人気ブログランキング |

週刊 横濱80’s

hama80s.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:関内地区( 50 )


2013年 07月 14日

住吉町通り

「住吉町通り」というタイトルを見て不思議に思われた方は多いと思います。

それもそのはずで、入船通りと相生町通りに挟まれた博物館通りからみなと大通りに至る住吉町と相生町各1丁目から5丁目までの町堺にあたる、幅員2m弱の車一台がやっと通れるような路地のことを、この記事を書くにあたり私が勝手に名前を付けてしまいました。

もしかしたらちゃんとした呼び方があるのかもしれませんが・・・・・・

ということで、まずは相生町4丁目の市民文化会館関内ホール裏手↓

c0247059_111953.jpg
①写真奥が馬車道通りになる・・・・・・と思います。


でちょっと行くと空き地があり、お隣の相生町通りが見えます↓。

c0247059_1111334.jpg


ちょっと見にくいですが、写真正面にレストラン・ナポリ、右手のビルにはフランス料理のレストラン・シュミネーの看板が写っています(右手の白いビルの一番下の看板ですがこのサイズだと見えませんね、ゴメンなさい)。

でお次は関内大通りを渡った先の住吉町3丁目の↓

c0247059_1181153.jpg
③この頃ですら珍しかった一枚ドアの冷蔵庫


相生町通り側にある日本料理屋だか料亭だかの裏に置いてあった年代物の冷蔵庫。

冷蔵庫の扉に南京錠、というのがなんとも言えない味を出しています。

そしてその先には↓

c0247059_1162112.jpg


店名が「ラブ」だから、ミロのビーナス像を店頭に置いているというチープさと場末感がたまりません。

などということは置いておくとして、さらに進んで関内桜道を横断した先の住吉町2丁目の焼鳥屋さん↓

c0247059_121428.jpg


焼鳥屋さんなのに、なぜかランチメニューは魚料理ばかり・・・・・・でもお値段の方は今と大して変わらないような気が・・・・・・???

c0247059_121199.jpg


などという話は置いておくとして、相生町と住吉町3丁目までは、相生通りや入船通り側の店の裏側にバー、スナックがチラホラといううら寂しい感じでしたが、2丁目はご覧のように周辺のビルに勤める方々相手の小料理屋やら居酒屋、焼鳥屋が路地の両側に建ち並び、昼は定食屋、夜は飲み屋として営業していて平日は人通りが多い路地でした。

ということで、さらに進んで関内仲通りを渡ると大桟橋通りに向かって右手側が住吉町1丁目、左手側が相生町1丁目となり大桟橋通りのブッツケ左手に、現在、なにかと話題(?)のコーヒーの大学院ルミエール・ド・パリがあります。

ということで、お後は来週に。

*写真はすべて1981年撮影。



by yokohama80s | 2013-07-14 00:03 | 関内地区 | Comments(0)
2013年 07月 07日

相生町3丁目 オリヂナルヂョーズ

c0247059_19511839.jpg


c0247059_1952129.jpg
*入り口横の看板は「ジ」、立て看板は「ヂ」???


相生町3丁目の関内桜道沿いのビルの一角に↑写真のイタリアンレストランがありました・・・・・・などと、もっともらしいことを書いていますが、この店が、かの横浜ホンキートンクブルースの歌詞にある、まさにその店だったとは当時は知る由もありませんでした。

ではナゼにして写真に撮っていたかといいますと、たまたまこの通りを歩いていたら店の看板が目に入ったワケです。

「オリジナルジョーズ(Original Joe's)? 映画のジョーズ(JAWS)にあやかってチャラい店名つけやがる」と、話のネタに写真を撮ったという次第。

ところが帰宅後に、当時の「交通公社のポケットガイド」なるモノを紐解いてみると、曰く「創業以来30年、横浜で1・2というイタリア料理の店。1965年に来日したベルギーのアン王女がこの店を訪れたという格式をもつ云々かんぬん以下省略」・・・・・・「知らぬとは言えとんだ失礼をばいたしました」と言ったところでしょうか(笑)

ということで、「直訳すると"元祖ジョーの店"と名乗るからにはアメリカに本店でもあるんだろうか?」と冗談半分にググッってみると、なんとサンフランシスコ・サンノゼに全米にチェーン展開している同名のイタリアンレストラン(どちらかと言えばレストランというより"ダイナー"ですが)がありました。

ところがこちらの方は、「1956年に創業」とあります。

で一方、横浜の同名店の方はHPによると「1953年(昭和28年)山下町にて開業」とのことで、アメリカの同名店より開業が3年早いということに・・・・・・。

「本当に元祖ジョーの店じゃん」・・・・・・と言いたいところなのですが、もともとオリジナルジョーズという店名は「ジョーの店」程度の意味しかありませんし、かの国にはジョーさんという方はごまんとおいでになるワケで、事実、120年余り前に中華大通りがブラッドストリートと呼ばれていた頃に、今の山下町交番あたりに「ジョーの店」が存在していたそうですから、あまり意味のない話といえばそれまでなのですが(笑)

という余計な話は置いておくとして、素朴な疑問なのですが、この店の店名は「オリジナルジョーズ」と「オリヂナルヂョーズ」のどちらが正しいのでしょうか?

私は「感じ」なので、「ヂ」の方を採用しましたが、看板には何気に両方が表記されているのですが???

まあ現在のHPでは「ジ」で統一されているところから推測するに、実際のところは開店当時の仮名遣いだと「ヂ」だったのにその後、一般的に「ヂ」を「ジ」と表記するようになったものの、あんまり意識しないでいたらいつの間にか「ヂ」と「ジ」の両方ごっちゃになっちゃった、といったところなのでしょう。

ということで、このお店は、開業58年目の2011年10月に惜しまれつつも閉店したのだそうですが、HPがいまだに閲覧可能となっていることから、将来的に復活の可能性もなきにしもあらず、と言ったところなのかもしれません。

ちなみに私は、こんな高級なお店には入ったことがありません・・・・・・というより、あまりにも敷居が高すぎてハシゴを掛けたところで間違っても跨げるようなお店ではありませんでした(スパゲッティー一皿千円って何かの悪夢にしか思えなかった・・・・・・当時は)。

c0247059_19513724.jpg


c0247059_19515188.jpg
*写真は3枚とも1981年撮影




by yokohama80s | 2013-07-07 00:04 | 関内地区 | Comments(2)
2013年 05月 05日

北仲通5丁目 帝蚕倉庫

みなとみらい線の馬車道駅を降りて、2番出口から地上に出ると目の前に古めかしいレンガ造りの建物があり、さらに駐車場の真ん中にも古びた倉庫が1棟だけポツンと取り残されたように建っている一角があります。

c0247059_0464758.jpg
*2014年撮影


c0247059_047144.jpg
*2014年撮影


この二つの建物は、その昔、現在の海保その他の官庁が入っている合同庁舎がまだ「横浜生糸検査場」と呼ばれていた時に、その付帯施設でありもともとは四棟あった「横浜生糸検査場付属生糸織物専用倉庫」のうちのC号倉庫と、1926年(大正15年)に建てられた倉庫事務所(なにやら最近は北仲ブリックと呼ばれているらしい)で、

c0247059_0474494.jpg


c0247059_0481826.jpg


横浜市の「北仲通北地区再開発」の一環としてなぜかこの二つの建物だけが脈絡なく駐車場にポツン、ポツンと残されています(いちおう「保存」されていることになっているらしい)。

まあそのあたりのことは、コチラを見て頂くとして、撮影当時に時を遡りますと、当時は桜木町駅を出て弁天橋を渡り、大岡川に沿って河口の方に歩いて行くと三管本部が入った今は無き横浜港運総合庁舎に突き当たり、そこを右に折れると

c0247059_048134.jpg


1928年(昭和3年)に建てられた4階建ての「帝蚕ビルディング(↑)」があり、ビルの右手に倉庫への入り口がありました(↓)。

c0247059_0472215.jpg


しかし撮影当時は4棟ある倉庫群は上の写真のように辛うじてB号倉庫がチラ見できただけで、その他の倉庫は総合庁舎だ、生糸検査場だ、海岸通団地だ、帝蚕ビルディングだ、万国橋ビルだのにグルッと取り囲まれていて、その全容を見ることはできませんでした。

結局、私が、これらの倉庫を初めて見ることができたのが、2000年頃に何かの用事で生糸検査場跡に建てられた第2合同庁舎に行った時のこと。

「せっかくだから」と、グル~ッと建物内を一周して裏にあった駐車場に行くと真正面にA号倉庫が・・・・・・。

「まだあったんだ」と、一種感動したと同時に、カメラを持参していなかったことを悔やんだ記憶があります。

その後、何があったのか、どういう経緯なのかは存じませんが、帝蚕ビルディングと4棟(昔の地図によると、写真のB号倉庫を同じ造りの倉庫がA~Dの4棟が並び、その奥に旧東邦倉庫のF、H、帝蚕ビルディングの左隣にE号の合計7棟の倉庫群があった)の倉庫と倉庫事務所のうちC号倉庫と倉庫事務所を残してすべて解体され現在のような状態に(一時期、帝蚕ビルディングも残されていたのですが、いつのまにかコソッと取り壊されてしまいました)。

で上記の横浜市のサイトには、「帝蚕倉庫C号を概ねB号の位置に曳家保存」とあり、さらに先日、取り壊された万国橋ビルについても「保存活用の方向性について協議を行う」と記されていますが・・・・・・???

よくよく考えてみるとこうなるのも当然で、歴史的価値のある建物を取り壊して跡地に新しくビルを建てても、新築したビルの外壁に元あった建物の外壁を無理矢理だろうがなんだろうがくっつけちゃえば、横浜市がご丁寧にも横浜市登録歴史的建造物とやらに認定してくれて、さらにありがたいことにあれやこれやの助成金まで出してくれる(横浜市っておっ金持ちぃ~!)となれば、ただでさえ金食い虫の古いビルの使い道や補修方法や補修費用の捻出ににアタマを悩ませるよりも、「さっさとぶっ壊しちゃった方がぜんぜんお得じゃん」となるのは至極当然のお話。

これをざっくばらんに言い直すと、「古いビルの外壁を新しいビルに適当に貼り付ければいいからさぁ金食い虫の小汚いビルなんざぁさっさとぶっ壊して跡地にピッカピカの高層ビルをド~ンとぶっ建てて固定資産税をたんまり払ってちょうだいよ。ちょっとはサービスするからさぁ」と、こういうことを言っている同じ口が言っているワケです。

となれば、そもそも営利を追求することを目的に存在している営利団体(ひらたく言うと企業のこと)が、歴史的価値はあるものの利益を生み出さないで経費ばかりがかさむ古い建物を、わざわざ手間暇費用をかけて保存なんかしますか、という話なワケで、最近になってこんな話が出てくるのも当然で、最終的には行政が所有している建物以外は取り壊される運命にある、と言っても過言では無いと思います。

c0247059_0462517.jpg
2014年撮影(現在、ハリボテ作業真っ最中の旧神奈川県中央農業会館別館)


c0247059_048502.jpg
*現第二合同庁舎ことハリボテ化(セットバック工法と言うらしい)された旧生糸検査所の壁


個人的には、行政が歴史的な建造物の現状保存を促したり、そうすることが企業にとってメリットとなるような環境を作るのではなく、古い建物を取り壊してハリボテ建て替え化を暗に薦めているという点に得も言えぬ違和感を感じるのですが・・・・・・。




*2014年4月5日に写真を二点追加しました。

by yokohama80s | 2013-05-05 00:04 | 関内地区 | Comments(0)
2013年 03月 31日

北仲通3丁目 清月堂ベーカリー

c0247059_22195243.jpg


ビジネス街の昼食時と言うと、最近では通りに500円弁当屋のワゴンが並んだり、はたまた近所のコンビニが大賑わいになったり、というのが相場ですが、80年代前半には500円弁当屋のワゴンも無ければ、コンビニも無いし、牛丼屋も無いし、ホカ弁屋も無いしという時代(確かこれらがあちらこちらに出没し始めたのは83~85年ぐらいかと・・・・・・)。

それでは「この時代のサラリーマンは昼食をどうしていたのか?」と言うと、

パターン1
家から弁当持参(たいていローンを抱えているお父さんとベテランのOLさん)。

パターン2
近所のそば屋、中華メシ屋その他の飲食店へ出向くか出前を取る(食事の後はサテンで一服がお約束で、男性リマンの大部分はこのパターン。たまにお偉いさんがちょいといい店に連れていってオゴってくれる、ということもあった)。

パターン3
近所のパン屋などで調達する(OLや金欠状態に陥った独身の男性リマンに多いパターン)。


の3パターンがありました。

そうそうちなみにこの頃は、昼メシにハンバーガーやカップメンを食すという人はいませんでした。

というのも、当時、これらのモノは主食ではなくオヤツ、間食、お子ちゃまの食べ物という感覚でしたので、社会人になってそんなモノを食べていようものなら先輩、上司その他諸々の方々から「学生じゃないんだから社会人がそんなモン食うな!」と小一時間くらい説教された・・・・・・とかされなかったとか(笑)

ということで、当時、昼食時になると、近隣のオフィスビルから吐き出された人たちが一斉に向かう先のひとつに、写真の横浜銀行協会裏手の北仲通3丁目にあったパン屋さんがありました。

c0247059_2313579.jpg


聞いた話ではこのパン屋さんは、戦前からこの地で営業し、終戦後、米軍による接収が解除された直後にいち早く店を再開した、という歴史あるお店なのだそうです・・・・・・と言うと、元町あたりにありそうな小洒落たパン屋さんを想像しがちですが、この清月堂ベーカリーは、普通の調理パン(ヤキソバパンとかそういうヤツね)やサンドイッチなどを売っていた、まんま今のコンビニのようなお店だったと記憶しています。

現在、このビルは新しいビルに建て替えられ、清月堂ベーカリは新しいビルの隣で清月堂タバコ店と名を変えて営業を続けているそうです。

c0247059_14594571.jpg
*2枚とも1981年撮影






*4月のUP予定
4/07 山下臨港線
4/14 高島埠頭 表高島駅
4/21 海岸通1丁目 三菱倉庫京浜支店に号倉庫
4/28 海岸通2丁目 三菱倉庫横浜支店


by yokohama80s | 2013-03-31 00:05 | 関内地区 | Comments(0)
2013年 01月 06日

本町6丁目 宇徳ビル別館

あけましておめでとうございます。

これからも毎週日曜日に、限りある資源(写真)をちびり、ちびりともったい付けてアップしていく所存でございますので、これからもご贔屓のほどよろしくお願いいたします、という新年のご挨拶もほどほどに、今年第一弾は本町通と弁天通が交わる本町6丁目のカドにあった1890年(明治23年)創業の宇都宮徳三回漕店の本店ビルとして1929年(昭和4年)に建てられた宇徳ビルディング別館こと通称・弁六ビル。

c0247059_1642159.jpg


ちなみにこのビルの通称・弁六ビルとは、「弁天通6丁目」を意味しているのですが、このビルが建っている区画は撮影当時も現在も「本町6丁目」。

そこで不思議に思って横浜市三千分一地形図の昭和6年版(1931年)を見てみると、ちょうどこのビルの正面入り口部分↓

c0247059_16424741.jpg


が当時は弁天通6丁目になっていました。

ということは、このビルが建てられた当時は、このビルの住所は確かに弁天通6丁目だった、ということになるようです。

それはともかく、このビルはご覧のように三角形の土地を利用した、なかなかかっこいいビルで、桜木町駅から本町通りを山下町方向に歩いていくと一番最初に目に入るランドマーク的な建物でした。

c0247059_1643189.jpg
*本町通りの歩道橋上から(4階部分は後に増築されたもの)


しかし建設当時は荷揚げ業者の本社ビルだったこの建物も、撮影当時には本社機能は通りを挟んだ反対側の新築ビルに移転していて、このビルは書庫として使われていた、と記憶しています。

c0247059_23475243.jpg


それもともかく、この時代に現存していた古ビルのご多分に漏れず、ビル名を記している文字が剥がれ落ちて「宇徳ヒディンク」となってしまっているのはご愛敬。

そのような些細なことに関わらず、このビルで一番かっこいいのがこの部分↓

c0247059_17542175.jpg


まるで潜水艦の司令塔を連想させるデザイン。

思わず荒波をかき分けて前進していく姿を想像してしまいます(笑)

c0247059_23483724.jpg
*写真はすべて1981年撮影。






*2014年12月27日:写真1枚追加しました。

by yokohama80s | 2013-01-06 00:02 | 関内地区 | Comments(0)
2012年 11月 11日

常盤町1丁目 旧宮下ビルディング

国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システムで、終戦直後の関内周辺が写された写真を見ると、尾上町通り~大岡川~南仲通~みなと大通り~横浜公園を結ぶ線の内側、大雑把に言えば関内中心部はモノの見事に焼け野原。

その焼け野原の周辺部に焼け残ったビルがポツンポツンと残っていますが、その中のひとつが市役所からみなと大通りを2ブロック行った角に、1928年(昭和3年)に当時、皮革製品や馬具の輸入を行っていた宮下商店によって建てられた旧宮下ビルディングがありました(1929年築説もアリ)。

c0247059_23383821.jpg


c0247059_22335922.jpg


c0247059_23385723.jpg


写真のように大谷石(だと思います)をあしらった3階建てで、ご覧のようにちょっと凝ったデザインのビルでした。

c0247059_23391470.jpg


c0247059_23392797.jpg


c0247059_22324840.jpg


c0247059_22343023.jpg


c0247059_22345655.jpg


c0247059_22313163.jpg


ただ残念なことは、この旧宮下ビルは関内地区に数多く存在した撮影困難物件の最たるもので、歩道は狭いし、隣のブロックとの間の道路も狭くて後ろに下がれないし、通りを渡った所からだと今度は街路樹、電柱、電線、中央分離帯が邪魔になって建物が見えないし、周りを高層ビルに囲まれて陽が当たらないし、というように結局、このビルの全景の写真は一枚も撮れていません。

c0247059_22284618.jpg


c0247059_2229316.jpg


c0247059_2373886.jpg
*写真はすべて1981年撮影


ちなみに"歴史的建築総目録データーベース"の宮下ビルの欄に、設計者名に「遠藤新」という名前が出ていたので、ちょっと興味を引かれてググッてみると、なにやらただならぬお方のようで・・・・・・

私のような建築にまったく疎い人間ですら聞いたことがある、かのフランク・ロイド・ライトの愛弟子とも言える人で、のちに「ロイドの使徒」とまで言われたお方なのだそうです。

などと今さらながら感心したところで、このビルはとうの昔にピッカピカのビルに建て替えられてしまっていますが・・・・・・。





*2014年12月26日:新たに写真4点を追加しました。


by yokohama80s | 2012-11-11 00:04 | 関内地区 | Comments(0)
2012年 11月 04日

相生町1丁目 梅香亭

関内駅南口を出て、みなと大通りを大桟橋方向へ約5分弱ほど歩いた、相生町1丁目1に創業大正12年というレトロな店構えの梅香亭という洋食屋さんがありました。

c0247059_19243054.jpg
*この頃の横浜の市内局番はすべて三桁です(笑)


この店は戦前からのいわゆる有名店で、その頃、某有名作家が10年ほどニューグランドに長期滞在していた時に、一杯やりに行く前によくこの店に表れビフテキ(今で言うステーキ)を注文し、行きつけのスナックからの帰り際に再び顔を出してシメにカレーライスを食べて行ったのだそうです。

c0247059_19244455.jpg


そういうエピソードを聞いて「一度は・・・・・」と思ったのですが、正直に告白すると私は一度もこのお店に入ったことがありません。

と言うのも、撮影で関内、山下町を徘徊する時には、いつも決まって11時くらいに関内駅を降りて、梅香亭の前に差し掛かるのはいつも11時過ぎ。

まだ昼食には早いということでブラブラ歩き続けると、13時くらいのちょうど空腹感を憶え始める頃に辿り着くのが中華街。

ということで、店から漂ういい香りとランチの量と価格の魅力と空腹には抗しがたく、中華街からすきっ腹を抱えて梅香亭まで戻る気力も萎え、結局、撮影時の昼食は中華街の裏路地にある、いつ行ってもおばあちゃんとお嫁さんが広東語でどなりあっている(広東語は普通に話していてもケンカをしているように聞こえるので、お姑さんとお嫁さんはケンカをしていたワケではないと思います・・・・・・たぶん)家族的な雰囲気の店で、となってしまいます。

「今日は梅香亭でハヤシライスを食べるぞ!」と固く決心していても、毎度そうなってしまいます。

どやら私は、中華料理の魅力には抗えないタチのようです(笑)

で「いまこの店はどうなっているのだろう?」とググッてみたところ、なんと昨年(2011年)末に突然、閉店してしまったのだそうです。

c0247059_1925239.jpg
*カレーライスが350円で食べられた当時としてはちょっとビミョーな価格設定


残念ながらこの店のハヤシライスを永遠に食べることが出来なくなってしまったようです・・・・・・

c0247059_19251447.jpg


*写真はすべて1981年撮影。



by yokohama80s | 2012-11-04 00:03 | 関内地区 | Comments(6)
2012年 09月 09日

本町ビル

以前、8月12日の「弁天町界隈」の記事で↓

c0247059_17274767.jpg


↑の写真の建物について、「旧宇徳ビルの並びにあった名称不肖のビル」と記しましたが、その後、グーグルストリートビューを眺めていたら(現在、北海道の片田舎在住なもので、現状確認はストリートビュー頼みなんです)、県立博物館の北側にあたる本町4丁目に写真↓と同じ建物が・・・・・・

c0247059_1728118.jpg


さらに地図上にはビルの名称までもが・・・・・・

ということで、本町ビルでググッてみますと、1929年(昭和4年)に帝国火災保険横浜支店として建てられたそうです。

さらに物置や押し入れをゴソゴソやったら、8/12にアップした写真とは別カットを発見。

ということで、早々に。

ただストリートビューと80年代当時の写真を見比べてみると、どうやら1階部分が改築され、例の通気塔や「ついてる」の暖簾がかかった入り口部分は

c0247059_17282141.jpg


撤去されてしまったようですが、アーチ状の通用口は現在も健在。

さらにアメリカンチックな非常階段も健在!

c0247059_17284051.jpg
*写真は全て1981年撮影


ストリートビューでかつての撮影地を眺めていると、ほとんどの建物が解体されガラス張りのピカピカなビルに建て替えられていたり、低層階の壁だけかつての姿を留めてはいるものの、その上は無機質な高層ビルになっている「キカイダー建築」だったりと、あまりの変わり具合に一抹の寂しさを感じていたのですが、本町ビルのように、「何気にそのまま」という姿を発見するとつい嬉しくなってしまいます。

ということで、こちらの記事の方も、新事実判明(?)にともない、新たに訂正いたしました。

追記
なにやら情報によると、この本町ビルは今年に入ってから解体されたのだそうです。
そこでストリートビューの撮影日を見ると、「2009年9月」でした。





by yokohama80s | 2012-09-09 00:04 | 関内地区 | Comments(0)
2012年 09月 02日

旧大宝堂時計店(今野アートサロン)

関内駅北口から馬車道を万国橋方向に歩くと、関内駅近くの三角形の徳永ビル以外には大した見物もなく、いかにも最近出来たという風情のお店が通りの両側に並んでいる中を進んで行くと、突然↓

c0247059_1459993.jpg


「いかにも」という風情満点の三階建てのビルが現れます。

このこぢんまりとした風情満点のビルは、旧大宝堂時計店こと当時は今野アートサロンという画廊のビルで、一階には店の中に黒い大金庫がある喫茶店。

二階がM&R探偵社・・・・・???

ではなくて、これはたまたま通りかかった時に、当時、民放某局で放映中だったTVドラマのロケ現場に出くわした時のモノ。

ちょっとミーハーして窓に群れている女の子たちの頭越しに覗いてみると↓

c0247059_14592225.jpg


リーゼントと鼻ヒゲがトレードマークのダンディーなフジタツさんが・・・・・・

というネタはこのあたりにして、この旧大宝時計店の建物は1928年(昭和3年)に竣工した建物で、撮影当時は一階には喫茶店(店名不明)、二階が今野アートサロンという画廊、三階が個人住宅になっていました。

c0247059_145937100.jpg
*右手奥に見えるのが旧・日本火災横浜ビル


現在は関内駅から北東に伸びる馬車道通りがメインストリートになっていますが、この建物の建設当時は京浜東北線こと当時の京浜電車は桜木町が終点だった為に、桜木町から日本大通り、山下町方向へ南東(日本大通りから北西)に延びる道がメインストリートで、特に弁天通りには海外からの観光客目当ての小洒落た店が建ち並び、聞いた話では今で言う表参道(?)のような華やかさだったそうです。

しかし80年代には、日本火災横浜ビルと県立博物館以外には、壁が剥がれ墜ちたボロボロのビルが数えるほどしか現存せず、往時の華やかさを偲ばせる建物はこの建物しかありませんでした。

c0247059_14595317.jpg


ストリートビューでこの建物があった太田町3丁目を見ると、なにやら現代風のデザイナーズビル(?)に建て替えられてしまっているようですが、個人的には、こういう建物こそ保存すべきだと思うのですが・・・・・・

*写真はすべて1981年撮影



by yokohama80s | 2012-09-02 00:05 | 関内地区 | Comments(3)
2012年 08月 12日

弁天通界隈

*1981年本町5丁目・本町ビルの県立博物館側にて撮影


馬車道通り北側の本町、南仲通、弁天通の5~6丁目、県立博物館周辺には、昭和初期頃に建てられたオフィスビルが林立していました。

c0247059_17393264.jpg


一枚目の写真は、本町5丁目に現存する1929年(昭和4年)竣工の1階部分が石積風で、2階以上が赤タイルによるレンガ作り風の旧帝国火災保険横浜支店こと本町ビルの裏。

なぜかビルに、昔の船によく見られた通気筒があって、そこからテレビのアンテナケーブルが......。

だれか地下に住んでいたのでしょうか?

さらに影しか写っていませんが、画面のちょうど左上には、ハリウッド映画に出てくるアパートなどでよく見かける跳ね上げ式の非常階段が(普段は二階部分と平行になっていて階段に人が乗るとズッズッズッとゆっくり下がって地上に繋がる仕組み)。

今は1階部分が改装されてこの通気塔は無くなっているようですが、なんかヨコハマっぽいと思える光景です。
   
c0247059_19155625.jpg
*1982年弁天通5丁目旧・日本火災横浜ビル


上の写真は弁天通5丁目にあった、1922年(大正11年)に川崎銀行横浜支店として建てられた旧・日本火災横浜ビルこと現・日本興亜馬車道ビル本棟の通用口。


そしてこの通用口の右手にあったのが↓
c0247059_2255738.jpg
*1982年弁天通5丁目旧・日本火災横浜ビル倉庫棟


の古めかしい倉庫。

このビルのように震災後から戦前に作られたオフィスビルには、事務所棟の隣に必ず倉庫棟が併設されています。

現在でも、日本大通りの三井物産ビルにその面影を見ることができますが、当時、このあたりに事務所を構えていた会社は、今で言うと流通センターの役割を担っており、注文が入るとこれらの倉庫から品物が日本を含めた世界中に発送していたそうです。

現在、このビルは、外壁二面のみを建設当時の姿で残した形で、近代的なビルに建て替えられてしまい、まるで体の半分はサイボーグ、半分は人間のキカイダーのような奇っ怪な姿になってしまっています。

最後にオマケで、これは弁天通ではありませんが、馬車道通の延長線上ということで↓
c0247059_18421066.jpg
*1981年撮影


関内駅北口を出て、馬車道方向に歩いたすぐの中区港町4丁目にあった1930年(昭和5年)築の旧徳永ビル。

中区史では、ビルの所在地を「真砂町4丁目」となっていますが、この薄っぺらなビルがある一角は正確には「港町4丁目」になります。

ということはともかく、ストリートビューで現在の姿を見てみると、このビルは薄っぺらさはそのままで、10階建ての今時のビルに建て替えられています。

*2012/09/03 一枚目の写真が本町ビルの裏と判明したので、そのように記事を修正しました。



by yokohama80s | 2012-08-12 00:05 | 関内地区 | Comments(0)