて一日中日陰になっていますが、この頃は気持ちが良いほどスッカスカ。

あっそうそう、写真に写っている道路には車が一台も写っていませんが、これは撮影したのが日曜だったから。
平日だとこのあたりは車がビッチリの駐車場状態が、ベイブリッジの下道が通れるようになった2004年までのデフォルトで、月末五十日週末(特に25日とか30日が金曜日だと)に雨なんて降ろうものなら(こういう時に限って事故が起きるんだなコレが!)、それこそ横浜市内は「えらいこっちゃ」の大騒ぎでした。

蛇足ですが、ベイブリッジは本来、本牧埠頭~生麦~大黒埠頭間の慢性的な渋滞解消を目的に建設されたのですが、完成から14年も経ってからようやく本来の役目を果たすようになりました。


*写真はすべて1987年撮影





by yokohama80s | 2014-09-14 00:06 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)
2014年 09月 07日

旧横浜市営工業地帯(新興線沿線)

第一京浜を横浜から鶴見方面に向かった時に、京急の新子安駅前で左に折れてループをグル~ッと回って高架橋に出ると、二国から来ている神奈川産業道路(一般的には略して産業道路)に合流するので、そこを左に折れて首都高を跨いで、JRの貨物線を跨いで、恵比寿運河を跨いでたどり着くのが恵比寿町。

この町の大部分を某化学工場のプラントが占めていますが、取りあえず恵比寿町の交差点を直進すると↓

c0247059_203828.jpg
①恵比寿町・KDDI海底線保管所


c0247059_19274918.jpg
①恵比寿町・KDDI海底線保管所


c0247059_2032917.jpg
①恵比寿町・KDDI海底線保管所


c0247059_1928594.jpg
②恵比寿町・KDDI海底線保管所


c0247059_19281629.jpg
③恵比寿町・運送会社の倉庫


c0247059_1928286.jpg
④恵比寿町・運送会社の倉庫


KDD(今のauことKDDIじゃないよ、その前身の"KDD"だよ)の海底ケーブル置き場と運送会社の倉庫があり、恵比寿町の交差点で産業道路にもどって宝運河を布袋橋で渡ると↓、

c0247059_19304985.jpg
⑤宝運河に架かる布袋橋


そこは宝町。
ここは横浜発祥の某自動車会社の工場と、某石油会社のプラントが町を二分しています。

c0247059_19332711.jpg
⑥宝町・日本石油精製製油所第四工場入口


c0247059_19334234.jpg
⑦宝町・日本石油精製製油所第四工場引き込み線入口


で石油会社のプラントを道路の両側に見ながら、さらに直進し入江第一派川を寿老橋で渡ると↓、

c0247059_19344278.jpg
⑧大黒運河に架かる寿老橋


その先が大黒町。

c0247059_19354086.jpg
⑨大黒町.日本石油精製製油所第五工場引き込み線


これら神奈川区と鶴見区にまたがる三つの人工島には、工場や倉庫、石油会社の施設が建ち並び京浜工業地帯の一角をなしていることから、私はてっきり戦後の高度経済成長期に埋め立てられたものとばかり思っていました。

ところがこの記事を書くにあたり例によってちょこっと調べてみると、これら3つの人工島は震災復興の一環として、「国家の進運に貢献すると同時に横浜市永遠の繁栄に資せんがため」と銘打って横浜市により横浜市営工業地帯として埋立造成され、第一地区の恵比寿町が1933年(昭和8年)に、第二地区の宝町が1937年(昭和12年)に完成(第三地区の大黒町の完成年は不明ですが昭和13~15年頃)し、土地代は坪40円以内(換算すると約20万円)で10年割賦、さらに向こう5年間の市税免除の特典付きで分譲され18社余りが進出を希望したそうな(1934年/昭和9年・横浜市土木局発行「横浜港」より抜粋)。

c0247059_19405454.jpg
昭和9年・横浜港平面図より


ちなみに上の地図は南北が逆転していて地図の上が南になり、ってことで地図左のオレンジ色の三つの人工島が右から恵比寿、宝、大黒となります……って、「恵比寿だ、宝だ、大黒だ、布袋だ、寿老だって、なんだかおめでたい場所だなぁ」という話は置いておくとしまして、私的には「戦前に造成された」という点にちょっと意外な感じがするのですが、そう言われてみるとこちら(大黒町人工島の南西端になります)の雰囲気とか、工場の門扉のデザインなどそこかしこに昭和初期の香りが・・・・・・。

ということで、歩みをさらに先に進めると、大黒町の貨物線(通称・新興線)の操車場を左に見ながら進むと、その先で一国こと京浜第一国道こと国道15号の大黒町入口交差点から大黒埠頭に延びる産業道路との交差点に至ります。

ちなみにこの交差点の名称は、今も昔も「新興駅」。

現在だと、「どこが駅やねん?」と言った感じで、駅どころか線路すらありませんが正式には、先ほどの操車場が新興駅にあたり、Wikiでは新興駅交差点のカドにあった畳一畳ほどの掘っ立て小屋を「新興駅駅舎」としていますが、新興駅と言ってもそれはあくまでも書類上の話で、アレは実際には産業道路を横切る踏切の踏切番小屋。

と言っても、撮影当時には産業道路の通行を遮断して新興駅交差点の先まで貨車が行き来することは無くなった・・・・・・はず。

というのも当時、この場所の通行を遮断しようものなら海沿いに横浜港を一周して本牧埠頭のA突入口あたりまで渋滞しかねませんし、実際、月末週末の五十日に雨でも降ろうものなら大黒大橋から横浜港をグル~ッと回って本牧A突まで大渋滞。

ちなみにこの区間の慢性的な大渋滞を解消するためにベイブリッジを建設したにも関わらず通称・下道が開通し渋滞が解消されたのはベイブリッジ開通から14年後のこと。

まあそれはそれとして、なぜか交差点の先に貨車が一両だけポツンと留置されています↓。

c0247059_19504292.jpg
⑩新興駅交差点の先にて(左手が食肉市場、右がまだ工事中の大黒バイパスと日産の工場)


どうやってここまで貨車を持ってきたのでしょうか?・・・・・・ナゾです。

c0247059_20215777.jpg
⑪新興駅交差点の先にて



*写真①~⑨は1986年、⑩⑪は1987年撮影。




by yokohama80s | 2014-09-07 00:05 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)