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週刊 横濱80’s

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2014年 01月 05日

横浜税関保税一号倉庫南側

現在、赤レンガ倉庫一号館と呼ばれている建物は、1913年(大正2年)3月に竣工した時には、「官設三階建煉瓦倉庫甲号倉庫」、または「横浜税関甲号煉瓦倉庫」、多くの場合はただたんに「甲号倉庫」と呼ばれ、80年代頃には「横浜税関保税第一倉庫」と呼ばれていました(便宜上、ここでは一号倉庫と呼ぶことにします)。

ということで、国会図書館の近代デジタルライブラリーで「新港埠頭 甲号倉庫」とかで検索すると、あれやこれやの本や写真がごっそり出てきますが、そのなかでも興味深いのが1915年(大正4年)に当時の大蔵省大臣官房臨時建設課が著した「横浜税関新港設備概要」の一文。

これによると計画当初は、外貿易倉庫の規範とするべくレンガ倉庫を4棟建設する計画だったものの、当初の想定に反して民間企業の進出が著しかった為に、すでに着工していた現存する2棟のみを建設し、残りの2棟の建設を中止したのだそうです。

私なんぞは単純なものですから、「レンガ倉庫が4棟もあったら、さぞかし壮観な風景だっただろうな」とつい思ってしまうのですが、よくよく考えてみると本来なら一号と二号倉庫は瓜二つの双子建築だったものの、そっくり同じ設計だと二号倉庫のカドが万国橋側の道路を塞いでしまうために、現在のような特徴的な切妻になっているワケで、「狭い新港埠頭内のいったいどこに残り2棟のレンガ倉庫を建てるつもりだったのだろう?」と思わず首を傾げてしまいます。

という話はさて置くとして、本日の本題に入りますが、今回は赤レンガ倉庫一号館こと、撮影当時の横浜税関保税第一倉庫の南側、象の鼻側、はたまた大桟橋側、もうひとつついでに山下公園側の写真を・・・・・・

撮影当時、北側(二号倉庫側)はこんな感じの廃墟状態でしたが、その反対側はバルコニーのトタン屋根には穴が開き、レンガは白いカビに覆われてはいたものの「北側より少しはマシ」と言った感じでした。

まあ簡単に言ってしまえば、現在は二棟ある倉庫が向かい合っている側が"表"のような感じですが、それ以前はバルコニーがある側、要は一号倉庫は南側、二号倉庫は北側が建物の"正面"というか表側でした。

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ということで、余計な能書きはここまでにして、あとは写真をお楽しみ下さい。

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*写真はすべて1980年撮影。





ということで、来週は今日の反対側、「横浜税関保税一号倉庫北側」をお送りします。

by yokohama80s | 2014-01-05 00:04 | 新港埠頭


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