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週刊 横濱80’s

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2013年 06月 30日

本牧2丁目 旧チャブ屋と思われる建物

タイトルの「チャブ屋」というのを見て、「チャブ屋ってなんだ?」と思った方は、ご自分でググッてみて下さい。

ということで、その昔、戦前のころには小港町2丁目、戦後は本牧町2丁目と小港町3丁目の町堺の道の両側と、本牧町2丁目の市電通りこと本牧通りウラ一帯に60軒以上が軒を連ねていた本牧チャブ屋街も、あれやこれやの「諸般の事情」と申しますか、「大人の事情」と申しますか、一言で言うと「時代の流れ」には抗しがたく、80年代初頭頃のこのあたり一帯は、かつての喧噪ぶりを想像するのが難しいくらい閑静な住宅街となっていました(ちなみに1950年代の本牧2丁目あたりの写真は、こちらとかこちらをご参照下さい)。

ということで1982年1月。

当時はこのての情報どころか知識すら無かった私は、なにかの雑誌の「60年代の横浜特集」に、上のふたつめのリンク先にある昼間に撮られたニューオリエンタル、ロイヤルパーク、ホテルパナマの写真(だったと思います)を見て、当時も現在もビジネスホテルとして営業しているロイヤルホテルあたりに行けば、それらしいモノが見つかるだろう、というか~るい気持ちで出かけて見つけたのが↓

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すごく「あやしい」雰囲気満点のこの建物。

この時は個人住宅だったようですが、道路に面した部分に建物の壁と塀を兼ねた衝立(?)、というか壁(?)、というか要は塀を兼ねた壁があり、そこには玄関とその脇にあるいかにも後付け風の窓があっただけで、通りに面した部分には一面の壁という異様な建物でした。

そしてこの壁の左側は、明かり採りのスリットが入っているものの微妙に中が見えないようになっているし、このサイズの写真だとわかりにくいのですが玄関左の壁のスリットのある側にアルファベットを縦に並べた切り文字ネオン(千若町のポーラスターやスターダストのネオンみたなヤツ・・・・・・だと思うよ・・・・・・たぶん)を取り付けていたような跡がクッキリ残っているし

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↑この丸窓なんかもすごくあやしい。

ちなみに丸窓から透かし見ると、どうやらこの建物は複雑な構造の2階建てだったようです。

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さらに人を店内に誘導するかのような遠近法を使ったこの玄関もすごくあやしい。

というかそれ以前に、玄関先に干されているボロボロのフトンが一番あやしいんですがね^^

それはともかくこの建物が、1956年(昭和31年)の売春防止法施行以降に"連れ込み"として建てられたとしたら、「入口は目立たないように控えめに」という"連れ込み"建築の基準(注:私個人の勝手な基準です)に合致しないことから、私の独断と偏見と思いこみと願望により、勝手にこの建物を「かつてチャブ屋だった建物」としているワケなのですが、実はこの建物の写真は後にも先にも今回UPしたこの3カッ4枚トしかありません(察するに、玄関部分しか撮るべきモノが無かったのだと思います)。

さらにそのうえ、この建物の詳細な所在地も不明。

わたし的には他にも撮影していたような気がするのですが、いくら探してみても無いモノは無いワケで、しょうがないからこれら3カットの写真を詳細に分析してみると、画面の左に木の幹と頭の上から覆い被さるように伸びた枝が写っていることから、建物の向かい側にそこそこ立派な木がある・・・・・・その他諸々の理由から、この建物はギリギリ一車線程度の狭い路地に建っていたという結論に。

さらに建物への陽の当たり方や、壁に映っている影やガラスへの映り込みなどから、背後には駐車場があり、さらにスリットから辛うじて見える隣の建物などから、画面左背後からこの建物に当たって折れているL字クランクのカドに写真の建物があり、撮影時の季節と時刻から太陽の角度を推測すると東向きに建っていただろう、という条件に合う場所を探してストリートビューで本牧2丁目のロイヤルホテル近辺を徘徊してみると、本牧2丁目のロイヤルH前の路地を入った所に、写真から推測した撮影場所の条件とピッタリ一致する場所を発見。

そこで1977年撮影の航空写真を確認してみると、該当の建物の特徴でもある道路に面した部分の衝立状の壁が確認できるので(どうやら建物に斜めに入っている影はロイヤルHの屋上と自由の女神像・・・・・・みたいです)、この建物があった場所は確定。

ということで、今度は親切な方(どこのどなたかは存じませんが、いつもお世話になっていますm(__)m)がネット上に上げて下さっている1956年当時のこの近辺の住居地図を見てみると、当時この場所にはホテル・シルバーダラー(HOTEL SILVER DOLLAR)という名のチャブ屋があったようです。

ということで、一番上の写真を等倍に拡大して文字らしきモノを目を細めて瞬きしないで凝視していると「R DOLLAR」と見えるよう見えないような・・・・・・やっぱり見えるような気が・・・・・・↓

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壁の文字跡らしきモノをなぞるとこんな感じ(なにか無理矢理感が否めませんが^^)


さらに2枚目の写真も等倍に拡大してみると、「R」の上に「E」が見える、となるとSILVER DOLLARということで、「この建物は、かつてのチャブ屋、ホテルシルバーダラーである」と断言してしまうことにします(笑)

とにもかくにも、後にも先にも3カットしか無ければ、この程度の推測をするのがやっとという残念さ。

もっと残念なのは、この建物以外の「チャブ屋らしき建物」の写真がまったく無いこと。

「無い」ということはそもそも撮影していないワケで、この写真を撮影した年の秋にかけて本牧通りやこの年の秋に取り壊された米軍住宅近辺を重点的に撮影していることから、どうやらそちらに気を取られているうちにチャブ屋探索の件はキレイさっぱり忘れてしまったのか、さもなくば他にそれらしい建物が見当たらなかったのか・・・・・・???

ちなみに現在、この建物があった場所にはマンションが建っていますが、ちょこっと調べてみるとこのマンションは1988年に建てられたとのこと。

となると写真の「チャブ屋らしき建物」は、遅くとも85年頃には跡形もなく取り壊されていたことになるので、もしかしたら再訪した時には時既に遅く、建物がキレイさっぱり無くなっていたのかもしれません。

*写真はすべて1982年撮影。






*7月のUP予定
7月 7日:相生町3丁目 オリヂナルヂョーズ
7月14日:住吉町通り 
7月21日:相生町1丁目 コーヒーの大学院ルミエールドパリ
7月28日:太田町4丁目 バーバーショップ脇山


by yokohama80s | 2013-06-30 00:03 | 本牧・小港・新山下 | Comments(6)
2013年 06月 23日

市電通り 後編

今週は市電通りの山手警察署(JR根岸駅の方ネ)に向かって左側を歩いてみたいと思います。

ということでまず最初は、上野町1丁目あたりの市電通り側にあった金物屋さんの脇↓

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*①1982年撮影


たぶん、昭和30年前後に建てられたものだろうと思われますが、なかなか良い具合に年期が入っています。

でこの先は、人通りの多いアーケード商店街が続くので、一本北方町側の道をテクテクテクテク歩いていくと、上野町2丁目のカドにあったのが↓

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*②1982年撮影


いかにも"町の葬儀屋さん"といった風情の店構え。

その隣には↓

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*③1982年撮影


この日は定休日だったのでしょうか、ショーケースの上でフトンを干している"かつお節屋"さん。

まあ平たく言うと乾物屋さん。

でも冷静になって考えてみると、葬儀屋さんの隣が乾物屋さんというのもなんかスゴイと思います(笑)

でお次は、葬儀屋さんと乾物屋さんのあるブロックの斜め向かいの本郷町1丁目にあったのが(ここだと思うんですが・・・・・・)↓の

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*④1982年撮影


見るからに来店する客よりも、出前メインと覚しき中華料理屋さん。

確か千代崎町マーケットの並びにあったような、無かったような???

で今度は再び市電通りに出て、本郷町商店街の一角にあった風呂桶屋さんの脇に置かれていた使用済みの杉の風呂桶↓

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*⑤1982年撮影


などと言っても、大部分の方が「風呂桶屋???」と思うのではないでしょうか?

と言うか、当時この光景を見た私自身が「懐かし~」と思ってシャッターを押したくらいなのですから、一般家庭に木の風呂桶があったのは60年代~70年代前半くらまでの話だと思いますが、このての風呂桶は数年で腐って使えなくなるというシロモノ。

そうなると風呂桶から水が漏れ始めるので、昔は風呂桶屋さんが存在したワケですが、私のガキの時分には風呂桶に浸かりながら退屈しのぎに風呂桶の腐ってブヨブヨになった部分をむしり取って親からよく怒られたものです(笑)。

などと感慨にふけりつつ、さらに進んで本牧商店街に突入すると↓

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*⑥1981年撮影


引越がどうしただのの文字が見えますが、古い地図を見ると昔は運送屋さんで、撮影当時は呉服屋さんだったようです。

で本牧町1丁目あたりに来てようやくVFWとかイタリアンガーデン(当時は"ニューイタリアンガーデン"と名乗っていたようです)↓

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*⑦1982年撮影


といった今でも名を知られた米軍バーが散見し始めます。

でその先の本牧町2丁目交差点手前にあったのが↓

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⑧1982年撮影


現在の本牧ガーデンがあるあたりで(さりげなく本牧通り右側の写真を紛れ込ませてしまいました^^)、このあたりからようやくフツーのお店の看板にも横文字が見られるようになります。

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*1982年・山手警察署前交差点付近で撮影


以上のように、世間一般では「本牧」というと米軍住宅とセットで「ちょっとニホン離れした街」のように語られがちですが、実際には世間一般で名を知られているような店は本牧1丁目から2丁目あたりにチョロッとあっただけで、少なくとも80年代当時は、複数の商店街を核にした古き良き下町風情を色濃く残した泥臭い街でした。

ということで、これでホンモクあたりの昔の話さシリーズ(そうだったのか?)を終了する予定でしたが、カレンダーを見ると今月はもう一週あるようなので、来週は「ホンモクあたりの昔の話さシリーズ特別編本牧2丁目あたり」をお送りします(注意:あらかじめお断りしておきますが、ゴールデンなんとかというバーなのかレストランなのかライブハウスなのかケジメがつかない店や、ミラーぴかぴかのなんとかというディスコの写真ではありませんので悪しからず、っていうか、私的には「ケッ!」という感じで最初っからこれらの写真は撮っていません←どうせ誰かが撮ってるでしょ?←ググればごっそり出てくるでしょ?)。




by yokohama80s | 2013-06-23 00:03 | 本牧・小港・新山下 | Comments(0)
2013年 06月 16日

市電通り 前編

さて前回は、1.6kmのあいだ断続的に複数の商店街が連なる私が勝手に名付けた"市電通り商店街"の入口で終了してしまったので、今回はその続きを・・・・・・

ということで、今回は市電通りを山手警察署方向に向かって右側(山手駅というか根岸線が走っている方)を行くことにします。

まあ「右側」と漠然とした言い方になってしまうのは、一般的には大きな通りを挟んで右側と左側で町名が違うとか、丁目が違う、というのが相場なのですが、このあたりの場合は町の成り立ちの関係で、このどちらにも当てはまらないというレアケースの為に、こういうビミョーな言い回しになってしまいます(このあたりの詳しいことをお知りになりたいムキは中区史をご一読くださいナ)。

前置きが長くなってしまったので、まずは市電通りこと本牧通りの麦田町4丁目あたり(もしかすると3丁目だったかも?)にあったレコード屋さん↓

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*①麦田町3-68コーエーサウンド


とにもかくにも、「お~~~~っ!」みたいな(笑)

ということで、通りの奥の方を透かし見てみると、どうも現役バリバリのアーケードが続くようなので、通りの一本奥の道に入り、テクテク行った上野町1丁目当たりで↓

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*②上野町1-20アイザワフォート


カドのコンクリのボッチは一体なんなのでしょうか?

建物のカドが削られていることから、写真の建物が建てられる前からここにあったのだと推測出来るのですが・・・・・・

まあそれはそれとしてさらに進んだ上野町2丁目(間違っていたらごめんなさいネ)あたりに↓

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*③上野町2-45青柳商会の裏


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*④上野町2-57付近 その1


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*⑤上野町2-57付近 その2


ツイッターのロゴマークか、はたまた鎌倉名物鳩サブレー???

まあそのどちらでもないんですが、なんか粋で洒落てます。

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*⑥上野町2-57遊仙コイン その1


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*⑦上野町2-57遊仙コイン その2


ということで市電通りこと本牧通りの上野町2丁目交差点からちょっと入ったところの本郷町1丁目にあったのが↓

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⑧本郷町1-1千代崎町派出所 その1


本郷町にあるのになぜか千代崎町派出所。

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⑨本郷町1-1千代崎町派出所 その2


ということで戦前の地図を見てみると、どうやら千代崎町派出所はもともとは今のビヤザケ通りのキリン園公園入口交差点の千代崎町1丁目側にあったようですが、どのような経緯で千代崎町派出所が本牧通りを渡った本郷町にあるのかは不明です。

まあそのあたりのことは歴史マニアの方にお任せするとして、話を元に戻すと当時でもよほど田舎にでも行かない限り見ることが出来なかった、当時でも珍しい木造交番。

確かつや消しの緑色に塗られていたような記憶が・・・・・・

ということで、さらに市電通りに平行している一本裏の通りをテクテク行くと同じく本郷町1丁目に↓

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*⑩本郷町1-7付近


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*⑪本郷町1-7小槻理容館


「立派なとこ屋さんだなぁ~」などと思いながら建物のウラを見ると、この壁の奥はフツーの日本家屋でした。

余談ですが、私はこういう建物のことを勝手に看板建築の発展型である「ハッタリ建築」と分類しています(笑)

「かっけぇ~」などと、ひとり感心しながらさらに進むと↓

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*⑫本郷町3-71


今はもう見ることの無くなった、いかにも「町の産院」といった風情。

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*⑬本郷町1,2,3,丁目の境界が交わる交差点付近 その1


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*⑭本郷町1,2,3,丁目の境界が交わる交差点付近 その2


ということで、もったいぶって今回はこれにて終了。

次回は市電通りの左側をお送りします・・・・・・ということで。

*写真はすべて1981年撮影。




by yokohama80s | 2013-06-16 00:04 | 本牧・小港・新山下 | Comments(0)
2013年 06月 09日

麦田町あたり

ある日のこと。

「山手駅からどう行けば本牧通りに出られるのだろう?」と地図を眺めていたら、どうも石川町から歩いてもさほど距離は変わらないようだし、なにか石川町からテクるルートの方が"絵になりそうなモノ"が有りそうなそこはかとない予感が・・・・・・

そこで某年某月某日のこと、石川町駅を降りて生活臭を欠いた小洒落た雰囲気の商店街を抜け、麦田トンネルの旧市電トンネルだった左側の方を抜けて山手公園交差点で最初に目に入ったのが↓

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*①1981年撮影


一見するとごくごくフツーの自動車修理工場ですが、店名がちょいと洒落て「ヒルサイドガレージ」。

横断幕には、シャチョーさんと思われる方のお名前がデ~ンと・・・・・

ハーフの方なのか、帰国二世の方なのか、それともゴールデンカップス風の通り名(ハーフは一人しかいなかったのにメンバー全員にそれらしい芸名をつけて「全員ハーフのバンド」として売り出した)なのかは不明です。

「やっぱホンモクだよなぁ~」と言ったところでしょうか。

なにげに置いてある車も↓

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*①1984年撮影


1956年型OPEL OLYMPIA REKORD。 

当時のヨーロッパのベストセラー車のひとつで、排気量1400cc直列4気筒、45馬力、3段変速、 0-100km加速30~35秒・・・・・・30秒!!!

今時の"軽"ですら、その半分の時間で100km/hを越えるのでは???

まあそれはそれとして麦田トンネルを抜けて早々に、「やっぱホンモクは違うよなぁ~」などと感心しながら、ふと交差点の向こう側を見ると↓

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*②1982年撮影


「えっ!」みたいな(笑)

通りを挟んであまりにもギャップが有りすぎです。

泥臭すぎです。

それはそれとしても、この小さな建物にいったい何軒のお店が入っているのでしょうか?

きっと大家さんは、そうとうのやり手とお見受けいたしました。

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*②1981年撮影


という話も置いておくとして、さらにヨタヨタと通り沿いを進むと↓

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*③1981年撮影(洋品の店・金井商店)


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*③1981年撮影(洋品の店・金井商店)


「おお~~~っ!」みたいな(笑)

ということで、市電通りの山手駅入口交差点の妙香寺台側カドには↓

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④1981年撮影(大塚家電)


があり、今度は市電通りの妙香寺台側の一本裏手の道を麦田1丁目方向に戻ると↓

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*⑤1982年撮影


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*⑤1982年撮影


いきなりジャンク屋さんが。

でそこからさらに進むと↓

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*⑥1982年撮影


昔はどの町にも必ず1軒はあった豆腐屋さん。

今はもう見ることがなくなりましたが、その昔は夕方になると、「パ~フ~~、パ~フ~~」と笛を吹きながら自転車でリアカーを牽引しながら豆腐を売り歩く豆腐屋さんの姿をよく見かけたものです。

さらに歩くと↓

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*⑥1982年撮影


天下の公道で洗濯物を干してしまうという、いかにも下町風の風景があり、さらに↓

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*⑦1982年撮影


ガケ沿いには材木店の倉庫があったり↓

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*⑧1982年撮影


ツタに覆われて家なのかなんなのかすら判然としない建物があったりと、「看板はすべて横文字」という、来る前に勝手に持っていた本牧のイメージは、ここから山手警察署前交差点までの約1.6km続く市電通り商店街(←私が勝手に名付けたもので実際には通り沿いに複数の商店街が連続していますがメンドーなのでひとまとめにしてしまいました)のほんの入口で早くも脆くも崩れ去りました。

「こってこての下町やん」みたいな・・・・・・

ということで、この続きは来週に。




by yokohama80s | 2013-06-09 00:05 | 本牧・小港・新山下 | Comments(0)
2013年 06月 02日

石川町 亀の橋

まずは予備知識としてアレやコレやのこまかい話は、「ダルマ船」とか「水上生活者」などでググッて頂くということで「以下省略」(笑)

といことで、時は80年代初頭の頃。

当時、桜木町駅近くの大岡川の河口に架かる弁天橋のあたりや、新山下の貯木場、堀川河口一帯、そして中村川に架かる亀の橋のあたりには多くのハシケや引船が係留されていました。

ちなみに余談になりますが、もともと中村川はの河口は現在の西の橋あたりだったのですが、横浜開港に伴いこの河口沖合を埋め立てて居留地を造成するのあたり、現在の桜木町の大岡川と中村川の西の橋下流を結ぶ運河が掘られ(本来なら派大岡川と呼ぶのが正しいのですが正式名称はあくまでも大岡川だった⇒現在は埋め立てられています)、さらに中村川の河口を運河で延長し、この運河を"堀川"と名付けたことにより、中村川の延長にに過ぎないにも関わらず、正式には西の橋を境にして上流が中村川、下流を堀川とされています。

ということで話を戻すと、その中でも一種独特、というか特殊だったのが亀の橋周辺。

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*これは弁財船かはたまた五大力船の成れの果て


というのも、ハシケを自動車に例えれば大岡川や堀川河口がトラックのいわゆる駐車場とかシャーシ置き場という感じなのに対して、亀の橋周辺は、繋がれていたのはこの頃にはすでに一線を退いていた木造のハシケことダルマ船で、そしてそのほとんどのハシケには人が住んでいたということ。

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*正面からの図


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*こちらはちょっと新しいタイプのダルマ船


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*後ろからの図(正面に写っている高架橋が石川町駅)


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これはハシケ全盛期だった昭和30年代頃までは、ハシケを所有する回漕店が廃船にしたハシケを社宅代わりに使わせたり、はたまたトラックと同じようにハシケを買うなり借りるなりしてフリーランスで仕事をしている人が、自分が使用するハシケを住居代わりにする、要は水上生活者が、この頃の亀の橋近辺には残っていたということを示しています。

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*奥のハシケは屋形船風(?)に改装されています。


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*手動のビルジポンプ


よくよく考えてみるとそれもそのはずで、亀の橋の周りを見渡してみると、石川町駅が目の前だし、寿町に近いことから近所に安い飲み屋、飯屋は選り取り見取りだし、家賃(ハシケの所有者から賃貸している場合はこの限りにあらず)、電気(この頃は大部分がいわゆる"盗電"というヤツだったそうな)、水道(ハシケに大きなポリタンクが装備されている)がタダなうえに、これらのハシケは、もともと木造なので木材とクギがあれば改造自由なうえ、船体の大部分を占めている広大な貨物スペースをそっくりそのまま居住スペースに出来るとくれば、わざわざ高い家賃を払って狭苦しくてなにかと窮屈なオカのアパートに住む理由が見当たらない、というのも道理でしょう。

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*ハシケ後部にある縦長の箱が飲料水タンクで、内部は家電製品が完備されている。


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というワケで、「ファッションの街、モトマチには似つかわしくない風景だ」とどんなに声を荒げたところで、アレやコレやと理由をつけて権利を主張してみたり、はたまたほとぼりが冷めるまで余所へ移動して、ほとぼりが冷めた頃に再び戻ってくる、という対抗手段に訴えるのは至極当然のように思えます。

実際、中区史には「中村川の川面がキレイになったのは昭和56年(1981年)のこと」と記されていますが、ここにUPした写真を撮影したのは、その翌年の1982年の1月と7月。

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結局、数年前に行政がAPEC開催絡みで強権発動して、ようやく中村川、堀川から世間で言うところの「違法係留されたハシケ」とやらが一掃されたと聞き及んでいます(表向きは自主撤去ということになっているらしい)。

とにもかくにも当時はゴミだらけだった中村川、堀川がキレイになったことは喜ばしい限りですが、川面には艀が一隻も浮かんでいないうえに、川岸を柵や金網で囲ってしまう、というのはちょっとやりすぎに思えるのですが・・・・・・

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*写真はすべて1982年撮影。
*2015/03/14:写真10点追加しました。




by yokohama80s | 2013-06-02 00:03 | 元町・石川町 | Comments(5)