2013年 08月 18日
先週は、横浜港駅の旅客昇降(乗降)場こと旅客ホームでしたので、今週はそこから南西に90mの、現在、あかいくつバスの赤レンガ倉庫バス停がある場所にあった小口貨物積卸場こと荷物用ホームを。 こちらについては以前、プレビュー版というか、なんというかで外観の写真をご紹介していますので、そちらも合わせてご覧下さい。 ということで、横浜港駅の小口貨物積卸場は、関東大震災後に「構内貨物ノ小口扱或ハ混載貨物取扱ノ利便ニ資センガ為適当ノ場所ニ貨物積卸場一ヵ所ヲ設置ス(大正14年大蔵省営繕管財局・営繕事業年報より)」として、先週の旅客用ホームとほぼ同時期に新港埠頭の貨物ヤード内に造られました。 ちなみに恥ずかしながら私は、四号上屋の存在を知るまでは、あまりの立派さと状態が良かったことから、こちらの方がメインの旅客用プラットホームで、先週取り上げたホンモノの旅客用ホームを臨時用のモノか、旧ホームだとばかり思っていました(笑) それはともかく、今は郵便にしろ宅配便にしろ、トラック輸送が主体になっていますが、80年代初頭くらいまでは、郵便や小包、新聞、雑誌などは鉄道輸送が主体で、時刻表にも荷物列車の時刻が出ていたり、夜行列車などには「〒」マークが描かれた荷物車が必ず連結されていて、これらの列車が到着する駅では、長距離列車が着くたびに荷物車から郵便袋を列車に横付けした台車にポンポンポンポン放り投げる光景や、今では市場以外ではお目にかかれない"ターレ"が台車を引っ張ってホームを所狭しと走り回る光景や、テルハクレーンに吊り下げられた台車がガタン、ガタンと音を立てて頭の上を移動する光景などがフツーに見られました(東口駅舎が取り壊されるまで横浜駅の東海道線ホームに台車用のエレベーターがあったような気が・・・・・・もしかしたら他の駅とごっちゃになっているかも???)。 ということで話を元にもどしますと、そういうことからこの荷物用ホームは、国際航路の客船や貨物船に載せる郵便物や小包を扱っていたのだと思いますが、80年代に入った頃にはすでに船便による国際郵便物はコンテナが使用され、かつては船積みされる郵便物でごった返していたと思われるプラットホームは、屋根付きの貨物置き場となっていました。 で、ふと「なぜにしてほぼ同時期に造られ、どちらも貨物置き場として使用されていたはずなのに、旅客用ホームと荷物用ホームとで、保存状態に雲泥の差が生じてしまったのだろう?」と思って、よくよく考えてみると保存状態が悪くボロボロだった旅客用ホームは当時は国鉄の管理下にあり(書類上は1987年の国鉄民営化までひらたく言えば"駅"、正確には乗客が乗り降り出来る信号所だった)、荷物用ホームは1982年に横浜港駅が廃止されたことにより横浜市の管理下で貨物置き場として使用されていました。 となると荷物用ホームの方は、もしガツンとフォークをぶつけたりしようものなら横浜市から即座に「弁償せい!」とお咎めを受けたのに対して、本来なら貨物を置くことは御法度だった旅客用プラットホームに内緒で貨物を置いたところで当時の国鉄は、そんな細かいことまでいちいち気にしていられるような状態では無かったので破損してもそのまんま・・・・・・ということが、保存状態の差となって表れていたものと思われます。 それならそれで旅客用ホームは、右突堤に海保施設を設ける限りブツ切り状態になるのは初めからわかっていたワケですから、こちらの荷物用ホームはそのまま残してビヤガーデンとかオープンカフェとか屋台村とかにすれば、少なくとも駐車場にしておくよりもはるかに魅力的な施設のように思えるのですが、みなとみらい計画が着工された時はちょうどバブル真っ盛り。 この頃は、行政が税金を湯水の如く浪費してなにかにつけて「なんとか博」と銘打ったイベントを開催するのが流行でしたから(現在、財政赤字を抱えている自治体の大部分が、この頃に大規模イベントを開催して大赤字を出して、それがいまだに祟っている)、きっと当時の横浜市にとっては歴史的建造物を後世に保存することよりも、横浜博覧会と称する意味不明のイベントのパビリオンを作ることの方がよっぽど重要だったのでしょうね・・・・・・きっと(笑)
by yokohama80s
| 2013-08-18 00:04
| 新港埠頭
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