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2015年 04月 19日
関内の縦の通りというか、大岡川からみなと大通りに向かう通りには、通常はその通りの両側が属する町名が付けられています(弁天通りとか)。 ところが通りの両側が住吉町になる街路は、なぜか「住吉町通り」ではなく「入船町通り」と名付けられています。 「なぜにして入船町通りと呼ぶのだろう?」と調べてみると、ただ単純に1871年(明治4年)に関内に正式に町名が制定されるまでのあいだ現在の住吉町のことを入船町と呼んでいた、というだけの話。 さらに1864年(元治元年)の絵地図を見ると、太田町と駒形町の間に運河が描かれていることから、「住吉町はそのむかし運河だったところを埋め立てたから入船町と呼んだのだな」と思いきや、よ~く考えてみると現在、太田町のとなりは相生町でそのまた隣が住吉町。 となると話の辻褄が……みたいな話になるので、この話はここまでにして、とにもかくにも戦後、米軍により接収されていた関内地区の接収解除が始まったのが1952年(昭和27年)のこと。 この時、常盤町、住吉町、太田町、弁天通の馬車道と大岡川に挟まれた5,6丁目が他の地区に先駆けて返還されたことにより、この界隈、特に住吉町5,6丁目あたりに防火帯建築こと戦災復興建築のビルが多く建てられました。 ということで最初は、入船通りの大岡川べりにあった大清ビル↓ ![]() そして大清ビルと入船通りを挟んで向かい側にあったのが↓ ![]() ちなみに写真に写っているボンド商会とは当時、神戸に本社を置いていた輸入会社。 ということで、今度は大清ビルの隣には↓ ![]() 17軒の飲み屋が軒を連ねるダイワビル3、4、5号館。 でこちら↓は4号館の隣りのダイワビルの3号館↓ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() そして入船通りから常盤町通りへ抜ける路地のカドにあったのが↓ ![]() *写真はすべて1981年撮影。
by yokohama80s
| 2015-04-19 00:10
| 関内地区
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