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週刊 横濱80’s

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2013年 02月 24日

本牧原12 旧本牧小学校

まだ本牧一帯に米軍キャンプがあった頃、現在の本牧ベイタウン5番街が建っているあたりに、通称:ヨーハイ、正式名称:Mile C Kinnic Middle Schoolという米軍関係者子息向けの学校がありました。

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*1982年撮影


とだけで済ませてしまえば、「ああそうか」で終わってしまう話なのですが、実はこのヨーハイの校舎は元々は1873年(明治6年)に横浜市内で最初に開校した18校の小学校(当時は"学舎"と呼ばれていた)のうちのひとつである本牧小学校に、1926年(大正15年)に一部では"震災復興小学校"とも呼ばれている、震災後に横浜市内に30校あまり建てられた鉄筋校舎のうちのひとつです。

さて話はここからがややこしくなりまして、時は1945年(昭和20年)に米軍が本牧に進駐してきた時に、まずは本牧1丁目にあった大鳥小学校こと当時の大鳥国民学校を接収して病院として使用(ちなみに、東条英機が自殺を図って運び込まれた病院がここ)。

この時、大鳥小学校の生徒は本牧小学校に仮住まい。

しかし翌年の1946年始めに、この病院が伊勢佐木町の旧松屋吉田橋店に移転(この店舗は1955年まで病院として使用された)したのに伴って、晴れて大鳥小学校の生徒たちは元の学校に戻れたワケですが、1947年(昭和22年)に今度は本牧小学校が接収されてしまった為に本牧小学校の生徒が大鳥小学校へ仮住まい。

そして接収された本牧小学校は米軍兵士、軍属の子息向けの学校として使用されることになり、小学校自体は間門小学校に統廃合され、生徒は間門小学校と大鳥小学校に別れて通学することになり本牧小学校は廃校の憂き目に。

そして1992年に、本牧和田の旧米軍住宅地跡に作られた住宅地内に間門小学校から分校する形で新たに小学校が開校し、校名を本牧小学校と称することになり、ここにほぼ半世紀の時をへて本牧小学校が復活して現在に至る、という次第。

一方、米軍により接収された本牧小学校は、1947年から家族で駐留してきた米軍兵士の子息用の学校"NASUGB BEACH High School"となり、その後、"Nile C Kinnick High School"に名称を変更し1971年にHigh Schoolのみ横須賀に移転(となると、1971年を境に横浜のヨーハイと横須賀のヨーハイと、一口にヨーハイと言っても二種類あるということなのでしょうか?)。

その後、この校舎はMiddle Schoolとして、このあたり一帯が日本に返還されるまで使用されていました。

ちなみに「学校名の"Nile C Kinnick(ナイル・クラーク・キニック)"って誰だ?」とお思いになられた方はこちらのWiki日本語版をご覧になってください。

ついでに余談になりますが、この学校は、あの人やこんな人がというような芸能人を多く輩出していることでも有名なのですが、なにぶん昔の話でして、いちいち名前を挙げたところで、「それって誰?」と聞かれてもアレなので、ここでは控えさせていただきます(笑)

とにもかくにもこの学校に関するアレやコレやの詳細をお知りになりたい方は、ヨーハイ卒業生のHPをご覧下さるほうが手っ取り早いかと思います(注意:アクセスするとヘンチクリンな音楽が流れますのでボリュームはオフにされるのが得策かと)。




*3月のUP予定
3/3  本牧1丁目 VFW(退役軍人クラブ)
3/10 横浜競馬場
3/17 山下町254 デスコビル
3/24 日本大通17 旧露清銀行横浜支店
3/31 北仲通3丁目 清月堂ベーカリー


by yokohama80s | 2013-02-24 00:03 | 本牧・小港・新山下 | Comments(2)
2013年 02月 17日

米軍横浜海浜住宅地区(エリアワン)

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エリアワン入り口の案内板


かつて終戦後から1982年(昭和57年)に返還されるまでのあいだ、小港町から本牧和田にかけて本牧通りを挟んだ両側にフェンスに囲まれた通称・本牧ベース、はたまた米軍キャンプその他諸々の呼び方をされていた、正式名称「米軍横浜海浜住宅地区(YOKOHAMA BEACH DH-AREA)」という910世帯分の米軍人及び軍属家族向け住宅があった横浜市内で最大規模の米軍施設がありました。

ちなみに施設名称に「横浜海浜(YOKOHAMA BEACH)云々」、エリアワンの案内板には「SEASIDE AREA(ちなみにエリアツー地区は"NASUGB BEACH AREA"→マニラから南に60kmにある海岸・・・・・・にちなんでいるんだと思うヨ・・・・・・たぶん・・・・・・)」とありますが、現在の地図を見ると「いったいどこがビーチやねん!」と言いたくなりますが、昭和42年に本牧埠頭、錦町一帯が埋め立てによって出現する以前は、このエリアワン地区の東側は、本牧十二天の海岸線が広がり(ザックリ言うと、錦町から間門までの産業道路が埋め立て前の海岸線)、その昔、居留地に住む外国人たちがこの地にサマーハウス(夏用の別荘)を建てたのをきっかけに、それ以来、米軍により接収されるまでは海水浴場や景勝地としてとして人気のあった横浜名所のひとつでした。

米軍は、ちゃっかりその海岸線ごと接収してしまった、という次第。

ということで今回は、俗にエリア・ワンと呼ばれていた正式名称"米軍横浜海浜住宅地区一号住宅地"こと本牧通りを挟んだ海側(東側)にあった住宅の写真を。

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このエリアワン地区には、庭、家具、家電、暖房完備の4~5LDKの部屋が1棟あたり2~3戸入った建物が

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151棟あり、おもに任地に1~2年滞在することに同意した家族持ちの下士官以下の兵卒と軍属が住んでいたそうです(ちなみに本牧通りを挟んで山側のエリアツーこと二号住宅地が士官用住宅だったそうな)。

そしてこれらの住宅は、家族構成によって部屋数が決められ、5歳以上の子供には必ず一部屋が割り当てられ、自家用車については一家族につき一台の所有が認められ、さらに必要に応じて日本人の使用人を雇用することができたそうで(使用人の賃金は日本政府が負担した)、中区史によればこのエリアワン地区には合計427世帯が暮らしていたそうです。

でも国土変遷アーカイブで70年代頃のこのあたりの航空写真を見ると思わず泣けてきます(笑)

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一軒一軒が大きいし、家同士の間隔は広いし、庭は広々しているのに対して、金網の外側は米軍住宅1棟分の敷地にギッチギチに家が6~10軒は建っていますから・・・・・・。

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*小港橋側入口にあった看板


*写真は1981年10月~82年7月にかけて撮影。



by yokohama80s | 2013-02-17 00:03 | 本牧・小港・新山下 | Comments(2)
2013年 02月 10日

本牧PX ガソリンスタンド 本編

以前、ちょこっとスタンドにあった看板だけをご紹介したので、今回は詳細版。

で本牧PX内にあったガソリンスタンドは、元町方面から本牧通りを根岸方面へ向かう途中の山手警察署交差点の現在、レンタルビデオ屋やコンビニ、マンション2棟が建っている区画にあり、正式名称は"NAVY EXCHANGE AUTO SERVICE STATION"・・・・・・だったと思います(笑)

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*写真右側が山手警察署前の交差点


ちなみに写真左手に見えるガレージが、NEVY AUTO REPAIR GARAGEと称した自動車修理工場。

日本のコンパクトにまとめられたスタンドを見慣れている者には、この広さに思わず圧倒されてしまいます。

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聞いたところによるとこのスタンドは、ガソリンは米国内価格のガロン売りでオクタン価もアチラ仕様だったとかで、支払いは現金不可で軍票(PXでしか通用しない小切手のようなモノ)のみで、日本の一般的なスタンドのように店員が給油してくれる「フルサービス」と、自分で給油する「セルフ」にレーンが分けられていますが、フルだと料金が割増になったかどうか、はたまた前述の話が真実か否かについては、当たり前の話ですがこのてのスタンドを利用したことが無いので実際のところはわかりません(笑)。

また70年代のオイルショック時には、このスタンドに一般の日本人が次から次にやって来ては、「ガソリンを売ってくれ」「売れない」で一騒動あった、という話を聞いたことがありますが、こんな通り沿いに普通に建っていたら間違える人が居て当然のような気がします。

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*なぜか仮名遣いが昭和初期


実際↑こんな注意書きがあるくらいですから、勘違いする人が日常的に存在したのでしょう。

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*写真はすべて1981年撮影





by yokohama80s | 2013-02-10 00:06 | 本牧・小港・新山下 | Comments(0)
2013年 02月 03日

本牧PX その2

前回はダイジェスト版ということにして、今回はそれ以外のカットを・・・・・・

ということで、世間一般では「フェンスの向こうのアメリカ」と言ったら、白い家が立ち並んでいた米軍住宅の方を指しているようですが、私的にはまさにこの風景↓

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*左手奥の鉄塔が、ナイター設備付きの野球場。


が、「フェンスの向こうのアメリカ」でした。

と言うのも、私が小学生だった時分には1年生だったか2年生だったかの遠足は、大さん橋~山下公園~港の見える丘~外人墓地~三渓園という横浜市内観光定番コースに行ったワケです。

でちょうどその頃には、まだ本牧の産業道路より海側は鋭意埋め立て中だった(・・・・・・と思う)ために、山下公園(港の見える丘だったかも?)から三渓園に向かうときには必然的に本牧通りを通るワケです。

でバスが山手警察署前交差点を過ぎると、バスガイドのお姉さんが「左右にあるのがアメリカ軍の本牧キャンプです」と言うワケです。

そこには本牧通りの左右に高さ3mくらいのフェンスがあり、左手には綺麗に手入れが行き届いた青々とした芝生がと白塗りの壁が眩しい大きな住宅が立ち並び、右手には広大な駐車場の正面に店舗が横並び、というこの頃の日本にはまだ無かった(はず)ショッピングセンターと、駐車場にはドデカいフルサイズのアメ車と、歩いている人はすべて外人(当たり前!)、という光景に「おおお~っ、アメリカだぁ~っ!」とみんなで歓声を上げて見入った時の印象があまりに強烈だったせいなのでしょう(進行方向右側の窓側に座っていたので初めからPXしか見えなかったのですがネ)。

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*右側に見える道路が本牧通りで、奥が山手警察署交差点。


ちなみに上の写真の駐車場と本牧通りの歩道との間に並んでいる鉄柱(写真では2本しか写っていませんが)が、かつてアメリカと日本を隔てていたフェンスの支柱で、写真中央左に見える鉄塔が北方消防署の火の見櫓です。

ということで、山手警察署交差点から左手に北方消防署、右手に自動車修理工場を見ながらPX内部に潜入すると↓

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正面に見える建物が、コチラと同タイプの簡易設置型の冷蔵庫。

さらに進むと、コチラ(上から2~5枚目の写真)にあるような、お店やら、何だかわからない建物や↓、

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教会や↓

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古めかしい石垣があったり↓と

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お店だか倉庫だかケジメがつかない建物があったり↓

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壁にこんな↓張り紙があったり

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と、人っ子一人いないPX内を、「まさに"兵どもが夢の跡"だなぁ~」などと物思いに耽りながらテクテクと歩いていると再びショッピングセンターの駐車場に。

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ということで、本牧PX一周ツアー終了です(笑)

ちなみに写真の順序は実際の建物の配置とは関係ありません。

なにせ行きつ戻りつしながら撮影していたものでして(^^ゞ

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*↑ボーリング場か何かの入り口・・・・・・だったと思います。


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「永久に閉店」との張り紙がある床屋さん



*撮影:1981年~1982年




by yokohama80s | 2013-02-03 00:03 | 本牧・小港・新山下 | Comments(4)