1 2012年 06月 24日
![]() 現在、本牧十二天にある北方消防出張所は、この写真の撮影当時は本牧通りの山手警察署交差点から60mほど本牧PXに入った所にありました。 この時、すでに米軍横浜住宅地区こと本牧ベースの再開発により、それまで周りにあった米軍住宅そのほかの施設はすべて跡形もなく取り壊されて、ガレキの中に昭和初期に建てられた消防署とその後ろの火の見櫓だけがポツンと残されている光景は一種異様な雰囲気でした。 ![]() ![]() ![]() ![]() ちなみのこれらの写真を撮影後まもなく、北方消防出張所は本牧十二天の現在地に移転しました。 ■
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by yokohama80s
| 2012-06-24 00:07
| 本牧・小港・新山下
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2012年 06月 17日
横浜市のサイトにある資料を見ると、本牧ベースが返還されたのは1982年(昭和57年3月31日)となっていますが、この写真を撮影したのはその前年の1981年(昭和56年)の10月。 私の記憶が確かなら、新聞で「本牧ベースが日本に返還された」と読んで、「これは忍び込めるチャンス」とばかりにイソイソと出かけたのを憶えています。 いざ現地に行ってみると、日本とアメリカを隔てていて「フェンスの向こうのアメリカ」と言われる所以となった本牧通り沿いのフェンスがキレイさっぱり撤去されていて「よっしゃ!」とばかりにPX敷地内に潜入。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 1時間ほどグルーッと一回りしてコミサリー↓ ![]() ![]() のベンチで一休みしていたら、屋根にブルーのパトランプを載せたドブネズミ色(←色に関しては確信がありません)のセダンがやって来て目の前で停車。 中から降りてきた日本人の警備員にバン掛けられました。 曰く、「日本への返還が決まってフェンスを撤去したが、ここはまだ米軍の管理下にある。よってここは撮影禁止だから撮影したフィルムを出せ」と。 「いやいや休んでいただけで、まだ写真は撮ってない」の押し問答を繰り広げる、というお約束のパターン(笑 まあのらりくらりと言い逃れをしていつものように適当に逃げてきましたが、この頃は、肩からカメラを下げてノースピア(最近はノースドックと言うらしいが瑞穂埠頭のこと)手前の瑞穂橋の白線を一歩でも超えようものなら、どこからとも無くあらわれた警備員に「フィルムを出せ」と言われたモノです。 それでもノラリクラリと言い逃れが出来たのですから、ある意味良い時代でした。 でフト思ったのですが、今、瑞穂橋あたりで写真を撮ったら、「メモリーを出せ!」と言われるのでしょうか? 今度、試してみよっと(ウソです)。 *本牧PX・その2もご覧下さい。 ■
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by yokohama80s
| 2012-06-17 00:05
| 本牧・小港・新山下
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2012年 06月 10日
![]() かつて本牧PX入り口にあったガソリンスタンドの、「あんた死ぬよ!」と書かれた看板。 なんかそこはかとなくアメリカンなイラスト。 ■
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by yokohama80s
| 2012-06-10 00:02
| 本牧・小港・新山下
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2012年 06月 03日
高島埠頭は、ちょうど横浜駅の南東、築地橋を渡った帷子川河口、現在のみなとみらい4丁目~5丁目一帯にあった埠頭で、もともとは西半分(国道一号線側)の旧表高島町の埋め立て地に広大な旧国鉄の高島貨物駅が作られ、その後、1921年(大正10年)に横浜港第三期拡張工事の一環で内貿易用埠頭(国内向け貨物積出し用)として現在のキャッツシアターからみなとみらい6丁目にかけての埋め立て造成が開始されました。 しかし1923年(大正12年)の関東大震災により工事は中断。 その後、1930年(昭和5年)に現在のジャックモールイースト棟の南側あたりに一号桟橋が、 ![]() そして1933年(昭和8年)には、タワーマンションのあたりに二号桟橋が、1954年(昭和29年)には高島中央公園北交差点あたりに三号桟橋が作られました(位置的には現・横浜マリーナの最深部がちょうど三号桟橋北側先端部にあたりますが、三号桟橋自体は1988年までに撤去されています)。 ![]() ![]() しかし撮影当時の80年代には、桟橋自体が手狭で大型船の接岸には不向きなことからか、この埠頭に船が接岸して荷役作業をしている光景はほとんど見る機会はなく、高島埠頭を寄港地としていた大島航路の定期船も寄港地を大桟橋に変更し(ちょうど83年~85年までの時刻表コレクションが欠落している為に正確な時期は不明ですが、82年の時刻表には「横浜(高島)」となっていて、86年の時刻表には「横浜(大)」となっていることや、私のつたない記憶を元にすると83年か84年頃に寄港地が大桟橋に変更されたと思います)、埠頭に隣接する高島駅も広大なヤードが広がっているだけで、繁華街横浜駅の裏にポッカリ空いたエアポケットといった風情でした。 ![]() ![]() そして1984年から、みなとみらい21計画によってまずは桜木町駅東側にあった東横浜駅から三菱造船、高島埠頭三号桟橋の南側にかけての埋め立て工事が開始され ![]() ![]() 気づいたときには現在のような姿に......。 はたしてジャックモールの辺りに立って、かつてここに桟橋があったことを想像出来る人が何人おいでになることやら......。 なにせかつて高島埠頭の桟橋があった場所は、いまやみなとみらい地区のど真ん中ですから。 ![]() ■
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by yokohama80s
| 2012-06-03 00:03
| 高島埠頭
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