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2012年 12月 16日
私は「横浜とインド」と言われて一番最初に連想するのは、その昔、横浜名店街にあったカレーハウス・リオなのですが(ちなみに私的にはジョイナス移転後のリオは同名他店だと理解しています)、実際、横浜とインドとのつながりは意外に深く、横浜が開港した時にイギリス人などと共にインド人商人たちも横浜にやって来て、1893年に日本郵船によりムンバイ航路が開設されるとさらに多くのインド人商人たちがやって来て主に絹織物の輸出を手がけていたのだそうです。 そしてインド人商人の増加を機に、横浜のインド人の商業上の利益保護を目的とし「横浜印度商協会」が設立され、この会の建物が震災前までは山下町275番地に設けられ、震災後に山下公園前の県民ホール、ニューグランドの一本裏の水町通りの1軒おいた左隣にインペリアルアパート、右隣には警友病院みなと寮がある山下町25番地1に移転。 その建物が↓ ![]() ![]() 「インド人クラブ」はたまた「インドクラブ」、「インディアンクラブ」と呼ばれたこの建物で、この建物と隣の旧警友病院みなと寮↓ ![]() の裏手にテニスコートがあったそうです(ということがコチラに出ていますw)。 ということは、この建物と軒を接していた旧警友病院みなと寮も、元々はインドクラブ関連の建物だった、ということなのでしょうか? そこでざっくりと調べてみると、昭和5年の地図にこの建物と思われる記載があることかや、保険代理店業務を行っていたスタントン商会がこの場所を所在地としていたことなどから推測すると、この建物は昭和5年までにスタントン商会によって建てられた……ということのようです(真相は不明ですが)。 などという近代建築マニア的な話よりも、私が興味を引かれたのが石積のバルコニー兼玄関部分です。 見れば見るほど、石積みの玄関兼バルコニー部分に「取ってつけた」感を感じるのは気のせいなのでしょうか? 確かに「これが東インド会社風だ」と言われればそういう気もしないでもないのですが、私としては、敢えてあと付け説を唱えたいと思います。 と言ってみたところで、すでにこの建物は取り壊されてマンションに建て替えられている今となっては、あまり意味の無い話ではありますが・・・・・・ ![]() ![]() ![]() ![]() *写真はすべて1981年撮影
by yokohama80s
| 2012-12-16 00:04
| 山下町
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