週刊 横濱80’s

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2016年 01月 31日

山下町92番地 横浜繊維

 中華大通りと開港道の分岐から開港道を加賀町署方向にテクテク歩いて、当時、オープンしたばかりのホリデーインこと現在のアスターホテルを過ぎて、中華街パーキングの先のマンションの隣りの、現在、コインパーキングがある場所に↓

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の、戦前建築臭がプンプンする怪しい建物がありました。

 ということで、撮影当時の住宅地図を見てみると、山下町92番地・横浜繊維K.Kとあります。
で、今度はその会社名で検索すると、現在、コインパーキングがある場所の隣りに本社を構える昭和21年創立の麻製品などを販売する会社と判明。

 さらに掘り下げて調べてみて判明したのは、この建物は撮影当時は横浜繊維の倉庫として使われていた建物のようで、その後、これらの写真を撮影してほどなくして取り壊され、跡地は現在まで駐車場となっています。

 ただこの建物は、どう見ても戦前建築のようなので、例によって国土地理院の空中写真地図検索サービスから昔の航空写真を見比べてみると、1944年と1946年、1947年の戦中から終戦直後に撮影された航空写真に該当建物と思われる建造物が写っていて、その後、1981年の写真まで同一の建物を確認できることから戦前に建てられた建物であることは確かなようです。

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*1947年撮影の航空写真から
(赤い四角が写真の建物……だと思われます)


 そこで近代デジタルライブラリーで横浜市役所勧業課が編集した横浜市商工案内を紐解いてみると、戦前の山下町92番地には、欧州への絹織物を輸出していた合名会社森友貿易商会、米国製化粧品の輸入と雑貨の輸出入を行っていたS.アイザック商会、屑糸、自動車タイヤなどの輸出入を営んでいたスゾール・ロンボウ商、外国人が経営していた洋食レストラン、不動産屋、ベルギー領事館とチェコ領事館があったようです。

 蛇足ですが、S.アイザック商会のシャチョーさんがチェコ領事をされていた関係から、戦前のチェコ領事館はS.アイザック商会に間借りしていたそうです(戦前、横浜にあった領事館の多くがこのパターンだったようです)。

 という話はひとまず置いておいて話を元に戻すと、昭和5年以降継続して92番地を所在地にしていた会社は、S.アイザック商会とチェコスロバキア領事館のふたつなので、この建物はS.アイザック商会関連の建物と考えるのが妥当なようです。

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*建物の床面の高さがシルク通りと同じ高さになています。


*写真はすべて1981年撮影。





*来月2月のUP予定
2月 7日: 金沢区幸浦・海辺の散歩道
2月14日: 金沢シーサイドライン
2月21日: 根岸町2丁目 スナック伽風豆虫
2月28日: NASUGB BEACH AREAとPX

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by yokohama80s | 2016-01-31 00:10 | 山下町 | Comments(2)
2016年 01月 24日

中華街・中山路

 中華大通りから中山路を関帝廟通り方向に進むと、エキゾチックなコンクリト塀が続き↓

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*①


その先にあるのが、山下町140番地の横浜華僑総会↓

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*②


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*③


 でエキゾチックなコンクリート塀の向かい側の146番地には↓

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*④


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*⑤


寂れた感じの飲み屋さんが軒を並べ↓

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*⑥


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*⑥


でさらに進むと関帝廟通りと交差して↓

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*⑦


さらにその先の太平道に向かう途中に↓

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*⑧
(山下町130 能登屋)


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*⑨


中華街には不釣り合いな「ふぐちり」「どぜうなべ」というのぼりに縄のれんが。

そして同潤会アパートの裏手あたりには↓

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*⑩


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*⑪


民家が建ち並んでいました。


*写真はすべて1982年撮影。



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by yokohama80s | 2016-01-24 00:10 | 山下町 | Comments(2)
2016年 01月 17日

中華街・市場通りと香港路

 以前、中華街というタイトルで中華街の各通りの写真をアップしたのですが、その記事で「市場通りと香港路の写真は無い」としたのですが、その後、撮影当時の住宅地図を入手して照合してみた結果、市場通りと香港路で撮影されたと判明した写真がゴッソリ出て来たので、今日はそれらの写真を↓

 ということで、現在の中華街大通り、まずは撮影当時の中華大通りから香港路に入ると、当時流行ったグルメ漫画で取り上げられたことで昼食時になると入店待ちの行列が出来ていた某中華料理屋をすぎた山下町147番地にあった美容院↓

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*①


そしてしばらく行った通りの左側の138番地に↓

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*②


で関帝廟通りに出る手前くらいに↓

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*③


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*④


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*⑤


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*⑥


複数の建物を倉庫というかなにかの食品関係の加工場として利用していたと思われる建物が連なっていました(1978年の住宅地図を見ると関帝廟通りの127番地にあった生利中華食品雑貨行関連の施設だったようです)

 ということで、香港路から関帝廟通りに出ると、その先の太平道方向へは行けないので関帝廟通りを左に折れて今度は市場通りに入って太平道方向に進んだ通りの左側133番地にあったクラシカルな民家↓

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*⑦


そしてその先の126番地にも↓

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*⑧


というように、撮影当時の市場通りの関帝廟通りの先は、一戸建てのバラック造りの民家が多かったように記憶しています。

*写真はすべて1982年撮影



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by yokohama80s | 2016-01-17 00:12 | 山下町 | Comments(0)
2016年 01月 10日

中華街大通り

 中華街大通りとは、加賀町警察署前の善隣門から本町通りの朝陽門までの中華街の中心的な通りで、撮影当時のガイドブックには「中華大通り」と表記されています。

 ということで善隣門から朝陽門までの中華街大通りの左側の写真を↓

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*①萬珍樓


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②廣新楼


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③照宝


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④聘珍樓


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⑤有昌


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⑥栄興号


*写真はすべて1982年撮影





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by yokohama80s | 2016-01-10 00:12 | 山下町 | Comments(0)
2016年 01月 03日

小樽 1982年

 ある日、押し入れをゴソゴソやっていたら、長年行方不明だった80年代初頭の小樽を撮影したネガが出て来たので、80年代の小樽と横浜を温故知新的に比較してみるのも面白いかも、ということで今回は新年特別企画として横浜を遠く離れて小樽の色内地区の写真をお送りしたいと思います。

 蛇足ながら、小樽の色内("いろない"と読みます)地区というのは、横浜で例えると海岸通1丁目の開港広場交差点あたりと言った感じでしょうか。

  ということで一説によれば上野駅をモデルにして建てられたとされていますが、その昔。東口にあった三代目横浜駅駅舎を知っている横浜市民は異口同音に「昔の横浜駅を小さくした感じだ」と口にする(……だろうと思います、たぶん)小樽駅(ちなみに横浜駅三代目駅舎がが1928年昭和3年、上野駅駅舎が1932年昭和7年、小樽駅駅舎は1934年昭和9年に建てられました)から海の方へ下る坂道が通称"駅前通り"こと"中央通り"で、この通りの坂道を下って手宮線の踏切を渡った先にあったのが↓


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*①岡島薬局 
駅前通り拡張に伴い取り壊される



1907年(明治40年)に建てられた木造の岡島薬局。

 蛇足ですが、↑の写真の建物の前の道路が石畳なので「この頃の中央通りは石畳だったのだろうか?」と思って航空写真その他で調べてみると、なぜかこの建物の前の部分だけに往時の石畳が残っていたんだそうな。
 ということで、↑の岡島薬局があるブロックの中央通りと色内大通りが交差するカドにあったのが↓

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*②北海経済新聞社ビル
道路拡幅(駅前通り)に伴い斜め後方に曳家移設される(現存)



1930年(昭和5年)に建てられた旧安田銀行小樽支店こと、当時は北海経済新聞社ビル。

「なんか見覚えがあるなぁ?」と思うのも道理で、なにやら安田銀行は支店を建設するときにその土地土地の敷地の広さに応じて寸法を変えただけの同じ設計図を使い回していたんだそうな。
 「どうりで馬車道あたりで見た記憶があるんだな」ということで旧安田銀行小樽支店と交差点を挟んで斜め向かいに建っていたのが↓

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*③④井淵ビル
1992年に中央通り拡幅工事に伴い取り壊される


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*④井淵ビル・その2


1897年(明治31年)に建てられた旧小樽銅鉄船具合資会社こと井淵ビル。

 実は写真の建物はあくまでも最終形態で建てられた当時の第一形態は↓

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*明治末から大正初め頃に撮影された第一形態


その後、3階部分と塔屋を建て増しした第二形態に変化して↓

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*昭和初期頃に撮影された第二形態


最終的に一階部分のアーチと屋上の塔屋などが無くなり、レンガ壁をモルタルで塗り固めたり、その他諸々の改修がなされて最終形態になったそうです……というのは、今になっての後付け知識で、撮影当時は「おっ、なんかいい雰囲気!」と言う感じ。

 そして↑の写真の左側に写っている通りをさらに1ブロック進むと、小樽運河に架かる中央橋にたどり着きます。

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*⑤小樽運河倉庫群 (現存)

 
 ここは今や小樽の一大観光名所となっていて、「小樽運河」で検索すると↑の写真と似たような写真がゴッソリと出て来ますが、撮影当時は人っ子一人居ないという状態でした(そもそも当時は冬に呑気に観光している酔狂な人なんかいなかった)。

 ちなみに写真手前から、築年不明の北日本倉庫港運倉庫、切り妻部分が運河を向いている建物と奥の二階建てのレンガ倉庫が1925年(大正14年)築の旧篠田倉庫こと当時は大同倉庫、その隣りが一棟に見えますが実は真ん中で仕切られている1924年(大正13年)築の小樽倉庫一号、二号倉庫となります。

 ということで今度は運河沿いに建ち並ぶ石造りの倉庫を左に見ながら↓

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*⑥撮影場所不明
(扉には「◯に高い」倉庫№1と書かれています)


1ブロック北上すると道は竜宮通りとぶつかり、そのカド手前にあったのが↓

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*⑦大家倉庫 (現存)


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*⑧大家倉庫・その2


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*⑨大家倉庫・その3


1891年(明治24年)に建てられた大家倉庫。

 ちなみにこれらの石造りの倉庫は、正確に言うと「木骨石造建築」と呼ばる木造の骨組みの壁部分に、防火目的に厚さ15センチのパネル状の軟石を張り付けた物で、撮影当時には小樽運河沿いにズラ~ッと建ち並んでいました。

 ということで↓の写真の倉庫もそのひとつで

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*⑩二葉倉庫(所在地不明)


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*⑪二葉倉庫・その2


 色内2丁目交差点付近にあった鎧戸に花菱のレリーフがあしらわれた二葉倉庫。
と言っても撮影当時、小樽にはそこかしこに二葉倉庫があったようですし、現在、写真の倉庫に該当する倉庫が見当たらないことから、運河を半分埋め立てて道道を建設した時に取り壊された倉庫のひとつだろうと思われます。

 ということで今度は色内2丁目交差点を左におれて小樽駅に戻る途中の竜宮通りにあったのが↓

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*⑫中一商会 (現存)


1920年(大正9年)に建てられた木造三階建ての旧戸羽商会こと撮影当時の中一商会。

 ということで撮影当時の小樽は、1965年(昭和41年)にその計画が明らかになった道道臨港線建設に伴う小樽運河埋立の是非を巡り計画を推し進める行政と経済界と、「運河は小樽の文化遺産だ」として反対する市民との間で「小樽運河戦争」と言われるくらい激しい議論が10年の長きに渡って繰り広げられたものの、1982年(昭和57年)に、「建設する道路の車線を減らして幅40mの運河のうち山側を半分埋め立てる」という妥協案が半ば強引に決められ埋立工事が開始されます。

 しかし小樽市は、市民からの反対を無視したということに後ろめたさを感じたのか、はたまた何か思うところがあったのか、翌年の1983年(昭和58年)に歴史的建造物と歴史的な街並みの保存を目的とした「小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例」を策定し、小樽市内に現存する歴史的建造物と古い建物が織りなす歴史的景観の保存に乗り出します(横浜市が「認定歴史的建造物」を策定したのは1988年(昭和63年)、歴史的な景観の保存に乗り出したのは2015年)

 そして1992年に、歴史的建造物と歴史的な街並みの保存と共に、総合的な都市景観の保全を目的とした現行の「小樽の歴史と自然を生かしたまちづくり景観条例」に改訂し、同時に小樽市内に現存している歴史的建造物2,357棟を調査し、これから主要な物を508棟を選び現地調査を実施し、この中から保全すべきものを「小樽市登録歴史的建造物」として登録し所有者にその旨を通知し、所有者の同意を得られた2015年現在75軒を「小樽市指定歴史的建造物」に指定した、ということがこちらに書かれていますが、「小樽市指定歴史的建造物」に指定された75軒以外にも、所有者によって自主的に、はたまた結果的に現存及び保存されている建物が相当数存在しています。

  
*写真はすべて1982年撮影。



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by yokohama80s | 2016-01-03 00:09 | その他 | Comments(0)