2017年 08月 27日
かつて横浜スタジアム前交差点から大桟橋通りを大桟橋方向に向かって最初の通りを入った所の、山下町の224番地に 戦前に建てられたらしい花園橋病院別館の壊れかけたビルがあったことを こちらに書いたのですが、この時に問題となったのが、「このビルはもともとは何の建物として建てられたのか?」ということ。 航空写真や資料その他などから、このビルは、「県営の輸出絹織物検査場として大正15年に山下町に建設されたもの」で当時の名称は「神奈川県横浜絹織物検査場」だった可能性が高い……としたのですが、 ただこの時点では、建設当時のビルの写真が見つからなかったことから、あくまでも「可能性が高い」という程度の話。 その後、横浜市立図書館デジタルアーカイブ「都市横浜の記憶」で昭和3年に横浜市が外国人向けに発行したガイドブック「YOKOHAMA The Gateway to the Orient」という本で輸出絹織物検査場の写真を発見↓ さらに国立国会図書館デジタルコレクションからはこんな写真も↓ ↑の写真の出典元を記録するのを忘れてしまいましたが、確か横浜市か商工会議所が発行した海外向けに生糸貿易を紹介した書物だったと記憶しています。 ということで話を戻すと、これでめでたく1980年当時の住居地図には「片岡ビル」として記載」されていた、いまは亡き花園病院別館の建物は、もともとは昭和3年(1928年)に輸出絹織物検査場として神奈川県によって建てられたものと確定。 ただ建設当時の写真と比べると、ビルの右側にあった煙突が 建設当時の写真にはありません。 となると、当時の暖房事情やあれやこれやの事情を勘案するにこの煙突は、病院に転用する段階で暖房用ボイラー(セントラルヒーティング)の煙突として後付されたものだろうと思われます。 どうりで煙突部分が雑な仕上げなワケです。 これでまたひとつナゾが解けました。
by yokohama80s
| 2017-08-27 12:00
| 山下町
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