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週刊 横濱80’s

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2013年 03月 17日

山下町254 デスコビル

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 その昔、大桟橋通りを挟んで横浜スタジアムの真向かいの山下町254、現在はホテルが建っている所に、デスコビルという1926年(大正15年)に建てられたちょっとクラシカルな雰囲気のオフィスビルがありました。

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 ところがこのビルに関してググッてみても、中区史の「震災により1階部分が沈下した」という記述と、当時、生糸の輸出と綿花の輸入を行なっていたチャールズ・ルドルフ商会(サルザールドルフ商会)により社屋ビルとして建てられたらしいことと、市内の某運送会社が戦後しばらくこのビルに本社を構えていたこと某有名外国人建築家が設計したということと、あとは近代デジタルライブラリーにある昭和10年ごろの中区勢要覧に掲載されている中区内にあった資本金20万円以上の企業リストにある「シンガーソーイングメシーンコンパニー(リスト表記のまま→シンガーミシンのこと)の所在地がデスコビルの所在地と一致する、ということしかわかりません。

 さらに航空写真などを見ると、この建物は1988年までには取り壊されて現在の建物に建て替えられたようで、これらの写真を撮影した1981年当時にはすでに入居者の立ち退きも完了していたのか、かつて入居者の表札がかかっていたと思われる入り口横には、古ぼけた表札が一枚残された他にはかつて看板を取り付けていた痕跡が残っているだけでした。

山下町254 デスコビル_c0247059_226648.jpg


ちなみに上の写真だと看板の文字が読みにくいと思いますのでザックリと書き写してみると↓

DR.A.ALTINBAY
医師 アルテンバイ
2ND FLOOR  TEL (8)2113

と書かれています。

 どうして市内局番がヒトケタの戦前の看板が一枚だけ残されていたのかはわかりません。

 試しに「DR.A.ALTINBAY 」でググッてみると、Japan for Kids:The Ultimate Guide for Parents and Their Children(日本子育て便利帳)なる2000年に刊行された本に、住所がデスコビルになっている同名の小児科医が出ていたものの、電話番号は↑写真と同じ一桁のもの。

 となると、このリストはそうとう昔のモノをコピペしただけという

 どうやら小児科の先生らしいのですが、住所がデスコビルの住所のうえ電話番号は一桁のまま。

となるとこの本のリストは、そうとう昔のリストを丸写ししただけということに・・・・・

 他には、こちらの資料に、看板と同名の外国人医師のインタビュー記事が出ています他に、どうやらこの方は60年~70年代のテレビドラマで変な外人役でご活躍されていた方と同一人物、はたまたご兄弟だとか・・・・・・。

 とにもかくにも、この件についての解明はここまでにして、次なるナゾは、(社)建築学会の「歴史的建築総目録ダータベースでは「大正15年建築とされているものの、1932年(昭和3年)発行の建築時代という書物のアントニン・レーモンド特集では1927年(昭和2年)築、さらに中区史には「震災(1923年/大正12年)で1階部分が地中に埋没した」とされていることから、震災前の時点でこのビルがすでに存在していたことに……

 これに関しては、私のつたない記憶では、このデスコビルはもともと4階建てのビルとして建設されていたものの、竣工直前に震災に遭い1階部分がスッポリと地中に埋没。

 その後、別の建築家が設計し直し(私のつたない記憶だとこの再設計だか構造計算だかをやり直したのがアントニン・レイモンド設計事務所だったような気が・・・・・・???)、傾いてしまった建物の地下を掘り下げて水平にして3階半建て(?)のビルとして大正15年に竣工した、というような話が、なにかの本に書かれていたような記憶があります。

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by yokohama80s | 2013-03-17 00:04 | 山下町


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