現在、海上保安庁の横浜海上保安本部は新港埠頭の右突堤部を横浜海上防災基地として占有使用していますが、みなとみらい以前には四号岸壁の防衝工を沖合に延長する形で設置された桟橋を横浜海上保安本部桟橋(竣工当時の正式名称は"遠距離用大型巡視船基地"だそうです)として使用していました。
①1983年撮影/PL32みうらとPL31いず(両船ともすでに退役)
ということで、この海保専用桟橋が何時くらいに作られたのか、はたまた何時から使用されているのかを、航空写真を漁って調べてみると、昭和初期ごろまでは海保桟橋があった場所には
四号岸壁防衝工(現在、八号岸壁のみが現存)があり、まだ桟橋はありません。
で、1944年(昭和19年)撮影の航空写真では、防衝工があった場所に四号岸壁が30mほど延長されただけ(正式名称は桟橋ではなくあくまでも「四号岸壁防衝工」だそうです)で80年代当時のような桟橋はまだありません。
さらに航空写真を漁っていくと、1967年(昭和42年)撮影の写真には変化なし。
で1975年(昭和50年)まで、なぜか航空写真が無く、75年の写真には四号岸壁をさらに約100m延長する形で桟橋が設置されていて巡視船が停泊していることから、どうやら1970年前後に海保用桟橋が作られたようです
(注:その後の調査で1968年/昭和43年に造られたことが判明しました)。
1984年撮影/1980年(昭和55年)就役の当時の新鋭艦PL04「うらが」こと現・鹿児島海上保安本部所属PLH04「はやと」
ということで、ある日の海保桟橋での光景を↓
巡視船みうらの出港を見送る家族連れ
1983年撮影/出港するPL32みうらと繋船中のPL04うらが
巡視船の船名の前に付く「PL」という符号は、Patrovessel Large こと大型巡視船という意味で、「PL」のあとに「H」がついて「PLH」となると、Patrovessel Large with Helicopter=ヘリコプター1機搭載大型巡視船ということになるそうです。
ただ写真を見る限りにおいては、撮影当時の80年代前半には「PLH」という区分は無かったようです。