週刊 横濱80’s

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2015年 05月 31日

晴海埠頭

 現在では「客船が発着する埠頭」というイメージが強い晴海埠頭は、人工島自体は東京湾澪渫(みおさらい)工事(1883年・明治16年~1886年・明治29年)と第三期隅田河口改良工事(1922年・大正11年~1935・昭和10年)で埋立が行われ、1937年(昭和12年)に公募により晴見町と命名されるまでは月島四号地、はたまた新月島と呼ばれ1940年(昭和15年)開催予定だった日本万国博覧会会場予定地となったものの第二次世界大戦勃発により敢えなく中止に。

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*左が1944年、右が1984年の航空写真


 その後は戦中には軍と、戦後の米軍による接収期間を通して晴海一帯はほぼ更地だったものの、1952年から1965年にかけて15バースと貨物輸送用の臨海鉄道をもつ晴海埠頭として整備され、貨物輸送がばら積みからコンテナ輸送に移行するまで東京港の中核をなす埠頭として東京で消費される輸入果物,小麦の大部分がここで陸揚げされていたそうな。

 かし80年代に入った頃には海上貨物の主流はコンテナ輸送にスイッチし、また現在のように客船用の岸壁として使用されてはいたものの肝心の客船の入港もほとんど無く、60年代、70年代には活況を呈していた晴海埠頭は見本市会場で催し物が無ければ閑散としていました。

 ということでとにもかくにも80年代頃の晴海は、埠頭というよりも「国際見本市会場がある場所」、「東京モーターショーの開催場所」といった感じで、さらに一度でもこの会場に行ったことのある人にとっては「めちゃくちゃ不便な場所」として記憶されているのではないでしょうか。

 なにせ大きな催し物が開催される時には、見本市会場と地下鉄日比谷線の築地駅の間にシャトルバスが運行されていたものの、当時の晴海通りは渋滞の名所だった為に、行きはまだしも、帰りは築地駅までの2.3kmを30分ほどかけて歩いた方がバスよりも早かったくらい。

 しかし時は流れてその見本市会場もいまは無く、かつては東京港の中核として賑わっていた晴海埠頭から臨海鉄道の線路が無くなり、倉庫の多くは取り壊され、かつて15バースあった岸壁も人工島南側に官庁船バースと2万トンの客船が接岸出来る客船ターミナルが2バース、1万~1万5千トンの船が接岸出来る岸壁が2バースあるだけで内陸部はタワーマンションが次々に建設され、2020年開催予定の東京オリンピックの選手村建設予定地となっています。

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*①晴海埠頭四号上屋


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*②この年に建造されたばかりの二代目日本丸その1


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*③二代目日本丸その2


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*④二代目日本丸その3


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*⑤晴海2丁目の1960年(昭和35年)に建設された日東製粉晴海工場(1989年・平成元年に閉鎖され現在はタワーマンションが建っている)


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*⑥晴海4丁目の大塚倉庫


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*⑦大塚倉庫の海側隣りの倉庫


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*⑧晴海5丁目の倉庫その1


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*⑨晴海5丁目の倉庫その2


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*⑩晴海5丁目の倉庫その3


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*⑪晴海5丁目の倉庫その4


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*⑫晴海5丁目の倉庫その5


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*⑬日本丸船尾に掲揚されていた煤けた日の丸



*写真はすべて1984年撮影





*来月6月のUP予定
6月 7日:元町界隈
6月14日:千若町二丁目界隈
6月21日:日清製粉横浜工場
6月28日:山下町280 旧露亜銀行横浜支店

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by yokohama80s | 2015-05-31 00:04 | 東京・川崎 | Comments(0)


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