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2015年 08月 09日
その昔、住所で言うと"西区高島1-2"のみなとみらい地区57街区の国道1号とすずかけ通りの交差点カドに機関区と操車場を備えた"高島駅"という貨物駅があったことはこちら(東海道本線貨物支線 高島駅)で触れましたので、以下省略ということにして、とにもかくにも横浜駅東口の中央郵便局と崎陽軒本店の間の、むかしむかしに現在の桜木町駅が横浜駅だった時代の軌道跡……というか、正しくは軌道に沿って作られた道路を高島町方向へ行くとやがて万里橋を渡りさらに進むと国道1号線に突き当たる所に国道を跨ぐ歩道橋がありました↓。 ![]() (現在の国道一号の高島町~東口間は二代目横浜駅当時の軌道跡地をそのまま道路に転用したもの) ちなみにむかしむかしに高島町に横浜駅(二代目)があった頃の地形図を、あのてこのてで現在の地形図に落としてみると、どうやら↑の写真の場所はネットで拾ったこの絵葉書写真↓ ![]() の撮影場所にあたるようです。 ついでに二代目横浜駅の東海道本線上り線(東京方面)ホームの最前部は、国道一号沿いにある市営バスの高島町バス停のあたりまであり↓ ![]() (横浜都市発展記念館刊・「地図」で探る横浜の鉄道より) 線路は、そのまま国道一号から東口広場を斜めに突っ切って現在の線路に合流して、当時の神奈川駅(現在、月見橋から線路沿いに青木橋に至る道路が、ちょっと線路から離れて空き地になっている場所にあった……らしい)に到着、というルートを辿っていました。 そして震災により二代目横浜駅が全焼し現在の場所に三代目の駅舎が作られ、東海道本線の線路も現在のルートに変更された時に、東海道本線と現在の京浜東北線こと京浜線の複々線の広大で細長い軌道跡の跡地利用が問題になったそうなのですが、結局、新駅舎の駅前広場と国道一号の道路として使用されることになり、現在に至る、ということになったそうな(上の昭和6年の地図は軌道部分を書き直しただけなので国道一号の道路幅は二代目横浜駅当時と同じですが、その後の昭和7年の地図では現在と同じ道路幅に書き直されています→横浜市三千分一地形図の昭和7年新港で確認出来ます)。 「どうりでこの区間の道路幅が不自然に広かったワケだ」……と言っても、二代目横浜駅の存在を知ったのはここ最近のことで、これらの写真を撮影した当時にはそのような知識は無かったのですが^^。 ということで、とにもかくにも階段を上って歩道橋で↓ ![]() (青看板と歩道橋の間に街灯が……) 国道一号を渡った所から東京側を見ると↓ ![]() *奥の日産の看板があるビルが初代スカイビル その右手に見える鉄骨が建設中の"そごう"こと新都市ビル 横浜機関区の1914年(大正3年)に建てられた扇形の機関庫を望むことができました。 ということで、歩道橋の階段を降りて国道一号の海側の歩道を東京方向に戻るとこんな感じで↓ ![]() ![]() 歩道から機関庫を見ることが出来ました。 でさらに東京方向にちょこっと行くと、機関庫の方に行ける入口があって↓ ![]() そこを何食わぬ顔で通り抜けた先に↓ ![]() 機関庫が。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() *写真はすべて1987年撮影。
by yokohama80s
| 2015-08-09 00:04
| 高島埠頭
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