週刊 横濱80’s

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2016年 03月 27日

弁天通り

 今回も、とにもかくにも東横線か国鉄(現在のJR)で桜木町駅を降りて、なにはともあれ本町通りの右側を通って弁天橋を渡ります。
そして川沿いの道を横切ると太田町と弁天通に挟まれた三角形の角地にある日石のGSを過ぎるた弁天通りと本町通りに挟まれた、これもまた三角形の角地にデ~ンとそびえ立つのが↓

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1929年(昭和4年)に回漕業を営んでいた株式会社宇都宮徳三回漕店こと現在の株式会社宇徳の本社屋(建てられた時点では本店だったようですが、戦前の一時期に本社は新橋に移転しこの建物は横浜支店となっていた)として建てられた通称弁六ビルこと、当時の宇徳運輸別館
ちなみに現在、同所に建っているマンションの住所は本町6丁目58番地ですが、この建物があった時の住所は弁天通6丁目78番地でした。

 ということで、このビルを左手に見ながら弁天通りを進んだ5丁目との角のビルにあったのが↓

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三人百姓という名の居酒屋で、通りを突っ切って5丁目に入るとそこは左側には県立博物館内に当時は郵便局(神奈川県立博物館内郵便局)があり↓

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その先が旧正金銀行の建物で↓

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右手の馬車道との角には↓

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日本海上火災横浜ビルがあり、馬車道を突っ切ると、そこは弁天通4丁目。

 しかし4丁目にはたいして見る物がないので、そのまま先を進んで関内大通りに出ると、デ~ンとあるのが下駄履き住宅の最終形とも言える神奈川県住宅供給公社ビルと弁三アパート。
この二つの下駄履き住宅は、パッと見では一つの建物に見えますが、実際には建設時期が違う二つの建物をピッタリくっつけて建てられた防火帯建築の完成形。

 とにもかくにも、この二つの建物にの一階通り側にはお店がビッチリ軒を並べていました。

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ちょっと掟破りですが太田町側から弁三アパートの裏側を↓

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 ということで、弁天通りの右側はこれらの建物があって、左側には……???

とにもかくにもそうこうするうちに(?)、こんどは関内桜通りにぶつかって↓

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それを突っ切ると弁天通2丁目。
この通りの右側には、神奈川新聞関連のビルを始めとした大小様々なビルが建ち並んでして↓

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そして関内仲通りを突っ切ると弁天通1丁目となり、ここは通りの左側に東電の横浜支店ビルが区画の大部分を占めていて、右側には……???
記憶がありません^^

 ということで、昔の写真をネットで漁ってみると、戦災に合う前の弁天通には通りに面した表側の壁を石積み風にモルタルで細工した横浜風看板建築の外国人相手の高級スーベニアショップなどが軒を並べていたそうなのですが、戦災によりこのあたり一帯は焼け野原に。

 一説には、馬車道よりも有名で賑わっていたとも言われていましたが、撮影当時には、その面影がまったく感じられないフツーの通りになっていました。

*写真はすべて1982年撮影。




*来月4月のUP予定
4月 3日:第50吉田号と武蔵
4月10日:TAIYUEN
4月17日:船のポートレート
4月24日:ある日の出港風景

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by yokohama80s | 2016-03-27 00:10 | 関内地区 | Comments(0)


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