2014年 06月 01日
新港埠頭の左突堤先端部にある通称ハンマーヘッドクレーンは、正式名称を50トン定置式電気起重機といい、1914年(大正3年)イギリス製(銘板には"1913"となっている)で、50トンジャイアントカンチクレーンとも言うそうです、などという細々した話はこちらにも書きましたので、ご興味のあるムキはそちらをどうぞ。 ということで、国立国会図書館近代デジタルライブラリーで大正4年刊行の「横浜税関新港設備概要」の起重機に関する記述を見ると、ハンマーヘッドクレーンの基礎部分は岸壁とは別誂えで設置されていることや、クレーン自体はイギリス製ではあるものの実際に組み立てたのは石川島播磨重工(当時は石川島造船所で現在のIHI)であること。 はたまた試験では65トンまで吊り上げたとか、イギリスからのクレーン部分の購入に95,555円(今で言うと約10億円弱)、基礎工事に5,066円(5千万円くらい)、据え付け組立に7,930円(8千万円くらい)の合計108,551円(今で言うと10億円ちょっと)費やしたなどということや、完成当時の写真まで載っています(ありがたや~ありがたや~)。 さらに大正14年度 大蔵省営繕局営繕事業年表」には、関東大震災により「50噸定置起重機ヲ始メ全部大破シテ使用ニ耐エズ」と書かれているにも関わらず、昭和4年に内務省横浜土木事務所が刊行した「横浜港震害復旧工事報告」に震災直後のハンマーヘッドの写真があり↓ それを見ると実際には基礎部分が岸壁とは別に海底の岩盤層にガッチリ造られていたためにクレーン自体が陥没崩壊した岸壁にポツンとほぼ無傷と見える姿が写されていますし、さらにハンマーヘッドクレーンの修復工事の工期が8日間だったとも書かれています。 ということは、震災によるクレーン自体の被害はほとんど無かったものと考えて良さそうです。 そしてその後も、このクレーンはその場に仁王立ちを続け、震災の被害の様子やその後の復興の様子、さらに大戦中に八号岸壁で発生したドイツ軍艦爆発事故を間近で目撃し、横浜に甚大な被害をもたらした横浜大空襲やその後の米軍による接収、そして戦後復興、みなとみらい再開発と、横浜港の歴史、というよりも横浜の歴史をずっと見守り続けてきた、と言っても過言ではありません。 そういう点から考えると、このハンマーヘッドクレーンは、横浜港の主と言っても良い存在なのではないでしょうか。 ということで、今週と来週はハンマーヘッッドクレーンをまとめてド~ン、ということで、今週はクレーン全体かアーム部分が写っているモノを・・・・・・。 *撮影年の記載の無い写真はすべて1987年撮影。
by yokohama80s
| 2014-06-01 00:07
| 新港埠頭
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