週刊 横濱80’s

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2017年 01月 08日

東海道本線貨物支線 高島駅完全版

 過去に当サイトでは「東海道本線貨物支線 高島駅」 「横浜機関区機関庫」とかつて横浜駅東口の裏……というか、かつての東急東横線の高島駅と国道一号線を挟んで隣り……というか向かいにあった高島駅関連の写真をUPしていますが、今回はこれらをまとめて、さらに未UP写真を加えて完全版、ということで↓。

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-写真①(国道一号の歩道橋から)


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-写真②(国道一号の歩道から)


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-写真③(機関庫の裏)-


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-写真④(機関区事務所前)


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-写真⑤(スカイビル裏手より見た帷子川沿いの第二荷揚場上屋)


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-写真⑥(築地橋脇より)


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-写真⑦(高島駅正面入口)


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-写真⑧(高島駅正面入口)


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-写真⑨(第二貨物ホーム)


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-写真⑩(操車場に置かれた廃車になった貨車)


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-写真⑪(操車場に置かれた廃車になった貨車)


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-写真⑫(操車場に置かれた廃車になった貨車)


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-写真⑬(操車場に置かれた廃車になった貨車)


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-写真⑭(操車場に置かれた廃車になった貨車)


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-写真⑮(操車場に置かれた廃車になった貨車)


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-写真⑯(市場大橋から見た高島駅全景)




*1984~1987年に撮影。



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# by yokohama80s | 2017-01-08 00:05 | 高島埠頭 | Comments(1)
2017年 01月 01日

瑞穂橋

 現在、かの有名な"ポーラスター"と"スターダスト"がある神奈川区千若町2丁目と、

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いまだに米軍に接収されたままのノースピア、はたまたノースドックこと瑞穂埠頭を結ぶ瑞穂橋は、実は1995年に新しく架けられた二代目の瑞穂橋。

 初代の瑞穂橋は、1929年(昭和4年)7月に竣工した長さ76m、幅員24mの大阪汽車会社が製作した鉄の橋桁の両側に、コンクリート鋪装した歩道と車道部分に花崗岩の小鋪石(舗石)が敷かれ、橋梁の両端左右に高欄、上部に照明設備、根元部分には銘板(戦時中の金属供出で取り外されたまま?)がある公道橋と↓

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*写真は1934年(昭和9年)に内務省横浜土木出張所が発行した「横浜港と其修築」より


1934年(昭和9年)に竣工した横河橋梁会社によって製作された国内初の溶接工法を使用して作られた鋼板トラス構造の複線用鉄道橋の↓

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二つワンセットで、1925年(大正14年)から埋め立てが始まった千若町地先外国貿易設備埋立地こと現在の瑞穂埠頭と本土との連絡橋として造られました(1934年(昭和9年)に内務省横浜土木出張所が発行した「横浜港と其修築」より)。

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*車道部分の花崗岩の小鋪石(舗石)鋪装


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*橋が作られた当時には先端の金属で覆われている部分に電灯が設置されていたそうな。


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*ラインの左が日本、右側は米軍の管轄


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*撮影当時、瑞穂橋を渡った先にあった税関の監所


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*瑞穂橋から現在のコットンハーバーこと当時の浅野造船所方向を見たの図


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*初代瑞穂橋建設時に造られた防衝工(橋に船が衝突することを防ぐ為の工作物のこと)



*写真は1984年~1986年に撮影。



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# by yokohama80s | 2017-01-01 00:05 | 山内・瑞穂・出田町埠頭 | Comments(0)
2016年 12月 25日

同潤会山下町アパート二号館の入口

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*写真はすべて1982年撮影






*来月のUP予定

1月 1日:瑞穂橋
1月 8日:東海道本線貨物支線・高島駅完全版
1月15日:船のポートレート
1月22日:海岸通1丁目 東西運輸
1月29日:ある日の出港風景

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# by yokohama80s | 2016-12-25 00:01 | 山下町 | Comments(0)
2016年 12月 18日

同潤会山下町アパート 二号館

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 今回は、上の地図でいうと二号館の赤線部分の写真を
ということでまず最初は一号館と二号館の間の二号館側↓

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次は太平道側に口を開けている部分からその内側↓

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*写真はすべて1981年~82に撮影



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# by yokohama80s | 2016-12-18 00:02 | 山下町 | Comments(0)
2016年 12月 11日

同潤会山下町アパート 一号館

 その昔、山下町168番地に所在した同潤会山下町アパート↓

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*1983年版・中区(北)明細地図より


のような配置になっていて、長安道側の中庭がある建物が一号館、その隣の「コ」の字型の方を二号館と呼ばれていました。

 ということで、今日は一号館の赤線部分から

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ということで太平道側にあった一号館のアーチを通り抜けて、中庭から見た一号館

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ということで、次の写真は、一号館と二号館の間から撮影した一号館

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*写真はすべて1981年~82年にかけて撮影。




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# by yokohama80s | 2016-12-11 00:02 | 山下町 | Comments(0)
2016年 12月 04日

同潤会山下町アパートの外観

 その昔、長安道と太平道が交わるところの角地、番地で言うと山下町168番地にあった同潤会山下町アパートについては、2012年4月29日「山下町168 同潤会山下町アパート2012年12月23日「同潤会山下町アパート一号館」2012年12月30日「同潤会山下町アパート二号館」 でUPしているのですが、今月はそれらのまとめ+未UP写真をお送りしたいと思います。

 ということで、まず第一弾として長安道と太平道から見た同潤会山下町アパート編を、ということで、場所的には下の地図の

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赤線部分の左側、長安道の関帝廟通り側から↓

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こちら側(一号館)の一階部分は、店舗付き住宅として土間(店舗スペース)+6~8畳一間の1Kから、6畳+4畳半の2Kまでの全4タイプあったようなのですが、外観からは見分けが付きませんし、かつて軒を並べていた店舗の大部分が批点していまっていて、撮影当時に営業していたのは上から3枚目の写真の看板の文房具屋さんの隣りにあったパン屋さんだけだったと記憶しています。

 ということで、長安道と太平道のカドから見上げると↓

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で、長安道をちょっと下がって振り返ると↓

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もうちょっと下がると↓

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で太平道に戻って一号館から二号館へ↓

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↑ここまでが一号館の太平道側
↓からが二号館の太平道側

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*写真はすべて1981年~82年にかけて撮影。



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# by yokohama80s | 2016-12-04 00:01 | 山下町 | Comments(2)
2016年 11月 27日

日本カーフェリー木更津ターミナル周辺

 東京湾を挟んで対岸にある川崎と木更津間は、今はアクアラインで一またぎなのですが、その昔には日本カーフェリーの船で片道1時間10分掛けて行き来していた云々かんぬんについてはこちら(当ブログ2016年5月1日「日本カーフェリー浮島ターミナル」)で触れましたので以下省略。

 ということで、いまから遡ること30年ほど前のある日のこと。

 日本カーフェリー浮島ターミナル内でそれとなしに川崎~木更津間のフェリー料金を眺めていると、徒歩乗船の場合は片道1000円で所要時間が1時間10分……ということは、川崎から木更津に行って船を一便やり過ごせば3時間で行って帰って来られるし、向こうで1時間程度ブラブラ出来るなあ、ということで、物は試しとさっそく乗船券を買って停泊中の船に飛び乗って木更津へ。

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-写真①
日本カーフェリー木更津行き甲板より・その1(徒歩での乗船は私一人だったため船内は貸し切り状態だったと記憶しています)


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-写真②
日本カーフェリー木更津行き甲板より・その2


 東京湾を横断した船は、現在のアクアラインの木更津側出口から5kmほど南の、陸自の木更津駐屯地の南側の入江を挟んで対岸にある木更津港のフェリー突堤に入港します。

 そして船を下りたら突堤前の道を右に行くと、潮干狩り客相手と思われる売店↓

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-写真③
フェリーターミナルから中の島大橋へ行く途中にある店


を抜けると、木更津港と木更津駐屯地の間に浮かぶ中の島を結ぶ日本一高い歩道橋と称する中の島大橋があり↓

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-写真④
中の島大橋の木更津港側(鳥居崎海浜公園側)


取りあえずその「日本一高い」とされる歩道橋をハヒハヒ言いながら

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-写真⑤
中の島大橋の踊り場


登り切ると木更津港を一望の下に見渡すことが出来ました。

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-写真⑥
中の島大橋から南東方向の木更津港を見るの図


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-写真⑦
中の島大橋から南西方向の鳥居崎海浜公園駐車場を見るの図


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-写真⑧


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-写真⑨
木更津港に入港してきた砂利運搬船


そして歩道橋を渡って対岸の中の島に渡ると……

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-写真⑩


ヨットの係留所があるだけで、取り立てて見るべきモノも見当たらないので、Uターンして再び中の島大橋を渡って木更津側に戻って、フェリーターミナルを横目で見ながら通り過ぎて、その先にある県道の交差点を左折すると↓

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-写真⑪


ボートの販売店とその向こうにボーリング場がありました、といったところで、川崎に戻る船が入港してきたので、「そろそろ時間となりました」ということでフェリーターミナルに戻り再び東京湾を横断して川崎に戻りました。

 ちなみに当時、川崎側のフェリーターミナル近辺に職場がある人の中には、木更津に居を構えて川崎のフェリーターミナルにチャリか原チャを置きっぱにして毎日通勤している方々が少なくなかったそうなのですが、行き帰りの通勤ラッシュとは一切無縁という点は、悪天候時にフェリーが運休すると総武線でグル~ッと遠回りを強いられることを差し引いても余りあるほど魅力的に思えたものです。

 なにせ川崎~木更津間の1時間余りの間は、船内の長いすで横になって寝ることだって出来るんですから。


*写真はすべて1987年撮影。





*来月12月のUP予定のご案内
12月 4日:同潤会山下町アパート外観編
12月11日:同潤会山下町アパート一号館編
12月18日:同潤会山下町アパート二号館編
12月25日:同潤会山下町アパート入口編

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# by yokohama80s | 2016-11-27 00:03 | 東京・川崎 | Comments(0)
2016年 11月 20日

築地5-2 東都水産東京冷凍工場

 いま何かと話題の築地市場の新大橋通りにある正門と場外市場との間にある冷凍工場。

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*写真はすべて1986年撮影。



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# by yokohama80s | 2016-11-20 00:02 | 東京・川崎 | Comments(0)
2016年 11月 13日

中華街・撮影場所不明の写真

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*中華料理屋の裏に放置されていた中華鍋


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*同じく放置されて(捨てられて?)いた金庫


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*業種不明のお店の窓


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*判読不明なお店の看板


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*……???


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*所在地不明の荷役会社の寮


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*天日干し中の何か、その1


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*天日干し中の何か、その2


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*昔懐かしいコンクリート製の塵芥入れ


 これら↑の写真は、中華街で撮影した物ということは確かなのですが、細かい場所どころかどの通りで撮影したのかさえわかりません。

 たぶん市場通りか香港路か、はたまた中山路のどこかだろうとは思うのですが???


*写真はすべて1982年撮影。


(今回は撮影場所が不明なので地図はありません)

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# by yokohama80s | 2016-11-13 00:05 | 山下町 | Comments(0)
2016年 11月 06日

中華街番外編

 当ブログでは、山下町の中華街関連の写真は何回かUPしているのですが、今回は過去にUPしそびれた写真や、最近になってようやく撮影場所が判明した未UP写真を。

 ということでまずはシルク通りの 山下町72番地の蚕糸共同株式会社↓

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-写真①-
山下町72番地・蚕糸共同株式会社


ちなみに写真奥に見える団地は、その昔、 本町通りとシルク通りとの間の山下町73番地にあった公団の山下町第2団地1号棟。
現在はURの賃貸マンションが建っています。

 次が開港道の加賀町警察署北交差点前の山下町155番地にあった横浜ビルサービス↓

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-写真②-
山下町155番地・横浜ビルサービス


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-写真③-
山下町155番地・横浜ビルサービス


現在は時間貸しの駐車場になっています。

 次は旧前田橋通りこと現在の南門シルクロードのかつてのオリエンタルホテル(旅館)の二軒大通り側の山下町187番地にあった個人住宅と思われる建物↓

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-写真④-
山下町187番地


現在はこれまた時間貸しの駐車場になっています。

 でさらにその次は福建路と堀川通りの間の名称不明の通りのちょうど中土木事務所の裏手の山下町250番地にあった昔ながらの氷屋さん↓

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-写真⑤-
山下町250番地・岡野商店


この場所は現在は賃貸マンションが建っています。

 ということで、さらにお次は、長安道の中華学院の向かい側の山下町218番地にあったかつてこのあたりに建ち並んでいた外人バーの面影が残る↓

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-写真⑥-
山下町218番地・スナック九竜


私の記憶が確かなら、撮影当時にかつて隆盛を極めていた外人バーの名残を留めていた建物は、写真の建物だけだったかと思います。

 ちなみに現在、このあたりはカフェレストランなどが入った雑居ビルが建っています。

 お次は、太平道の横浜中央病院となりの山下町253番地にあった自衛隊神奈川地方連絡部横浜募集事務所↓

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-写真⑦-
山下町253番地・自衛隊神奈川地方連絡部横浜募集事務所


そして長安道の山下町276番地には↓

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-写真⑧-
山下町276番地・天地堂印刷



*写真はすべて1982年撮影。



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# by yokohama80s | 2016-11-06 00:08 | 山下町 | Comments(2)
2016年 10月 30日

住吉町5丁目

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-写真①-
5-59:横浜東宝会館


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-写真②-
5-51:馬車道会館(野田ビル)


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-写真③-
5-57:レストランエリーゼ


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-写真④-
5-65:住吉町共同住宅


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*写真はすべて1981年撮影。





*来月11月のUP予定のご案内
11月 6日:中華街番外編
11月13日:中華街撮影場所不明編
11月20日:築地5-2 東都水産東京冷凍工場
11月27日:木更津フェリーターミナル周辺

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# by yokohama80s | 2016-10-30 00:12 | 関内地区 | Comments(2)
2016年 10月 23日

住吉町4丁目

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-写真①-
4-42:1935年(昭和10年)に建てられた旧横浜宝塚劇場こと当時の横浜市民ホール


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-写真②-
4-42:1938年(昭和13年)に建てられた旧横浜興信銀行本店こと撮影当時の中区役所


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-写真③-
4-45:なぜかこんな所にヨコハマガーデンセンター


*写真はすべて1981年撮影。



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# by yokohama80s | 2016-10-23 00:14 | 関内地区 | Comments(0)
2016年 10月 16日

弁天通3丁目 弁三アパートと神奈川県住宅供給公社ビル

 その昔、関内大通りの太田町3丁目交差点に1958年(昭和33年)に建てられた最上階が当時としては珍しいメゾネット形式の神奈川県住宅公社ビルと、それに接続する形で(見かけ上はくっついて見えるだけで実際には接続していない)1954年(昭和29年)8月に建てられた現・弁天通り3丁目共同ビルこと当時の原ビル、はたまた通称・弁三ビル、"弁三アパート"などとも呼ばれる通りに面した1階部分に店舗が入居し、2階以上が住宅になっている"下駄履き住宅"がありました。

 現在、関内大通りに面して建っていた神奈川県住宅公社ビルは、建て替えのために取り壊されていますが、"弁三ビル"の方は戦後になって建てられた防火帯建築として現存しています。

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-写真①-
2012年まで神奈川県住宅公社ビル1階にあった1880年創業の後藤惣兵衛商店

 
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-写真②-
弁三ビル裏の現在、マンションが建っている場所にあった駐車場より


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-写真③-
写真②を撮影した場所の右手にあったタクシー会社のブロック塀


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-写真④-
同上


 ↑当時は古びた塀などに穴が開いていると「空襲の跡」とされてものですから、この塀の穴もてっきり空襲の跡だと思って撮影したのですが、どうやらこのブロック塀はタクシー会社の営業所が建てられた時に設置された物のようです。 


*写真は1982年撮影。





 
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# by yokohama80s | 2016-10-16 00:10 | 関内地区 | Comments(0)
2016年 10月 09日

太田町通り

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-写真①-
2-22 コーヒーブラン


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-写真②-
2-28 大黒ビル レストランメリコ


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-写真③-
2-30 みどりビル


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-写真④-
2-31 青木ビル・ホーム観光


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-写真⑤-
2-23 神奈川新聞社


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-写真⑥-
同上


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-写真⑦-
2-32 第二安達ビル


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-写真⑧-
同上


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-写真⑨-
4-45 バーバーショップ脇山


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-写真⑩-
4-50 馬車道ビル・信濃屋


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-写真⑪-
5-56 コンノアートサロン(旧大宝堂時計店)


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-写真⑫-
同上


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-写真⑬-
5-61 馬車道第三共同ビル・平安堂薬局


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-写真⑭-
2-31 やきとり関内山路(太田町と相生町の町堺の路地)


*写真はすべて1981年撮影。


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# by yokohama80s | 2016-10-09 00:12 | 関内地区 | Comments(2)
2016年 10月 02日

西区桜木町7丁目界隈

 国道一号と十六号が分岐する高島町の交差点から、桜木町駅方向に130mほど進むと左手に旧東横線と京浜東北線の高架の下をくぐる内田町架道橋と名付けられたアンダーパスがあります。

 これをくぐり抜けると京浜東北線の高架線と横羽線の高架に挟まれたところに高島町方向に道路があります。

 古い地図を見るとこの道路とアンダーパスは、高島町に二代目の横浜駅があった当時には旧神奈川駅から桜木町駅へ向かう市電の軌道跡で、アンダーパスをくぐった十六号に出たところで浜松町……というか久保町というか、とにもかくにもあっち方向から来た市電と合流して桜木町駅方向へ路面電車の線路が延びていました……というか、伸びていたようです。
……という話はともかくとして、この一角は先にも書いたように京浜東北線の高架線と横羽線の高架に挟まれたエアポケットのような場所でしたが、現在もみなとみらいの開発の波から取り残された場所となっています。

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*写真はすべて1987年撮影


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# by yokohama80s | 2016-10-02 00:05 | 高島埠頭 | Comments(0)
2016年 09月 25日

横浜港駅 計重台(完全版)

 以前、こちら(横浜港駅 計重台)で取り上げているのですが、未UP写真が出て来たので、今回あらためて「完全版」として再UPします。

 ということで、まずは「計重台」とは、「台の上に計量したい物を置き台の沈み込みから重量を割り出す重量測定器」、すなわち大きな計りのことで、まずは荷物を積んでいない空の状態の貨車の重さを量り、荷物を積み込んだらもう一度重さを量ってその差がすなわち積荷の重さということで、重さ辺りの料金を荷主に請求する時に使用されていたようです。

 で、横浜港税関埠頭こと、新港埠頭と大桟橋の震災復旧状況を記した、昭和9年に大蔵省が発行 「営繕管財局営繕事業年報. 第1輯(大正14年度)」によると、「貨車用計重台は在来五台なりしも利用の程度を考慮し強力なるものを二台新設するものとす」とされていて、さらに昭和9年に横浜市土木局が発行した「横浜港」の巻末にある「横浜税関設備図」を見ると↓

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十一号上屋万国橋側と変電所などがあった三角地帯の新港倉庫E号倉庫前の二カ所に貨車用計重台が設置されたようですが、80年代頃には十一号上屋万国橋側の1基しか無かったように記憶しています。

 ちなみにこの二カ所を現在の新港埠頭に落としてみると↓

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国際大通り・サークルウォーク交差点のみなとみらい側、赤レンガ倉庫行きの道路上と、新港中央広場ということになるようです。


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-写真①(1981年撮影)-


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-写真②(1983年撮影)-


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-写真③(1983年撮影)-


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-写真④(1983年撮影)-


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-写真⑤(1983年撮影)-


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-写真⑥(1987年撮影)-





*来月10月のUP予定

10月 2日:西区桜木町七丁目界隈
10月 9日:太田町通り
10月16日:弁三アパート
10月23日:住吉町四丁目界隈
10月30日:住吉町五丁目界隈

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# by yokohama80s | 2016-09-25 00:05 | 新港埠頭 | Comments(0)
2016年 09月 18日

右突堤中央道路

 新港埠頭の右突堤中央道路とは、今は跡形もありませんが赤レンガ二号倉庫と道路を挟んで向かい側の中央公園にその昔あった新港埠頭変電所の前から、

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-写真①(1982年撮影)-


四号、五号、六号岸壁がある新港埠頭右突堤中央部を貫く道路のことを指します。

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-写真②(1984年撮影)-


↑写真①の撮影場所から中央道路を渡った歩道から横浜港駅の小口貨物積卸場を見るの図。

 そして写真①と②の場所から120mほど行くと

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-写真③(1983年撮影)-


六号上屋があり、そこから左突堤に抜ける道があり

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-写真④(1983年撮影)-


そして中央道路を挟んで右手側の現在は赤レンガパークのあるあたりには

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-写真⑤(1987年撮影)-


荷捌場があり、そこから四号岸壁と三号岸壁のクビレ部分に至る道が伸びていて

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-写真⑥(1983年撮影)-


中央道路沿いには

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-写真⑦(1981年撮影)-


横浜港駅の旅客用プラットホームがあり、右にプラットホームを見ながら80mほど先の左側に五号上屋があり

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-写真⑧(1981年撮影)-


さらに進むと、かつて旅客ターミナルがあった四号上屋跡のF号荷さばき地があり

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-写真⑨(1987年撮影)-


さらに進むと

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-写真⑩(1987年撮影)-


右突堤中央道路は海に突き当たって行き止まりとなります。

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(1982年撮影)




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# by yokohama80s | 2016-09-18 00:14 | 新港埠頭 | Comments(0)
2016年 09月 11日

左突堤中央道路

 もともと新港埠頭は左右に二つの突堤を持つ埠頭で、、十、十一号岸壁がある方を、便宜上の名称なのかはたまた正式な名称なのかは定かではありませんが、いちおう"左突堤"と呼び、その中央部を貫通している道路を、これまた便宜上、そう呼ぶのか、はたまた正式なのかは存じませんがいちおう"左突堤中央道路"と呼ばれていたようです。

 まあわかりやすく言えば、ハンマーヘッドクレーンがある方の突堤です。

 ということで↓

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*-写真①-(2015年撮影)


↑が現在のお姿。
で↓

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*-写真②-(1987年撮影)


↑が29年前の風景。

 上の写真②の画面中央左下の道路のアスファルトが剥がれている所は、

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*-写真③-(1981年撮影)


往時の石畳が顔を覗かせていました。

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*-写真④-(1982年撮影)


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*-写真⑤-(1981年撮影)


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*-写真⑥-(1983年撮影)


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*-写真⑦-(1983年撮影)


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*-写真⑧-(1983年撮影)


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*-写真⑨-(1983年撮影)


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*-写真⑩-(1987年撮影)




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# by yokohama80s | 2016-09-11 00:10 | 新港埠頭 | Comments(0)
2016年 09月 04日

米海軍横浜冷蔵貯蔵施設簡易冷凍庫

 新港埠頭七号岸壁には、本来なら同じく新港埠頭左突堤の東側、七号岸壁と並びの八号岸壁の八号上屋と同じく1929年(昭和4年)に建てられた、鉄筋コンクリート造りの七号上屋があったのですが、大戦中の1942年(昭和17年)11月30日に八号岸壁に係留されていたドイツ海軍の補給艦の爆発炎上事故により倒壊し、辛うじて倒壊を免れた中央道路側の壁と、八号上屋側と万国橋側の壁1/3が1957年に米軍が簡易冷凍庫を設置するまで衝立のような形で残され、七号上屋跡地は露天の貨物置き場として使われていた云々かんぬんということはこちらでくわしく触れましたので、そちらをご一読頂くということで以下省略。

 さらに戦後は、"NAVY COLD STORAGE FACILITY YOKOHAMA"こと直訳すると米海軍横浜冷蔵貯蔵施設として七号上屋跡に簡易冷蔵庫が設置され、さらに旧三井生糸倉庫、同F号、同B号倉庫、新港倉庫A号倉庫などと共に1994年まで接収され、接収初期の頃はアメリカ本国から冷凍船で横浜港へ大量に運び込まれた食料品を冷蔵貨車に積んで全国の米軍基地に配送するまでの一時貯蔵所として、その後は米軍艦船向けの冷凍食品の保管施設として使用されて云々かんぬんという話はこちらで触れましたので以下省略、ということで、今回は80年代当時に七号岸壁にあった簡易冷凍倉庫の写真を↓。

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写真①
*右突堤と左突堤の連絡道路にあった電源小屋


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写真②
*写真右側が七号岸壁、左が簡易冷凍倉庫


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写真③
*写真②の10mほど左側より


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写真④
*右突堤と左突堤を結ぶ連絡道路と左突堤中央道路との交差点


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写真⑤
*写真④の交差点角にある旧税関第二分室の建物


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写真⑥


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写真⑦


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写真⑧


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写真⑨


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写真⑩


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写真⑪


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写真⑫


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写真⑬


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写真⑭



*写真①が1982年、写真②、④が1983年、その他は1987年撮影。



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# by yokohama80s | 2016-09-04 00:05 | 新港埠頭 | Comments(0)
2016年 08月 28日

品川埠頭

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 品川駅の東1.5kmほどのところにある品川埠頭は、東京港修築事業で埋め立てられた第9号埋立地こと港南3,4丁目の沖に1962年(昭和42年)造成された現在の港南5丁目一帯の海側に設けられた岩壁のことで、国内初のコンテナ専用岸壁が設置された埠頭としてしも知られています。

 撮影当時の30年ほど前から現在まで、品川埠頭はコンテナ埠頭と外貿埠頭、北海道定期航路用内貿埠頭がありますが、↑の写真を撮影したのが日曜だったこともあり、埠頭はどこもがっちりと施錠されていて中に入ることは出来ませんでした。

*写真はすべて1986年撮影。





*9月のUP予定
9月 4日:新港埠頭・米軍冷凍倉庫
9月11日:新港埠頭・左突堤中央道路
9月18日:新港埠頭・右突堤中央道路
9月25日:横浜港駅・計重台

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# by yokohama80s | 2016-08-28 00:05 | 東京・川崎 | Comments(0)