2017年 04月 02日
川崎にある東扇島については、こちら「東扇島」で触れましたので以下省略。 ということで、80年代当時、東扇島北端の京浜運河入口にあたる部分に白く塗られた灯台がありました。 ![]() 正式名称は不明ですが、どうやら現在は人工海浜の防波堤突端になっていて、灯台は撤去されてしまっているようです。 ![]() ![]() ![]() ちなみに↑の写真左に写っているブイが、京浜運河入口を示す正式名称"川崎航路第3号灯浮標"で、どうやらこのブイが設置されたことにより、写真撮影時には灯台は役目を終えていたものと思われます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() *写真は1987~88年に撮影 ▲
by yokohama80s
| 2017-04-02 00:06
| 東京・川崎
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2016年 11月 27日
東京湾を挟んで対岸にある川崎と木更津間は、今はアクアラインで一またぎなのですが、その昔には日本カーフェリーの船で片道1時間10分掛けて行き来していた云々かんぬんについてはこちら(当ブログ2016年5月1日「日本カーフェリー浮島ターミナル」)で触れましたので以下省略。 ということで、いまから遡ること30年ほど前のある日のこと。 日本カーフェリー浮島ターミナル内でそれとなしに川崎~木更津間のフェリー料金を眺めていると、徒歩乗船の場合は片道1000円で所要時間が1時間10分……ということは、川崎から木更津に行って船を一便やり過ごせば3時間で行って帰って来られるし、向こうで1時間程度ブラブラ出来るなあ、ということで、物は試しとさっそく乗船券を買って停泊中の船に飛び乗って木更津へ。 ![]() 日本カーフェリー木更津行き甲板より・その1(徒歩での乗船は私一人だったため船内は貸し切り状態だったと記憶しています) ![]() 日本カーフェリー木更津行き甲板より・その2 東京湾を横断した船は、現在のアクアラインの木更津側出口から5kmほど南の、陸自の木更津駐屯地の南側の入江を挟んで対岸にある木更津港のフェリー突堤に入港します。 そして船を下りたら突堤前の道を右に行くと、潮干狩り客相手と思われる売店↓ ![]() フェリーターミナルから中の島大橋へ行く途中にある店 を抜けると、木更津港と木更津駐屯地の間に浮かぶ中の島を結ぶ日本一高い歩道橋と称する中の島大橋があり↓ ![]() 中の島大橋の木更津港側(鳥居崎海浜公園側) 取りあえずその「日本一高い」とされる歩道橋をハヒハヒ言いながら ![]() 中の島大橋の踊り場 登り切ると木更津港を一望の下に見渡すことが出来ました。 ![]() 中の島大橋から南東方向の木更津港を見るの図 ![]() 中の島大橋から南西方向の鳥居崎海浜公園駐車場を見るの図 ![]() ![]() 木更津港に入港してきた砂利運搬船 そして歩道橋を渡って対岸の中の島に渡ると…… ![]() ヨットの係留所があるだけで、取り立てて見るべきモノも見当たらないので、Uターンして再び中の島大橋を渡って木更津側に戻って、フェリーターミナルを横目で見ながら通り過ぎて、その先にある県道の交差点を左折すると↓ ![]() ボートの販売店とその向こうにボーリング場がありました、といったところで、川崎に戻る船が入港してきたので、「そろそろ時間となりました」ということでフェリーターミナルに戻り再び東京湾を横断して川崎に戻りました。 ちなみに当時、川崎側のフェリーターミナル近辺に職場がある人の中には、木更津に居を構えて川崎のフェリーターミナルにチャリか原チャを置きっぱにして毎日通勤している方々が少なくなかったそうなのですが、行き帰りの通勤ラッシュとは一切無縁という点は、悪天候時にフェリーが運休すると総武線でグル~ッと遠回りを強いられることを差し引いても余りあるほど魅力的に思えたものです。 なにせ川崎~木更津間の1時間余りの間は、船内の長いすで横になって寝ることだって出来るんですから。 *写真はすべて1987年撮影。 *来月12月のUP予定のご案内 12月 4日:同潤会山下町アパート外観編 12月11日:同潤会山下町アパート一号館編 12月18日:同潤会山下町アパート二号館編 12月25日:同潤会山下町アパート入口編 ▲
by yokohama80s
| 2016-11-27 00:03
| 東京・川崎
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2016年 11月 20日
いま何かと話題の築地市場の新大橋通りにある正門と場外市場との間にある冷凍工場。 ![]() ![]() ![]() ![]() *写真はすべて1986年撮影。 ▲
by yokohama80s
| 2016-11-20 00:02
| 東京・川崎
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2016年 08月 28日
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 品川駅の東1.5kmほどのところにある品川埠頭は、東京港修築事業で埋め立てられた第9号埋立地こと港南3,4丁目の沖に1962年(昭和42年)造成された現在の港南5丁目一帯の海側に設けられた岩壁のことで、国内初のコンテナ専用岸壁が設置された埠頭としてしも知られています。 撮影当時の30年ほど前から現在まで、品川埠頭はコンテナ埠頭と外貿埠頭、北海道定期航路用内貿埠頭がありますが、↑の写真を撮影したのが日曜だったこともあり、埠頭はどこもがっちりと施錠されていて中に入ることは出来ませんでした。 *写真はすべて1986年撮影。 *9月のUP予定 9月 4日:新港埠頭・米軍冷凍倉庫 9月11日:新港埠頭・左突堤中央道路 9月18日:新港埠頭・右突堤中央道路 9月25日:横浜港駅・計重台 ▲
by yokohama80s
| 2016-08-28 00:05
| 東京・川崎
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2016年 08月 21日
![]() (港南一丁目6番先から港南四丁目5番先に至る高浜運河に架かる御楯橋) ![]() (御楯橋を渡ったところにあったアパート) ![]() (御楯橋を渡ったところにあったアパーのベランダ) ![]() (海岸通港南4丁目交差点付近) ![]() (東京モノレールの高架橋) ![]() (東京モノレールの高架橋) ![]() (東京モノレールの高架橋) ![]() (新幹線の高架橋) ![]() (新幹線の高架橋) ![]() (新幹線の高架橋) ![]() (港南大橋歩道) ![]() (芝浦排水機場) *写真はすべて1987年撮影。 ▲
by yokohama80s
| 2016-08-21 00:10
| 東京・川崎
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2016年 08月 14日
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 当時、京浜運河を挟んで北にあった城南島から運河を渡って京浜島に向かって約1kmほどのベルトコンベアがありました。 ![]() 当時、京浜島と京浜運河を挟んで対岸の城南島にあった東京港サービス公社(その後、東京港埠頭公社→東京港埠頭株式会社)の城南島広域利用建設発生土受入基地(都内の土木工事で発生した土砂を再処理して、埋め立てや他の土木工事に再利用する施設だそうな)とを結んでいたのですが、城南島→京浜島に土砂を送っていたのか、はたまた京浜島→城南島だったのかは不明です。 ![]() *写真はすべて1986年撮影。 ▲
by yokohama80s
| 2016-08-14 00:07
| 東京・川崎
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2016年 08月 07日
![]() 京浜大橋 ![]() 国道357号 ![]() 京浜島つばさ公園 ![]() 京浜島つばさ公園 ![]() 京浜島つばさ公園 ![]() 京浜島つばさ公園 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 羽田空港22番滑走路を離陸する747 ![]() 羽田空港22番滑走路を離陸する747 京浜島の詳細についてはこちらをご参照下さい。 *写真はすべて1987年撮影。 ▲
by yokohama80s
| 2016-08-07 00:07
| 東京・川崎
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2016年 05月 29日
![]() ![]() ![]() 国道409号線の概略は、ざっとこんな感じ(WIKI「国道409号」)。 ということで、撮影当時は浮島町公園の前で行き止まり。 ちなみに現在の国道409号・浮島公園前交差点は、1980年代当時で言うところの浮島町公園前のかつて行き止まりだったところにありますが、撮影当時はそこから180m手前の日本カーフェリーの乗り場(過去記事「日本カーフェリー浮島ターミナル」)入口にありました。 現在は、かつてのフェリーターミナルは跡形も無いし、頭上に首都高の高架はあるし、そのまわりはなにやら殺伐とした景色になってしまいましたが、撮影当時に浮島公園前交差点はこんなかんじ↓ ![]() ![]() ![]() そして産業道路方向(川崎駅方向)の多摩運河を渡るまでが浮島町なのですが、道路の右側というか多摩川側というか東京側はあれやこれやの化学プラント↓が建ち並び ![]() 当時の浮島公園前交差点から130mほどのところから道路の左側に神奈川臨港鉄道の線路を挟んで、これまた化学プラントが ![]() ![]() ズラッと建ち並んでいました。 *写真はすべて1987年撮影。 *来月のUP予定 6月 5日:開港記念日特別企画 6月12日:山下町95番地 同撥菓子工場 6月19日:海岸通3-13 武山ビル 6月26日:西波止場 商船運輸現場事務所 ▲
by yokohama80s
| 2016-05-29 00:06
| 東京・川崎
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2016年 05月 22日
1980年代当時、産業道路の大師河原交差点を右折して、日本カーフェリーのターミナルや浮島町公園、浮島つり園へ向かう通称・浮島通りがすでに国道409号線となっていたのか否かは記憶が定かではありませんが、とにもかくにも浮島通りは浮島町公園の先で当時は埋立中だった現在の首都高・浮島JCTに当たると道は右に折れ、約1,500mの直線道路で浮島人工島の南西端の袋小路に至ります。 この道の右手には、石油会社のコンビナートと石油タンクが連なっていて ![]() 900mほど進むとなにやら高架線が道路をまたいでいます。 ![]() ![]() これは、海側沖合に設けられた某石油会社の浮島バースに接岸したタンカーの原油を、道路の右側にあったコンビナート ![]() に送るパイプライン(グーグルアース)。 でその150mほど先には↓ ![]() ![]() ![]() ![]() 川崎市港湾局の浮島処分場が。 この処分場は要するに、建設残土などの土砂を埋立処分する場所で現在も存在しているのですが、Googleのストリートビューを見ると、↑の写真の「浮島処分場」と書かれた看板の「分」より下の部分が道路の下に隠れてしまっています。 撮影当時の地形図を見ると、ちょうど浮島通りの浮島町公園の前あたりにある水準点の標高が海抜3mで、そこから700m弱の道路右側のコンビナートが標高4m。 で現在は、道路がコンビナートがある土地と高さがほぼ同じ、ということは、どうやら道路を1mほどかさ上げしたようです。 ![]() ![]() ![]() そうなると、撮影当時は浮島公園から処分場までは、ゆるやかな下り坂だった、ということになるのですが……撮影当時にはまったく気づきませんでした……というか計算すると0.1%程度の勾配ですから気がつかなくて当然と言えば当然なのですが。 ![]() *写真は1987年から1988年撮影。 ▲
by yokohama80s
| 2016-05-22 00:07
| 東京・川崎
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2016年 05月 15日
今月は、ブログのタイトルに「橫濱なんちゃら」とつけておきながら川崎市の多摩川河口部にある浮島町の写真をUPしているワケですが、今週は先週の浮島町公園に隣接していた1981年(昭和56年)にオープンした"浮島つり園"の写真を。 ![]() ということで、川崎市のHPを見ると「多摩川河口に位置する足場のよい釣り公園です。季節に応じて、多様な魚が狙えます。多摩川河口の向こう側に、東京国際空港を臨む撮影スポットとしても人気の場所です」と紹介されていますが、少なくとも撮影当時はここで釣りをしている釣り人の姿を見かけたことは一度も、繰り返しますが一度たりとも見かけたことはありません。 さらに付け加えると、羽田に着陸する航空機を撮影している人も(笑) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() *写真は1987年から1988年に撮影。 ▲
by yokohama80s
| 2016-05-15 00:05
| 東京・川崎
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