2016年 02月 28日

米軍横浜海浜住宅地区 その2

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*写真はすべて1981年撮影。




*来月3月のUP予定
3月 6日: 元浜町4-28 尾張屋食堂
3月13日: 北仲通
3月20日: 南仲通
3月27日: 弁天通

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# by yokohama80s | 2016-02-28 00:06 | 本牧・小港・新山下 | Comments(3)
2016年 02月 21日

根岸町3-147 喫茶伽風豆虫

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 JR根岸線を根岸駅で降りて本牧通りというか、横浜市主要地方道82号山下本牧磯子線を間門方向に進むこと800m、約10分で森林公園というか競馬場がある高台、というか旭台に登る道との分岐点にあたる根岸不動下交差点に行き着きます。

 すると看護学校と、現在はマンションが建っている場所に横浜赤十字病院があり、道路を挟んだその向かい側にあったGSと児童遊園に挟まれた所に↑の写真の建物がありました。

 常識的に店名が書かれているはずの場所に、"SNACK"と大書きされていることから、最初は「スナックという店名なのかなあ?」と思ったのですが、よく見てみると店の入口の上に"伽風豆虫"という看板が。

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 普通だと「なんて読むんだろう?」と思いそうなモノなのですが、私はなんとなく「カブトムシと読ませるんだろう」と直感的に思い込んでしまったのですが……???

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*写真はすべて1982年撮影。




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# by yokohama80s | 2016-02-21 00:02 | 根岸、金沢地区 | Comments(4)
2016年 02月 14日

金沢シーサイドライン

 金沢シーサイドラインは、簡単に言うとJR根岸線の新杉田駅と京急本線の金沢八景駅間約10.6kmに作られたコンクリートの軌道上をゴムタイヤを履いた車両が無人運転している「標準型新交通システム」という1989年に開業した新規格の鉄道のこと。
でなにやら、"横浜シーサイドライン"が会社名で、"金沢シーサイドライン"が路線名となるんだそうな

 ということで話を、撮影当時の80年代に戻すと、国道357号の中央部分にさまざまな形の橋脚が建ち並び↓

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*①1986年撮影
(R357・第三住宅入り口にて)


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*②1986年撮影
(現在のシーパラダイスマリンゲート付近というか杉田ゴルフ場脇)


その後、橋脚に橋桁が載り↓

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*③1987年撮影
(現在のシーパラダイスマリンゲート付近というか杉田ゴルフ場脇)


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*④1987年撮影
(現在のシーパラダイスマリンゲート付近というか杉田ゴルフ場脇)


駅が出来たものの↓

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*⑤1987年撮影
(市大医学部駅建設現場)


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*⑥1987年撮影
(市大医学部駅建設現場)


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*⑦1987年撮影
(市大医学部駅建設現場)


まわりは空き地だらけ。
正直言って、「こんなんで大丈夫なのか?」と思ったのは紛れもない事実であります。

なにせ周りは空き地と小規模な町工場と海の公園しか無かったのですから。

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*⑧1989年撮影
(現・海の公園柴口駅付近)


ところが後年、「なんでこんなところに人工島を?」という場所が、シーパラダイスになろうとは!!!

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*⑨1988年撮影
(現マリンゲート付近)


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*⑩1988年撮影
(現横浜フィッシャーマンズマリーナ南端部付近)





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# by yokohama80s | 2016-02-14 00:03 | 根岸、金沢地区 | Comments(0)
2016年 02月 07日

金沢区・海辺の散歩道

 80年代後半のある日のこと。
横浜港の最南端部に金沢木材埠頭あると知り、「どんなところだろう?」と金沢区まで行ってみたところ取り立てて見るべき物(撮るべき物?)も無いし、ということで、「行けるところまで行ってみよう」と一番、海沿いの道を現在の八景島方面……というか、市大病院方向に行くと、幸浦2丁目に差し掛かった時に見つけたのが↓ 

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*①長浜水路口


 なぜか近くに米軍関係の施設が見当たらないのに、本牧や新山下あたりで良く目にしていた「在日米軍施設」を現す看板が。
「この水路が米軍施設?」と思って調べてみると、横浜市政策局基地対策課のサイトに↓

"水路河口部の沖合にタンカー用の係留設備があり1.5kmほど上流の小柴貯油施設まで水路沿いにパイプラインが敷設され"ていて、2005年に返還されたとのこと。
しかし私の拙い記憶だと、1981年の爆発事故以来、この施設は開店休業状態だったかと……ということはさて置き長浜水路に架かる橋を渡ると↓

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*②海辺の散歩道長浜水路側入口にある休憩所

 
 なにやらすり鉢状の用途不明の施設が。
公園のようなのですが、遊具があるワケでも無し、「ここはなんだろう?」と言った感じなのですが、今さらながら調べてみると、横浜金沢観光協会のサイトで観光スポットのページ

「海辺の散歩道」
八景島マリンゲートから長浜水路口までのびる約3キロメートルの遊歩道で、小高くなった六方石モニュメントのある公園からの東京湾の眺めと、長浜水路沿いの約1キロメートルの桜並木が素晴らしい。
ゆっくり海をみながら散歩のできるコースは見晴らし抜群です。
八景島マリンゲート付近から横浜ヘリポートまでの海岸沿いは釣り人がたくさん。


との記述が。

どうやらこの正体不明の施設が、海辺の散歩道の幸浦側入口ということになるのですが、撮影当時の拙い記憶だと、ここから福浦2丁目までの海沿いは通行止めになっていたような記憶があるのですが……。

 ということで、長浜水路から福浦1丁目までジャンプすると、ここから福浦2丁目までは、堤防と道路の間がちょっとした広場状になっていて、冬の晴れた日には対岸の君津あたりが手に取るように望むことが出来る東京湾に面した防波堤には、平日でも釣り人たちがズラッと竿を並べていました。

 で撮影当時、この公園というか散策路には所々にベンチがあっただけで、施設らしい施設と言えるのは↓

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*③福浦二丁目の近代的な公衆トイレ


ぐらいなもので、ここからさらに300m行くと、そこから横須賀方向というか、海の公園方向というか、今で言うと八景島方向に向かって小高い丘になっていて散策路が続いていました↓。

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*④水際緑地地帯の散策路


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*⑤眼下に三菱重工野球部のグランドが


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*⑥散策路の頂上部その1


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*⑦散策路の頂上部その2


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*⑧横浜ヘリポートその1


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*⑨散策路がヘリポートを越えた所
(写真奥に見えるクレーンが住友造船でそのさらに奥が横須賀)



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*⑩休憩所


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*⑪横浜ヘリポートその2


そして小高い丘を下ると↓

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⑫柴漁港に向かう漁船


写真の右手に造成中の八景島がチラッと写っているのですが、撮影当時は「こんな所に島を作ってどうするつもりだろう?」といった感じで、まさか"あんな代物"が出来るとは……。

 ということで、水際緑地地帯入口に戻るのに散策路を逆に辿るのも芸が無いので道路を歩いていると↓

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*⑬福浦3丁目側入口


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*⑭横浜ヘリポート入口


散策路の小高い丘の正体が判明(笑)

 ちなみに1971年(昭和46年)に金沢地先の埋立が始めるまでは、このあたり一帯は海の底で、約1.5km山側のかつて小柴貯油施設があった小高い丘……というか山がかつての海岸線でした。


*写真は1987年撮影。




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# by yokohama80s | 2016-02-07 00:08 | 根岸、金沢地区 | Comments(0)
2016年 01月 31日

山下町92番地 横浜繊維

 中華大通りと開港道の分岐から開港道を加賀町署方向にテクテク歩いて、当時、オープンしたばかりのホリデーインこと現在のアスターホテルを過ぎて、中華街パーキングの先のマンションの隣りの、現在、コインパーキングがある場所に↓

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の、戦前建築臭がプンプンする怪しい建物がありました。

 ということで、撮影当時の住宅地図を見てみると、山下町92番地・横浜繊維K.Kとあります。
で、今度はその会社名で検索すると、現在、コインパーキングがある場所の隣りに本社を構える昭和21年創立の麻製品などを販売する会社と判明。

 さらに掘り下げて調べてみて判明したのは、この建物は撮影当時は横浜繊維の倉庫として使われていた建物のようで、その後、これらの写真を撮影してほどなくして取り壊され、跡地は現在まで駐車場となっています。

 ただこの建物は、どう見ても戦前建築のようなので、例によって国土地理院の空中写真地図検索サービスから昔の航空写真を見比べてみると、1944年と1946年、1947年の戦中から終戦直後に撮影された航空写真に該当建物と思われる建造物が写っていて、その後、1981年の写真まで同一の建物を確認できることから戦前に建てられた建物であることは確かなようです。

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*1947年撮影の航空写真から
(赤い四角が写真の建物……だと思われます)


 そこで近代デジタルライブラリーで横浜市役所勧業課が編集した横浜市商工案内を紐解いてみると、戦前の山下町92番地には、欧州への絹織物を輸出していた合名会社森友貿易商会、米国製化粧品の輸入と雑貨の輸出入を行っていたS.アイザック商会、屑糸、自動車タイヤなどの輸出入を営んでいたスゾール・ロンボウ商、外国人が経営していた洋食レストラン、不動産屋、ベルギー領事館とチェコ領事館があったようです。

 蛇足ですが、S.アイザック商会のシャチョーさんがチェコ領事をされていた関係から、戦前のチェコ領事館はS.アイザック商会に間借りしていたそうです(戦前、横浜にあった領事館の多くがこのパターンだったようです)。

 という話はひとまず置いておいて話を元に戻すと、昭和5年以降継続して92番地を所在地にしていた会社は、S.アイザック商会とチェコスロバキア領事館のふたつなので、この建物はS.アイザック商会関連の建物と考えるのが妥当なようです。

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*建物の床面の高さがシルク通りと同じ高さになています。


*写真はすべて1981年撮影。





*来月2月のUP予定
2月 7日: 金沢区幸浦・海辺の散歩道
2月14日: 金沢シーサイドライン
2月21日: 根岸町2丁目 スナック伽風豆虫
2月28日: NASUGB BEACH AREAとPX

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# by yokohama80s | 2016-01-31 00:10 | 山下町 | Comments(2)
2016年 01月 24日

中華街・中山路

 中華大通りから中山路を関帝廟通り方向に進むと、エキゾチックなコンクリト塀が続き↓

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*①


その先にあるのが、山下町140番地の横浜華僑総会↓

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*②


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*③


 でエキゾチックなコンクリート塀の向かい側の146番地には↓

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*④


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*⑤


寂れた感じの飲み屋さんが軒を並べ↓

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*⑥


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*⑥


でさらに進むと関帝廟通りと交差して↓

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*⑦


さらにその先の太平道に向かう途中に↓

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*⑧
(山下町130 能登屋)


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*⑨


中華街には不釣り合いな「ふぐちり」「どぜうなべ」というのぼりに縄のれんが。

そして同潤会アパートの裏手あたりには↓

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*⑩


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*⑪


民家が建ち並んでいました。


*写真はすべて1982年撮影。



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# by yokohama80s | 2016-01-24 00:10 | 山下町 | Comments(2)
2016年 01月 17日

中華街・市場通りと香港路

 以前、中華街というタイトルで中華街の各通りの写真をアップしたのですが、その記事で「市場通りと香港路の写真は無い」としたのですが、その後、撮影当時の住宅地図を入手して照合してみた結果、市場通りと香港路で撮影されたと判明した写真がゴッソリ出て来たので、今日はそれらの写真を↓

 ということで、現在の中華街大通り、まずは撮影当時の中華大通りから香港路に入ると、当時流行ったグルメ漫画で取り上げられたことで昼食時になると入店待ちの行列が出来ていた某中華料理屋をすぎた山下町147番地にあった美容院↓

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*①


そしてしばらく行った通りの左側の138番地に↓

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*②


で関帝廟通りに出る手前くらいに↓

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*③


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*④


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*⑤


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*⑥


複数の建物を倉庫というかなにかの食品関係の加工場として利用していたと思われる建物が連なっていました(1978年の住宅地図を見ると関帝廟通りの127番地にあった生利中華食品雑貨行関連の施設だったようです)

 ということで、香港路から関帝廟通りに出ると、その先の太平道方向へは行けないので関帝廟通りを左に折れて今度は市場通りに入って太平道方向に進んだ通りの左側133番地にあったクラシカルな民家↓

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*⑦


そしてその先の126番地にも↓

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*⑧


というように、撮影当時の市場通りの関帝廟通りの先は、一戸建てのバラック造りの民家が多かったように記憶しています。

*写真はすべて1982年撮影



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# by yokohama80s | 2016-01-17 00:12 | 山下町 | Comments(0)
2016年 01月 10日

中華街大通り

 中華街大通りとは、加賀町警察署前の善隣門から本町通りの朝陽門までの中華街の中心的な通りで、撮影当時のガイドブックには「中華大通り」と表記されています。

 ということで善隣門から朝陽門までの中華街大通りの左側の写真を↓

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*①萬珍樓


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②廣新楼


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③照宝


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④聘珍樓


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⑤有昌


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⑥栄興号


*写真はすべて1982年撮影





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# by yokohama80s | 2016-01-10 00:12 | 山下町 | Comments(0)
2016年 01月 03日

小樽 1982年

 ある日、押し入れをゴソゴソやっていたら、長年行方不明だった80年代初頭の小樽を撮影したネガが出て来たので、80年代の小樽と横浜を温故知新的に比較してみるのも面白いかも、ということで今回は新年特別企画として横浜を遠く離れて小樽の色内地区の写真をお送りしたいと思います。

 蛇足ながら、小樽の色内("いろない"と読みます)地区というのは、横浜で例えると海岸通1丁目の開港広場交差点あたりと言った感じでしょうか。

  ということで一説によれば上野駅をモデルにして建てられたとされていますが、その昔。東口にあった三代目横浜駅駅舎を知っている横浜市民は異口同音に「昔の横浜駅を小さくした感じだ」と口にする(……だろうと思います、たぶん)小樽駅(ちなみに横浜駅三代目駅舎がが1928年昭和3年、上野駅駅舎が1932年昭和7年、小樽駅駅舎は1934年昭和9年に建てられました)から海の方へ下る坂道が通称"駅前通り"こと"中央通り"で、この通りの坂道を下って手宮線の踏切を渡った先にあったのが↓


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*①岡島薬局 
駅前通り拡張に伴い取り壊される



1907年(明治40年)に建てられた木造の岡島薬局。

 蛇足ですが、↑の写真の建物の前の道路が石畳なので「この頃の中央通りは石畳だったのだろうか?」と思って航空写真その他で調べてみると、なぜかこの建物の前の部分だけに往時の石畳が残っていたんだそうな。
 ということで、↑の岡島薬局があるブロックの中央通りと色内大通りが交差するカドにあったのが↓

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*②北海経済新聞社ビル
道路拡幅(駅前通り)に伴い斜め後方に曳家移設される(現存)



1930年(昭和5年)に建てられた旧安田銀行小樽支店こと、当時は北海経済新聞社ビル。

「なんか見覚えがあるなぁ?」と思うのも道理で、なにやら安田銀行は支店を建設するときにその土地土地の敷地の広さに応じて寸法を変えただけの同じ設計図を使い回していたんだそうな。
 「どうりで馬車道あたりで見た記憶があるんだな」ということで旧安田銀行小樽支店と交差点を挟んで斜め向かいに建っていたのが↓

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*③④井淵ビル
1992年に中央通り拡幅工事に伴い取り壊される


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*④井淵ビル・その2


1897年(明治31年)に建てられた旧小樽銅鉄船具合資会社こと井淵ビル。

 実は写真の建物はあくまでも最終形態で建てられた当時の第一形態は↓

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*明治末から大正初め頃に撮影された第一形態


その後、3階部分と塔屋を建て増しした第二形態に変化して↓

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*昭和初期頃に撮影された第二形態


最終的に一階部分のアーチと屋上の塔屋などが無くなり、レンガ壁をモルタルで塗り固めたり、その他諸々の改修がなされて最終形態になったそうです……というのは、今になっての後付け知識で、撮影当時は「おっ、なんかいい雰囲気!」と言う感じ。

 そして↑の写真の左側に写っている通りをさらに1ブロック進むと、小樽運河に架かる中央橋にたどり着きます。

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*⑤小樽運河倉庫群 (現存)

 
 ここは今や小樽の一大観光名所となっていて、「小樽運河」で検索すると↑の写真と似たような写真がゴッソリと出て来ますが、撮影当時は人っ子一人居ないという状態でした(そもそも当時は冬に呑気に観光している酔狂な人なんかいなかった)。

 ちなみに写真手前から、築年不明の北日本倉庫港運倉庫、切り妻部分が運河を向いている建物と奥の二階建てのレンガ倉庫が1925年(大正14年)築の旧篠田倉庫こと当時は大同倉庫、その隣りが一棟に見えますが実は真ん中で仕切られている1924年(大正13年)築の小樽倉庫一号、二号倉庫となります。

 ということで今度は運河沿いに建ち並ぶ石造りの倉庫を左に見ながら↓

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*⑥撮影場所不明
(扉には「◯に高い」倉庫№1と書かれています)


1ブロック北上すると道は竜宮通りとぶつかり、そのカド手前にあったのが↓

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*⑦大家倉庫 (現存)


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*⑧大家倉庫・その2


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*⑨大家倉庫・その3


1891年(明治24年)に建てられた大家倉庫。

 ちなみにこれらの石造りの倉庫は、正確に言うと「木骨石造建築」と呼ばる木造の骨組みの壁部分に、防火目的に厚さ15センチのパネル状の軟石を張り付けた物で、撮影当時には小樽運河沿いにズラ~ッと建ち並んでいました。

 ということで↓の写真の倉庫もそのひとつで

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*⑩二葉倉庫(所在地不明)


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*⑪二葉倉庫・その2


 色内2丁目交差点付近にあった鎧戸に花菱のレリーフがあしらわれた二葉倉庫。
と言っても撮影当時、小樽にはそこかしこに二葉倉庫があったようですし、現在、写真の倉庫に該当する倉庫が見当たらないことから、運河を半分埋め立てて道道を建設した時に取り壊された倉庫のひとつだろうと思われます。

 ということで今度は色内2丁目交差点を左におれて小樽駅に戻る途中の竜宮通りにあったのが↓

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*⑫中一商会 (現存)


1920年(大正9年)に建てられた木造三階建ての旧戸羽商会こと撮影当時の中一商会。

 ということで撮影当時の小樽は、1965年(昭和41年)にその計画が明らかになった道道臨港線建設に伴う小樽運河埋立の是非を巡り計画を推し進める行政と経済界と、「運河は小樽の文化遺産だ」として反対する市民との間で「小樽運河戦争」と言われるくらい激しい議論が10年の長きに渡って繰り広げられたものの、1982年(昭和57年)に、「建設する道路の車線を減らして幅40mの運河のうち山側を半分埋め立てる」という妥協案が半ば強引に決められ埋立工事が開始されます。

 しかし小樽市は、市民からの反対を無視したということに後ろめたさを感じたのか、はたまた何か思うところがあったのか、翌年の1983年(昭和58年)に歴史的建造物と歴史的な街並みの保存を目的とした「小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例」を策定し、小樽市内に現存する歴史的建造物と古い建物が織りなす歴史的景観の保存に乗り出します(横浜市が「認定歴史的建造物」を策定したのは1988年(昭和63年)、歴史的な景観の保存に乗り出したのは2015年)

 そして1992年に、歴史的建造物と歴史的な街並みの保存と共に、総合的な都市景観の保全を目的とした現行の「小樽の歴史と自然を生かしたまちづくり景観条例」に改訂し、同時に小樽市内に現存している歴史的建造物2,357棟を調査し、これから主要な物を508棟を選び現地調査を実施し、この中から保全すべきものを「小樽市登録歴史的建造物」として登録し所有者にその旨を通知し、所有者の同意を得られた2015年現在75軒を「小樽市指定歴史的建造物」に指定した、ということがこちらに書かれていますが、「小樽市指定歴史的建造物」に指定された75軒以外にも、所有者によって自主的に、はたまた結果的に現存及び保存されている建物が相当数存在しています。

  
*写真はすべて1982年撮影。



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# by yokohama80s | 2016-01-03 00:09 | その他 | Comments(0)
2015年 12月 27日

新港埠頭 三号岸壁

 新港埠頭三号岸壁とは、今で言うとちょうどこのあたり(Google streetviewに飛びます)

 現在、岸壁に建っていた上屋も無く往時を思わせる物は何も残っていないように見えますが、四号岸壁との境目、今で言うと海保施設と赤レンガパークの境界あたりを覗き込むと新港埠頭が作られた当時のこんな階段(2013年12月8日・新港埠頭 三号岸壁の階段)が現在もその姿を目にすることが出来ます(三号岸壁と二号岸壁のクビレも現存しています)。

ということで、まずは現在の赤レンガパークのあたりの30年前の風景を↓

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*①通称・赤レンガ二号倉庫前から見た三号上屋(1986年撮影)


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*②三号上屋前というか現在の赤レンガ二号倉庫前のC号荷さばき場にて(1987年撮影)


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*③上に同じ(1987年撮影)


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*④これまた上に同じ(1987年撮影)


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*⑤三号岸壁と四号岸壁のクビレ部分に至る通路にて(1987年撮影)


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*⑥三号上屋前の引き込み線の車止め(1982年撮影)

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*⑦三号岸壁と四号岸壁のクビレ部分にて(1983年撮影)


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*⑧三号上屋と二号上屋との間にあった荷役連絡所(1982年撮影)


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*⑨二号上屋の一号岸壁側にあった荷役会社の休憩所その1(1983年撮影)


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*⑩その2(1983年撮影)


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*⑪三号上屋の内陸側の壁際に作られた庭園?(1981年撮影)


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*⑫上と同じ(1982年撮影)


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*⑬上と同じ(1982年撮影)


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*⑭(1983年撮影)






*来年1月のUP予定
1月 3日: 新年特別企画(どこかは秘密)
1月10日: 中華大通り
1月17日: 中華街・市場通りと香港路
1月24日: 中華街・中山路中山路
1月31日: 山下町92番地 横浜繊維

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# by yokohama80s | 2015-12-27 00:03 | 新港埠頭 | Comments(0)
2015年 12月 20日

新港埠頭 F号荷さばき地

 新港埠頭の F号荷さばき地は、その昔、現在、海上保安庁の海上防災基地がある四号岸壁が国内船会社の北米航路発着場として使われていた時、一階が倉庫(上屋)と旅具検査場、二階に船客待合場、食堂、売店がある四号上屋↓

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*昭和9年発行 横浜港と其修築より竣工当時の四号上屋


を1979年に取り壊して出来たスペースを、貨物の積み卸しや分類、計量などを行う為に露天の貨物置き場として使用していた場所のことです。

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*①1986年撮影


 撮影当時には、東南アジアやアフリカ諸国向けのプラント設備や土木重機などがズラ~ッと置かれていました。

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*②1982年撮影


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*③1982年撮影


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*④1982年撮影


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*⑤1982年撮影


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*⑥1986年撮影


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*⑦1986年撮影


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*⑧1987年撮影


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*⑨1987年撮影


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*⑩1987年撮影


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*⑪1987年撮影


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*⑫1987年撮影


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*⑬1987年撮影




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# by yokohama80s | 2015-12-20 00:00 | 新港埠頭 | Comments(0)
2015年 12月 13日

新港埠頭の三角地帯

 その昔、新港埠頭がまだ港として機能していた頃、万国橋から新港橋へ向かう道路と、万国橋から線路づたいに右突堤へ向かう道路、新港橋からレンガ倉庫前を通って万国橋~右突堤に向かう道路が形作る三角形の中州状の場所があり、そこにジャパンエキスプレスの大きな倉庫や、ノコギリ屋根が連なった新港倉庫、交番、変電所、港湾局の埠頭事務所などがありました↓。

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*昭和39年の横浜市三千分一地形図を現在の地図に重ねてみました。


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*万国橋から右突堤に向かう道路から
(画面右がジャパンエキスプレス倉庫と新港倉庫)


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*赤レンガ二号倉庫前から見た三角地帯にある変電所の建物



ということで、まずはジャパンエキスプレスの倉庫↓

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 お次が新港埠頭E号倉庫↓

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 で変電所があって↓

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 三角地帯の新港橋側には港湾局とか荷役会社などの事務所が建ち並んでいて、その中でなんとなくクラシカルな感じがする事務所↓。

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 写真に写っている看板を拡大してみると、リコーインターナショナルシステムズとなっていますが、建物の左側になにやら紋章のレリーフが。
ということで、ちょっと調べてみると1978年(昭和53年)の住宅地図の該当の建物には「運送業 KK武相組」となっているので、試しに1930年(昭和5年)の大横浜商工録を見てみると輸出入貨物立会業に元浜町4-35を所在地にする武相組がヒット。

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*1946年撮影の航空写真より
(余談ですが新港倉庫E号倉庫の屋根が焼け落ちているのが確認できます)


 ということは、この武相組という会社が同一の物だと仮定すると、この建物は戦前から戦後にかけてこの会社の現地事務所だったという可能性が高い、ということになりますが、ご多分に漏れずこの場所は今や道路の下に。
もしかしたら50年後くらいに、この場所を掘り返したら土台跡が出て来て大騒ぎ、なんてことになったりして……!?

 

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# by yokohama80s | 2015-12-13 00:13 | 新港埠頭 | Comments(0)
2015年 12月 06日

横浜税関石炭庫

 その昔、新港埠頭に架かる万国橋を渡った所の橋のたもと、運河の岸辺に↓

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の煉瓦造りの小さな倉庫、はたもた物置状の建物がありました。

 建物の形状から考えると、物置というよりも暖房用の石炭(昭和40年代までは暖房用の燃料は石炭が使われていた→小学生の6年間がずっと石炭ストーブでした)を一時的に貯蔵しておく小屋だろとは思いますが実際のところは……???

 この件に付いては、こちら(2014年12月14日・万国橋)でも触れましたが、80年代後半の建築探偵ブームに乗じて出版された書物には、「明治時代に建てられた貴重な……」などと記載されていたのですが、個人的には「明治築はないだろう」と思ったもの、問題は「それではいったいいつ建てられたのか?」ということ。

 そこで国土地理院の地図・空中写真閲覧システムで新港埠頭を見てみると……
なにせモノが小さいので判然とはしないのですが、1944年(昭和19年)~1946年(昭和21年)の写真では確認出来ないし、昭和24年版の横浜市三千分一地形図でも以下同文。
で1947年(昭和27年)に撮影された写真に、それらしい物体(建物)が辛うじて確認出来ることから考えると、どうやら戦後になった進駐軍によって建てられたもの、というのが実際のところのようです。

 まあ今となってはそのようなことは、誰も気にしないとは思いますが。

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*写真はすべて1982年撮影。


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# by yokohama80s | 2015-12-06 00:05 | 新港埠頭 | Comments(0)
2015年 11月 29日

東扇島

 もともと扇島は、京浜運河を開削した時に発生した土砂で川崎の海岸部を埋め立ていたものの、もともとこのあたりが遠浅の干潟で埋立用の土砂が余剰になり、その処分に困って京浜運河の外防波堤の外海側に投棄していたらいつの間にか島になってしまったもので、それに目を付けた当時、現在のJR鶴見線の前身にあたる鶴見臨海鉄道が集客策の一環として武蔵白石と現在の浜川崎の前身にあたる当時の渡田の間に"海水浴前"という夏期のみ営業する臨時停車場を開設し、海水浴シーズンに渡船を運航したところ大当たり。

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*国土変遷アーカイブの1946年の航空写真より


 当時のガイドブックには、「扇島海水浴場。鶴見港防波堤外にあり、鶴見臨港鉄道終点下車、渡船の便がある。海は遠浅の砂地で、京浜地方屈指の好海水浴場として夏期は非常に賑わい各種の設備が整っている。」とか「近くて安くて水のきれいな扇島」とあり、シャワーや浴場などが整備され昭和30年代初めまで海水浴場として利用されていたそうな。

 ちなみに地名の"扇島"とは、対岸の扇町にちなんで命名されたそうで、浅野家の家紋が扇だったことに由来しているんだとか。

 そして時は移って1971年に工場が川崎、鶴見に点在していた日本鋼管京浜製鉄所が、施設を一カ所に集めて生産拠点を統合するために扇島の本格的な埋立を開始し3年後の1974年に完成。
現在では企業私有の人工島ということで一般の立ち入りは厳禁されています。

 一方、東扇島は、扇島の東側に1972年(昭和47年)から埋め立てが始められ1979年(昭和54年)に供用が開始され、本土側の千鳥町とは川崎港海底トンネルで結ばれていて、現在はSOLASだかなんだかで埠頭内への立ち入りが制限されていますが、撮影当時は「関係者以外立ち入り禁止」の看板がおざなりに立っているだけで、岸壁に船が着くことはまれだったことや、夏には海風が心地よかったことから、埠頭内は釣り人や、タクシー、営業車などが三々五々車を止めてご休憩中というのが普通の光景でした。

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*①


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*②


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*③


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*④


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*⑤


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*⑥


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*⑦


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*⑧


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*⑨


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*⑩


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*⑪


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*⑫


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*⑬


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*⑭


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*⑮


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*⑯


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*⑰


*写真はすべて1987年撮影。





*来月12月のUP予定
12月 6日: 新港埠頭 横浜税関旧石炭庫
12月13日: 新港埠頭 三角地帯
12月20日: 新港埠頭 F号荷さばき地
12月27日: 新港埠頭 三号岸壁
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# by yokohama80s | 2015-11-29 00:06 | 東京・川崎 | Comments(2)
2015年 11月 22日

川崎区千鳥町 タンクいろいろ

今日は、先週につづいて川崎区千鳥町の産業道路の西側にある現・JX日鉱日石エネルギーこと旧・日本石油化学のコンビナート関連の各種タンク類の写真を↓。

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*写真はすべて1987年撮影。




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# by yokohama80s | 2015-11-22 00:06 | 東京・川崎 | Comments(0)
2015年 11月 15日

日本石油化学コンビナート

 川崎区千鳥町の人工島には、産業道路を挟んで東側が東燃化学コンビナート、西側には現・JX日鉱日石エネルギーこと旧・日本石油化学のコンビナートがありました……というか、今もあります。

 ちなみにデジタル大辞泉によると↓

コンビナート(〈ロシア〉kombinat)
生産工程の一貫化・多角化によって生産を効率的に行うために、ある特定の生産技術体系に基づいて一定地域に計画的に結合された企業・工場の集団。元来は、旧ソ連で鉄・石炭を中心に結合された企業集団をさす。


ということなので、正確に言うと↓の写真はコンビナート内のプラントの写真、ということになるようです(まあどうでも良い話ですが^^)。

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↑以上7点の写真は、↓の地図(A)の、当時、川崎市の清掃工場(現在は産廃処理会社の焼却所)隣りにあった正体不明のプラントなのですが、現在は無くなっているようです。


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↑以上9点が↓地図の(B)近辺のサンケミカルその他のプラント。


*写真はすべて1987年撮影。



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# by yokohama80s | 2015-11-15 00:03 | 東京・川崎 | Comments(0)
2015年 11月 08日

東京電力川崎火力発電所

 東京電力の川崎火力発電所は、川崎市営埠頭がある川崎市川崎区千鳥町埋立地の南東端に1961年(昭和36年)に建設された発電所で、80年代当時には紅白に塗り分けられた6本の煙突が市営埠頭から望むことができました。

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*①


 ということで、今日は市営埠頭で撮影した写真から、この煙突が写り込んでいるカットをまとめてみました。
ちなみにこの煙突があった施設は、老朽化のために2006年に取り壊されたそうです。

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*②


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*③


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*④


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*⑤


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*⑥


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*⑦


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*⑧


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*⑨


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*⑩


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*⑪



*写真はすべて1987年撮影。



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# by yokohama80s | 2015-11-08 00:10 | 東京・川崎 | Comments(0)
2015年 11月 01日

川崎市営埠頭

 川崎市営埠頭がある川崎市川崎区千鳥町は、神奈川県による京浜運河開削事業の一環として1932年(昭和12年)から埋立が開始されたものの西側1/3を埋め立てた段階で戦争により工事が中断。

 そして終戦後の1947年(昭和22年)に、戦後の食糧事情改善の為に国によりこの部分に荷揚場が建設され、1951年(昭和26年)に特定重要港湾の指定を受けて川崎港が開港し、1964年(昭和39年)にこの千鳥町荷揚場を改修して川崎市営埠頭が開設されました。
 
 ちなみに、Wikiの川崎港「1926年(大正15年)11月 開港」とありますが、これは正確には多摩川川岸の鈴木町の川崎河港水門のあたりに昭和元年に開設されたハシケが利用する川崎河港のことで、1951年(昭和26年)に千鳥町に川崎港が開港するまでは、本来の意味での「港」と呼べる施設は、浅野総一郎らによって造成され1928年(昭和3年)に運用を開始した扇町の三井埠頭と、昭和10年の日満倉庫(東洋埠頭)の専用埠頭しかありませんでした。
ということで、川崎港の開港は、あくまでも特定重要港湾に指定された1951年(昭和26年)となります(ちなみに指定が9月、施行が11月)。

 という話はひとまず置いておくとして、撮影当時の川崎市営埠頭は、主に内航貨物と木材を扱っていたのですが、

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*①埠頭に接岸する内航貨物船(RO-RO船)


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*②千鳥町7番地あたりの木材置き場


撮影当時には入港する船はほとんど無いような状態で、印象としては「港」というよりも人工島の大部分を占めていた石油会社や化学会社などのコンビナートや火力発電所ある工業地帯といった感じでした。

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*③


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*④


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*⑤


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*⑥


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*⑦


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*⑧塩浜船舶通航信号所


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*⑨川崎市営上屋D号倉庫


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*⑩川崎臨港倉庫


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*⑪神奈川臨海鉄道


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*⑫神奈川臨海鉄道


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*⑬


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*⑭


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*⑮


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*⑯


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*⑰


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*⑱



*写真はすべて1987年撮影。



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# by yokohama80s | 2015-11-01 00:10 | 東京・川崎 | Comments(0)
2015年 10月 25日

山下町58 ライジングサン石油ビル

 本町通りを谷戸橋方向に向かう途中にある山下町交差点のカド、山下町58番地の現在、タワーマンションが建っている場所にかつてあったのが"シェル石油横浜ビル"こと"旧ライジングサン石油ビル"。

 ちなみにライジングサン石油とは、現在の昭和シェル石油の前身にあたり1833年(天保4年)ロンドンでアジア産の貝殻を扱うサミュエル商会として開業し、1876年(明治9年)に横浜に進出し1900年(明治33年)に石油部門を独立させてライジングサン石油が営業開始。

 そして1923年(大正12年)の関東大震災により本社を神戸に移転し、1929年(昭和4年)に山下町58番地に本社新築落成、というようなことが、昭和シェル石油HPに書かれています。

 となると、「震災後に本社を神戸に移転」とあるのは、一時的なものだったのでしょうか?
そのあたりのことはよくわかりませんが、とにもかくにもこのビルは、戦時中、アメリカに避難している時に、本土空襲の指揮を執ったカーチス・ルメイに協力して焼夷弾の効果実験用日本家屋を設計したことで知られるアントニン・レーモンドによる3階建てのモダンな感じのオフィスビルで、私はてっきり戦後になって建てられたビルだと思っていました。

 ということで、建設当時の姿をご覧になりたい方は、こちら(1931年建築時代・第19号/近代デジタルライブラリー)をご参照下さい。

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*写真はすべて1981年撮影。






*来月、11月のUP予定
11月 1日: 川崎市営埠頭
11月 8日: 東京電力川崎火力発電所
11月15日: 千鳥町 コンビナート
11月22日: 千鳥町 タンク
11月29日: 東扇島

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# by yokohama80s | 2015-10-25 00:11 | 山下町 | Comments(0)
2015年 10月 18日

山下町204 ストロングビル

 ストロングビルとは、2007年まで大桟橋通りと福建路のカドにあった1938年(昭和13年)に、ストロング商会により建てられた3階建てのビルのこと。

 ちなみにこの建物は、2007年に横浜市認定歴史的建造物の指定を受けていますが、1938年(昭和13年)に建てられた本来のストロングビルは2007年に取り壊され高層ホテルに建て替えられているので、正しくはダイワロイネットホテル横浜公園が横浜市認定歴史的建造物に指定されているということになります。

 ちなみに横浜市がこの建物を認定歴史的建造物に指定した理由が、「新たに建築された建物の低層部に建築当時の設計図に基づいて外壁を忠実に復元」したからなんだそうな……って、「"新たに建築"しちゃったら歴史的建造物にならないんじゃないの?」といういたって素朴な疑問が???
  
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*写真はすべて1981年撮影。



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# by yokohama80s | 2015-10-18 00:05 | 山下町 | Comments(0)