週刊 横濱80’s

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2015年 11月 08日

東京電力川崎火力発電所

 東京電力の川崎火力発電所は、川崎市営埠頭がある川崎市川崎区千鳥町埋立地の南東端に1961年(昭和36年)に建設された発電所で、80年代当時には紅白に塗り分けられた6本の煙突が市営埠頭から望むことができました。

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*①


 ということで、今日は市営埠頭で撮影した写真から、この煙突が写り込んでいるカットをまとめてみました。
ちなみにこの煙突があった施設は、老朽化のために2006年に取り壊されたそうです。

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*②


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*③


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*④


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*⑤


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*⑥


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*⑦


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*⑧


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*⑨


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*⑩


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*⑪



*写真はすべて1987年撮影。



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# by yokohama80s | 2015-11-08 00:10 | 東京・川崎 | Comments(0)
2015年 11月 01日

川崎市営埠頭

 川崎市営埠頭がある川崎市川崎区千鳥町は、神奈川県による京浜運河開削事業の一環として1932年(昭和12年)から埋立が開始されたものの西側1/3を埋め立てた段階で戦争により工事が中断。

 そして終戦後の1947年(昭和22年)に、戦後の食糧事情改善の為に国によりこの部分に荷揚場が建設され、1951年(昭和26年)に特定重要港湾の指定を受けて川崎港が開港し、1964年(昭和39年)にこの千鳥町荷揚場を改修して川崎市営埠頭が開設されました。
 
 ちなみに、Wikiの川崎港「1926年(大正15年)11月 開港」とありますが、これは正確には多摩川川岸の鈴木町の川崎河港水門のあたりに昭和元年に開設されたハシケが利用する川崎河港のことで、1951年(昭和26年)に千鳥町に川崎港が開港するまでは、本来の意味での「港」と呼べる施設は、浅野総一郎らによって造成され1928年(昭和3年)に運用を開始した扇町の三井埠頭と、昭和10年の日満倉庫(東洋埠頭)の専用埠頭しかありませんでした。
ということで、川崎港の開港は、あくまでも特定重要港湾に指定された1951年(昭和26年)となります(ちなみに指定が9月、施行が11月)。

 という話はひとまず置いておくとして、撮影当時の川崎市営埠頭は、主に内航貨物と木材を扱っていたのですが、

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*①埠頭に接岸する内航貨物船(RO-RO船)


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*②千鳥町7番地あたりの木材置き場


撮影当時には入港する船はほとんど無いような状態で、印象としては「港」というよりも人工島の大部分を占めていた石油会社や化学会社などのコンビナートや火力発電所ある工業地帯といった感じでした。

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*③


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*④


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*⑤


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*⑥


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*⑦


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*⑧塩浜船舶通航信号所


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*⑨川崎市営上屋D号倉庫


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*⑩川崎臨港倉庫


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*⑪神奈川臨海鉄道


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*⑫神奈川臨海鉄道


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*⑬


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*⑭


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*⑮


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*⑯


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*⑰


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*⑱



*写真はすべて1987年撮影。



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# by yokohama80s | 2015-11-01 00:10 | 東京・川崎 | Comments(0)
2015年 10月 25日

山下町58 ライジングサン石油ビル

 本町通りを谷戸橋方向に向かう途中にある山下町交差点のカド、山下町58番地の現在、タワーマンションが建っている場所にかつてあったのが"シェル石油横浜ビル"こと"旧ライジングサン石油ビル"。

 ちなみにライジングサン石油とは、現在の昭和シェル石油の前身にあたり1833年(天保4年)ロンドンでアジア産の貝殻を扱うサミュエル商会として開業し、1876年(明治9年)に横浜に進出し1900年(明治33年)に石油部門を独立させてライジングサン石油が営業開始。

 そして1923年(大正12年)の関東大震災により本社を神戸に移転し、1929年(昭和4年)に山下町58番地に本社新築落成、というようなことが、昭和シェル石油HPに書かれています。

 となると、「震災後に本社を神戸に移転」とあるのは、一時的なものだったのでしょうか?
そのあたりのことはよくわかりませんが、とにもかくにもこのビルは、戦時中、アメリカに避難している時に、本土空襲の指揮を執ったカーチス・ルメイに協力して焼夷弾の効果実験用日本家屋を設計したことで知られるアントニン・レーモンドによる3階建てのモダンな感じのオフィスビルで、私はてっきり戦後になって建てられたビルだと思っていました。

 ということで、建設当時の姿をご覧になりたい方は、こちら(1931年建築時代・第19号/近代デジタルライブラリー)をご参照下さい。

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*写真はすべて1981年撮影。






*来月、11月のUP予定
11月 1日: 川崎市営埠頭
11月 8日: 東京電力川崎火力発電所
11月15日: 千鳥町 コンビナート
11月22日: 千鳥町 タンク
11月29日: 東扇島

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# by yokohama80s | 2015-10-25 00:11 | 山下町 | Comments(0)
2015年 10月 18日

山下町204 ストロングビル

 ストロングビルとは、2007年まで大桟橋通りと福建路のカドにあった1938年(昭和13年)に、ストロング商会により建てられた3階建てのビルのこと。

 ちなみにこの建物は、2007年に横浜市認定歴史的建造物の指定を受けていますが、1938年(昭和13年)に建てられた本来のストロングビルは2007年に取り壊され高層ホテルに建て替えられているので、正しくはダイワロイネットホテル横浜公園が横浜市認定歴史的建造物に指定されているということになります。

 ちなみに横浜市がこの建物を認定歴史的建造物に指定した理由が、「新たに建築された建物の低層部に建築当時の設計図に基づいて外壁を忠実に復元」したからなんだそうな……って、「"新たに建築"しちゃったら歴史的建造物にならないんじゃないの?」といういたって素朴な疑問が???
  
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*写真はすべて1981年撮影。



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# by yokohama80s | 2015-10-18 00:05 | 山下町 | Comments(0)
2015年 10月 11日

山下町256 ウインクレル商会

 その昔、関内駅南口から西の橋に至る通りに、中華街から延びる海河道がぶつかる所のカド、山下町256番地の現在、21階建てのマンションが建っている場所に歴史的建築総目録データーベースによると大正15年、西暦に直すと1926年に建てられたとされるクリーム色に塗られ所々コンクリートがはがれ墜ちた廃屋然とした倉庫がありました。

 現在、同所にあるマンションが1997年築とのことなので、それ以前までは、京浜東北線で横浜方面から石川町へ行く時の左の車窓(逆方向なら右手)に見えたので、記憶にある方も多いのではないでしょうか。

 この古ぼけた倉庫は、1885年(明治18年)に雑貨の輸出入を行う会社としてドイツ人により山下町居留地245にて創業したウインクレル商会が、第一次世界大戦で一時撤退したのちに山下町256番地に移転し、震災により焼失したことにより再再建(?)された建物なのだそうです……というようなことが、こちらの企業情報のページに出ていますのでご興味のあるムキをご参照ください。

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*写真はすべて1981年撮影。




 
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# by yokohama80s | 2015-10-11 00:08 | 山下町 | Comments(0)
2015年 10月 04日

山下町280番地 旧露亜銀行横浜支店

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 ↑の重厚な建物は、1921年(大正10年)に露亜銀行横浜支店として建てられたのですが……露亜銀行については、こちらの拙記事(山下町・上町前編)と重複するのでそちらをどうぞ、ということで以下省略。

 ということで、この建物の来歴をザックリと書き出すと

1921年(大正10年):旧露亜銀行横浜支店として山下町51番地2-乙に建てられる
1926年(大正15年):露亜銀行が日本から撤退
1926年(大正15年)~:J.H.モーガン設計事務所(昭和3年に自らが設計した75番地のユニオンビルに移転)
1928年(昭和3年)~1931年(昭和6年)ごろまで:横浜市瓦斯局(その後、山下町250番地に移転)
1933年(昭和8年)から1935年(昭和10年):ドイツ領事館が山下町256番地のウインクレル商会1階より移転しドイツの敗戦まで使用
1945年(昭和20年)~:アメリカ銀行などの進駐軍関係の機関が使用
1959年(昭和34年)~:横浜入国管理事務所
1979年(昭和54年)?~1996年:警友病院別館(所在地の番地が51-2から警友病院と同じ47番地に)
1996年~2011年:県所有の空家
2011年~現在:結婚式場「la banque de LoA”バンク・ド・ロア”(所在地の番地が280番地に)。

ということで、詳しいことをお知りになりたいムキは、ググればゴッソリ出てきますので、これまた以下省略、ということで(笑)

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*写真はすべて1981年撮影。



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# by yokohama80s | 2015-10-04 00:15 | 山下町 | Comments(0)
2015年 09月 27日

常盤町4丁目

 南北(北南?)は馬車道と関内大通りに、東西は関内横丁と尾上町との境界となっている路地とに挟まれた区画が常盤町4丁目。

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*①馬車道と関内横丁のカドにあるニューイナズマビルの現在はコンビニがあるあたり


 ということで、常盤町通りを関内大通り方向に歩くと、ちょうど中間あたりの4丁目52番地にあったのがこの写真を撮影した年の春に閉店した関内料亭の流れをくむ料亭文ノ家↓

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*②料亭文ノ家
 

で、↑の写真の裏手にあたる尾上町との町堺の路地側↓

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*③そのウラ


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*④そのウラ


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*⑤もう一つおまけ^^


 再び常盤町通りに戻って、文ノ家の隣にあったのが↓

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*⑥


で、銀行の駐車場があってその先の関内大通りとのカドにあったのが↓

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*⑦喫茶あき


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*⑧喫茶あき その2


 なぜか逆光になる通りの右側の写真ばかりで左側の写真が一枚も無いということは、たぶん絵になるようなモノが無かったのだと思います(たぶん)。

*写真はすべて1981年撮影。





*来月10月のUP予定
10月 4日:山下町280 旧露亜銀行横浜支店
10月11日:山下町256 ウインクレル商会
10月18日:山下町204 ストロングビル
10月25日:山下町58  旧ライジングサン石油本社ビル

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# by yokohama80s | 2015-09-27 00:20 | 関内地区 | Comments(0)
2015年 09月 20日

常盤町3丁目

 北は大岡川から、南はみなと大通りまで南北に延びている常盤町の関内大通りと関内桜通りに挟まれた一角が常盤町3丁目。
ということで、今回のスタートは関内大通りと常盤町通りが交差する常盤町3丁目交差点前の常盤町3丁目36番地にあったのが1950年代前半に建てられた防火帯建築の白井商店↓。

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常盤町通り側から見えた建物の裏側は↓

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蔦に覆われていました。

 で常盤町通りを関内桜通り方向に歩いた常盤町3丁目29番地にあったのが↓

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戦前は、料亭政治の舞台となっていた関内料亭の美登里の白壁が。
なにやら現在、駐車場にポツンと門だけが残っているそうな

 ということで、つぎに進むと常盤町通りと関内桜通りのカドの常盤町3丁目27番地に現在もあったのが↓

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Cocktail Bar パリとレストラン神戸。
Cocktail Bar パリは現在も営業を続けているようです。

 
ということでさらに進んで関内桜通りにぶつかる手前の常盤町3丁目22番地にあったのが↓

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クラブシャングリラ。
そして関内桜通りを左に折れて関内横丁とのカドの住吉町側にあったのが↓

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住吉町3丁目35番地 クリーニングショップラブリー

そして関内横丁に入った常盤町3丁目22番地には↓

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飲み屋がズラッと並んでいて、しばらく行ったところの住吉町側(住吉町3丁目36番地)には↓

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こんなところになぜか魚屋さんがありました。


*写真はすべて1981年撮影。




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# by yokohama80s | 2015-09-20 00:07 | 関内地区 | Comments(0)
2015年 09月 13日

常盤町2丁目

 さて今回は、現在のベイスター通りこと撮影当時の関内仲通りと関内桜通りに挟まれた常盤町2丁目の写真をザックリと、ということでまず一枚目は↓

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常盤町通りの常盤町2丁目17番地あたりから横浜公園方向を見るの図。

 すぐ近くに関内駅があるとは思えないのどかな風景ですが、それもそのはずでこのあたりは1964年(昭和39年)に京浜東北線が磯子まで延伸されて関内駅が開業するまでは、関内地区のはずれにあたる静かな場所で、戦後は料亭などが多く建ち並んでいたそうな。

 ということで写真奥に見える建物は、割烹・柳↓。

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 で最初の写真はなぜにして道路左側をカットしてフレーミングしているのか、と言いますと、道路左側には桜通り側から

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2-11・クラブスイング、

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その隣りの同じく11番地にそば処 江戸久、

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同じく11番地に中華料理・将軍などの飲食店がズラ~ッと並んでいました。

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でちょうど常盤町通りとベイスター通りこと関内仲通りのカドにあったのが↓

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1958年(昭和33年)に防火帯建築として建てられた常盤町2丁目10番地の常磐不動産ビル。

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ということで、今度はグル~ッと裏手に回り込んで、現在、なにやら関内横町と名付けられている常盤町と住吉町との境界となる通りに入るとまずは常盤不動産ビルの裏手↓

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で、この通りにはスナック、バーがズラ~ッと軒を連ねていました。

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常盤町2丁目17番地 ミュージックパブ壇緋留


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常盤町2丁目17番地 民芸茶屋 田園


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常盤町2丁目17番地 民芸茶屋 田園


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↑おまけ
一番上の写真に写っている、耕耘機改造のエンジンアシスト付き屋台のアップ画像。



*写真はすべて1981年撮影。



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# by yokohama80s | 2015-09-13 00:06 | 関内地区 | Comments(0)
2015年 09月 06日

常盤町1丁目と住吉町1丁目

 みなと大通り沿いの常盤町1丁目1番地に撮影当時あったのが↓

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1928年(昭和3年)に兵庫県二宮の甲子園ホテルの設計で有名な遠藤新が設計し、当時、皮革製品や馬具の輸入を行っていた宮下商店によって建てられた旧宮下ビルディングがありました。
この建物については、こちら(常盤町1丁目 旧宮下ビルディング)で取り上げたので写真だけザックリと。

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で、そこからみなと大通りを海側に1ブロック行った住吉町1丁目-12、常盤町側カドには↓

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看板がレトロチックな歯医者さんがあって、その隣りには↓

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暖炉の輸入販売や絹織物の輸出を行っていた「株式会社 松村商店」として先の宮下ビルと同じ1929年(昭和4年)に建てられた神奈川県庁住吉町分庁舎があり、入船通りに入って現在のベイスター通りこと撮影当時の関内仲通りを左に折れたあたりのビルにあったのが(たぶん)↓

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住吉町1-14コーヒータイム。

そして関内仲通りを市役所方向に進んで、常盤町通りを再び左に折れて東電の変電所の先にあったのが↓

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常盤町1-4サテンドール。

ということで、今回は1981年の常盤町1丁目の写真をお送りしました。

*写真はすべて1981年撮影。



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# by yokohama80s | 2015-09-06 00:07 | 関内地区 | Comments(2)
2015年 08月 30日

みなとみらい21

 「みなとみらい21」については今さら説明する必要は無いと思いますので、以下省略ということで^^。

 とにもかくにも、撮影当時の高島埠頭、三菱重工横浜造船所沖の現在のみなとみらい地区の埋立工事が起工されたのが今を遡ること31年前の1984年のこと↓。

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*①高島埠頭三号桟橋先端部より(1984年撮影)


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*②高島埠頭三号桟橋先端部より(1984年撮影)


すでに金沢区に移転してもぬけの殻と化していた三菱重工横浜造船所こと旧横浜船渠沖の埋め立てから始まりました。

 時は流れて3年後の1987年に高島埠頭を訪れてみると

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*③高島埠頭一号桟橋入口あたり(1987年撮影)


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*④高島埠頭一号桟橋(1987年撮影)


人工島部分は、3年前と同じ姿を留めていたものの、桟橋は埋め立てられ、はるか沖合まで陸地となっていて、そこでは2年後の1989年に開催予定だった横浜博覧会の準備真っ最中でした↓。

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*⑤高島埠頭一号桟橋基部より(1987年撮影)


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*⑥高島埠頭一号桟橋より建設中の横浜美術館の建物(1987年撮影)


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*⑦高島埠頭二号桟橋基部あたり(1987年撮影)


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*⑧高島埠頭二号桟橋基部あたり(1987年撮影)


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*⑧高島埠頭二号桟橋基部あたり(1987年撮影)


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*⑨高島埠頭南端部(1987年撮影)


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*⑩高島埠頭旧水上消防出張所あたり-④の建物の裏手-(1987年撮影)


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*⑪緑町の現在のカーショップあたり……だと思います(1987年撮影)


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*⑫現在のみなとみらい大通り(1987年撮影)







*来月9月のUP予定
9月 6日:常盤町1丁目と住吉町1丁目
9月13日:常盤町2丁目
9月20日:常盤町3丁目
9月27日:常盤町4丁目

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# by yokohama80s | 2015-08-30 00:07 | 高島埠頭 | Comments(0)
2015年 08月 23日

艀の看板

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1984年撮影


 そのむかし、高島埠頭に繋いであったハシケの近くで必ず目にした看板↓

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1984年撮影


なぜか見るたびに場所が移動しています↓。

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1984年撮影
 

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1984年撮影


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1984年撮影


 そして3年後↓

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1987年撮影


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1987年撮影


看板が作り替えられていました^^。



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# by yokohama80s | 2015-08-23 00:06 | 高島埠頭 | Comments(0)
2015年 08月 16日

高島埠頭 その3

 高島埠頭のあれこれについては、過去記事(高島埠頭高島埠頭の市営上屋高島埠頭その2)をご参照頂くことにして、今日は写真だけを。

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*①横浜税関高島埠頭出張所前、現在のすずかけ通り西交差点先のそば屋のあたり(1987年撮影)


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*②税関出張所(1987年撮影)


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*③税関出張所と共立冷蔵倉庫の間から(1987年撮影)


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*④②の写真奥に写っている倉庫(1987年撮影)


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*⑤高島駅のレールセンター(1984年撮影)


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*⑥臨港踏切から高島駅方向を見る(1984年撮影)


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*⑦高島駅構内はずれの看板(1984年撮影)


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*⑧一号桟橋付け根の冷蔵倉庫(1987年撮影)


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*⑨二号桟橋付け根(1987年撮影)


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*⑩二号桟橋と三号桟橋あいだの倉庫(1987年撮影)


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*⑪二号桟橋と三号桟橋あいだの倉庫・その2(1984年撮影)


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*⑫三号桟橋(1986年撮影)


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*⑬埠頭南端東側の船舶用給油所・その1(1987年撮影)


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*⑭埠頭南端東側の船舶用給油所・その2(1984年撮影)


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*⑮埠頭南端東側の倉庫にて(1984年撮影)


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*⑯埠頭南端東側の倉庫にて(1984年撮影)


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*⑰横浜共立倉庫(1984年撮影)




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# by yokohama80s | 2015-08-16 00:10 | 高島埠頭 | Comments(0)
2015年 08月 09日

横浜機関区機関庫

 その昔、住所で言うと"西区高島1-2"のみなとみらい地区57街区の国道1号とすずかけ通りの交差点カドに機関区と操車場を備えた"高島駅"という貨物駅があったことはこちら(東海道本線貨物支線 高島駅)で触れましたので、以下省略ということにして、とにもかくにも横浜駅東口の中央郵便局と崎陽軒本店の間の、むかしむかしに現在の桜木町駅が横浜駅だった時代の軌道跡……というか、正しくは軌道に沿って作られた道路を高島町方向へ行くとやがて万里橋を渡りさらに進むと国道1号線に突き当たる所に国道を跨ぐ歩道橋がありました↓。

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*写真①
(現在の国道一号の高島町~東口間は二代目横浜駅当時の軌道跡地をそのまま道路に転用したもの)


 ちなみにむかしむかしに高島町に横浜駅(二代目)があった頃の地形図を、あのてこのてで現在の地形図に落としてみると、どうやら↑の写真の場所はネットで拾ったこの絵葉書写真↓

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*現在の京浜東北線にあたる京浜線の下り線桜木町方向ホームから桜木町方向を見るの図


の撮影場所にあたるようです。
ついでに二代目横浜駅の東海道本線上り線(東京方面)ホームの最前部は、国道一号沿いにある市営バスの高島町バス停のあたりまであり↓

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*左から1927年(昭和2年)、1929年(昭和4年)、1931年(昭和6年)。
(横浜都市発展記念館刊・「地図」で探る横浜の鉄道より)


線路は、そのまま国道一号から東口広場を斜めに突っ切って現在の線路に合流して、当時の神奈川駅(現在、月見橋から線路沿いに青木橋に至る道路が、ちょっと線路から離れて空き地になっている場所にあった……らしい)に到着、というルートを辿っていました。

 そして震災により二代目横浜駅が全焼し現在の場所に三代目の駅舎が作られ、東海道本線の線路も現在のルートに変更された時に、東海道本線と現在の京浜東北線こと京浜線の複々線の広大で細長い軌道跡の跡地利用が問題になったそうなのですが、結局、新駅舎の駅前広場と国道一号の道路として使用されることになり、現在に至る、ということになったそうな(上の昭和6年の地図は軌道部分を書き直しただけなので国道一号の道路幅は二代目横浜駅当時と同じですが、その後の昭和7年の地図では現在と同じ道路幅に書き直されています→横浜市三千分一地形図の昭和7年新港で確認出来ます)

 「どうりでこの区間の道路幅が不自然に広かったワケだ」……と言っても、二代目横浜駅の存在を知ったのはここ最近のことで、これらの写真を撮影した当時にはそのような知識は無かったのですが^^。

 ということで、とにもかくにも階段を上って歩道橋で↓

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*写真②
(青看板と歩道橋の間に街灯が……)


国道一号を渡った所から東京側を見ると↓

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*写真③横浜機関区機関庫
*奥の日産の看板があるビルが先週のスカイビル
その右手に見える鉄骨が建設中の"そごう"こと新都市ビル


横浜機関区の1914年(大正3年)に建てられた扇形の機関庫を望むことができました。

 ということで、歩道橋の階段を降りて国道一号の海側の歩道を東京方向に戻るとこんな感じで↓

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*写真④


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*写真⑤


歩道から機関庫を見ることが出来ました。
 
 でさらに東京方向にちょこっと行くと、機関庫の方に行ける入口があって↓

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*写真⑥


そこを何食わぬ顔で通り抜けた先に↓

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*写真⑦

 
機関庫が。
 
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*写真⑧


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*写真⑨


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*写真⑩


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*写真⑪


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*写真⑫


 
*写真はすべて1987年撮影。



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# by yokohama80s | 2015-08-09 00:04 | 高島埠頭 | Comments(4)
2015年 08月 02日

初代スカイビル

 横浜駅東口の通称"出島地区"と呼ばれる場所に、屋上に大きな広告塔が乗った円形の展望回転ラウンジがあり、ビル内には元町のユニオンを初めとした70店ほど入った特選街(そんなに店があったとは知りませんでした^^)やらレストラン街、ボーリング場、劇場、サウナや耳鼻科、歯科、眼科、内科医院がそろった診療所、別棟には当時としては珍しかった年中オープンの温水プールとアスレチックジムがある、今風で言うところの複合ビルのハシリのようなスカイビルがオープンしたのが1968年(昭和43年)のこと。

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*1977年撮影の航空写真にいろいろと書き加えてみました。


 ということでオープン当時に小学生だった方は、親御さんに連れられて一度は行ったことがあるけど、それ以降は行った記憶が……、という方も多いのではないでしょうか(何を隠そう、私のことです)

 なにせ今だと西口から東口へ行く時の最短ルートは誰が何と云おうと東西自由連絡通路を行くルートなのですが、その昔にはこの通路は西口側と東口側に改札口があり入場券を買わなければ通れなかった、ということで、スカイビル竣工当時にスカイビルまで行こうとしたら、なにはともあれダイヤモンド地下街の中央階段を降りてすぐの所の崎陽軒の売店を右に折れ、東急ストアを左に見ながら、当時の岡田屋を通り過ぎた先にある1957年(昭和32年)に作られた狭くて薄暗くてジメジメした北側自由通路を通って現在の"きた東口"の東口出口あたりで地上に出て、さらに京急の横浜駅やら旧横浜駅駅舎のアーケードを通って、ようやく東口駅前広場にたどり着き、そこからさらに歩道橋で国道1号線を渡って↓

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*①スカイビルの東口連絡橋・その1


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*②スカイビルの東口連絡橋・その2


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*③スカイビルの東口連絡橋・その3(旧新興倶楽部ビルこと神奈川県匡済会ビルを取り壊した跡……だと思います)


ようやくたどり着く、という、西口利用者からするととんでもなく不便で辺鄙な場所にありました。

 そんなこんなでスカイビルは、「特別な用事が無ければあんな所までわざわざ行かないよね」と言った存在で(重ねて言いますが、あくまでも私自身の話です)、私事で恐縮ですが小学生の頃にはスカイプールのスイミングクラブに週1で通っていたし、70、80年代はスカイビル内の診療所には何かとお世話になっていたのですが、あらためてスカイビルについて思い起こしてみても何も記憶が……。

ということで、スカイビルに関しては平日の人気の無さは一種、不気味なモノがあったというこだけが印象に残っている程度だし(オープンからしばらく経った頃のそごうも酷かったけど)、調べてみても何も出てこないのでスカイビルの歴史をざっくり書き出してお茶を濁そうと思います(笑)

明治中期~後期のいつか
高島嘉右衛門が鉄道開設の為に埋め立てた堰堤の高島通り2丁目の地先に出島地区が埋め立てられる

1952年(昭和27年)
現在のバスの待機所があるあたりが石炭置場を作る為に埋め立てられる。

1957年(昭和32年)
北側自由通路が開通。 
 
1967年(昭和42年)
本館に先駆けて温水プールとジムがあるスカイプール棟オープン


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*④スカイプール&スカイジム棟(スカイビル北側)

 
1968年(昭和43年)
元町、銀座などの有名店などが約70店舗(そんなに店があったんだ)入った特選街、スカイ劇場、ボーリング場、最上階の10、11階は上下逆方向にフロアが回転する二層式展望回転ラウンジ(どうりでいつ見ても階上の広告塔が同じ方向を向いるワケだ)がある地下1階、地上11階建てのスカイビルがオープン。
ちなみに西口の岡田屋(現・岡田屋モアーズ)もこの年にオープン。 

1977年(昭和52年)
スカイプール棟と国道1号とのあいだにあった旧新興倶楽部ビル(神奈川県匡済会ビル)が取り壊され、そこに東口再開発によって行き場の無くなった東口バスターミナルが移転。
東口の旧三代目駅舎が取り壊される(このニュースを聞いた時、なぜか悲しかった記憶があります)。


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*⑤東口バス乗り場


1980年
ルミネ、ポルタ開業、東西自由通路の使用開始(北側自由通路がどうなったか記憶にありません^^)


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*⑥スカイビル前ポルタ入口



1983年(昭和58年)
バスターミナルとスカイプールがある場所に横浜新都市ビルを建設する為に(1985年開業)スカイジムとスカイプールは平沼町に移転し(現在のYSCスポーツクラブ)、スカイプール棟が取り壊される(バスターミナルがどこに移動したのか知りません^^)

1992年(平成4年)
建て替えのため初代スカイビルが取り壊される。

1996年(平成8年)
現在のスカイビルがオープン。


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*⑦スカイビル搬入口(プールの脇あたり)


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*⑧築地橋手前、現在の日産本社の対岸
 
 
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*⑨築地橋手前、現在の日産本社の対岸の堤防(堤防の向こう側は帷子川)
 

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*⑩築地橋の舵輪がクラシカルなハシケ(向こう岸の建物は高島駅の第二荷揚場)


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*⑪スカイビルの裏手・その1


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*⑫スカイビルの裏手・その2


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*⑬スカイビルの裏手・その3


 ということで、このあと「スカイプールの移転先って同潤会アパートがある場所だよな」ということで、再び国道1号の歩道橋を渡って中央郵便局と崎陽軒の間の桜木町駅が初代横浜駅だった時の軌道跡(正確には「この道路沿いに軌道が敷かれていた……はず」程度の話なのですが^^)を万里橋方向に行くと↓

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*⑭万里橋を渡ったところ(高島2丁目)


当時、修学旅行御用達だった旅館の看板があり、さらにその先の浅山橋も渡った↓

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*⑮浅山橋を渡ったところ(平沼1丁目)


先の路地を入ったところにスカイプール……というかスイミングクラブ(なにやら"YSC"と呼ぶらしい)があって、その隣が↓

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*⑯平沼1丁目・モンテベルデ横浜(旧同潤会平沼町アパート)


残念でした。
時すでに遅し、同潤会平沼町アパートは跡形も無くなっていました。


*写真はすべて1983年撮影。



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# by yokohama80s | 2015-08-02 00:11 | 高島埠頭 | Comments(13)
2015年 07月 26日

新山下橋

 新山下橋とは、船舶貨物輸送のコンテナ化に伴い、本牧埠頭~山下橋~谷戸橋~本町通り~R16を通行する海コンが増加したことによる慢性的な渋滞、排ガスによる沿道周辺の公害問題が社会問題化し、これらを緩和することを目的に山下埠頭~新山下の貯木場~本牧埠頭へのバイパスルートとして1977年(昭和52年)着工され1979年(昭和54年)竣工した橋のこと。

 一般の人にはあまりなじみの無い橋だとは思いますが、この橋は下を船が航行出来るように比較的高さがあるために今も昔も眺望抜群(ベイブリッジのスカイウォークには負けますが)


 ということで、1982年(昭和57年)のある日の新山下橋から見た風景を。

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 ↑ということで、橋を渡って新山下側に入るとこんな感じのはしけ溜まり(新山下 はしけ溜まり)がありました。

*写真はすべて1982年撮影。





*来月8月のUP予定
8月 2日:横浜駅東口 スカイビル
8月 9日:高島町 横浜機関区の外壁
8月16日:高島埠頭
8月23日:「関係者以外の乗船を禁ず」の看板
8月30日:高島埠頭から見たみなとみらい21建設現場

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# by yokohama80s | 2015-07-26 00:04 | 山下埠頭 | Comments(0)
2015年 07月 19日

京浜運河

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*①千鳥町の川崎市営埠頭より京浜運河を挟んで対岸の東扇島を見るの図
(京浜運河の神奈川県側はほぼ当初の計画通りに航路幅6~7百m、干潮時水深9メートル、1万トンの船舶が航行及び錨泊可能なように作られている)
 

 京浜運河のあれこれについては、こちらの過去記事(東京港 -プロローグ編-)ですでに触れていますし、ググるとごっそり出て来ますので「以下省略」ということで^^。

 で結局のところ、東京~横浜を意味する"京浜"と名がついているものの浅野らが計画した京浜運河(横浜港から墨田川河口=東京港まで連続した港湾地帯を造成する構想だった)と言えるのは戦前までに完成していた鶴見川左岸から浮島町と東扇島の間のみで↓

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*②東扇島より扇町方面を見るの図
(写真左奥に船が停泊しているあたりが、扇町の三井埠頭と旧日満倉庫の私営埠頭)


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*③東扇島より浮島方面を見るの図
(ここが京浜運河東口こと川崎側の入口)


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*④東扇島の運河入口(川崎航路の京浜運河東口)を示す白灯台


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*⑤首都高湾岸線建設告知の看板(東扇島にて)


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*⑥東扇島拡張工事


東京側は戦争により運河の完成を見ることなく京浜運河事業そのものが事業廃止となり、戦中から戦後にかけて埋め立てられた品川埠頭、大井埠頭、京浜島と勝島、平和島、昭和島を挟む水路にその名前を残すだけとなっています↓。

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*⑦高浜水門と芝浦排水機場
(この水門の向こう側が京浜運河東京側の芝浦側起点になります)


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*⑧京浜島の京浜大橋
(ここが京浜運河の羽田側の入口)


 ちなみに京浜運河の神奈川側は、昭和46年(1971)の大黒埠頭の埋立により鶴見川右岸から横浜港まで水路が延長されたことにより期せずして「横浜港から東京港の間に港湾設備を完備した工業地帯を整備する」という浅野総一郎による京浜運河構想は神奈川県のみ完成した、という見方も出来るのではないでしょうか(川崎側が多摩川河口手前の浮島で東京側と分断されていますが……)

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*⑨灯台の右側が京浜運河の横浜側入口


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*⑩大黒大橋からの図
(現在でも鶴見航路ことつばさ橋をくぐった船舶が大黒大橋手前まで入って来ます)


 
*写真はすべて1987年撮影。



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# by yokohama80s | 2015-07-19 00:12 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)
2015年 07月 12日

鶴見線沿線・浜安善~浅野~新芝浦

 安善駅を出て浅野駅方面に向かってすぐに丁字路に突き当たります。
右に行けば産業道路、左に行けば米軍鶴見油槽所。
ということで、今週はこの丁字路を左に折れて、とにもかくにも安善駅から分岐した米軍油槽所に向かう線路を左手に見ながらコンビナートに囲まれた道を進むと↓

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*①


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*①


運河を渡り、さらに進んで踏切を渡ると右手にあるのが在日米軍鶴見貯油施設↓

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*②


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*③


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*④


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*⑤


 地図で下調べをした時点で想像がついていましたが、「まあ、こんなもんでしょ」ということで、来た道を戻って
安善駅の踏切を渡って、産業道路に出る道を進んで、最初の信号を左に折れてしばらく進むと丁字路にぶつかるので、そこを左に折れると安善駅のつぎの駅である浅野駅に到着。
 
 この駅には、線路と道路をまたいで旭運河と工場(当時は日本鋼管鶴見製鉄所)を結ぶ天井クレーンの錆びた鉄骨がありますが、そちらは過去に触れた(当ブログ記事「日本鋼管鶴見製鉄所・天井クレーン」)ので以下省略。

 ということで、今度は海芝浦へ向かう、鶴見線海芝浦支線の線路を左手に見ながら5分ほど歩くと見えてくるのが↓

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*⑥


東芝の京浜事業所の白いビル。
私の記憶が確かなら、この↑の写真に写っている3つのビルは戦前に建てられたものだったと思うのですが、あれやこれやの資料には何も書かれていないので「よくわかりません」ということでスルーして、東芝の工場入口の守衛所直前にあるのが、新芝浦駅↓

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*⑦


 でこのさらに先にあるのが、一般乗客は電車を降りても駅から一歩も出る事が出来ないことで有名な……というか、最近ではなにやら駅のホームからの眺めがメディアなどで頻繁に取り上げられたことから人気スポットになり、駅の地主でもある東芝さんが公園まで作っちゃった海芝浦駅があります。
しかしこれらの写真を撮影した当時には、日曜日に鶴見線に乗ろうなんていう酔狂な人はほぼ皆無だったし、日曜は列車本数が極端に少ないことから私は車で来ちゃったし、ということで海芝浦支線探訪はここで終了です^^。

*写真はすべて1986年撮影。



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# by yokohama80s | 2015-07-12 00:02 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)
2015年 07月 05日

鶴見線沿線・大川~武蔵白石~安善

 JR鶴見線とその沿線の埋立地については、こちらのサイト(ちょこっと鶴見線など)に詳しいですし、最近は「都会の中のローカル線」ということで鶴見線とその支線は人気を博しているようで、ググればごっそりと出てきますので、ご興味のあるムキはそちらをご参照頂くとして、ここでは撮影当時の話などを。

ということで、とにもかくにもまず最初は、当時、クモハ12という旧国電のブドウ色の電車が1両でトコトコ走っていた鶴見線大川支線沿いに白石運河に架かる大川橋を渡った先に大川駅があって、田舎の駅のように歩行者用の踏切を渡って駅前の道路をさらに渡ったところにあったのが↓

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*①大川駅前のバス停


 そしてそのさらに先には↓

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*②昭和電工川崎事業所大川地区あたり


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*③昭和電工川崎事業所大川地区あたり・その2


などがあるものの、予想に違わず工場の壁に囲まれてたいして見る物(写す物)も無いのでUターンして武蔵白石まで来た道を戻ると↓

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*④川崎区白石町1丁目・大川支線・武蔵白石踏切


工場向けの送電線があり……そう言えば、「浅野総一郎はこのあたりの工場の電力確保の為にあっちこっちに水力発電所と送電網まで作ったんだっけ」などと思いながら進んだ先には、当時は大川支線と鶴見線との分岐駅だった武蔵白石駅の都会の駅とは思えないクラシカルな駅舎↓

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*⑤鶴見線武蔵白石駅


 その脇の自転車置き場(?)を横目に見ながら↓

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*⑥鶴見線武蔵白石駅舎脇


5分ほど歩くと隣り駅の安善駅に到着。

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 話は少し前後しますが、川崎市と横浜市の市境を越えた安善駅手前くらいから道路の両側には工場地帯には似つかわしくない住宅が建ち並んでいる一角があります↓。

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*1944年に撮影された航空写真より


 なにやらこの三角地帯にあたる寛政町1~18番地あたりには、大正末頃に浅野セメントや、東京湾埋立会社の従業員住宅と商店などが建ち並んでいたそうな(撮影当時にはまったく気づきもしませんでしたが、現在もコンクリート造りの住宅が数棟残っているそうな)

 そこで今さらながら地図を見ると、工場地帯のど真ん中に住宅地があり、さらにその区画が山下町の中華街みたいに周りに比べるとちょっとヘンな角度になっている、ということは、「は、は~ん、これは江戸時代に埋め立てられた新田跡だな」と思って町名を見ると↓

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*⑦鶴見区寛政町・安善駅前


「寛政町」。
 ということは、町名に元号が使われているということは、西暦1789~1800年の「寛政年間」に埋め立てられたということに。
 
 そこで歴史的農業環境閲覧システムのKMLファイルをグーグルアースに落として現在の地形と明治初期の地図と比べてみると……「海の中だ」みたいな^^。

 で今度は今昔マップで埋め立て前の明治の頃の海岸線をなぞってみると、現在の産業道路の1本海側の寛政中学と東部総合技術校の間の道がもともとの海岸線とピッタリ一致。
 となると、「寛政町=寛政年間の新田説」は敢えなく却下、ということになり、「なぜにして三角形」という疑問はナゾのままとなりました^^。

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*⑧鶴見区寛政町18のタバコ屋
(最近、この近辺を徘徊する写真好きの間で人気があるようです)


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*⑨鶴見区寛政町19の焼き鳥屋さん


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*⑩鶴見区安善1丁目・浜安善方向へ行く踏切を渡った先にあった自治会の掲示板


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*⑪鶴見区寛政町21(現在の大塚家具)・佐久間鋳工所



*写真はすべて1986年撮影



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# by yokohama80s | 2015-07-05 00:08 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)
2015年 06月 28日

山内町 横浜中央市場周辺

 第一京浜の「中央市場入口」交差点を海方向に入ってしばらく行くと目の前に貨物線をくぐるアンダーパスが見えてきます。
 でアンダーパスをパスして(?)右手に見える側道に入ると、貨物線を渡る宝町踏切があり、その踏切の先のアンダーパスをくぐる市場大通り(撮影当時はこんなシャレた名前は無かった……と思う)の道路と側道に挟まれた所に↓

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こんな感じで、お店が並んでいる一角があります(現在はほとんど無くなってしまったようですが)
築地に例えると、「場外市場」といったところなんでしょうか?

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 この正式名称を「横浜中央市場」という市場は、戦後になって作られたモノだと思っていたら、なにやら1931年(昭和6年)に開設されたんだとか。
と言われても、これらの写真を撮影した当時は、現在ほど身近な存在というワケでも無く、日曜、休日は言うに及ばず、平日でも15時過ぎには人っ子一人居ないシャッター商店街状態。
とにもかくにも当時は、今のように整備されていたワケでも無く、冷凍倉庫が建ち並んでいるだけ……といった印象でした。

 ということで、滝の川にかかる万代橋を渡ると、そこは「横浜中央市場・本場」とその先の岸壁部分が山内埠頭。
山内埠頭については、こちら(山内埠頭 巨大ボラード(係船柱))とかこちら(山内埠頭 その2)とかこちら(山内埠頭 市場大橋)の過去記事をご覧頂くとして、今回はそれ以外の写真を、ということで↓

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なにやら「横浜市場線 横浜市場駅構内 内貿二号踏切」と書いてあります。
どこにあったのかまったく記憶に無い(笑)ので、つぎに進みまして↓

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「三菱倉庫横浜支店 山内三号倉庫」という看板が出ているのですが、これもどこにあったかよくわかりません(笑)。
なにせ山内埠頭は、"みなとみらい"絡みでガッツリ改修されてしまったものでして……。

 ということで今度は、埠頭西端……というか、高島埠頭側の帷子川の河口あたり。
ここはシーバースに乗った時に通過する場所だったかと……。

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でその先にあるのが↓

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今は無き市場大橋。
で中央市場本場の北西端には、1930年(昭和5年)に建てられた……と思われる、事務所棟↓

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かなんかだと思います。

 ちなみにこの建物は、1985年(昭和60年)ごろに取り壊されて、現在の水産買荷保管場&駐車場棟に建て替えられて、市場大橋と駐車場棟とがあらたに作られた連絡橋によって接続されていました……というか、市場大橋が取り壊されたといっても貨物線をまたいでいる部分の橋桁が撤去されただけなので、いまも繋がっていると思います……たぶん?

 でふと思ったのですが、"橋"という建造物は計算された微妙なバランスで成り立っているものと聞きますが、まさかこの魔改造(?)が華奢な市場大橋に余計な負担をかけることになって、そして3.11で……なんてことは……無い……ですよね?

*写真はすべて1984年撮影





*来月7月のUP予定
7月 5日:鶴見沿線 大川~武蔵白石~安善
7月12日:鶴見沿線 浜安善~浅野~新芝浦
7月19日:京浜運河
7月26日:新山下橋にて

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# by yokohama80s | 2015-06-28 00:06 | 山内・瑞穂・出田町埠頭 | Comments(0)