2017年 09月 24日
現在、その道のプロの方々が、「明治ウン年頃の山下町ウン番地になにがあったのか?」を調べる時に絶大の信頼を寄せているのが、1871年(明治4年)に創刊された商工録"THE JAPAN DIRECTORY"。 この商工録は一部はネットでも見ることが出来ますが(横浜市立図書館に行けばほぼ全巻そろっている)、なによりも一番の利点は番地ごとに企業が記載されていること。 例えば、山下町なら1番地から順番に、発行年の前年に存在した個人宅や商店、企業が全て網羅されています(そもそも外国人向けの書物なのですべて英語表記ですが)。 しかしこの便利な書物も、1923年(大正12年)の関東大震災であえなく廃刊。 その後、1925年(大正14年)に"THE JAPAN DIRECTORY"の日本人スタッフにより、"THE DIRECTORY OF JAPAN"として復刊するものの、震災とその後の世界恐慌などにより外国商社の横浜からの撤退が相次いだのが影響して、これも1930年(昭和5年)の発行を最後にあえなく廃刊。 ということで、昭和5年以降に「山下町ウン番地には何があったのか?」を調べようと思ったら、横浜市が発行していた横浜市商工案内、横浜商工会議所が発行していた横浜商工名鑑とその英語版の"THE FOREIGN TRADE DIRECTORY OF YOKOHAMA"か民間の出版社が発行した各種商工録を参照するしかないのですが、これらがなかなかどうしてクセがある代物。 というのは、横浜市商工案内は営業収益税年額20円以上、または資本金1万円以上の法人、横浜商工名鑑は営業収益税年額30円以上、または資本金20万円以上の法人のみの掲載で、さらに民間出版社の商工録は当時の電話帳からの丸写しで、屋号ではなく個人名記載が多いしデーターも震災前と震災後が入り交じっているという状態。 さらなる問題は、これらの商工録は業種ごとに記載されているということ。 これでは、「何番地になにがあったのか?」を調べるのに、そのたびに各年度の商工録を1ページ目から目を通さないといけないという始末。 そこで「いちいちいろんな商工録に目を通すのは面倒だ。山下町だけでも表にまとめてしまえ」と作ったのが私家版商工録。 いちおう出典は、表の最後にまとめてありますが、ざっと↓ こんな感じ。 ということで、表の見方をざっと説明すると ↑表はこんな感じなのですが、一番左の行が番地で、左矢印で赤字で書いてある数字が現在の番地になります。 その次の列が企業名で、赤字のアスタリスク付きで書いてあるのが、移転先とか移転元その他。 でその番地の一番上に赤く塗りつぶしてある行が、防火地図などで「堅牢な建物」すなわちコンクリート製のビルや現存している建物名。 とにもかくにもご覧になれば一目瞭然……だと思います(不明な点はメールかコメント蘭まで) ってことで、私家版・昭和5年~14年山下町ディレクトリーご入り用のムキは下記リンクよりご自由にダウンロードしてご活用下さい。 *追記 このリストは参照文献に記載されている事業所を番地別にまとめたモノに過ぎません。 よってこのリストが物語る事実は、あくまでも「昭和ウン年に発行されたナントカという書物に記載がある」ということに過ぎず、その時に実際にその事業所がその番地に存在したという証明にはなりませんし、逆に存在しなかったことを証明するものでもありません。 また昭和5年以降に発行された商工録類は横浜市や商工会議所という公的機関が発行したものですら誤記、誤植が多く見受けられます。 このためリスト作成にあたりわかる範囲で修正してありますが、正確な情報をお求めの方は開港資料館などの専門機関にお問い合わせされることをお勧めいたします。
by yokohama80s
| 2017-09-24 12:00
| 山下町
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