2015年 01月 18日
1923年(大正12年)に起こった関東大震災により壊滅的な被害を受けた当時の横浜税関埠頭港内(現在の大桟橋、西波止場、新港埠頭)の、再建事業の詳細が書かれた1925年(大正14年)大蔵省営繕管財局が発行した営繕事業年報によると、「歩道には上屋前及び荷役に支障のある場所を除きなるべく街路樹を植えて公衆便所その他の空き地にして、公衆の休憩に便利な場所には植樹をする」ということで、税関埠頭港内に合計6棟、うち新港埠頭構内に4棟の公衆便所が建てられそうな↓。 ということで上の地図で赤丸で囲った建物が、いわゆる"震災復興公衆トイレ"。 80年代には、この4棟すべてが現存していました。 ということでまず万国橋を渡った先の貨物線の踏切(第十四号踏切)の先のすぐ左手にあった↑の地図の①のおトイレの姿を↓ 4棟のトイレのうち↑の地図の②③④がアーチ状の入口が真ん中にあり内部が男女別に別れていて、↑の①が写真のように入口が左にあり内部は男女兼用になっていました。 ところがこの①のおトイレ、写真を詳細に分析してみてもこの場所で間違いないのですが、現在も万国橋を渡った先にあるふ頭構内図↓ には、なぜか記載されていません。 当時の航空写真でもその姿が確認出来ることから、「書き忘れただけだろう」ということにして(このての地図には記載漏れは付き物)、お次は八号岸壁にあった②のおトイレですが、こちらについては過去に扱ってますので「以下省略」といたしまして、さらにお次は、四号岸壁の③↓ このおトイレは、私のつたない記憶では外観は基本形に準じていましたが、どうも建て直した感が濃厚。 ストック写真を探しまくってようやく見つけたのがこのカット↓。 ちなみに奥の木と木の間にチラッと見えるのが③のおトイレ。 ということで、お次が赤レンガ一号倉庫南側の向かい、自動車クレーン格納庫の並びにあった④のおトイレ↓ でこのおトイレの不思議な所が、入口にある手洗い鉢の形状。 なぜかこのおトイレの手洗い鉢が床面に設置されています。 この形状が建築当初からの仕様だとすると、どうしてここだけ形状が違うか??? ナゾです。 ということで、察しの良い方はお気づきのことと思いますが、1934年の地図と、1981年当時の地図とではおトイレの数が合いません。 ひとつは前記したように、ただの記載漏れ。 そしてもう一つのふ頭構内図の(A)は↓ 戦後、十号上屋内に新設されたモノ。 で残るは、ふ頭構内図では変電所隣りの交番のそのまた隣りにあったとのことなのですが……??? 交番があった記憶はあるのですが、その隣りにおトイレがあったような無かったような……↓ 仮に「あった」とすると、↑の写真で言うと2階建てのコンクリの建物(これが変電所)の向こう側の、街路樹の陰にあったことになるのですが…… ということで、この件は都合良く棚上げするとして、最後に新年特別企画(?)といたしまして”八号上屋のおトイレに入ってみよう」バーチャル体験版(?)”をお送りいたします。 ということで↓ 私の記憶では、新港埠頭のおトイレは、くみ取り式に付き物のアンモニア臭がきつく、痛み具合も酷かったものの、数日おきに清掃されていていつもキレイだったことが印象に残っています。
by yokohama80s
| 2015-01-18 00:03
| 新港埠頭
|
アバウト
カレンダー
*All Rights Reserved
カテゴリ
記事ランキング
最新の記事
画像一覧
以前の記事
2017年 12月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 more... 最新のコメント
お知らせ
検索
|
ファン申請 |
||