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2015年 04月 12日
元浜町というのは、書いて字の如く居留地以前のまだこのあたりのことを横浜村などと呼んでいた当時には海岸線だった場所で、居留地時代には海岸通(または海辺通)と名付けられ、その後、文久年間のころに現在の海岸通が埋立られ、1871年(明治4年)に現在のように海側から海岸通、元浜町、北仲通、本町というようになりました。 そして戦前までは、元浜町一帯には大小の回漕店とその倉庫がギッチリ軒を並べいたのですが、太平洋戦争時の空襲により元浜町は現在、県庁新庁舎がある元浜町1丁目に渡辺銀行、2丁目に横浜貿易倉庫以外は辺り一面の焼け野原に。 その後、米軍による接収を経て1948年(昭和23年)ごろから徐々に返還され、このとき震災後のように小規模木造建築が所狭しと建ち並んでしまったらひとたび何かあったらまたもや焼け野原という事態を防ぐべく行政主導で助成制度を設けて道路沿いに帯状に防火帯を指定し、そこに不燃化建築を建設することを奨励しその第一号として建てられたのが海岸通4丁目交差点角に港ビルディング(現・関内カサハラビル)↓。 ![]() ![]() そして港ビルディングと元浜町通りを挟んで向かい側に建てられたのが三橋ビル↓ ![]() ちなみに万国橋通り沿いに三橋ビルと接して建てられたのが島津ビルこと現在の関内小俣ビル↓ ![]() その昔、路地の両側に芝居小屋が建ち並んでいたことから芝居町と呼ばれた小路を挟んで隣りには、港ビルディングと同時期に竣工した萬国貿易ビルが、というように、万国橋通り沿いに防火帯建築が建ち並んでいました(現在も三橋ビル以外は現存)。 ということで、元浜町通りに戻って港ビルディングの3軒隣りに、これもまた万国橋通り沿いに建ち並ぶ防火帯建築ビルと同時期に建てられた尾張屋食堂↓ ![]() があり、その隣りが1974年(昭和49年)に建てられた東信ビル↓ ![]() があり、通りを挟んで向かい側には第二若尾ビル↓ ![]() そして元浜町3丁目の交差点の角にあったのが、正面入口が辛うじて海岸通りにあったことから住所は海岸通になっているものの、建物の大部分が元浜町側に伸びたL字型で、明かり取りにガラスブロックを多用した防火帯建築としては異例とも言えるほどモダンなデザインだったエヴェレット汽船ビル↓ ![]() さらに元浜町2丁目交差点の北仲通側にあったのが、1、2階がタクシー会社の営業所で3階以上が県住宅公社の賃貸住宅だった下駄履きビルの元浜ビル↓ ![]() ![]() ちなみに、上記の元浜ビルのようないわゆる下駄履きビルは、1~2階の低層階部分が旧地主所有(共同所有の場合も有り)、上層階の県住宅供給公社などの賃貸住宅部分は公社所有というように所有者が異なることから同一の建物にも関わらず上と下とで名称が異なっていました。 というように、元浜町の4~3丁目には関内地区でも比較的早い時期に建てられた防火帯建築が集中していたのですが、2丁目は60年代後半くらいに竣工した今風のなんの面白味も無いビジネスビルが建ち並び↓ ![]() 1丁目は右側には県庁の新庁舎ビルがあり↓ ![]() 左側は、海岸通り側が戦前に建てられ、元浜町側が60年前後に増築された海事ビル↓ ![]() と農協共済ビル↓ ![]() などの、海岸通り沿いに建ち並ぶビルの裏側になっていました。 *写真はすべて1981年撮影。 *写真下のキャプション部分の建物名が赤地の物が戦災復興建築こと防火帯建築……と思われる建物です。
by yokohama80s
| 2015-04-12 00:01
| 関内地区
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