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週刊 横濱80’s

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2014年 08月 17日

中華街

先週の段階で、中華街19ストリートのうちシルク通り、蘇州小路、開港道、南門シルクロード、媽祖小路の5つをUP済みなので、今日は残り14ストリートを一気に・・・・・・と行く前に、写真に写っている建物の番地は撮影時のメモ書きが元になっていますので、該当の建物の所在番地や通りが実際と違っている、などということも有るかと思いますが、そのあたりのことは笑ってお許しくださいまし。

また表向き「中華街は牌楼と呼ばれる門の内側」と定義づけられているようですが、各通りの始点終点については「ここからここまで」と明確に定義づけられているようでも無いので(私が知らないだけ?)、横浜中華街のHPエリアマップを参考に独断と偏見と思い込みと願望(?)をもとに私が勝手に決めたものであることと、写真に写っている建物、店舗の番地は撮影時のメモ書きがもとになっていますので、実際の番地と異なっている可能性があることを始めにお断りさせていただきます。




(6)中華街大通り→善隣門~本町通りの朝陽門まで
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*①153番地・萬珍樓(写真の店舗は2002年に火事で焼失してしまったそうです)

 
私の記憶が確かなら、写真の萬珍樓は、現在、中華街で営業している店では、1884年(明治17年)開業の聘珍樓に次いで古い店(1892年・明治25年開業)になるようです(・・・・・・と思います)。
まあそのあたりのことは、みなさん各自でお調べ頂くとして、店頭にある金文字、これ、招牌(ショウハイ)と呼ばれるモノでその店のキャッチフレーズを示しているもの。

萬珍樓の場合は、1892年(明治25年)にこの場所で店を開いて以来、 「包辦酒席(ホウベンシュセキ)」という招牌を店先に掲げているのですが、この意味は簡単に言ってしまうと「料理全般なんでもお任せ」といった感じ。

蛇足ではありますが、この萬珍樓の店内には、かつて123番地、今で言うと太平路と南門シルクロードのカドにあった、ピアノ造りでヤマハ(山葉)と双璧をなしていた伝説の周ピアノ製アップライトピアノが置いてあるそうです(By 横浜ミストリー及びリンク参照)。




(7)広東道→長安道の加賀町警察署わき~開港道まで

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*②151番地近辺の広東道側


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*②151番地近辺の広東道側


この通りは、中華料理店が店を並べる中華大通りの裏通りで、大通り沿いの大店を裏から見ることが出来て、さらに観光客もいないし、なんか「中華街」という雰囲気満点の通りで、いつも大通りを歩かずにこちらの通りを歩いていた記憶があります。

ちなみに↑の写真は、当時、大通りの151番地にあった金陵またはその近辺の店のウラ側のようです。
       



(8)上海路→南門シルクロードの隣りの通りで大通り~関帝廟通りの山下町公園前まで

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*③186番地・大勝パーマ

 
写真は1959年(昭和34年)開業の、ありし日の大勝パーマ店(注:建物は現存しています)。

その通りを挟んで反対側の斜め向かいにあったのが↓

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*④192番地・李華飯店(高張提灯が中華料理店というよりも遊郭といった感じ)


そういえば現在の料理屋さんは今風の建物になっていますが、撮影当時には写真のような中華風神社仏閣建築というか、見方によっては遊郭建築風の外観の料理屋さんが多かったように記憶しています。




(9)北京小路→大通りの市場通り門の北~開港道と広東道の合流まで

確か大通りとのカドに当時、ビートたけしが好んで(?)被っていた頭でっかちのおたふくの仮面(?)とかチャイナドレスやら竹カゴなどを並べていた店あり(違ったかな?))、通りの両側に間口が狭い小規模低価格で美味しい料理を出す店が建ち並んでいて、当時、このあたりをウロウロする時には必ず昼食に寄っていた店もこの通りにありました。
ただこの通りにたどり着く頃には、ハンガーノック寸前が常でしたので写真はありません(笑)




(10)市場通り→大通りの市場通り門~関帝廟通りまで、はたまた堀川通りの市場通り橋まで

その昔、朝市が開かれていたことから名付けられた"市場通り"。

通りにあった魚屋店頭の、生きの良さそうなワタリガニこと上海カニを撮った記憶が鮮明に残っているのですが……???
とにもかくにも店頭に並んでいる品物や、看板に注意を払わなければ、フツーの駅前商店街という感じでした。




(11)香港路→市場通りの隣りの通りで広東道~関帝廟通りまで

この通りには雰囲気のある店舗が多かったのですが、なにぶんにも某有名中華料理屋(というか今もありますが)の行列が平日でも凄く、さらに狭い通りに人が溢れかえっていたので、とてもじゃありませんが立ち止まって呑気に写真なんか撮影できる状況ではありませんでした……と記憶しています。




(12)中山路→さらにその隣りの通りで、開港道~関帝廟通りまで、はたまた太平道まで、いやいや面倒だから堀川通りまでだ(?)

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*⑤140番地・華僑総会


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*⑥139番地・お気軽な店ルビー


この通りは、その昔、堀川に向かって左側に米兵相手の飲み屋がズラッと軒を連ねていたことから、米兵たちから"ハッピーアベニュー"と呼ばれていたそうで、撮影当時も小さなバーやらスナックやらが関帝廟通りまでズラッと軒を並べていました。

で通りの右側には、獅子舞で有名な(?)中華学院があり、その敷地の中山路側には華僑総会の建物があり、上の写真の撮影時がちょうど国慶節の頃だったので民国系のポスターが貼られています。
確か当時の正式名称は、「中華民国留日華僑総会」だったかと・・・・・・。

そういえば当時は、国慶節の頃になると、あちらこちらに台湾こと中華民国の国旗が掲げられていましたっけ↓。

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*⑦187番地・南門シルクロードのオリエンタルH隣りの第一伸栄ビル


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余談ですが、この通りに関しては写真がある程度の数あるので、後日、日を改めてUPしたいと思います。




(13)関帝廟通り→地久門~天長門まで(中華大通りの一本南に平行している通り)

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*⑧127番地・生利中華食品雑貨行


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*⑨131番地・理髪トミ


この通りについても所々に写真のような、「らしい」店や建物がありましたが、通りを歩いていると中華街なのに日本そば屋があったり、縄のれんの店があったり、写真屋とか薬局、パーマ屋、床屋などが店を並べ、中華料理屋もあるには有りましたが、大通り周辺の店のような観光客相手というより、どちらかというと地元の人相手、と言った感じだったように記憶しています。

ということで、この通りを歩いていると、中華街を歩いているというよりも、どこにでもあるフツーの商店街を歩いているような錯覚にとらわれた印象があります。
そういえば撮影当時は、この通りは関帝廟通りではなく、新通りと呼ばれていたような気が・・・・・・?





(14)長安道→海河道の加賀町警察署前というかウラの三叉路から善隣門、地久門を左手に見ながら太平道にぶつかる五叉路まで、はたまた西の橋まで。

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*⑩203番地・加賀町警察署


長安道と海河道を分ける場所に建っていたのが加賀町警察署

現在は新築されていますが、新築にあたり建物の向きがひっくり返ったという事実を気にする人は少ないようですが、当時は警察署正面左手の通りが長安道で、右側が海河道になります。

ということで、長安道をズイズイ進むと、通りの右手に中土木事務所があり、撮影当時にはこんなの↓

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*⑪246番地・中土木事務所前


がなんの説明書きもなく歩道脇にチョコンと置かれていました。

実はコレ、この写真を撮る数週間前だか、数ヶ月前だかに、山下町37番地(現在、合同庁舎があるところ)から発掘されたての居留地時代の下水管で、断面が卵のような楕円型であることから"卵形管"と言うそうです。




(15)太平路→長安道と五叉路(堀川通りの中央病院前交差点から?)~南門シルクロード

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*⑫168番地・同潤会アパート


太平路と長安道が交差する所にあったのが同潤会山下町アパート。
これについては同潤会山下町アパート同潤会山下町アパート一号館同潤会山下町アパート二号館と、過去に三回取り上げていますので「以下省略」ってことで。

さらに同潤会山下町アパートの先にはこんなのもあったりして、よく通りましたが印象としてはどこにでもある商店街のウラ通り、といった感じでした。 

 


(16)海河道→加賀町警察署北交差点から堀川通りまで

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*⑭200番地・山下ビル


加賀町警察署の右側の通りが、大さん橋通りに平行する裏通りにあたる海河路なのですが、この通りには、再来週、「大さん橋通り編」としてまとめてUPするウインクレル商会とか、帝蚕倉庫山下町倉庫などがありました。




(17)北門通り→善隣門~大さん橋通りの北門まで

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*⑬199番地・サパークラブ グランドパレス


海河路の加賀町警察署西交差点を右に、というか大さん橋通りの方、というか北門の方に向かうと、大さん橋通りとの中間あたりにあったのが、すでに閉店していたサパークラブ グランドパレス。

最近ではあまり耳にすることは無くなりましたが、サパークラブとは一言で言えば高級なキャバレー、はたまた高級クラブ、もっと具体的に言えばぶったくられるのが前提のキャバレー……みたいな……?

でこのグランドパレスは、1963年ごろに加賀町警察署のすぐ裏手にも関わらず、いわゆる「仁義なき戦い横浜編」のような事件の舞台になり、その後しばらく「中華街は物騒な所」という悪印象を横浜市民に与える一因になったとかならなかったとか。

 


(18)西門通り→善隣門~西門まで

この通りも、看板に書かれている漢字が中華チックな程度で、どちらかというと太平道と同じく「どこにでもある商店街はずれ」と言った感じでした。




(19)福建路→関帝廟通りの地久門から大さん橋通りまで

この通りは、関内駅から中華街に向かうときのメインルートのような感じで、常に人通りの多い通りでしたが、通り沿いには駐車場しかなかったような気がします。

詳しくは来週のお楽しみということで。

ということで、撮影当時の80年代初め頃は中華料理店軒を連ねたいわゆる中華街、という感じだったのは長安道、中華大通り南門シルクロード、関帝廟通りの内側にギュッと凝縮されていて、そこから一歩離れるとどこにでもあるごくごくフツーの商店街とその裏通りと言った感じでした。


*写真はすべて1981年撮影。




お断り:番地および所在地が間違っている可能性大ですので目安程度にお考えください。


by yokohama80s | 2014-08-17 00:05 | 山下町


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