週刊 横濱80’s

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2012年 11月 11日

常盤町1丁目 旧宮下ビルディング

国土変遷アーカイブ空中写真閲覧システムで、終戦直後の関内周辺が写された写真を見ると、尾上町通り~大岡川~南仲通~みなと大通り~横浜公園を結ぶ線の内側、大雑把に言えば関内中心部はモノの見事に焼け野原。

その焼け野原の周辺部に焼け残ったビルがポツンポツンと残っていますが、その中のひとつが市役所からみなと大通りを2ブロック行った角に、1928年(昭和3年)に当時、皮革製品や馬具の輸入を行っていた宮下商店によって建てられた旧宮下ビルディングがありました(1929年築説もアリ)。

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写真のように大谷石(だと思います)をあしらった3階建てで、ご覧のようにちょっと凝ったデザインのビルでした。

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ただ残念なことは、この旧宮下ビルは関内地区に数多く存在した撮影困難物件の最たるもので、歩道は狭いし、隣のブロックとの間の道路も狭くて後ろに下がれないし、通りを渡った所からだと今度は街路樹、電柱、電線、中央分離帯が邪魔になって建物が見えないし、周りを高層ビルに囲まれて陽が当たらないし、というように結局、このビルの全景の写真は一枚も撮れていません。

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*写真はすべて1981年撮影


ちなみに"歴史的建築総目録データーベース"の宮下ビルの欄に、設計者名に「遠藤新」という名前が出ていたので、ちょっと興味を引かれてググッてみると、なにやらただならぬお方のようで・・・・・・

私のような建築にまったく疎い人間ですら聞いたことがある、かのフランク・ロイド・ライトの愛弟子とも言える人で、のちに「ロイドの使徒」とまで言われたお方なのだそうです。

などと今さらながら感心したところで、このビルはとうの昔にピッカピカのビルに建て替えられてしまっていますが・・・・・・。





*2014年12月26日:新たに写真4点を追加しました。

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by yokohama80s | 2012-11-11 00:04 | 関内地区 | Comments(0)


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