新港埠頭が横浜税関陸上設備として竣工した当初には、
十二号岸壁の万国橋側に十三号岸壁があったのですが、震災直前ごろまでに海面に向かってスロープがつけられた物揚場に変更され震災、戦争、接収時代を送ってきました。
そして米軍による接収が
七号岸壁と
三井生糸倉庫一帯を除いて解除された後の1962年(昭和37年)、ほぼ山下埠頭造成と時を同じくして十三号岸壁物揚場の海面……というか、大岡川河口を幅約80m、長さ約260m(現在のみなとみらい16街区あたり)を埋め立てて、そこを流通拠点とすべく鉄筋コンクリート造りの民間倉庫が建てられたのが、当時、新港埠頭の一文字埋立地こと一文字地区。
*赤枠内が一文字地区で黒枠が新港埠頭の既存地区
しかし当時すでに貨物輸送が、すでにトラックに移行していたにも関わらず、一文字埋立地の倉庫街は艀輸送を前提に作られていたことから撮影当時の80年代頃には開店休業状態。
ということで、とにもかくにもまず最初の写真は、戦後、旧13号物揚場に建てられた丸屋根倉庫が3棟連なった三井倉庫K号倉庫↓。
*1981年撮影
*1981年撮影
*1982年撮影
でその次が、一文字地区根元部分にあった京浜輸入貨物取扱業共同組合新港上屋↓
*1981年撮影
*1981年撮影
*1983年撮影
そのお次が、鈴江倉庫↓
*1981年撮影
でその次が横浜冷凍新港埠頭工場↓
*1981年撮影
で最後が関東郵船運輸倉庫↓
*1981年撮影
*1981年撮影
*1981年撮影
……だと思います(笑)