週刊 横濱80’s

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2015年 01月 25日

新港倉庫B号倉庫

現在、新港埠頭のワールドポーターズの万国橋交差点からサークルウォークのある辺りに、その昔はノコギリ屋根の古びた倉庫がありました。

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グーグルマップに昭和39年の横浜市三千分一地形図を重ねてみました。


1937年(昭和12年)度版横浜税関構内図によると、現在の万国橋交差点からサークルウォークのあたりには7~11号岸壁がある左突堤へ向かう線路があり、その線路沿いに脇に震災後にA号倉庫とほぼ同時期に建てられた新港倉庫C1、C2倉庫、その裏手にサイロが出来る以前……というか、戦前にはその場所にC3、C4倉庫があったそうな……でも写真に写っている倉庫の扉には「B」と書かれていることから、その後、B号倉庫に名称が変更されたようです。

ということで、今日のタイトルはB号倉庫としましたが、C1、C2倉庫=B号倉庫とご理解下さい。

という話はひとまず置いておくとして、終戦直後の1946年(昭和21年)に撮影された航空写真を見ると、C1C2倉庫はその姿が確認出来ますが、その裏手にあったC3C4倉庫があった場所は更地になっているようなので、どうやら空襲の被害を受けて焼失してしまったようです(国土地理院の空中写真検索サービスで1944年から1947年に撮影された航空写真を見てみると、新港埠頭の新港倉庫C3、C4倉庫、、13号物揚場にあった東神倉庫、赤レンガ2号倉庫向かいにあった三菱倉庫、西波止場の東西上屋倉庫などの木造倉庫は焼失し、RC構造だった新港倉庫E号倉庫と起重機格納庫は屋根が焼け落ちているのが確認出来ます)。

そして終戦後、ご多分に漏れず新港埠頭は丸ごと米軍に接収されセカンドメジャーポートこと第二港湾輸送司令部の施設として使われていたのですが、この新港倉庫C号倉庫はモーターコマンドの"エンジンリペアショップ"の倉庫または修理工場として使用されていたようで、倉庫の壁に当時、描かれたと思われる部隊マークが残されていました。


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線路側正面向かって一番右端の倉庫


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倉庫に挟まれるように建てられた建設当時としては超モダンだっただろうと思われるガラス張りの事務所棟。


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壁の左右に描かれたマークがすごく気になる…


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新港サイロ側から(壁に描かれたマークは接収時代の名残)


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前の写真の左隣の倉庫


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壁に描かれたマークは接収時代の名残


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どさくさ紛れに横浜港駅の事務所裏のカットを


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以下、その近辺のカット


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*撮影:1981年~83年。




*来月2月のUP予定
2月 1日: 一号物揚場
2月 8日:一文字埋立地
2月15日:住吉町3-35 クリーニングショップラブリー
2月22日:日本大通9 横浜地方裁判所

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by yokohama80s | 2015-01-25 00:02 | 新港埠頭 | Comments(0)
2015年 01月 18日

新港埠頭のおトイレ

1923年(大正12年)に起こった関東大震災により壊滅的な被害を受けた当時の横浜税関埠頭港内(現在の大桟橋、西波止場、新港埠頭)の、再建事業の詳細が書かれた1925年(大正14年)大蔵省営繕管財局が発行した営繕事業年報によると、「歩道には上屋前及び荷役に支障のある場所を除きなるべく街路樹を植えて公衆便所その他の空き地にして、公衆の休憩に便利な場所には植樹をする」ということで、税関埠頭港内に合計6棟、うち新港埠頭構内に4棟の公衆便所が建てられそうな↓。

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1934年(昭和9年)横浜税関設備図より


ということで上の地図で赤丸で囲った建物が、いわゆる"震災復興公衆トイレ"。
80年代には、この4棟すべてが現存していました。

ということでまず万国橋を渡った先の貨物線の踏切(第十四号踏切)の先のすぐ左手にあった↑の地図の①のおトイレの姿を↓

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(1981年撮影)


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(1981年撮影)


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(1981年撮影)


4棟のトイレのうち↑の地図の②③④がアーチ状の入口が真ん中にあり内部が男女別に別れていて、↑の①が写真のように入口が左にあり内部は男女兼用になっていました。

ところがこの①のおトイレ、写真を詳細に分析してみてもこの場所で間違いないのですが、現在も万国橋を渡った先にあるふ頭構内図↓

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(1981年撮影)


には、なぜか記載されていません。
当時の航空写真でもその姿が確認出来ることから、「書き忘れただけだろう」ということにして(このての地図には記載漏れは付き物)、お次は八号岸壁にあった②のおトイレですが、こちらについては過去に扱ってますので「以下省略」といたしまして、さらにお次は、四号岸壁の③↓

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(1982年撮影)


このおトイレは、私のつたない記憶では外観は基本形に準じていましたが、どうも建て直した感が濃厚。
ストック写真を探しまくってようやく見つけたのがこのカット↓。
ちなみに奥の木と木の間にチラッと見えるのが③のおトイレ。

ということで、お次が赤レンガ一号倉庫南側の向かい、自動車クレーン格納庫の並びにあった④のおトイレ↓

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(1981年撮影)


でこのおトイレの不思議な所が、入口にある手洗い鉢の形状。
なぜかこのおトイレの手洗い鉢が床面に設置されています。
この形状が建築当初からの仕様だとすると、どうしてここだけ形状が違うか???
ナゾです。

ということで、察しの良い方はお気づきのことと思いますが、1934年の地図と、1981年当時の地図とではおトイレの数が合いません。
ひとつは前記したように、ただの記載漏れ。

そしてもう一つのふ頭構内図の(A)は↓

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(1983年撮影)


戦後、十号上屋内に新設されたモノ。

で残るは、ふ頭構内図では変電所隣りの交番のそのまた隣りにあったとのことなのですが……???
交番があった記憶はあるのですが、その隣りにおトイレがあったような無かったような……↓

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(1982年撮影)


仮に「あった」とすると、↑の写真で言うと2階建てのコンクリの建物(これが変電所)の向こう側の、街路樹の陰にあったことになるのですが……

ということで、この件は都合良く棚上げするとして、最後に新年特別企画(?)といたしまして”八号上屋のおトイレに入ってみよう」バーチャル体験版(?)”をお送りいたします。

ということで↓

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八号上屋のおトイレ全景(1983年撮影)


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入口を入った正面には洗面台……というか手洗い鉢が(1986年撮影)


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「う~ん、良い仕事してますなぁ~」


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入口を入って右側が男子用(1986年撮影)


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入って左手のアーチをくぐった左手に↑。(1986年撮影)


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入って正面と右側には小便器がズラッ。ちなみに写真右が入口です。(1986年撮影)


私の記憶では、新港埠頭のおトイレは、くみ取り式に付き物のアンモニア臭がきつく、痛み具合も酷かったものの、数日おきに清掃されていていつもキレイだったことが印象に残っています。




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by yokohama80s | 2015-01-18 00:03 | 新港埠頭 | Comments(2)
2015年 01月 11日

関内地区の戦前建築 その2

さて今日は、先週に続いて80年代初頭に関内地区(港町~北仲通)に存在した戦前建築第二弾として本町~北仲通編をお送りします。
蛇足ではありますが、当ブログの元浜町~海岸通はこちらを、山下町に関してはこちらをご参照下さい。

ということを踏まえた上で↓

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*①本町1-3本町旭ビルこと旧江商横浜支店(S5)☓
旧建物の部材を一部使用して(ってどの部分?)新築ビル低層階の本町通り側にレプリカ風の壁を設置することにより平成5年に横浜市認定歴史的建造物の指定を受ける。


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*②本町1-6横浜開港記念館(T6)◯
平成1年に国より重要文化財の指定を受ける。


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*③本町4-34若尾ビルこと旧若尾銀行(T14)☓
このビルは当時としては高層ビルの部類に入る7階建ての賃貸オフィスビルだった。


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*④本町4-38協栄生命保険横浜ビルこと旧片倉製糸紡績(S5)☓


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*⑤本町4-39三丸本町ビルこと旧増田合名会社(S初期)☓


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*⑥本町5-46横浜銀行本店別館こと旧第一銀行横浜支店(S4)△
バルコニーとその下の玄関部分を現在地に曳家し他の部分はレプリカ復元することで平成15年に横浜市認定歴史的建造物の指定を受ける。


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*⑦本町5-49本町ビルこと旧帝国火災横浜支店(S4)☓


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*⑧本町5-58宇徳ビル別館こと旧宇都宮徳蔵回漕店(S4)☓


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*⑨北仲通5-57帝蚕倉庫事務所こと旧生糸検査所付属倉庫事務所(T15)◯
平成19年に横浜市指定有形文化財の指定を受けたものの……


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*⑩北仲通5-57帝蚕倉庫北仲通B号倉庫こと旧生糸検査所付属倉庫B号倉庫(T15)
A号倉庫→☓、B号倉庫→☓、C号倉庫→◯、D号倉庫→☓

当初は、すでに解体した倉庫の壁面を新築される高層ビルの壁面に張り付け、現存しているC号倉庫もかつてB号倉庫があった場所に曳家して保存することになっていたものの、リーマンショック後の計画見直しの時に「耐震性に問題あり」という理由により現存しているC号倉庫も解体されることに計画が変更されそう遠くないうちに取り壊される見込み。
ちなみにC号倉庫は上記の計画変更が決定したあとの平成25年に「新築されるビルに壁を復元する予定」だからという理由により横浜市認定歴史的建造物の指定を受けたのですが、そうなると現在どこかで保管されているはずのすでに取り壊し済みの倉庫の壁はどうなってしまうのだろう、という以前に、そもそも新築される高層ビルの低層階に倉庫の壁面を張り付けるなどということが、デザイン的に可能なのでしょうか???

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*⑪北仲通5-57帝蚕ビルディング(S3)☓


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*⑫北仲通6-66上組横浜支店(S10)☓


ちなみに1980年代初頭の本町通り沿いには上記以外にも戦前建築がゴッソリ残っていて、現在、把握出来た物を列挙していくと、
本町2-20現三井住友銀行こと旧三井銀行(S6)◯
本町2-21富国ビルこと旧日本海上火災(T9)☓
本町2-22住友銀行(S6)☓
本町3-38現銀行協会こと旧銀行集会所(S11)◯
本町4-37県本町分庁舎こと旧時沢商会(昭和初期)☓
本町4-41三菱銀行こと旧・川崎第百銀行(S9)☓
*高層マンションに旧建物正面部分を張り付けることによりH14認定歴史的建造物に指定される。
本町4-45富士銀行こと旧・安田銀行(S4)◯
*H15認定歴史的建造物に指定され現東京芸術大学大学院映像研究科。
北仲通6-66日本海員会館(S11)☓
などが現存していました(下の地図の赤地に白星)。

こうやってズラッと書き出してみると、当時は意識していなかったものの本町通り沿いに建ち並んでいた古い建物の多さに今さらながら驚かされます。



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by yokohama80s | 2015-01-11 00:03 | 関内地区 | Comments(2)
2015年 01月 04日

関内地区の戦前建築 その1

1983年に日本建築学会が、全国に存在する明治以降に建てられた建物をリスト化した「日本近代建築総覧」という書物に記載されている横浜関内地区(港町~北仲通まで)の戦前建築は46軒。

そのうち2014年現在、現存しているもの10軒。
さらにこの10軒中、なんらかの形で積極的な保存措置が講じられていると言える建物は国の重要文化財に指定された県立歴史博物館と開港記念館の2軒のみ……と言うと「えっ?」と思われる方が多いと思います。

確かに保存を目的にして横浜市が購入し、市の有形文化財とか認定歴史的建造物などに指定された建物も存在しますが、残念ながらそれによって「建物が将来にわたって保存されることが担保されている」とは言い切れないのが現実です。

なにせこれらの物件がなんらかの事情で手に余るようになったら、「た・い・し・ん・せ・い・に・も・ん・だ・い・が」と魔法の呪文を唱えればたちどころに歴史の呪縛から解き放たれるという仕組み。

と言うのも、もともと文化財には国指定、都道府県指定、市町村指定の三段階が存在し、一番指定のハードルが低いのが市町村指定の文化財であり、市町村指定の文化財が所有者の都合により指定が解除された例は枚挙に暇がないというのもこれもまた事実(←横浜に限った話ではありません)。

とまあ、「歴史を生かしたまちづくりを推進しています」と大見得を切っておきながら横浜市の態勢および対応に問題があるのも確かなのですが、日本大通の旧三井物産生糸倉庫取り壊し反対の電子署名の募集開始から四ヶ月余りが経過した現在の署名数を見ると、横浜市で歴史的建造物の保存がいまひとつ捗らない最大の原因は370万横浜市民にあると見るべきなのかもしれません。

なにせ単純計算すると、旧三井物産生糸倉庫の取り壊しに反対する横浜市民は1850人に1人、実際には横浜市民以外で署名に参加した人もいるでしょうからそうなると……という現実には、ただうなだれてため息をつく他ありません。

ということで、とにもかくにも今週と来週はストック写真の中から関内地区の戦前建築物を選んで二週に分けてド~ンと。
で今日は"その1"として関内駅の海側、港町から南仲通までの写真を↓

と、その前にちょっと説明を……。
写真の下のキャプションは所在地、撮影時の名称、建設当時の名称、その隣の括弧内が竣工年でSが昭和、Tが大正、Mが明治で、そのとなりの◯印が現存、☓が一部保存、ハリボテ、レプリカ復元を問わずオリジナルの建物が2014年現在解体されていることを表し、建物の名称のリンクはその建物を取り上げた当ブログの過去記事にジャンプします。

また建設当時の建物の名称のあとに「?」マークがある物は、昭和10年前後の商工録に該当住所を所在地としていた商店(企業)名を書き出した物なので、その信憑性については責任を持ちかねますのでその点をご了承ください^^。

ということで、まずは港町から↓

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*①港町4-17徳永ビルこと旧徳永洋品店(S4)☓


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*②尾上町1-1新井清太郎商店(S13)☓


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*③尾上町5-76明治屋本店(S5)☓


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*④尾上町6-85横浜基督教団指路教会(T15)◯
昭和63年に横浜市認定歴史的建造物に指定される。


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*⑤尾上町6-87加藤組こと旧稲垣回漕店?(S4)☓


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*⑥尾上町6-90佐藤眼科医院(S6)☓


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*⑦常盤町1-1宮下ビルディングこと旧宮下商会(S3)☓


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*⑧住吉町1-12県住吉町分庁舎こと旧松村商店(S4)☓


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*⑨住吉町4-42中区役所こと旧横浜興信銀行本店(S13)☓


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⑩住吉町4-42横浜市民ホールこと旧横浜宝塚劇場(S10)☓


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*⑪相生町3-55国際親善総合病院こと旧関東病院(S2)☓


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*⑫相生町5-84相生ビルこと旧大和ビル?(S初期)◯


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*⑬太田町2-23神奈川新聞本社ビルこと旧十五銀行ビル(T11)☓
神奈川新聞さんもスネに傷を持つ身なのだからあんまり他人のことをとやかく言える立場じゃないんですよね(笑)


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*⑭太田町5-57今野アートサロンこと旧大宝堂時計店(S3)☓


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*⑮通り突き当たりの白い三角屋根が弁天通4-62横浜銀行行友会こと旧共同火災横浜支店?(昭和初期)☓


ちなみに「日本近代建築総覧」には弁天通4-52千代田火災倉庫(上の写真の通りの左に写っている黒っぽい3階建ての建物)という記載がありますが、1946年、47年撮影の航空写真(この頃に撮影された航空写真は戦時中、航空機からの目標確認を困難にする目的から建物の屋根や屋上は黒く塗られていたので建物は黒く写り、空き地は白く写っているので建物の確認が容易に行えるうえ、戦時中に比べて解像度が格段にアップしたことにより影の出方で建物の高低の判断も出来ます)では52番地が更地になっている代わりに62番地に三角屋根の建物が写っていて、同じ建物を1977年の航空写真まで確認出来ます。


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*⑯弁天通5-70日本火災海上保険横浜ビルこと旧川崎銀行横浜支店(T7)☓
馬車道側と弁天通側の壁面の一部を新築したビルの低層階壁面としてに使用することで昭和63年に認定歴史的建造物に指定される。


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*⑰南仲通5-60県立博物館こと旧横浜正立銀行(M37)◯
昭和44年に国の重要文化財に指定される。


そして県立博物館の斜め向かいには↓

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⑱南仲通4-43に現馬車道大津ビルこと旧東京海上火災ビル(S11)◯
H12年に認定歴史的建造物に指定される。


がありました……と言っても上の写真ではよく分からないので付け加えると、上の写真の左側奥にチラッと見えるのが大津ビルです(無理矢理感満点ですが……^^)。
ということで、本町~北仲通編は来週のお楽しみってことで。

最後に蛇足ではありますが、当サイトの元浜町~海岸通の写真はこちらを、山下町はこちらを、また認定歴史的建造物については横浜市認定歴史的建造物一覧を、横浜市内の重要文化財、有形文化財については市域文化財一覧【PDF形式、450KB】、横浜市特定景観形成歴史的建造物制度を、戦前の店舗や商店の所在地をお知りになりたい方は、昭和5年度版「大横浜商工録」を店舗の写真入りが御所望の場合は昭和10年度版「著名商店工場要覧」をご参照下さい。




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by yokohama80s | 2015-01-04 00:04 | 関内地区 | Comments(0)