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週刊 横濱80’s

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2012年 06月 17日

本牧PX

横浜市のサイトにある資料を見ると、本牧ベースが返還されたのは1982年(昭和57年3月31日)となっていますが、この写真を撮影したのはその前年の1981年(昭和56年)の10月。

私の記憶が確かなら、新聞で「本牧ベースが日本に返還された」と読んで、「これは忍び込めるチャンス」とばかりにイソイソと出かけたのを憶えています。

いざ現地に行ってみると、日本とアメリカを隔てていて「フェンスの向こうのアメリカ」と言われる所以となった本牧通り沿いのフェンスがキレイさっぱり撤去されていて「よっしゃ!」とばかりにPX敷地内に潜入。
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1時間ほどグルーッと一回りしてコミサリー↓

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*写真はすべて1981年撮影


のベンチで一休みしていたら、屋根にブルーのパトランプを載せたドブネズミ色(←色に関しては確信がありません)のセダンがやって来て目の前で停車。

中から降りてきた日本人の警備員にバン掛けられました。

曰く、「日本への返還が決まってフェンスを撤去したが、ここはまだ米軍の管理下にある。よってここは撮影禁止だから撮影したフィルムを出せ」と。

「いやいや休んでいただけで、まだ写真は撮ってない」の押し問答を繰り広げる、というお約束のパターン(笑

まあのらりくらりと言い逃れをしていつものように適当に逃げてきましたが、この頃は、肩からカメラを下げてノースピア(最近はノースドックと言うらしいが瑞穂埠頭のこと)手前の瑞穂橋の白線を一歩でも超えようものなら、どこからとも無くあらわれた警備員に「フィルムを出せ」と言われたモノです。

それでもノラリクラリと言い逃れが出来たのですから、ある意味良い時代でした。

でフト思ったのですが、今、瑞穂橋あたりで写真を撮ったら、「メモリーを出せ!」と言われるのでしょうか?

今度、試してみよっと(ウソです)。

本牧PX・その2もご覧下さい。
    



by yokohama80s | 2012-06-17 00:05 | 本牧・小港・新山下


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