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週刊 横濱80’s

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2012年 10月 21日

新港埠頭二号岸壁

新港埠頭二号岸壁_c0247059_192847.jpg
*1983年撮影(現在の赤レンガパーク前で、今でも2号岸壁のデッパリが残っています)


昔は新聞の横浜版の端の方に小さな囲み記事で、その日、何時にどの埠頭にどこから来たなんという船が入港するか、はたまたはどこへ向かう船が出港するかが掲載されたくらい横浜港は賑わっていました(大晦日恒例の汽笛大合唱に聞き応えがあったのはこの頃までなのではないでしょうか?)。

しかしすでにこの頃には、日本船籍のいわゆる「マルシップ(MARU SHIP)」は少なく、貨物船といえば船体がグレーに塗られたサビサビでボロボロの中国船が多かったと記憶しています。

ところがこの写真を撮影した時には2、3,4号岸壁に珍しくマルシップが勢揃いしていました。

ちなみにここで言う「マル(MARU=丸)シップ」とは、海外では日本船籍の船名には必ず「○○丸」と付くことから日本船を指す呼び方で、法律上の「マルシップ」とは別の話です、という話は置いておくとして、すでにこの頃には2号岸壁に停泊している船のように、英語を平仮名表記したものや、初めから船名が横文字の便宜置籍船などが主流を占めていました。

ちなみに写真左手の3号岸壁に停泊中の「伏見丸」は、初代の船は欧州航路用の貨客船として1914年に建造され、純日本風の内装が施されていた一等船室がメインの豪華船で、往年の郵船神社船隊(その昔、日本郵船が就航させていた貨客船には神社にちなんだ名前がつけられ、操舵室内の神棚にはその神社の祭神が祀られていた。「伏見丸」の伏見は京都の伏見稲荷にあやかって命名された)の一角を担っていましたが、大戦中の1943年に御前崎近海で米潜水艦の雷撃で沈没しています(戦前、51隻あった日本の大型外航船は氷川丸と日昌丸の二隻以外はすべて撃沈されている)。

ということで、この「伏見丸」は、貨物船として1970年に三菱重工神戸造船所で建造された総トン数10,946トン(偶然なのか意図したものなのか初代の総トン数は10,940トン)、全長158m二代目伏見丸となります。

さらに余談ですが、この船は往年の郵船神社船隊の船名を引き継いでいることや、黒い船体に写真ではわかりにくいのですが白地に赤の二引の日本郵船伝統のファンネルマークが施され、さらに船首形状が右の船のような今時のボテッとしたバルバスバウではなく、昔ながらのシュッとした通常船首なことなどで、個人的には萌えポイントが満点に近い船です(笑)



by yokohama80s | 2012-10-21 00:08 | 新港埠頭


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