週刊 横濱80’s

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2016年 09月 25日

横浜港駅 計重台(完全版)

 以前、こちら(横浜港駅 計重台)で取り上げているのですが、未UP写真が出て来たので、今回あらためて「完全版」として再UPします。

 ということで、まずは「計重台」とは、「台の上に計量したい物を置き台の沈み込みから重量を割り出す重量測定器」、すなわち大きな計りのことで、まずは荷物を積んでいない空の状態の貨車の重さを量り、荷物を積み込んだらもう一度重さを量ってその差がすなわち積荷の重さということで、重さ辺りの料金を荷主に請求する時に使用されていたようです。

 で、横浜港税関埠頭こと、新港埠頭と大桟橋の震災復旧状況を記した、昭和9年に大蔵省が発行 「営繕管財局営繕事業年報. 第1輯(大正14年度)」によると、「貨車用計重台は在来五台なりしも利用の程度を考慮し強力なるものを二台新設するものとす」とされていて、さらに昭和9年に横浜市土木局が発行した「横浜港」の巻末にある「横浜税関設備図」を見ると↓

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十一号上屋万国橋側と変電所などがあった三角地帯の新港倉庫E号倉庫前の二カ所に貨車用計重台が設置されたようですが、80年代頃には十一号上屋万国橋側の1基しか無かったように記憶しています。

 ちなみにこの二カ所を現在の新港埠頭に落としてみると↓

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国際大通り・サークルウォーク交差点のみなとみらい側、赤レンガ倉庫行きの道路上と、新港中央広場ということになるようです。


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-写真①(1981年撮影)-


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-写真②(1983年撮影)-


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-写真③(1983年撮影)-


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-写真④(1983年撮影)-


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-写真⑤(1983年撮影)-


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-写真⑥(1987年撮影)-





*来月10月のUP予定

10月 2日:西区桜木町七丁目界隈
10月 9日:太田町通り
10月16日:弁三アパート
10月23日:住吉町四丁目界隈
10月30日:住吉町五丁目界隈

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by yokohama80s | 2016-09-25 00:05 | 新港埠頭 | Comments(0)
2016年 09月 18日

右突堤中央道路

 新港埠頭の右突堤中央道路とは、今は跡形もありませんが赤レンガ二号倉庫と道路を挟んで向かい側の中央公園にその昔あった新港埠頭変電所の前から、

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-写真①(1982年撮影)-


四号、五号、六号岸壁がある新港埠頭右突堤中央部を貫く道路のことを指します。

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-写真②(1984年撮影)-


↑写真①の撮影場所から中央道路を渡った歩道から横浜港駅の小口貨物積卸場を見るの図。

 そして写真①と②の場所から120mほど行くと

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-写真③(1983年撮影)-


六号上屋があり、そこから左突堤に抜ける道があり

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-写真④(1983年撮影)-


そして中央道路を挟んで右手側の現在は赤レンガパークのあるあたりには

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-写真⑤(1987年撮影)-


荷捌場があり、そこから四号岸壁と三号岸壁のクビレ部分に至る道が伸びていて

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-写真⑥(1983年撮影)-


中央道路沿いには

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-写真⑦(1981年撮影)-


横浜港駅の旅客用プラットホームがあり、右にプラットホームを見ながら80mほど先の左側に五号上屋があり

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-写真⑧(1981年撮影)-


さらに進むと、かつて旅客ターミナルがあった四号上屋跡のF号荷さばき地があり

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-写真⑨(1987年撮影)-


さらに進むと

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-写真⑩(1987年撮影)-


右突堤中央道路は海に突き当たって行き止まりとなります。

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(1982年撮影)




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by yokohama80s | 2016-09-18 00:14 | 新港埠頭 | Comments(0)
2016年 09月 11日

左突堤中央道路

 もともと新港埠頭は左右に二つの突堤を持つ埠頭で、、十、十一号岸壁がある方を、便宜上の名称なのかはたまた正式な名称なのかは定かではありませんが、いちおう"左突堤"と呼び、その中央部を貫通している道路を、これまた便宜上、そう呼ぶのか、はたまた正式なのかは存じませんがいちおう"左突堤中央道路"と呼ばれていたようです。

 まあわかりやすく言えば、ハンマーヘッドクレーンがある方の突堤です。

 ということで↓

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*-写真①-(2015年撮影)


↑が現在のお姿。
で↓

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*-写真②-(1987年撮影)


↑が29年前の風景。

 上の写真②の画面中央左下の道路のアスファルトが剥がれている所は、

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*-写真③-(1981年撮影)


往時の石畳が顔を覗かせていました。

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*-写真④-(1982年撮影)


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*-写真⑤-(1981年撮影)


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*-写真⑥-(1983年撮影)


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*-写真⑦-(1983年撮影)


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*-写真⑧-(1983年撮影)


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*-写真⑨-(1983年撮影)


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*-写真⑩-(1987年撮影)




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by yokohama80s | 2016-09-11 00:10 | 新港埠頭 | Comments(0)
2016年 09月 04日

米海軍横浜冷蔵貯蔵施設簡易冷凍庫

 新港埠頭七号岸壁には、本来なら同じく新港埠頭左突堤の東側、七号岸壁と並びの八号岸壁の八号上屋と同じく1929年(昭和4年)に建てられた、鉄筋コンクリート造りの七号上屋があったのですが、大戦中の1942年(昭和17年)11月30日に八号岸壁に係留されていたドイツ海軍の補給艦の爆発炎上事故により倒壊し、辛うじて倒壊を免れた中央道路側の壁と、八号上屋側と万国橋側の壁1/3が1957年に米軍が簡易冷凍庫を設置するまで衝立のような形で残され、七号上屋跡地は露天の貨物置き場として使われていた云々かんぬんということはこちらでくわしく触れましたので、そちらをご一読頂くということで以下省略。

 さらに戦後は、"NAVY COLD STORAGE FACILITY YOKOHAMA"こと直訳すると米海軍横浜冷蔵貯蔵施設として七号上屋跡に簡易冷蔵庫が設置され、さらに旧三井生糸倉庫、同F号、同B号倉庫、新港倉庫A号倉庫などと共に1994年まで接収され、接収初期の頃はアメリカ本国から冷凍船で横浜港へ大量に運び込まれた食料品を冷蔵貨車に積んで全国の米軍基地に配送するまでの一時貯蔵所として、その後は米軍艦船向けの冷凍食品の保管施設として使用されて云々かんぬんという話はこちらで触れましたので以下省略、ということで、今回は80年代当時に七号岸壁にあった簡易冷凍倉庫の写真を↓。

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写真①
*右突堤と左突堤の連絡道路にあった電源小屋


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写真②
*写真右側が七号岸壁、左が簡易冷凍倉庫


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写真③
*写真②の10mほど左側より


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写真④
*右突堤と左突堤を結ぶ連絡道路と左突堤中央道路との交差点


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写真⑤
*写真④の交差点角にある旧税関第二分室の建物


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写真⑥


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写真⑦


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写真⑧


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写真⑨


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写真⑩


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写真⑪


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写真⑫


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写真⑬


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写真⑭



*写真①が1982年、写真②、④が1983年、その他は1987年撮影。



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by yokohama80s | 2016-09-04 00:05 | 新港埠頭 | Comments(0)