週刊 横濱80’s

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2015年 07月 05日

鶴見線沿線・大川~武蔵白石~安善

 JR鶴見線とその沿線の埋立地については、こちらのサイト(ちょこっと鶴見線など)に詳しいですし、最近は「都会の中のローカル線」ということで鶴見線とその支線は人気を博しているようで、ググればごっそりと出てきますので、ご興味のあるムキはそちらをご参照頂くとして、ここでは撮影当時の話などを。

ということで、とにもかくにもまず最初は、当時、クモハ12という旧国電のブドウ色の電車が1両でトコトコ走っていた鶴見線大川支線沿いに白石運河に架かる大川橋を渡った先に大川駅があって、田舎の駅のように歩行者用の踏切を渡って駅前の道路をさらに渡ったところにあったのが↓

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*①大川駅前のバス停


 そしてそのさらに先には↓

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*②昭和電工川崎事業所大川地区あたり


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*③昭和電工川崎事業所大川地区あたり・その2


などがあるものの、予想に違わず工場の壁に囲まれてたいして見る物(写す物)も無いのでUターンして武蔵白石まで来た道を戻ると↓

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*④川崎区白石町1丁目・大川支線・武蔵白石踏切


工場向けの送電線があり……そう言えば、「浅野総一郎はこのあたりの工場の電力確保の為にあっちこっちに水力発電所と送電網まで作ったんだっけ」などと思いながら進んだ先には、当時は大川支線と鶴見線との分岐駅だった武蔵白石駅の都会の駅とは思えないクラシカルな駅舎↓

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*⑤鶴見線武蔵白石駅


 その脇の自転車置き場(?)を横目に見ながら↓

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*⑥鶴見線武蔵白石駅舎脇


5分ほど歩くと隣り駅の安善駅に到着。

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 話は少し前後しますが、川崎市と横浜市の市境を越えた安善駅手前くらいから道路の両側には工場地帯には似つかわしくない住宅が建ち並んでいる一角があります↓。

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*1944年に撮影された航空写真より


 なにやらこの三角地帯にあたる寛政町1~18番地あたりには、大正末頃に浅野セメントや、東京湾埋立会社の従業員住宅と商店などが建ち並んでいたそうな(撮影当時にはまったく気づきもしませんでしたが、現在もコンクリート造りの住宅が数棟残っているそうな)

 そこで今さらながら地図を見ると、工場地帯のど真ん中に住宅地があり、さらにその区画が山下町の中華街みたいに周りに比べるとちょっとヘンな角度になっている、ということは、「は、は~ん、これは江戸時代に埋め立てられた新田跡だな」と思って町名を見ると↓

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*⑦鶴見区寛政町・安善駅前


「寛政町」。
 ということは、町名に元号が使われているということは、西暦1789~1800年の「寛政年間」に埋め立てられたということに。
 
 そこで歴史的農業環境閲覧システムのKMLファイルをグーグルアースに落として現在の地形と明治初期の地図と比べてみると……「海の中だ」みたいな^^。

 で今度は今昔マップで埋め立て前の明治の頃の海岸線をなぞってみると、現在の産業道路の1本海側の寛政中学と東部総合技術校の間の道がもともとの海岸線とピッタリ一致。
 となると、「寛政町=寛政年間の新田説」は敢えなく却下、ということになり、「なぜにして三角形」という疑問はナゾのままとなりました^^。

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*⑧鶴見区寛政町18のタバコ屋
(最近、この近辺を徘徊する写真好きの間で人気があるようです)


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*⑨鶴見区寛政町19の焼き鳥屋さん


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*⑩鶴見区安善1丁目・浜安善方向へ行く踏切を渡った先にあった自治会の掲示板


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*⑪鶴見区寛政町21(現在の大塚家具)・佐久間鋳工所



*写真はすべて1986年撮影



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by yokohama80s | 2015-07-05 00:08 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)


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