万国橋を渡って左側にある港湾局の詰所で入場許可書に記入して(←最初の数回しか申請してませんwww)、いざ新港埠頭に入ろうとすると目の前に横浜港駅のヤードがあるために道が四股に分かれています。
直進すると7~11号岸壁へ向かう左突堤の中央道路、左に直角の折れると1962年(昭和37年)に大岡川河口を埋め立てた一文字地区へ、右に直角の折れると税関庁舎を通って新港橋へ、でもう一本の横浜港駅のヤードに沿った道が↓
*1982年撮影(二枚の大判コンタクトプリントをパノラマ合成してみました)
赤レンガ、1~3号、4~6号岸壁がある右突堤の中央道路となっていました。
この時、ヤードの向こう側、現在の7街区あたり(右突堤と左突堤の中間部分)の米軍接収区域に、壁の上部に右から読む旧仮名使いで「横濱新港倉庫」と書かれ、
*1982年撮影
煤けたこげ茶色の、すでに使われなくなって相当の時間が経過していると思われる大きな倉庫がありました。
*1983年撮影
この建物は、1927年(昭和2年)に建てられた写真の新港倉庫A号倉庫で、もともとみなとみらい計画以前の新港埠頭は、大部分の倉庫が震災後の大正末期から昭和初期に作られ、道路のところどころに
石畳が残っていたり、ただでさえ埠頭そのものが一種のタイムカプセルの様相を呈しいましたが、この倉庫の存在がそれをさらに強調していたように思えます。
*1981年撮影
*1981年撮影
*1981年撮影
*1983年撮影
*1983年撮影
*1983年撮影
ちょうど80年代はじめ頃に、みなとみらい計画が具体化し完成予想図なるイメージ図が公表されたのですが、そこには新港埠頭に高層ビルがニョキニョキと乱立したバブリーな想像図が描かれていて、私はそれを見た時には「なんだかなぁ~」と思ったものです。
というのも、この頃、海の向こうでは使われなくなった倉庫をオフィスや、高級ブランド店などの店舗として再利用することが話題になり始めた時で、新港埠頭に行くたびに「この新港倉庫A号倉庫と、その向かいにあった真っ白く塗られた三井倉庫こと東神生糸上屋の2棟をリノベーションしてオフィスとか店舗などにしたら絶対ウケるのになぁ」と思っていたからです。
*1982年撮影
実際、予算規模の関係から横浜市のように大風呂敷を広げられない地方の港町では、明治から戦前にかけて建てられた石積みやレンガ造りの倉庫を有効利用することで、「歴史ある港町」というイメージを演出して観光客の人気を博しているのに対して、赤レンガ二棟と普段は入れない場所にある
ハンマーヘッドクレーンと、旧4号岸壁にある海上防災基地の手前にある「横浜港駅旅客昇降場」と称されたイミテェーションが脈絡もなく点在しているだけの今の新港埠頭は残念ながら・・・・・・
*1983年撮影