週刊 横濱80’s

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2012年 08月 26日

山下町 下町あたり

「山下町」と言った時に、多くの人がイメージするのは山下公園だと思いますが、実は意外に広い町で、西を走る大桟橋通りと首都高、南は元町との境の堀川に囲まれた一帯になります。

実はこのあたりが、開港当時の外国人居留地にあたり、今で言うと本町通りあたりを境に海側を上町と言って西洋人が多く居住し商社、商店が軒を並べ、中華街側は下町と言って主に清国人が多く住んでいて後に中華街が形成されました。

そして終戦後から1960年(昭和35年)まで、上町あたりが米軍に接収され、接収解除後の再整備が遅れたこおかげで、このあたり一帯には震災後に再建された海外商社のビルや倉庫が80年代頃には数多く残っていました。

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*1981年(山下町215近辺の中華料理屋の裏)


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*1981年(山下町212近辺の倉庫の壁に残されていた米軍接収時代の名残)


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*1982年(山下町95・旧外国人商社でこの時には某有名中華料理屋さんのお菓子工場だったかと・・・・・・)


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*1981年(山下町211・中華料理店の駐車場に建っていた廃屋)


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*1981年(山下町25近辺のタクシー会社の壁に干されていた料金収納袋)


山下町にあった、互楽荘アパート、同潤会アパートなどの集合住宅や、警友病院、シェル石油ビル、デスコビル、ストロングビルなどの戦前の海外商社ビルのすべてが今は無く、高層マンションなどに建て替えられてしまいました。


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by yokohama80s | 2012-08-26 00:07 | 山下町 | Comments(0)
2012年 08月 19日

モーリス商会

80年代当時、ワシン坂の下、小港町2丁目のカドに、モーリス商会というどこにでもあるようなごくごく普通の自動車修理工場がありました。

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*1982年撮影


ところがフツーじゃないのが、ガレージに駐められている車。

その一台がスカイブルーとアイボリーのツートンカラーで、テールにフィンがピンと立ったアメリカングラフティーしている車。

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*1982年撮影


今ならググれば一発で車名が判明するのですが、当時はそんなモノがあるはずもなく、あれやこれやと手を尽くしして調べた結果、1958年型のフォードフェアレーン500コンバーチブルと判明。

撮影から30年も経っていれば、あの当時ですでに車齢24年なので今は廃車になっているものと思っていましたが、ある日、暇つぶしにグーグルストリートビューで小港町を見ていたら店名がちょっと変わったものの、当時の場所に、当時の店構えのままで、当時のようにこの車がガレージに駐められていたのにはビックリしました。

今年で撮影から30年、ということは車齢54年。

ググってみると、「小港町の一桁ナンバーの云々」とけっこう有名な存在のようです。

でもう一枚。
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*1982年撮影


こちらはフェアレーンの隣に何気に駐めてあった、いかにも米軍払い下げ臭プンプンのドブネズミ色のダッジのレッカー車。

普通、「このての車が修理工場に置かれている」と聞いたら、アメリカンポップ調に派手派手しく彩られたガラス張りの小綺麗なショールームを連想しますが、フェアレーンの下にはオイルの受け皿やらバケツが乱雑に置かれているし、ダッジの隣になぜか冷蔵庫とかつて一世を風靡した流れるフラッシャー付きのセミドロップハンドルのチャリ。

「いかにも」という感じではなく、このようにごくフツーに「何気にすごいモノが置いてある」というのが、本当の「粋」ってヤツだと私は思います。     
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*1984年撮影(こちらは元町から山手トンネルを抜けた所にある自動車屋さん。売りに出ている車がメチャクチャマニアック)




*2013/01/04 写真1枚追加。
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by yokohama80s | 2012-08-19 00:06 | 本牧・小港・新山下 | Comments(4)
2012年 08月 12日

弁天通界隈

*1981年本町5丁目・本町ビルの県立博物館側にて撮影


馬車道通り北側の本町、南仲通、弁天通の5~6丁目、県立博物館周辺には、昭和初期頃に建てられたオフィスビルが林立していました。

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一枚目の写真は、本町5丁目に現存する1929年(昭和4年)竣工の1階部分が石積風で、2階以上が赤タイルによるレンガ作り風の旧帝国火災保険横浜支店こと本町ビルの裏。

なぜかビルに、昔の船によく見られた通気筒があって、そこからテレビのアンテナケーブルが......。

だれか地下に住んでいたのでしょうか?

さらに影しか写っていませんが、画面のちょうど左上には、ハリウッド映画に出てくるアパートなどでよく見かける跳ね上げ式の非常階段が(普段は二階部分と平行になっていて階段に人が乗るとズッズッズッとゆっくり下がって地上に繋がる仕組み)。

今は1階部分が改装されてこの通気塔は無くなっているようですが、なんかヨコハマっぽいと思える光景です。
   
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*1982年弁天通5丁目旧・日本火災横浜ビル


上の写真は弁天通5丁目にあった、1922年(大正11年)に川崎銀行横浜支店として建てられた旧・日本火災横浜ビルこと現・日本興亜馬車道ビル本棟の通用口。


そしてこの通用口の右手にあったのが↓
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*1982年弁天通5丁目旧・日本火災横浜ビル倉庫棟


の古めかしい倉庫。

このビルのように震災後から戦前に作られたオフィスビルには、事務所棟の隣に必ず倉庫棟が併設されています。

現在でも、日本大通りの三井物産ビルにその面影を見ることができますが、当時、このあたりに事務所を構えていた会社は、今で言うと流通センターの役割を担っており、注文が入るとこれらの倉庫から品物が日本を含めた世界中に発送していたそうです。

現在、このビルは、外壁二面のみを建設当時の姿で残した形で、近代的なビルに建て替えられてしまい、まるで体の半分はサイボーグ、半分は人間のキカイダーのような奇っ怪な姿になってしまっています。

最後にオマケで、これは弁天通ではありませんが、馬車道通の延長線上ということで↓
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*1981年撮影


関内駅北口を出て、馬車道方向に歩いたすぐの中区港町4丁目にあった1930年(昭和5年)築の旧徳永ビル。

中区史では、ビルの所在地を「真砂町4丁目」となっていますが、この薄っぺらなビルがある一角は正確には「港町4丁目」になります。

ということはともかく、ストリートビューで現在の姿を見てみると、このビルは薄っぺらさはそのままで、10階建ての今時のビルに建て替えられています。

*2012/09/03 一枚目の写真が本町ビルの裏と判明したので、そのように記事を修正しました。


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by yokohama80s | 2012-08-12 00:05 | 関内地区 | Comments(0)
2012年 08月 05日

横浜港駅 荷物用ホーム

旧国鉄・東海道貨物支線こと横浜臨港線の横浜港駅にはプラットホームが二カ所あり、ひとつは言わずと知れた、現在、海保の海上防災基地となっている旧四号上屋のちょうど真ん中あたりまで140mほどあった1928年竣工の旅客用プラットホーム。

現存しているのは海上防災基地の敷地からはみ出した東京寄りの40mほどが、屋根を塩ビに張り替えて「横浜港駅プラットホーム」として保存されています。
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*2012年撮影


そしてもうひとつが、旅客用ホームの約100mちょっと手前(南)のレンガ倉庫の前、現在の駐車場あたりにあった写真の荷物用プラットホームこと小口貨物積卸場です。
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*1984年撮影


このホームも四号上屋や、旅客用プラットホームとほぼ同時期に作られたものと思われますが、撮影当時には、すでに横浜港駅は信号所に格下げされ、旅客用、荷物用ともに屋根付きだったプラットホームは雨を避けられるちょうど良い荷物置き場となっていて、ホームの上と言わず、その周辺には海コンやらホネやら、はたまたザーサイが入った樽↓とか、
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*1982年撮影(さすが中国クオリティー、タガが外れて壊れる寸前のタルばかり)


大きな木箱に梱包された建設機械や、その部品などが乱雑に置かれていて、写真のようにホーム全景を障害物無しに見渡せることができませんでした。
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*1984年撮影


上の写真を撮影した時は、ちょうどお盆休み中だったこともあり、この時だけはまわりがキレイに片付けられていて、運良くこれらのカットが撮影できたと言う次第です。
  

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by yokohama80s | 2012-08-05 00:02 | 新港埠頭 | Comments(0)