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週刊 横濱80’s

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2012年 10月 28日

瑞穂埠頭(ノースピア)

瑞穂埠頭ことノースピアは、1925年(大正14年)から出船入船で飽和状態だった新港埠頭を補完することを目的に建設されていました。

ところが関東大震災で工事が遅れに遅れたことが災いし、部分竣工の段階から陸軍により徴用されようやく完成したのが1945年(昭和20年)。

その後、進駐してきた米軍により現在も接収されている横浜港唯一の軍用埠頭です。

瑞穂埠頭(ノースピア)_c0247059_17185818.jpg
*今も昔も撮影御法度の米軍ノースドック。瑞穂橋の路面は石畳でした。


ちなみにストリートビューで現在の瑞穂橋あたりを見てみますと、なにやら橋がずいぶんご立派になられたようで・・・・・・

80年代当時ははトラスではなく橋の両側左右には立派な親柱があり↓

瑞穂埠頭(ノースピア)_c0247059_17195458.jpg


その両側を結ぶように路面に黄線が引かれ↓

瑞穂埠頭(ノースピア)_c0247059_17191075.jpg


この黄線が国境線のようなモノで、陸側が日本、石畳側がアメリカ。

もし仮に石畳内で3分以上留まろうものなら(実際に3分かどうかは計ったことが無いので定かではありません)、どこからともなく米軍のパトカーが飛んできて即座に追い出される、という仕組み。

瑞穂埠頭(ノースピア)_c0247059_23144316.jpg


実際、橋の真ん中あたりで二人だけの世界に浸っているカップルにも米軍さんは容赦せず、始終つまみ出されている光景を目撃したものです。

そういうことを知っていながら、何食わぬ顔で瑞穂橋を渡りきり橋を渡った先にあった税関監所や

瑞穂埠頭(ノースピア)_c0247059_1950780.jpg


旧国鉄瑞穂支線の瑞穂橋梁を撮影し、

瑞穂埠頭(ノースピア)_c0247059_1720759.jpg
*写真はすべて1984年撮影


挙げ句の果てに、駆けつけてきた米軍警備員(日本人の方です)と、「フィルムを出せ」「いや出さない」で毎度やり合ったりしていたのですから若いというか何というか・・・・・(笑)

しかし最近、瑞穂橋の接収が解除され橋を行き来することも橋の上からの写真撮影も可能になったとか。

でも埠頭ゲートにカメラを向けるのは相も変わらず御法度なのだそうです。

べつにたかが入り口ゲートの写真を撮ったところで減るもんでもあるまいし・・・・・・

あれだけ写真を撮られることにナーバスに反応するということは、きっと瑞穂埠頭の上屋には墜落したUFOとか宇宙人の死体とかを隠しているんでしょうね(←ウソです。実際には上陸用舟艇や揚陸艇とその装備機材がストックしてあるだけです)。

まあ冗談はともかくとして(笑)、80年代のノースピアはごくたまに貨物船や輸送船のたぐいが停泊していただけで、「使っていないのなら早く返せ」的なことが言われていましたが、冷戦終結後のアメリカ軍の戦略転換により、ここ最近のノースピアは、音響測定艦やら海洋観測艦やらが頻繁に出入港したり、米軍がチャーターしている高速フェリーが沖縄との間を行ったり来たりしていたり、先日、ニュースで大騒ぎしていた新型輸送機を米国本土から運んできたチャーター船が岩国の次ぎに何気に立ち寄ってみたりと、コンテナ埠頭である本牧、大黒埠頭を除けば今や横浜港で一番賑わっている埠頭なのでは? という気さえしてきます。

このぶんだと当分返して貰えないでしょうけど、返ってきたところで跡地にタワーマンションが建てられるだけで、たいした違いはないと言えば言えなくも無いような気もします(笑)




by yokohama80s | 2012-10-28 00:04 | 山内・瑞穂・出田町埠頭


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