週刊 横濱80’s

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2015年 06月 21日

千若町2丁 日本製粉横浜工場

 京急を神奈川新町で下りて第一京浜に向かいます。
すると第一京浜に架かる歩道橋があるのでそれを渡って、マンションに挟まれた道を入ってグイグイ進むと横羽の高架をくぐる手前に橋があります。

 それが入江川第二派川にかかる荒木橋。

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*①荒木橋から子安方向を見るの図


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*②同じく荒木橋から今度は神奈川湊方向を見るの図


 もともと入江川は、鶴見区東寺尾付近を源流として京浜急行子安駅から品川方向に300mちょっと行ったところにある国道15号こと第一京浜の入江橋で海に注ぎ込む川なのですが、現在は沖合の埋め立てにより6派川(派川と書いてハセンと読みます)の運河に分岐し、そのうちの旧河口より西に旧海岸線沿いに作られた長さ約1.7kmちょっとの運河が「入江川第二派川」となります(地図にはただたんに「入江川」または「子安運河」と表記されていることもあります)。

 ここで何気なく「6派川の運河に別れ……」などと言っていますが、「派川ってなんぞや?」という疑問が。
でちょっと調べてみると、源流を異にして本流に合流する河川を「支流」と呼ぶのに対して、「派川」というのは本流が海に注ぎ込む以前に本流から分かれる支流のことで、本来は河口に形成されるデルタ地帯などで流れが枝分かれしている部分を指し、埋め立てなどで人工島を造成した時には当然、河口が沖合に移動するワケで、その延長された区間や、はたまたそこから分岐する運河も翻って「派川」と呼ぶそうです。
 
 でこの橋の上下流がいわゆる「子安浜」……かと思いきや、調べてみると子安浜とは第一京浜の入江橋を東端に、西端は新浦島橋までの入江第二派川の右岸側700mちょっとの区間を指すとのこと。
となるとこの辺りは、神奈川湊……???
歴史的農業環境閲覧システムから落としたKMLファイルをグーグルアースで表示して明治初期の地図と現在の地形を重ね合わせてみると、その昔はこの辺りが海岸線だったことだけは確かなようです。

 まあそういう話はひとまず置いておくとして、荒木橋を渡って、横羽の高架をくぐって、ズンズン進むとやがて貨物線の踏切があってそれを越えると出田町埠頭。

 出田町埠頭については過去記事で取り上げていますので、くわしくはそちらをご覧頂くとして、今は911絡みの"なんとか条約"とかの影響でガッチリとゲートがあり「立ち入り禁止」などと仰々しく書かれていたりするようですが、その昔にはそのようなヤボなこと言う人もいなかったので、埠頭内にグングン入って岸壁に。

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*③


昔は、日曜ともなれば近所の人がやってきて、のんびり家族で釣り糸を垂れている、なんて風景が当たり前でした。
 ということで、ふと写真の奥を見るとなにやらサイロが……。

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*④


地図を見ると日本製粉横浜工場のサイロなんだとか……
なにやら工場とサイロは、1924年(大正13年)に日本初の大規模臨海製粉工場として建てられたんだそうな……「ふむふむ歴史ある物が写っているなぁ」などと感心しつつ空中写真閲覧サービスで戦争前後の写真を見てみると……「あれ? 写ってない???」。

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*横浜市三千分一地形図 昭和22年・神奈川KMLファイルより


 どうやら写真に写っているサイロは、昭和39年ころに建てられたもののようで、そのさらに右手にチラッと見えるのが大正時代に建てられたサイロのようです。

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*⑤


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*⑥


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*写真はすべて1984年撮影。


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by yokohama80s | 2015-06-21 00:07 | 山内・瑞穂・出田町埠頭 | Comments(0)


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