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2014年 12月 07日
今日のタイトルを見て、「北仲通に芝居町なんかあったっけ?」とお思いになられたあなた、正解です。 正直な話、この記事を書くまでは私もその一人でした。 ちなみにこの通りは北仲通4丁目と元浜町4丁目の境にある細い道↓。 ![]() ちなみに写真左奥の万国橋通り沿いに建つ白いビルが、1952年(昭和27年)に建てられた戦災復興建築こと防火帯建築群の萬国貿易ビルと、右側が同じ頃に同じくく防火帯建築の撮影時は島津ビル、現在の関内小俣ビル。 さらにちなみに航空写真によると島津ビルの上の写真の通り側は、1960年頃に増築された物のようです。 ![]() 横浜市史稿ではこの通りのことを、「北仲通四丁目横通り」としていますが、現在もそのような呼び方をするのかは定かではありませんが、先週の記事と同じようにこの通りも古地図を眺めているときに発見したもの↓。 ![]() 「さてここで少し解説しよう」ではないですがデジタルライブラリーで横浜市史稿に書かれていることをザックリ書き出してみると、このあたりが開港場の日本人居住区として開設されてから三年目の1961年(文久元年)。 下田屋文吉という高島嘉右衛門の奥方の実家筋にあたり維新の頃まで神奈川台町で旅籠を営んでいた人物が、小寶町(寶は宝の旧字)、現・北仲通四丁目横通りの両側に下田座という芝居小屋を造ったことからこの通りを「芝居町」と呼ぶようになったんだそうです(小寶町って名前はどこに行ってしまったんだろう?)。 ちなみにこの芝居小屋では、芝居というよりも人形芝居(人形浄瑠璃というより人形劇に近いモノ……らしい)とか娘手踊り(京都の都をどりのようなモノ……らしい)などの見世物をやっていたんだとか。 さらに蛇足ながら、上の絵地図の「海岸通」というのは現在の元浜町になり、丁目の数字が現在と逆になっています。 ということで話を元に戻すと、この下田座は開場から9年目の1870年(明治3年)に現在の住吉町4丁目の馬車道にあった「佐野松」という芝居小屋と合併し羽衣町の厳島神社の隣りに移転し、のちに「羽衣座」となったんだそうな。 「だったらこの通りは史実に習ってこれからは芝居町通りと呼ぼう」と言いたいところなのですが、先週と同じパターンでただのビルの裏通りに名前を付けたところであんまり意味が無いですね。 ということでこの近辺の写真をまとめて↓ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() *写真は最後の二枚以外は1981年撮影。 *2015/02/10→防火帯建築に関する記述を追加しました。
by yokohama80s
| 2014-12-07 00:04
| 関内地区
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