週刊 横濱80’s

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2013年 12月 29日

横浜ベイブリッジ 1984年8月~1988年2月

1989年(平成元年)9月27日に開通した、本牧埠頭A突堤と大黒埠頭(鶴見区)を結ぶ横浜ベイブリッジは1980年(昭和55年)に着工しました。

そして目に見えるような段階まで工事が進んだのが↓

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①1984年8月5日撮影


どうやら地盤改良に時間がかかったのか、やっと橋脚の基礎工事が始まりました。

そしてそれから月日が流れた三年後↓

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②1987年5月8日撮影


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②1987年5月8日撮影


三年かかってようやくこの段階。

その2ヶ月後↓

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③1987年8月撮影


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③1987年8月撮影


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③1987年8月20日撮影


スカイラウンジは橋脚と一体化して作られています。

現在、スカイラウンジは営業不振から閉鎖されてしまっていますが、「もったいないなぁ」と思うのは私だけなのでしょうか?

という話はひとまず置いておくとして、さらにその一週間後↓

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④1987年8月27日撮影


国内にある世界最大級のクレーン船が2隻そろい踏みして、いよいよ橋桁を乗せる準備が整いました。

そしてその二週間後↓

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⑤1989年9月10日撮影


本牧側に一つ目の橋桁が設置されました。

この間の出来事に関しましては、参考までに拙ブログのコチラコチラをどうぞ、ということで、さらにその三ヶ月後↓

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⑥1987年12月17日撮影


大黒側の橋脚にも橋桁が載り、本牧、大黒双方の主塔の組み立てが始まりました。

そしてさらに一ヶ月後↓

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⑦1988年1月撮影


う~ん、なんかちょっと主塔がちょっと上に伸びたような・・・・・・

で、今年最後の写真は当ブログで最初で最後のカラー写真↓

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⑧1988年2月21日撮影


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⑧1988年2月28日撮影


でこの後は・・・・・・撮影をサボっていたら、気がついたときには完成してしまいました(^^ゞ





今年も拙ブログにおつきあいくださいまして、ありがとうございます。

来年も懲りずに、古臭い白黒写真を週1でUPしていきますので、おつきあいのほどよろしくお願いいたします。

ということで、みなさま、良いお年をお迎え下さい。


来年1月のUP予告

来年1月は、新年特別企画・棚卸し在庫一掃総特価市(?)として「新港埠頭赤レンガ倉庫特集」をお送りします。

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by yokohama80s | 2013-12-29 00:03 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(2)
2013年 12月 22日

山内埠頭 市場大橋

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この市場大橋は、慢性的な渋滞の名所だった青木橋の渋滞に引っかからずに中央卸売市場関係者が配達その他で行き来るできようにと、市場がある山内埠頭と国道一号の金港町(当時は「シィティーターミナル入り口」)を結ぶバイパスとして作られました。

まあ当時から、この橋を利用するのは市場関係者だけだったワケで、最近は撮り鉄の方々の間で有名撮影ポイントとなっているようですが、その昔は、休日や市場の営業が終了する昼過ぎには、この橋を通る車はほぼ皆無という状態で、誰に気兼ねすることなく橋の上に車を止めて、コチラの写真とか、↑↓の写真をのんびり撮影できました。

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*②橋の上から当時の高島貨物駅を見るの図


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*③上の写真の反対方向を見るの図


ということで、現在、この橋はどうなっているのだろうとググッてみると、なにやら東日本大震災により一部損傷のため震災以来、閉鎖通行止めとなり、その後、橋の廃止、撤去が決定。

そして現在、橋の撤去作業が行われているそうです。

まあ今は、みなとみらい関連の整備事業でこの近辺には網の目のように道路が張り巡らされ、青木橋の渋滞も撮影当時の80年代と比べれば、はるかにスムーズに流れていることから考えると市場大橋が無くなったところでなんら影響が無いと思われます。

とういうよりも、建設当初から「この橋が有っても無くても、あんまり関係ないよね」というのが実際のところだったような気もします。

なにせ横浜市民でこの市場大橋の存在を知っていた人は、中央市場関係者と相場は決まっていましたからね(*^o^*)

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*写真はすべて1984年撮影。



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by yokohama80s | 2013-12-22 00:03 | 山内・瑞穂・出田町埠頭 | Comments(0)
2013年 12月 15日

新港埠頭 防衝工

昔は、今と違ってタグボートの出力が小さかった為に、潮や風に船体が流されて出入港時に船が岸壁に接触したり、はたまた夜間や濃霧時に船が岸壁先端に衝突するという事故が後を絶たなかったそうです。

するとモノがモノだけにお互いタダで済むワケもなく・・・・・・ということで、防衝堤または防衝体、はたまた防衝工と称する車で言うとバンパーみたいなモノが岸壁先端に設置されるようになったそうです。

しかしいろいろと調べてみると、本来、防衝工と呼ばれるモノは、繋船した船が岸壁と接触して船体が損傷することを防ぐために岸壁に設置されたゴム状のショックアブソーバーのことを意味するようで、新港埠頭にある写真のタイプは「船体と岸壁が接触した時の衝撃を和らげる」というよりも先端部に灯台を設置して航行する船に対して岸壁先端の位置を知らせる役目で設けられたようです。

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*夜になると支柱の先がピカピカ光る


新港埠頭では、もともと4号5号、8号9号岸壁の左右の突堤のそれぞれ左右両先端に2個づつの計4個の三角形のコンクリート製の防衝工が設置されていましたが、1944年に撮影された航空写真を見ると4号岸壁の防衝工があった場所まで4号岸壁が延長されているのが確認できることから、また9号岸壁の防衝工は、9号岸壁を延長する桟橋の設置により航空写真を見ると1957年から1967年の間に撤去されたようで、私が写真を撮影した80年代前半の時点では岸壁突端に設置されていた防衝工は、写真の8号岸壁と、5号岸壁の2カ所しか現存していませんでした。

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*画面左、貨物船の奥に5号岸壁の防衝工がチラッと見える


その後、どうやら5号岸壁の防衝工も、右岸壁に海保の海上防災基地を建設する為に例によってコソッと取り壊されてしまったようで、現存する防衝工は8号岸壁のものだけのようで、この防衝工を文化遺産だか近代産業遺産だかなんだかに指定しようとする動きもあるそうです。

しかし80年代にはそのような歴史的価値など知るよしもなく、当時は「立ち入り禁止」「釣り厳禁」という看板があったにも関わらず↓

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格好の釣りポイントとなっていました。


*写真はすべて1987年撮影




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by yokohama80s | 2013-12-15 00:05 | 新港埠頭 | Comments(0)
2013年 12月 08日

新港埠頭 三号岸壁の水辺階段(雁木)

現在、赤レンガパークを海沿いに海保の工作船展示館の方に歩いて行くと、ちょうど旧三号岸壁のクビレの部分にある手すりから身を乗り出して海面を覗き込むと崩れかけたいかにも年代物の海へ降りていく階段(このての階段を「雁木」という)が見えると思います。

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*1982年撮影


この階段は、その昔、横浜にも居た海女さんたちがムール貝を獲りに潜る為に使用していた・・・・・・なんて事実はありません(笑)

とある資料によれば、まだ船が接岸できる埠頭が新港埠頭と大桟橋しか無かった1913年(大正2年)の横浜港への入港船舶数は1,446隻。

そのうち岸壁に接岸して荷物や旅客の積み卸しをしたのが全体の約三割にあたる443隻に過ぎず、残りの七割にあたる1,003隻の船舶は沖合に設置されたブイに繋船しハシケなどで荷役を行っていました。

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*1986年撮影


そこでハシケの荷物を積み卸しする為に物揚場なる場所が作られたのですが、当時の貨物船には少なからず乗客も乗船していたし、船員は船員でせっかく陸のきらびやかな灯りを目の前にしてモンモンとした時間を過ごして再び四方八方海ばかりの航海に出たら精神衛生上の問題(?)が発生してしまうワケです。

さらに代理店やドック関係者などが荷物の積み卸しや、修理作業その他の打ち合わせの為に沖合に停泊している船に行かなきゃいけないし・・・・・・

ということで、こういう時にオカと沖合に停泊した船の間を行き来する為に利用する渡し船こと通船という、ひらたく言えば海上タクシーのようなモノが存在します(今もあります)。

現在は通関の関係で沖合に停泊した船へ行き来する人が通船を乗り降りする場所は決められていますが(80年代当時は西波止場と大桟橋のたもとにあった)、その昔、震災前頃までは、船が入港するやいなや許可を受けている正式な通船や、無許可営業の通船やらなんやらかんやらが、まるで"なにか"にたかるハエの如く一斉に船に集まって、上陸する船客を奪い合ったんだそうな。

そしてそれらの通船に乗った乗客が、「あそこにつけてくれ」と言うと船をそこにつけてくれたんだそうです。

ところが如何せん通船は10トン程度の小型船(そのまた昔は手漕ぎの和船だったからもっと小さかった)の為に、岸壁に船を横付けしたところでオカははるか頭の上。

岸壁をそれこそヤモリよろしくよじ登らないと上陸出来ないワケで、そういうことにならないように設置されているのが写真の階段。すなわち「雁木」とも呼ばれるモノ。

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*1986年撮影


新港埠頭には写真の三号岸壁と四号岸壁の間と、記憶が曖昧なのですが八号岸壁の先端の二ヵ所にあったような記憶があります(私の記憶ほど信用できないモノはありませんが(;^^)ヘ..)。

さらにハッキリしたことはどこにも出ていないし、誰も気にしていないようなのでアレなんですが、震災当時の写真を見ると、三号と四号岸壁の擁壁はさほど被害を受けていないように見えることから、この階段が右突堤が建設された1905年(明治38年)当時のものという可能性も無きにしも非ずかも???(←専門家筋によると、この雁木は新港埠頭創建当時のモノなんだそうです)

まあそれはそれとして、私がこれらの写真を撮影した当時は、出港する船に乗船するハーバーパイロット(水先案内人)が、海からパイロットボートでやって来て上陸する際にこの階段を利用していました(最近の埠頭にはソレ用のハシゴが設置されている)。



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by yokohama80s | 2013-12-08 00:06 | 新港埠頭 | Comments(0)
2013年 12月 01日

山下埠頭 KDD丸係留施設

山下埠頭の大桟橋側の岸壁を1号、2号、3号と沖側に歩いていくと、3号岸壁の突端のさらに沖に伸びている桟橋状の施設がありました↓。

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釣り人の侵入を拒む為か、ご覧のように入り口が頑丈に閉ざされており、いったいなんの施設かまったく見当もつきません。

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ただ看板に名前が書かれている「国際ケーブルシップ」という会社が、現在のKDDIの前身にあたる国際電信電話公社(KDD)関連の海底ケーブルを敷設する会社だということは知っていましたが、ここから太平洋を横断する海底ケーブルが伸びている・・・・・・なんてことは考え難いし・・・・・・確かそのての施設は銚子だか九十九里あたりにあったかと・・・・・・。

で何回目かにこの場所を通りかかった時に、期せずしてその施設の正体が判明↓。

なんのことはない、当時、横浜を母港にして人知れず海底ケーブル敷設や整備の為に、日夜、七つの海を東奔西走し、七面六臂の大活躍をしていたKDD丸の専用岸壁で、

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この船はこの場所に停泊中でも、ひとたび海底ケーブルに異常が見つかった時には、365日24時間いつでも出動出来る体制になっていたそうです。

「な~るほど。それでいつ行っても姿を見なかったワケだ」と納得。

ちなみにこのKDD丸は、1967年(昭和42年)進水~1992年(H4)にオーシャンリンクに交代するまで四半世紀にわたり、太平洋を中心に海底ケーブルの敷設整備修繕に活躍していたそうです(参考までにYou TubeにあるKDD丸の記録映画の動画)。

*写真はすべて1982年撮影。



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by yokohama80s | 2013-12-01 00:05 | 山下埠頭 | Comments(0)