2016年 10月 30日

住吉町5丁目

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-写真①-
5-59:横浜東宝会館


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-写真②-
5-51:馬車道会館(野田ビル)


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-写真③-
5-57:レストランエリーゼ


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-写真④-
5-65:住吉町共同住宅


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*写真はすべて1981年撮影。





*来月11月のUP予定のご案内
11月 6日:中華街番外編
11月13日:中華街撮影場所不明編
11月20日:築地5-2 東都水産東京冷凍工場
11月27日:木更津フェリーターミナル周辺

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# by yokohama80s | 2016-10-30 00:12 | 関内地区 | Comments(2)
2016年 10月 23日

住吉町4丁目

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-写真①-
4-42:1935年(昭和10年)に建てられた旧横浜宝塚劇場こと当時の横浜市民ホール


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-写真②-
4-42:1938年(昭和13年)に建てられた旧横浜興信銀行本店こと撮影当時の中区役所


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-写真③-
4-45:なぜかこんな所にヨコハマガーデンセンター


*写真はすべて1981年撮影。



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# by yokohama80s | 2016-10-23 00:14 | 関内地区 | Comments(0)
2016年 10月 16日

弁天通3丁目 弁三アパートと神奈川県住宅供給公社ビル

 その昔、関内大通りの太田町3丁目交差点に1958年(昭和33年)に建てられた最上階が当時としては珍しいメゾネット形式の神奈川県住宅公社ビルと、それに接続する形で(見かけ上はくっついて見えるだけで実際には接続していない)1954年(昭和29年)8月に建てられた現・弁天通り3丁目共同ビルこと当時の原ビル、はたまた通称・弁三ビル、"弁三アパート"などとも呼ばれる通りに面した1階部分に店舗が入居し、2階以上が住宅になっている"下駄履き住宅"がありました。

 現在、関内大通りに面して建っていた神奈川県住宅公社ビルは、建て替えのために取り壊されていますが、"弁三ビル"の方は戦後になって建てられた防火帯建築として現存しています。

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-写真①-
2012年まで神奈川県住宅公社ビル1階にあった1880年創業の後藤惣兵衛商店

 
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-写真②-
弁三ビル裏の現在、マンションが建っている場所にあった駐車場より


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-写真③-
写真②を撮影した場所の右手にあったタクシー会社のブロック塀


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-写真④-
同上


 ↑当時は古びた塀などに穴が開いていると「空襲の跡」とされてものですから、この塀の穴もてっきり空襲の跡だと思って撮影したのですが、どうやらこのブロック塀はタクシー会社の営業所が建てられた時に設置された物のようです。 


*写真は1982年撮影。





 
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# by yokohama80s | 2016-10-16 00:10 | 関内地区 | Comments(0)
2016年 10月 09日

太田町通り

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-写真①-
2-22 コーヒーブラン


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-写真②-
2-28 大黒ビル レストランメリコ


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-写真③-
2-30 みどりビル


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-写真④-
2-31 青木ビル・ホーム観光


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-写真⑤-
2-23 神奈川新聞社


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-写真⑥-
同上


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-写真⑦-
2-32 第二安達ビル


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-写真⑧-
同上


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-写真⑨-
4-45 バーバーショップ脇山


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-写真⑩-
4-50 馬車道ビル・信濃屋


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-写真⑪-
5-56 コンノアートサロン(旧大宝堂時計店)


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-写真⑫-
同上


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-写真⑬-
5-61 馬車道第三共同ビル・平安堂薬局


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-写真⑭-
2-31 やきとり関内山路(太田町と相生町の町堺の路地)


*写真はすべて1981年撮影。


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# by yokohama80s | 2016-10-09 00:12 | 関内地区 | Comments(2)
2016年 10月 02日

西区桜木町7丁目界隈

 国道一号と十六号が分岐する高島町の交差点から、桜木町駅方向に130mほど進むと左手に旧東横線と京浜東北線の高架の下をくぐる内田町架道橋と名付けられたアンダーパスがあります。

 これをくぐり抜けると京浜東北線の高架線と横羽線の高架に挟まれたところに高島町方向に道路があります。

 古い地図を見るとこの道路とアンダーパスは、高島町に二代目の横浜駅があった当時には旧神奈川駅から桜木町駅へ向かう市電の軌道跡で、アンダーパスをくぐった十六号に出たところで浜松町……というか久保町というか、とにもかくにもあっち方向から来た市電と合流して桜木町駅方向へ路面電車の線路が延びていました……というか、伸びていたようです。
……という話はともかくとして、この一角は先にも書いたように京浜東北線の高架線と横羽線の高架に挟まれたエアポケットのような場所でしたが、現在もみなとみらいの開発の波から取り残された場所となっています。

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*写真はすべて1987年撮影


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# by yokohama80s | 2016-10-02 00:05 | 高島埠頭 | Comments(0)
2016年 09月 25日

横浜港駅 計重台(完全版)

 以前、こちら(横浜港駅 計重台)で取り上げているのですが、未UP写真が出て来たので、今回あらためて「完全版」として再UPします。

 ということで、まずは「計重台」とは、「台の上に計量したい物を置き台の沈み込みから重量を割り出す重量測定器」、すなわち大きな計りのことで、まずは荷物を積んでいない空の状態の貨車の重さを量り、荷物を積み込んだらもう一度重さを量ってその差がすなわち積荷の重さということで、重さ辺りの料金を荷主に請求する時に使用されていたようです。

 で、横浜港税関埠頭こと、新港埠頭と大桟橋の震災復旧状況を記した、昭和9年に大蔵省が発行 「営繕管財局営繕事業年報. 第1輯(大正14年度)」によると、「貨車用計重台は在来五台なりしも利用の程度を考慮し強力なるものを二台新設するものとす」とされていて、さらに昭和9年に横浜市土木局が発行した「横浜港」の巻末にある「横浜税関設備図」を見ると↓

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十一号上屋万国橋側と変電所などがあった三角地帯の新港倉庫E号倉庫前の二カ所に貨車用計重台が設置されたようですが、80年代頃には十一号上屋万国橋側の1基しか無かったように記憶しています。

 ちなみにこの二カ所を現在の新港埠頭に落としてみると↓

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国際大通り・サークルウォーク交差点のみなとみらい側、赤レンガ倉庫行きの道路上と、新港中央広場ということになるようです。


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-写真①(1981年撮影)-


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-写真②(1983年撮影)-


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-写真③(1983年撮影)-


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-写真④(1983年撮影)-


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-写真⑤(1983年撮影)-


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-写真⑥(1987年撮影)-





*来月10月のUP予定

10月 2日:西区桜木町七丁目界隈
10月 9日:太田町通り
10月16日:弁三アパート
10月23日:住吉町四丁目界隈
10月30日:住吉町五丁目界隈

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# by yokohama80s | 2016-09-25 00:05 | 新港埠頭 | Comments(0)
2016年 09月 18日

右突堤中央道路

 新港埠頭の右突堤中央道路とは、今は跡形もありませんが赤レンガ二号倉庫と道路を挟んで向かい側の中央公園にその昔あった新港埠頭変電所の前から、

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-写真①(1982年撮影)-


四号、五号、六号岸壁がある新港埠頭右突堤中央部を貫く道路のことを指します。

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-写真②(1984年撮影)-


↑写真①の撮影場所から中央道路を渡った歩道から横浜港駅の小口貨物積卸場を見るの図。

 そして写真①と②の場所から120mほど行くと

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-写真③(1983年撮影)-


六号上屋があり、そこから左突堤に抜ける道があり

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-写真④(1983年撮影)-


そして中央道路を挟んで右手側の現在は赤レンガパークのあるあたりには

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-写真⑤(1987年撮影)-


荷捌場があり、そこから四号岸壁と三号岸壁のクビレ部分に至る道が伸びていて

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-写真⑥(1983年撮影)-


中央道路沿いには

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-写真⑦(1981年撮影)-


横浜港駅の旅客用プラットホームがあり、右にプラットホームを見ながら80mほど先の左側に五号上屋があり

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-写真⑧(1981年撮影)-


さらに進むと、かつて旅客ターミナルがあった四号上屋跡のF号荷さばき地があり

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-写真⑨(1987年撮影)-


さらに進むと

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-写真⑩(1987年撮影)-


右突堤中央道路は海に突き当たって行き止まりとなります。

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(1982年撮影)




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# by yokohama80s | 2016-09-18 00:14 | 新港埠頭 | Comments(0)
2016年 09月 11日

左突堤中央道路

 もともと新港埠頭は左右に二つの突堤を持つ埠頭で、、十、十一号岸壁がある方を、便宜上の名称なのかはたまた正式な名称なのかは定かではありませんが、いちおう"左突堤"と呼び、その中央部を貫通している道路を、これまた便宜上、そう呼ぶのか、はたまた正式なのかは存じませんがいちおう"左突堤中央道路"と呼ばれていたようです。

 まあわかりやすく言えば、ハンマーヘッドクレーンがある方の突堤です。

 ということで↓

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*-写真①-(2015年撮影)


↑が現在のお姿。
で↓

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*-写真②-(1987年撮影)


↑が29年前の風景。

 上の写真②の画面中央左下の道路のアスファルトが剥がれている所は、

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*-写真③-(1981年撮影)


往時の石畳が顔を覗かせていました。

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*-写真④-(1982年撮影)


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*-写真⑤-(1981年撮影)


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*-写真⑥-(1983年撮影)


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*-写真⑦-(1983年撮影)


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*-写真⑧-(1983年撮影)


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*-写真⑨-(1983年撮影)


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*-写真⑩-(1987年撮影)




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# by yokohama80s | 2016-09-11 00:10 | 新港埠頭 | Comments(0)
2016年 09月 04日

米海軍横浜冷蔵貯蔵施設簡易冷凍庫

 新港埠頭七号岸壁には、本来なら同じく新港埠頭左突堤の東側、七号岸壁と並びの八号岸壁の八号上屋と同じく1929年(昭和4年)に建てられた、鉄筋コンクリート造りの七号上屋があったのですが、大戦中の1942年(昭和17年)11月30日に八号岸壁に係留されていたドイツ海軍の補給艦の爆発炎上事故により倒壊し、辛うじて倒壊を免れた中央道路側の壁と、八号上屋側と万国橋側の壁1/3が1957年に米軍が簡易冷凍庫を設置するまで衝立のような形で残され、七号上屋跡地は露天の貨物置き場として使われていた云々かんぬんということはこちらでくわしく触れましたので、そちらをご一読頂くということで以下省略。

 さらに戦後は、"NAVY COLD STORAGE FACILITY YOKOHAMA"こと直訳すると米海軍横浜冷蔵貯蔵施設として七号上屋跡に簡易冷蔵庫が設置され、さらに旧三井生糸倉庫、同F号、同B号倉庫、新港倉庫A号倉庫などと共に1994年まで接収され、接収初期の頃はアメリカ本国から冷凍船で横浜港へ大量に運び込まれた食料品を冷蔵貨車に積んで全国の米軍基地に配送するまでの一時貯蔵所として、その後は米軍艦船向けの冷凍食品の保管施設として使用されて云々かんぬんという話はこちらで触れましたので以下省略、ということで、今回は80年代当時に七号岸壁にあった簡易冷凍倉庫の写真を↓。

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写真①
*右突堤と左突堤の連絡道路にあった電源小屋


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写真②
*写真右側が七号岸壁、左が簡易冷凍倉庫


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写真③
*写真②の10mほど左側より


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写真④
*右突堤と左突堤を結ぶ連絡道路と左突堤中央道路との交差点


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写真⑤
*写真④の交差点角にある旧税関第二分室の建物


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写真⑥


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写真⑦


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写真⑧


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写真⑨


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写真⑩


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写真⑪


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写真⑫


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写真⑬


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写真⑭



*写真①が1982年、写真②、④が1983年、その他は1987年撮影。



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# by yokohama80s | 2016-09-04 00:05 | 新港埠頭 | Comments(0)
2016年 08月 28日

品川埠頭

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 品川駅の東1.5kmほどのところにある品川埠頭は、東京港修築事業で埋め立てられた第9号埋立地こと港南3,4丁目の沖に1962年(昭和42年)造成された現在の港南5丁目一帯の海側に設けられた岩壁のことで、国内初のコンテナ専用岸壁が設置された埠頭としてしも知られています。

 撮影当時の30年ほど前から現在まで、品川埠頭はコンテナ埠頭と外貿埠頭、北海道定期航路用内貿埠頭がありますが、↑の写真を撮影したのが日曜だったこともあり、埠頭はどこもがっちりと施錠されていて中に入ることは出来ませんでした。

*写真はすべて1986年撮影。





*9月のUP予定
9月 4日:新港埠頭・米軍冷凍倉庫
9月11日:新港埠頭・左突堤中央道路
9月18日:新港埠頭・右突堤中央道路
9月25日:横浜港駅・計重台

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# by yokohama80s | 2016-08-28 00:05 | 東京・川崎 | Comments(0)
2016年 08月 21日

港区港南4丁目界隈

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-写真①-
(港南一丁目6番先から港南四丁目5番先に至る高浜運河に架かる御楯橋)


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-写真②-
(御楯橋を渡ったところにあったアパート)


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-写真③-
(御楯橋を渡ったところにあったアパーのベランダ)


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-写真④-
(海岸通港南4丁目交差点付近)


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-写真⑤-
(東京モノレールの高架橋)


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-写真⑥-
(東京モノレールの高架橋)


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-写真⑦-
(東京モノレールの高架橋)


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-写真⑧-
(新幹線の高架橋)



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-写真⑨-
(新幹線の高架橋)


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-写真⑩-
(新幹線の高架橋)


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-写真⑪-
(港南大橋歩道)


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-写真⑫-
(芝浦排水機場)



*写真はすべて1987年撮影。



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# by yokohama80s | 2016-08-21 00:10 | 東京・川崎 | Comments(0)
2016年 08月 14日

京浜島 ベルトコンベア

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 当時、京浜運河を挟んで北にあった城南島から運河を渡って京浜島に向かって約1kmほどのベルトコンベアがありました。

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*1989年に撮影された航空写真より


当時、京浜島と京浜運河を挟んで対岸の城南島にあった東京港サービス公社(その後、東京港埠頭公社→東京港埠頭株式会社)の城南島広域利用建設発生土受入基地(都内の土木工事で発生した土砂を再処理して、埋め立てや他の土木工事に再利用する施設だそうな)とを結んでいたのですが、城南島→京浜島に土砂を送っていたのか、はたまた京浜島→城南島だったのかは不明です。


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*写真はすべて1986年撮影。




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# by yokohama80s | 2016-08-14 00:07 | 東京・川崎 | Comments(0)
2016年 08月 07日

京浜島

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-写真①-
京浜大橋


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-写真②-
国道357号


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-写真③-
京浜島つばさ公園


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-写真④-
京浜島つばさ公園


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-写真⑤-
京浜島つばさ公園


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-写真⑥-
京浜島つばさ公園


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-写真⑦-速湾岸線空港北トンネル建設用仮橋(京浜島と羽田空港を連絡)


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-写真⑧-京浜島と羽田空港を結ぶ高速湾岸線空港北トンネル建設用仮橋


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-写真⑨-京浜島と羽田空港を結ぶ高速湾岸線空港北トンネル建設用仮橋


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-写真⑩-京浜島と羽田空港を結ぶ高速湾岸線空港北トンネル建設用仮橋


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-写真⑪-
羽田空港22番滑走路を離陸する747


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-写真⑫-
羽田空港22番滑走路を離陸する747


 京浜島の詳細についてはこちらをご参照下さい。


*写真はすべて1987年撮影。




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# by yokohama80s | 2016-08-07 00:07 | 東京・川崎 | Comments(0)
2016年 07月 31日

相生町6-104 中村船具工業

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*写真はすべて1982年撮影。





*8月のUP予定
8月 7日: 京浜島
8月14日: 京浜島 ベルトコンベア
8月21日: 港区港南4丁目界隈
8月28日: 品川埠頭 

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# by yokohama80s | 2016-07-31 00:04 | 関内地区 | Comments(0)
2016年 07月 24日

相生町4丁目界隈

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①4-69金港スポーツ


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②4-69(相生町と住吉町の町境の通り)


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③4-65楽意楼(写真②で相生町通りに見えるレストラン・ナポリの隣りにあった中華料理屋 その1)


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④4-65楽意楼(写真②で相生町通りに見えるレストラン・ナポリの隣りにあった中華料理屋 その2)


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⑤4-73ガス灯


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⑥4-68レストラン・相生



*写真はすべて1982年撮影。



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# by yokohama80s | 2016-07-24 00:06 | 関内地区 | Comments(0)
2016年 07月 17日

相生町3丁目界隈

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①3-55国際親善病院


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3-61オリジナルジョーズ


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③3-63近辺


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④3-63八百政ビルのウラ その1


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⑤3-63八百政ビルのウラ その2


*写真はすべて1982年撮影。



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# by yokohama80s | 2016-07-17 00:01 | 関内地区 | Comments(0)
2016年 07月 10日

相生町2丁目界隈

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①42番地 成田ビル(関内仲通り)


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②42番地 成田ビル(関内仲通り)


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③46番地付近


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④48番地付近


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⑤49番地付近


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⑥49番地付近


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⑦52番地 栗原タバコ店(関内桜通り)


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52番地 ローマステーション(関内桜通り)


*写真はすべて1982年撮影



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# by yokohama80s | 2016-07-10 00:01 | 関内地区 | Comments(0)
2016年 07月 03日

相生町1丁目界隈

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1番地 梅香亭


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②1番地 モカ


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③17番地 県水産会館


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④6番地 晴海梱包商会専用駐車場


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⑤6番地 山口ビル


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⑥24番地 第二リバースビル・ポットラック


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19番地 ルミエールドパリ


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⑧⑦の向かい側は住吉町1-3スカーフ会館裏口



*写真はすべて1982年撮影



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# by yokohama80s | 2016-07-03 00:01 | 関内地区 | Comments(0)
2016年 06月 26日

海岸通1丁目 商船運輸現場事務所

 現在、開港広場前交差点から大桟橋に向かう道の裏側、いわゆる西波止場、象の鼻側はこんな感じ(グーグルストリービュー)になっています。

 山下臨港線プロムナードから見るとこんな感じ↓

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-写真①-(2014年撮影)


 そして1982年はこんな感じ↓

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-写真②-(1982年撮影)


 よくよく見てみると現在の遊歩道部分は、元々の物揚場の擁壁が波で浸食されたり接岸する船によって傷つけられないように1mほど沖に新たに擁壁を作って、その上に遊歩道を被せて何気に昔の物揚場を保存するような構造になっています。

 ちなみに新港埠頭の旧岸壁部分も、よくよく見ると元々の路面の上に新たにタイルを敷き詰めるという同じような構造になっています。

 ということは、現在、表層に敷き詰められているタイルを剥がすと、その下から昔の路面が出てくる……という仕組みなのでしょうか???

 ということで、それはそれとして話を戻すと、1955年(昭和30年)に建てられた横浜掖済会大桟橋船員診療所ビルはもともとは四階建てだったものを、のちに五階部分を増築した第二形態が写真②で、その後、おそらく耐震性などの問題から五階部分を撤去して第一形態に戻したのが写真①の現在の姿ということになります。

 そして写真①で、金網で囲われて雑草が生い茂っている現在のHAMA CAFEの建物の裏手にあたる場所に↓

 
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-写真③-(1982年撮影)


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-写真④-(1982年撮影)
*左手にある建物の間を抜けるとジャパンエクスプレスコンピューターセンターと現在のハマカフェの間に出ました。


こんな↑建物がありました。

 撮影当時の住宅地図を見ると、該当する建物は「東邦港運KK」となっていて↑の写真②③で壁に東邦港運と書かれている建物が「第一警備」となっていますが、確かこの二社はどちらも東邦港運と書かれた建物に同居していたと記憶しています。

 ということで壁に書かれた会社名を見ると↓

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-写真⑤-(1982年撮影)


商船運輸現場事務所と書かれています。

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-写真⑥-(1982年撮影)
 

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-写真⑦-(1982年撮影)


他にも塗りつぶされていますが、右に小川運輸、左は判読不能、となると、この建物は目の前の西波止場を拠点にしていた回漕業者の共同現地事務所ととして使用されていたようで、国土地理院地図空中写真検索サービスその他の航空写真を見てみると↓

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左が1947年7月、右が1949年2月に撮影された航空写真


1947年(昭和22年)まで東邦港運と現地事務所三社が入った建物があった場所は空き地になっていて、1949年(昭和24年)の写真に隣の東邦港運の建物と共に写っていることから1948年(昭和23年)頃に建てられたものと思われます。

 撮影当時は、戦前に建てられたものと信じて疑っていなかったのですが……。





*来月のUP予定
7月 3日:相生町1丁目界隈
7月10日:相生町2丁目界隈
7月17日:相生町3丁目界隈
7月24日:相生町4丁目界隈
7月31日:相生町6丁目界隈

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# by yokohama80s | 2016-06-26 00:07 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2016年 06月 19日

海岸通3-13 武山ビル

 現在、海岸通3-9にある日本郵船歴史博物館こと日本郵船横浜支店ビルと海岸通を挟んで向かい側にはマンションが建っていますが、その昔は↓

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海岸通3丁目交差点のカドには↓

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-写真①-


1950年(昭和25年)から1955年(昭和30年)の間に建てられたエヴェレットスチームシップ横浜支店があり、その隣りの3丁目13番地には白いタイル張りの三階建ての↓

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-写真②-


1957年(昭和32年)から1963年(昭和38年)のあいだに建てられ、内部にレストラン、雀荘、喫茶店、宴会場などがあったニューピータースグリルビルがあり、そのまた隣りのもうひとつの3丁目13番地に↓

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-写真③-
*1980年撮影(郵船ビル前から海岸通を挟んでニューピータースグリルビル、武山ビル)


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-写真④-
*1981年撮影(武山ビル)


ナゾの紋章が掲げられた武山ビルがありました。

 このビルに関しては、上記のリンク記事をUPした時には名称と戦前に建てられたらしいこと以外には一切不明だったのですが、その後もこのビルはいつ、だれが、なんのために建てたのかをいろいろ調べてみた結果、ネットでは海岸通3丁目界隈が写っている写真が1934年(昭和9年)のモノしか見つからないうえに、昭和9年に撮影された写真で↓

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-写真⑤-
*1934年(昭和9年)に撮影された航空写真より


該当する建物を確認できることから、現時点では「このビルは昭和9年以前に建てられた」ということしか判明していません。

 つぎは「だれが?」ということに関してですが、横浜市勧業課の「横浜市商工案内」や、横浜商工会議所の「横浜商工名鑑」を紐解くと、震災後に該当住所に所在していたのは、縄、筵、麻袋、荷役用材料などを扱っていた青柳商店と、沿岸荷役労務供給と運送業を営んでいた大正15年創業の中嶋屋のふたつ。

 このうち中嶋屋の方は、昭和8年から12年のあいだに武山組と名称を改めていることと、「市史通信 第11号 -占領下の米軍施設-」に、オルモクアパートという名称で1945年(昭和20年)から1952年(昭和27年)まで米軍に接収されていた建物名に「武山ストア」という記載があること、さらに1990年代に取り壊されるまでの名称が「武山ビル」だったことなどを考え合わせると、このビルは武山組こと中嶋屋によって建てられたモノということになるようです。

 そうなるとこのビル正面に掲げられたナゾの紋章は、

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-写真⑥-
*1981年撮影


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-写真⑦-
*写真⑥より紋章部分を拡大


中嶋屋こと武山組のモノということになるのですが、「なぜにして稲穂を束ねるの?」とか、「左右に4つづつある花はなに?」などについては相変わらずナゾのままです。




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# by yokohama80s | 2016-06-19 00:06 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)