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2013年 09月 29日

海岸通1丁目 大桟橋入口界隈

開港広場前の交差点を大桟橋へ向かって進み、山下臨港線の高架橋を抜けた右側にあったのが↓

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①1981年撮影


1926年(大正15年)築の水上警察署。

もともと水上警察署は、ハシケなどで生活する水上生活者の生活を守ることを目的に設立されたのですが、戦前のセレブな方向けの海外旅行指南書・欧米漫遊留学案内には

「桟橋近くに水上警察署が在るから乗船前同署に立ち寄り旅券の査証を受けねばならない。若し之を忘れると乗船が許されないから注意を要す」
「(出港後まもなく)検査があるから甲板に出る様にと通知がある。之は密航者の有無を取り調べる為であって相当の時間を要す。之が終わると水上警察署のランチは離れ云々・・・」

とあることから、当時は水上警察が今で言う出入国管理業務を行っていたようです。

余談ですが、水上署の玄関ドア上のガラスには"YOKOHAMA HARBOR POLICE STATION"、直訳すると「横浜港警察署」と表記されています。

「リアルみなと署じゃん(商用港には"PORT"を用いる、と辞書に書いてありました)」という小ネタは置いておくとして話を元に戻すと、水上警察署を右に見ながらさらにズイズイと進むと、左手に先週の「マリン商会」と「YHM」こと現・HAMA CAFEがあり、西波止場へ抜ける路地を挟んでその隣に↓

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②1982年撮影


ジャパンエキスプレスコンピューターセンターという看板が出ている建物がありました・・・・・・というか現在も建物は現存しています(何に使われているかは知りませんが)。

この建物の右側にある、塔のようなモノにも、この建物を建てた回漕会社のモノと思われるYをモチーフにしたレリーフがありますが、先週の「YHM」と同じく何の略かは不明です。

ちなみに、この建物は1936年(昭和11年)にジャパンエキスプレスの前身にあたるニューヨコハマエキスプレスの分室として建てられたとのこと。

ということで、上の写真の建物の隣には掖済会大桟橋診療所のビルがありその先に↓

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③1982年撮影(撮影後ほどなくこの建物は取り壊されました)


港湾労働組合の建物があり、さらにその隣には↓

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④1982年撮影(取り壊された湾労働組合跡地から撮影)


西波止場二号上屋があり、さらにちょっと行った先には↓

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⑤1982年撮影


西波止場一号上屋がありました。

ちなみにこの二つの上屋は、共に1930年(昭和5年)に建てられたものですが、大桟橋の改修工事に際して例によってコソッと取り壊されてしまい、跡地にはアートだかなんだか知りませんが意味不明の衝立がズラッと並べられています。

そして道路を渡った反対側(大桟橋に向かって右側)に、通船会社の事務所などが入った旧大桟橋総合ビルがありました↓。

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⑥1982年撮影(通船桟橋側から撮影)


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*1980年撮影(通船乗り場)






*10月のUP予定

10月 6日: 大桟橋
10月13日: 日本大通14 日東倉庫日本大通倉庫
10月20日: 新港埠頭 旧東神倉庫生糸上屋
10月27日: 新港埠頭 三井LM倉庫

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by yokohama80s | 2013-09-29 00:04 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2013年 09月 22日

海岸通1丁目 現・HAMA CAFE

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今日のタイトルを見て「うん?」と思った方もおいでになるかと思います。

そうです、いつもは撮影当時の名称を使っているので、この建物を取り上げている建築マニアの方々にならってこの建物の名称を「マリン商会」にしようかとも思いました。

ところが写真を見てもおわかりのように当時、「マリン商会」は現在、設計事務所が入っている写真左の建物にあり、現在、 HAMA CAFEが入っている写真の建物は、通りに面した部分には「内外商運」が入っており、その裏側に入っていたのが「マリン興業」。

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となると、この建物の名称に便宜的にとは言え「マリン商会」というのは適当では無いような・・・・・・

かと言って、建物正面のレリーフにある「YHM」にしようと思っても、そもそも「YHM」の「Y」が横浜の頭文字だろうことは想像がつきますが、残りの「HM」がいったい何の略だか・・・・・・

ちなみにマリン商会という会社は現在も営業を続けていて、そのHPによると、創業が1969年で、80年代当時には船舶洋品、造船機器の販売、納入代行と海上コンテナの修理及び修理部品の販売を行っており、マリン興業の方は写真に写っている看板を見ると、「通船、綱取、台船、納品代行」を、また建物の裏手、西波止場に停まっていた「商会」のトラックには有限会社とあり、「興業」の看板には「KK]とあることから株式会社、と言う点から「興業」が先で「商会」がその下なのか、それともまったくの別組織なのか・・・・・・

さらに「内外商運」という会社は、戦後、専売公社の委託を受けて塩の輸送によってノシてきた四国だかあっちの方の船会社のことか、はたまたかつて横浜市内にGSを展開していた会社のことなのか、そしてこの二つの組織は同一の会社なのか???

とにもかくにもなんだかよくわからないので、わかりやく現在の建物の名称を使用することにしました。

という前置きはここまでにして、歴史的建造物をハリボテ建て替え化して固定資産税の増収に余念がない横浜市がどういう風の吹き回しなのか、海岸通1丁目だけは建築制限かなにかを掛けているようで、この近辺には震災後に建てられた一連のビル群が辛うじて残されていて写真の建物もその一つ。

歴史的建築総目録データベースによると、この建物の右隣にある"ジャパンエキスプレス・コンピュターセンター"こと"ニューヨコハマエキスプレス分室"が昭和11年(1936年)築となっていることや、1934年、36年(昭和9年、11年)に撮影された写真を見ると、どうやらこの並びの建物群は同時期に建てられたものと思われます。

ということで、そういう細かい話は近代建築マニアの方々に丸投げしてしまうとして、現在も大桟橋に行けばこの建物を見ることが出来ることから、僭越ながらその時にツレにドヤ顔で自慢出来るネタをひとつ(私がそう思っているだけなのですが・・・・・)。

それは現在、この建物を使用しているお店の切り文字看板に隠れてしまっていますが↓

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↑の部分。

まだわからない方は、瞬きしないでジ~ッと注目してみてください。

わかりましたか?

よ~く見てください、アルファベットのYHMを竹を組み合わせた風に作ってあります。

さらに良く見ると、普通はこういうレリーフは、石膏とか木型、金型などの型を使って作るものなのですが、このレリーフは「YHM」を囲む円は、幼稚園児の粘土遊びよろしくいかにも手のひらでコロコロ転がして作った風ですし、「YHM」の文字もコテで細工したのが明らかという、いかにも手作り感満点のレリーフです。

なにやらこのレリーフを見ていると、

「よお~だんな、ここんとこフツーの文字にしたっておもしろくもなんともねぇ~だろ。こんなふ~に竹を組んだみたくしたらかっけぇ~んじゃね?」
「それはいいけどメンドーじゃないかい?」
「なに言ってやがる! そんなもなぁ~ちゃっちゃっとできらぁ~」

みたいな、施主と左官職人との会話が聞こえてくるような気がします(*^▽^*)。

*写真はすべて1981年撮影。



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by yokohama80s | 2013-09-22 00:03 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2013年 09月 15日

海岸通1丁目 エキスプレスビル

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*1981年撮影


海岸通りと大桟橋通りと山下公園通りが複雑に混じり合う開港広場交差点の西側に、何気にこぢんまりとたたずんでいるのが写真の1930年(昭和5年)に建てられた3階建てのエキスプレスビル。

正確な名称は、「ジャパンエキスプレス旧本社(現・本店)ビル」ということになるのでしょうか?

それはともかく80年代には、バリバリ現役のオフィスビルでしたが、現在は観光客相手のお店が入ってけっこうな賑わいのようです。

それよりもなによりも驚いたのが、建物前に植えられている街路樹。

今、上の写真と同じアングルからこの建物の写真を撮ろうと思っても、育ちに育った街路樹に小さな建物がスッポリ覆い隠されてしまいます。

という話もさて置き、この建物の名称になっている「ジャパンエキスプレス」という名前を初めて聞いた時には、何を勘違いしたのか日通の英語表記だとばかり思っていました。

ところが「日通」の英語表記は"NIPPON EXPRESS"で、この建物はジャパンエキスプレス。

ということでグーグルセンセに聞いてみると、日通とはまったく無関係の別会社で、1927年(昭和2年)に船客送迎、旅客手荷物運搬、移民乗船斡旋などを行う会社として設立し(当時の社名はニューヨコハマエキスプレス)、1930年(昭和5年)に写真の本社ビル竣工を機に社名をジャパンエキスプレスとしたそうな。

余談ですが、昭和9年発行の戦前のセレブな方々向けの海外旅行ガイドブック「欧米漫遊留学案内」には以下のような記述が。

「手荷物はジャパン・エキスプレスに申込めば桜木町駅から本船内まで大小軽重により一個二十銭及至六十銭(今で言うと¥1,000~¥3,000くらい)、横浜駅からは二十五銭及至七十銭(¥1,300~¥3,500くらい)で引き受けてくれる」

「東京市(現在で言うと東京23区内のこと)からの手荷物運搬は郵船本社内の同出張員(ジャパンエキスプレスの人のこと)へ申込めば指定の場所まで引き取りに来てくれて大小軽重により一個八十銭から二円五十銭(¥4,000~¥12,500くらい)で自動車便で本船へ積み込んでくれる」とあります。

要は現在、飛鳥その他の国内クルーズ船が行なっている、「家から手ぶらで世界一周に行けます」の先駆けのようなもの、というよりもまさにそれそのもののサービス。

「な~んだ、昔からあったんじゃないか」といった感じです。

ということで今日の二枚目は↓

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*1982年撮影(左がエキスプレスビル、右が大桟橋共同ビル)


エキスプレスビルの右手にあったお寿司屋さんの看板。

実は私は、写真のトタンの部分がお寿司屋さんだとばっかり思っていましたが、よく見ると斜め下に向かって矢印が・・・・・・

私の拙い記憶では、矢印の先のエキスプレスビルには寿司屋は無く、近くにもそれらしい店が見当たらず、ここを通りかかるたびに寿司屋を探したことは覚えているのですが、それが見つかったのか、結局、見つからなかったのか???

確か見つけたような気がするのですが、それがどこだったのかの記憶がスッポリ抜け落ちています(^^ゞ




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by yokohama80s | 2013-09-15 00:06 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2013年 09月 08日

海岸通3-11 ニューピータースグリル

先週UPしたエヴェレットスチームシップ社の隣のビルにあったのが写真のレストラン・ニューピータースグリル。

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と言ってみたものの、このレストランに関する記憶が一切ありません(笑)

ということで、この写真があるネガを詳細に見てみると、まず三菱倉庫横浜支店が写っていて、その次ぎが↓

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の立ち飲み屋。

でその次ぎに、このレストランの写真で、その次ぎが先週のエヴァレットスチームシップ

さらにガラス窓に、郵船ビルの円柱が写り込んでいることから、海岸通の山下公園方向に向かって右側の、エヴェレットスチームシップの隣あたりのビルにあった、ということになります。

ということで、郵船ビルが写っている写真を漁ってみると↓

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*1980年撮影


う~ん、写ってないけど、どうやら画面右端のタイル張りのビル(名称不明)の一階にあったようです。

ちなみにタイル張りのビルの隣に写っている、なにやら古めかしいビルが気になったのでこれもまた漁ってみると↓

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かろうじてこのカットがあっただけでした。

撮影当時は一階に複数の飲食店、二階、三階に海事事務所や商社などが入った貸しビルのようですが、ビル正面のマルにニ、その両サイドに稲穂(もしかしたら小麦かも?)とリンドウ(もしかしたらスズラン?)だかなんだかの花があしらわれた紋章や、ビルの寂れっぷりその他から察するに、どうやら戦前に名のある商社かなにかの本社はたまた支社として建てられたビルだと思われますが、このビルの名称その他の詳細も不明です。

ただレストラン・ニューピータースグリルの建物は、航空写真などから推測すると1957年(昭和32年)から1963年(昭和38年)のあいだに建てられ、ビルにはレストラン、雀荘、喫茶店、宴会場などがあったようですが、いつごろ閉店したのか、はたまたいったいどんな料理を出していたのか、その他もろもろのことについては一切不明です。

ということで、適当に写真をUPして今日のところは終わりたいと思います(笑)

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・・・・・・と思いましたが、どさくさ紛れにもう一枚、ナゾのレストランの写真を↓

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後にも先にもこのカット一枚しか無いのですが、どうやら海岸通の一本裏側の元浜町通りにあったレストランのようで、看板には「アメリカンクッキング レストラン バー ロバート・ブラウン」と書かれています。

まあ実際には「ROBERT BR.....」までしか写っていないのでわからないのですが、「ロバートの後にBRとくれば、ロバートブラウンだろう」という根拠無き思いこみによる推測ですが、それってウイスキーの銘柄じゃないか・・・・・・みたいな(笑)

このレストランについても、「う~ん、ナゾです」(笑)

*写真はすべて1981年撮影



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by yokohama80s | 2013-09-08 00:03 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2013年 09月 01日

海岸通3丁目 エヴェレットスチームシップ横浜支店

81年頃に海岸通を万国橋方向から大桟橋方向にブラブラと歩いて行くと、海岸通3丁目交差点の海岸通と関内大通りの丁字路の角地にウナギの寝床状に横たわるちょっとモダンで小洒落たビルがありました。

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赤矢印(1960年に撮影された航空写真より)


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海岸通側の入り口ドアには、英語で数社の商船会社名が記されていて↓、

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元浜町へ向かう道路側のウインドーには、自社船の模型と↓

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某有名洋酒会社のイメージキャラクターや、船好きで知られる横浜在住の某有名イラストレーターのイラストが飾られていて↓

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「いかにも」感満点でした。

なにせこの頃は、外国の船会社の支社や代理店の大部分は、シルクセンターに事務所を構えているのが相場であって小さいながらも自社ビルということは、それなりに由緒正しい歴史ある会社とお見受けいたしました。

ということで、今頃になってググッたことをざっくりまとめてみますと、

EVERETT STEAMSHIP Co Ltd(エヴェレット汽船株式会社)

1917年アメリカで設立され社名の「エヴェレット」は会社設立時の投資家の名前から取ったもので、戦前から日本の主要港の横浜、清水、神戸、下関にも支店があったそうな。

そして戦後いち早く横浜に戻り、日本からアジア、ペルシャ湾に至る航路に定期貨物船を運行すると同時に、いくつかの海外商船会社の代理店業務も行ない、同時に自社船のアジア寄港地にも代理店を設け、これらの港における輸出入貨物の取り扱い及び船に必要な水、食料、燃料、その他の物資の供給を代行した。

とのこと。

しかし戦前、戦後と七つの海の荒波を乗り越えてきた歴史ある老舗外国商船会社も栄華盛衰、商船不況の荒波には抗し難く1984年頃にエヴェレットスチームシップ社は日本での業務を国内企業に売却し日本から撤退。

ちなみにこのビルは、航空写真などから推測すると、このあたりが接収解除になった1952年(昭和27年)から1955年(昭和30年)の間に建てられ、その後、この会社が山下町のビルに移転したのを機に1982年(昭和57年)に取り壊され、のちにマンションが建てられるまで駐車場となっていました。

*写真はすべて1981年撮影


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by yokohama80s | 2013-09-01 00:08 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)