2016年 09月 04日
新港埠頭七号岸壁には、本来なら同じく新港埠頭左突堤の東側、七号岸壁と並びの八号岸壁の八号上屋と同じく1929年(昭和4年)に建てられた、鉄筋コンクリート造りの七号上屋があったのですが、大戦中の1942年(昭和17年)11月30日に八号岸壁に係留されていたドイツ海軍の補給艦の爆発炎上事故により倒壊し、辛うじて倒壊を免れた中央道路側の壁と、八号上屋側と万国橋側の壁1/3が1957年に米軍が簡易冷凍庫を設置するまで衝立のような形で残され、七号上屋跡地は露天の貨物置き場として使われていた云々かんぬんということはこちらでくわしく触れましたので、そちらをご一読頂くということで以下省略。 さらに戦後は、"NAVY COLD STORAGE FACILITY YOKOHAMA"こと直訳すると米海軍横浜冷蔵貯蔵施設として七号上屋跡に簡易冷蔵庫が設置され、さらに旧三井生糸倉庫、同F号、同B号倉庫、新港倉庫A号倉庫などと共に1994年まで接収され、接収初期の頃はアメリカ本国から冷凍船で横浜港へ大量に運び込まれた食料品を冷蔵貨車に積んで全国の米軍基地に配送するまでの一時貯蔵所として、その後は米軍艦船向けの冷凍食品の保管施設として使用されて云々かんぬんという話はこちらで触れましたので以下省略、ということで、今回は80年代当時に七号岸壁にあった簡易冷凍倉庫の写真を↓。 *右突堤と左突堤の連絡道路にあった電源小屋 *写真右側が七号岸壁、左が簡易冷凍倉庫 *写真②の10mほど左側より *右突堤と左突堤を結ぶ連絡道路と左突堤中央道路との交差点 *写真④の交差点角にある旧税関第二分室の建物 *写真①が1982年、写真②、④が1983年、その他は1987年撮影。
by yokohama80s
| 2016-09-04 00:05
| 新港埠頭
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