カテゴリ:山内・瑞穂・出田町埠頭( 9 )


2017年 01月 01日

瑞穂橋

 現在、かの有名な"ポーラスター"と"スターダスト"がある神奈川区千若町2丁目と、

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いまだに米軍に接収されたままのノースピア、はたまたノースドックこと瑞穂埠頭を結ぶ瑞穂橋は、実は1995年に新しく架けられた二代目の瑞穂橋。

 初代の瑞穂橋は、1929年(昭和4年)7月に竣工した長さ76m、幅員24mの大阪汽車会社が製作した鉄の橋桁の両側に、コンクリート鋪装した歩道と車道部分に花崗岩の小鋪石(舗石)が敷かれ、橋梁の両端左右に高欄、上部に照明設備、根元部分には銘板(戦時中の金属供出で取り外されたまま?)がある公道橋と↓

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*写真は1934年(昭和9年)に内務省横浜土木出張所が発行した「横浜港と其修築」より


1934年(昭和9年)に竣工した横河橋梁会社によって製作された国内初の溶接工法を使用して作られた鋼板トラス構造の複線用鉄道橋の↓

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二つワンセットで、1925年(大正14年)から埋め立てが始まった千若町地先外国貿易設備埋立地こと現在の瑞穂埠頭と本土との連絡橋として造られました(1934年(昭和9年)に内務省横浜土木出張所が発行した「横浜港と其修築」より)。

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*車道部分の花崗岩の小鋪石(舗石)鋪装


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*橋が作られた当時には先端の金属で覆われている部分に電灯が設置されていたそうな。


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*ラインの左が日本、右側は米軍の管轄


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*撮影当時、瑞穂橋を渡った先にあった税関の監所


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*瑞穂橋から現在のコットンハーバーこと当時の浅野造船所方向を見たの図


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*初代瑞穂橋建設時に造られた防衝工(橋に船が衝突することを防ぐ為の工作物のこと)



*写真は1984年~1986年に撮影。



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by yokohama80s | 2017-01-01 00:05 | 山内・瑞穂・出田町埠頭 | Comments(0)
2015年 06月 28日

山内町 横浜中央市場周辺

 第一京浜の「中央市場入口」交差点を海方向に入ってしばらく行くと目の前に貨物線をくぐるアンダーパスが見えてきます。
 でアンダーパスをパスして(?)右手に見える側道に入ると、貨物線を渡る宝町踏切があり、その踏切の先のアンダーパスをくぐる市場大通り(撮影当時はこんなシャレた名前は無かった……と思う)の道路と側道に挟まれた所に↓

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こんな感じで、お店が並んでいる一角があります(現在はほとんど無くなってしまったようですが)
築地に例えると、「場外市場」といったところなんでしょうか?

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 この正式名称を「横浜中央市場」という市場は、戦後になって作られたモノだと思っていたら、なにやら1931年(昭和6年)に開設されたんだとか。
と言われても、これらの写真を撮影した当時は、現在ほど身近な存在というワケでも無く、日曜、休日は言うに及ばず、平日でも15時過ぎには人っ子一人居ないシャッター商店街状態。
とにもかくにも当時は、今のように整備されていたワケでも無く、冷凍倉庫が建ち並んでいるだけ……といった印象でした。

 ということで、滝の川にかかる万代橋を渡ると、そこは「横浜中央市場・本場」とその先の岸壁部分が山内埠頭。
山内埠頭については、こちら(山内埠頭 巨大ボラード(係船柱))とかこちら(山内埠頭 その2)とかこちら(山内埠頭 市場大橋)の過去記事をご覧頂くとして、今回はそれ以外の写真を、ということで↓

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なにやら「横浜市場線 横浜市場駅構内 内貿二号踏切」と書いてあります。
どこにあったのかまったく記憶に無い(笑)ので、つぎに進みまして↓

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「三菱倉庫横浜支店 山内三号倉庫」という看板が出ているのですが、これもどこにあったかよくわかりません(笑)。
なにせ山内埠頭は、"みなとみらい"絡みでガッツリ改修されてしまったものでして……。

 ということで今度は、埠頭西端……というか、高島埠頭側の帷子川の河口あたり。
ここはシーバースに乗った時に通過する場所だったかと……。

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でその先にあるのが↓

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今は無き市場大橋。
で中央市場本場の北西端には、1930年(昭和5年)に建てられた……と思われる、事務所棟↓

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かなんかだと思います。

 ちなみにこの建物は、1985年(昭和60年)ごろに取り壊されて、現在の水産買荷保管場&駐車場棟に建て替えられて、市場大橋と駐車場棟とがあらたに作られた連絡橋によって接続されていました……というか、市場大橋が取り壊されたといっても貨物線をまたいでいる部分の橋桁が撤去されただけなので、いまも繋がっていると思います……たぶん?

 でふと思ったのですが、"橋"という建造物は計算された微妙なバランスで成り立っているものと聞きますが、まさかこの魔改造(?)が華奢な市場大橋に余計な負担をかけることになって、そして3.11で……なんてことは……無い……ですよね?

*写真はすべて1984年撮影





*来月7月のUP予定
7月 5日:鶴見沿線 大川~武蔵白石~安善
7月12日:鶴見沿線 浜安善~浅野~新芝浦
7月19日:京浜運河
7月26日:新山下橋にて

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by yokohama80s | 2015-06-28 00:06 | 山内・瑞穂・出田町埠頭 | Comments(0)
2015年 06月 21日

千若町2丁 日本製粉横浜工場

 京急を神奈川新町で下りて第一京浜に向かいます。
すると第一京浜に架かる歩道橋があるのでそれを渡って、マンションに挟まれた道を入ってグイグイ進むと横羽の高架をくぐる手前に橋があります。

 それが入江川第二派川にかかる荒木橋。

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*①荒木橋から子安方向を見るの図


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*②同じく荒木橋から今度は神奈川湊方向を見るの図


 もともと入江川は、鶴見区東寺尾付近を源流として京浜急行子安駅から品川方向に300mちょっと行ったところにある国道15号こと第一京浜の入江橋で海に注ぎ込む川なのですが、現在は沖合の埋め立てにより6派川(派川と書いてハセンと読みます)の運河に分岐し、そのうちの旧河口より西に旧海岸線沿いに作られた長さ約1.7kmちょっとの運河が「入江川第二派川」となります(地図にはただたんに「入江川」または「子安運河」と表記されていることもあります)。

 ここで何気なく「6派川の運河に別れ……」などと言っていますが、「派川ってなんぞや?」という疑問が。
でちょっと調べてみると、源流を異にして本流に合流する河川を「支流」と呼ぶのに対して、「派川」というのは本流が海に注ぎ込む以前に本流から分かれる支流のことで、本来は河口に形成されるデルタ地帯などで流れが枝分かれしている部分を指し、埋め立てなどで人工島を造成した時には当然、河口が沖合に移動するワケで、その延長された区間や、はたまたそこから分岐する運河も翻って「派川」と呼ぶそうです。
 
 でこの橋の上下流がいわゆる「子安浜」……かと思いきや、調べてみると子安浜とは第一京浜の入江橋を東端に、西端は新浦島橋までの入江第二派川の右岸側700mちょっとの区間を指すとのこと。
となるとこの辺りは、神奈川湊……???
歴史的農業環境閲覧システムから落としたKMLファイルをグーグルアースで表示して明治初期の地図と現在の地形を重ね合わせてみると、その昔はこの辺りが海岸線だったことだけは確かなようです。

 まあそういう話はひとまず置いておくとして、荒木橋を渡って、横羽の高架をくぐって、ズンズン進むとやがて貨物線の踏切があってそれを越えると出田町埠頭。

 出田町埠頭については過去記事で取り上げていますので、くわしくはそちらをご覧頂くとして、今は911絡みの"なんとか条約"とかの影響でガッチリとゲートがあり「立ち入り禁止」などと仰々しく書かれていたりするようですが、その昔にはそのようなヤボなこと言う人もいなかったので、埠頭内にグングン入って岸壁に。

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*③


昔は、日曜ともなれば近所の人がやってきて、のんびり家族で釣り糸を垂れている、なんて風景が当たり前でした。
 ということで、ふと写真の奥を見るとなにやらサイロが……。

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*④


地図を見ると日本製粉横浜工場のサイロなんだとか……
なにやら工場とサイロは、1924年(大正13年)に日本初の大規模臨海製粉工場として建てられたんだそうな……「ふむふむ歴史ある物が写っているなぁ」などと感心しつつ空中写真閲覧サービスで戦争前後の写真を見てみると……「あれ? 写ってない???」。

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*横浜市三千分一地形図 昭和22年・神奈川KMLファイルより


 どうやら写真に写っているサイロは、昭和39年ころに建てられたもののようで、そのさらに右手にチラッと見えるのが大正時代に建てられたサイロのようです。

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*⑤


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*⑥


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*写真はすべて1984年撮影。


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by yokohama80s | 2015-06-21 00:07 | 山内・瑞穂・出田町埠頭 | Comments(0)
2015年 06月 14日

千若町2丁目界隈 

 JR東神奈川駅の東口でも、京急仲木戸駅でも良いのですが、とにもかくにも駅を出て第一京浜方向にテクテク歩いて第一京浜の神奈川二丁目交差点を突っ切って、ひたすら海……というかノースドックはたまたノースピア、またの名を瑞穂埠頭方向にひたすら歩いて行くと、入江第二派川に架かる村雨橋を渡り、打ちっ放しのゴルフ練習場の高く張られた緑色のネットを右手に見ながらさらに2百mほど行ったところにあるのが千鳥橋。

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*①千鳥橋から三井倉庫を見るの図・その1


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*②千鳥橋から三井倉庫を見るの図・その2


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*②千鳥橋から三井倉庫を見るの図・その3


 千鳥橋を渡ってすぐの所に貨物線の踏切があり↓

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*日通倉庫があるところが東高島駅


ここから瑞穂埠頭にかかる瑞穂橋までの間が神奈川区千若町二丁目。

 このあたりは、かつて1965年まで米軍のノースドック地区兵舎が、そして北側の日清製粉の手前にはフリートメールセンターこと郵便地区と、さらに瑞穂埠頭が現在も米軍により接収継続中ということは、横浜市民の方なら先刻ご承知の話。

 で現在だと「なんでこんな所に?」という場所に、5~60年代を彷彿とさせる店構えのバーが二軒並んでいますが、その昔にはこの辺りにはこのてのバーが7件ほど軒を並べていたんだそうです。

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*③一般住宅を挟んでバーが2軒づつ合計4軒並んでいた


 いちおう撮影当時もバーが4軒あったのですが、とにもかくにも瑞穂橋たもとの二軒があまりにも有名すぎて……。
でその有名すぎたバーというのが↓

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*④


当時は、有名アーティストのジャケ写真に使われたり、有名イラストレーターの題材になったり、歌の歌詞になったりしたスターダストとポーラスター。

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*⑤


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*⑥


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*⑦入口のガラス越しに見た(覗いた)スターダストの店内・その1


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*⑧入口のガラス越しに見た(覗いた)スターダストの店内・その2


 この二軒のお店に関しては、現在も鋭意営業中ということもあってググればゴッソリ出て来ますので細かい話は省略するとして、個人的な感想を敢えて言うとするならば

「今までよくぞ残っていてくれた」

と言ったところでしょうか。

 取って付けたようなハリボテ建築のビルを認定歴史的建造物に指定するくらいなら、代官坂の宮崎生花店とかこれら2軒のバーのように昔のままのたたずまいを残している建物こそ積極的に指定するべきだと思うのですが……?

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*⑨瑞穂橋から見た三井倉庫方向


*写真はすべて1984年撮影。


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by yokohama80s | 2015-06-14 00:05 | 山内・瑞穂・出田町埠頭 | Comments(2)
2013年 12月 22日

山内埠頭 市場大橋

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この市場大橋は、慢性的な渋滞の名所だった青木橋の渋滞に引っかからずに中央卸売市場関係者が配達その他で行き来るできようにと、市場がある山内埠頭と国道一号の金港町(当時は「シィティーターミナル入り口」)を結ぶバイパスとして作られました。

まあ当時から、この橋を利用するのは市場関係者だけだったワケで、最近は撮り鉄の方々の間で有名撮影ポイントとなっているようですが、その昔は、休日や市場の営業が終了する昼過ぎには、この橋を通る車はほぼ皆無という状態で、誰に気兼ねすることなく橋の上に車を止めて、コチラの写真とか、↑↓の写真をのんびり撮影できました。

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*②橋の上から当時の高島貨物駅を見るの図


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*③上の写真の反対方向を見るの図


ということで、現在、この橋はどうなっているのだろうとググッてみると、なにやら東日本大震災により一部損傷のため震災以来、閉鎖通行止めとなり、その後、橋の廃止、撤去が決定。

そして現在、橋の撤去作業が行われているそうです。

まあ今は、みなとみらい関連の整備事業でこの近辺には網の目のように道路が張り巡らされ、青木橋の渋滞も撮影当時の80年代と比べれば、はるかにスムーズに流れていることから考えると市場大橋が無くなったところでなんら影響が無いと思われます。

とういうよりも、建設当初から「この橋が有っても無くても、あんまり関係ないよね」というのが実際のところだったような気もします。

なにせ横浜市民でこの市場大橋の存在を知っていた人は、中央市場関係者と相場は決まっていましたからね(*^o^*)

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*写真はすべて1984年撮影。



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by yokohama80s | 2013-12-22 00:03 | 山内・瑞穂・出田町埠頭 | Comments(0)
2013年 01月 13日

山内埠頭 その2

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*高島埠頭から。奥のクレーンがNKK浅野造船所。


以前、この埠頭の巨大ボラード(ビット)の方を先に取り上げてしまいましたが、遅ればせながら山内埠頭本編です。

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この埠頭は、現在は"コットンハーバー"などと呼ばれて、以前、埠頭の隣にあった日本鋼管の造船所には高層マンションが建設され、埠頭自体も名前を残すだけとなってしまいましたが、もともとは内貿易用として建設された比較的小規模の埠頭です。

しかし80年代頃には、すでに埠頭というよりも平日は卸売市場関係者の駐車場、休日には非公式の海釣り公園と化していました。

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*この上屋の右手に巨大ボラードがありました。


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*上の場所からカメラを右に振って見たの図


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*埠頭西端、帷子川河口側にて



*写真はすべて1984年撮影。


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by yokohama80s | 2013-01-13 00:07 | 山内・瑞穂・出田町埠頭 | Comments(0)
2012年 11月 18日

出田町埠頭

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*出田町臨港線は、この時すでに廃止状態でした。


この埠頭は、出田町埠頭と書いて「デタマチ・フトウ」と読むのですが、正式な住所は出田町と書いて「イズタチョウ」。

ところがこの埠頭の入り口にあたる国道15号こと「第一京浜」の青看板には、ご丁寧にローマ字で「イズタチョウ・フトウ」と書いてある、というワケで、思わず「なんと読むのが正しいんだ?」と言いたくなるのですが、埠頭名は「デタマチ」で、住所は「イズタチョウ」というのが正解。

天下御免の国交省が間違えたワケなのですが、そもそも車を運転しながら青看板のローマ字の方を読む人はいないし、看板を設置した国交省も「間違いではない」と言い張っているそうなので、「まあいいんじゃない」と言ったところでしょうか。

それはともかくこの出田町埠頭は、ノースピアの根本に隠れるようにちょこんとある横浜港では比較的小さな埠頭で、第二次大戦後に米軍により横浜港の全ての埠頭やブイが接収されてしまい港湾機能がマヒしてしまったことにより1952年(昭和27年)~1962年(昭和37年)の間に急遽整備された埠頭です。

今は主に果物類を扱い、バナナ用の燻蒸倉庫があることなどから「バナナ埠頭」とも呼ばれていますが、80年頃には、トマトジュースで有名な某社の倉庫などがありましたが、山下埠頭や新港埠頭に比べて寂れた感が漂っていて、日曜日などには近所の人が釣りや散策に訪れるようなのんびりした雰囲気の埠頭でした。

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*写真はすべて1984年撮影



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by yokohama80s | 2012-11-18 00:04 | 山内・瑞穂・出田町埠頭 | Comments(0)
2012年 10月 28日

瑞穂埠頭(ノースピア)

瑞穂埠頭ことノースピアは、1925年(大正14年)から出船入船で飽和状態だった新港埠頭を補完することを目的に建設されていました。

ところが関東大震災で工事が遅れに遅れたことが災いし、部分竣工の段階から陸軍により徴用されようやく完成したのが1945年(昭和20年)。

その後、進駐してきた米軍により現在も接収されている横浜港唯一の軍用埠頭です。

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*今も昔も撮影御法度の米軍ノースドック。瑞穂橋の路面は石畳でした。


ちなみにストリートビューで現在の瑞穂橋あたりを見てみますと、なにやら橋がずいぶんご立派になられたようで・・・・・・

80年代当時ははトラスではなく橋の両側左右には立派な親柱があり↓

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その両側を結ぶように路面に黄線が引かれ↓

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この黄線が国境線のようなモノで、陸側が日本、石畳側がアメリカ。

もし仮に石畳内で3分以上留まろうものなら(実際に3分かどうかは計ったことが無いので定かではありません)、どこからともなく米軍のパトカーが飛んできて即座に追い出される、という仕組み。

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実際、橋の真ん中あたりで二人だけの世界に浸っているカップルにも米軍さんは容赦せず、始終つまみ出されている光景を目撃したものです。

そういうことを知っていながら、何食わぬ顔で瑞穂橋を渡りきり橋を渡った先にあった税関監所や

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旧国鉄瑞穂支線の瑞穂橋梁を撮影し、

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*写真はすべて1984年撮影


挙げ句の果てに、駆けつけてきた米軍警備員(日本人の方です)と、「フィルムを出せ」「いや出さない」で毎度やり合ったりしていたのですから若いというか何というか・・・・・(笑)

しかし最近、瑞穂橋の接収が解除され橋を行き来することも橋の上からの写真撮影も可能になったとか。

でも埠頭ゲートにカメラを向けるのは相も変わらず御法度なのだそうです。

べつにたかが入り口ゲートの写真を撮ったところで減るもんでもあるまいし・・・・・・

あれだけ写真を撮られることにナーバスに反応するということは、きっと瑞穂埠頭の上屋には墜落したUFOとか宇宙人の死体とかを隠しているんでしょうね(←ウソです。実際には上陸用舟艇や揚陸艇とその装備機材がストックしてあるだけです)。

まあ冗談はともかくとして(笑)、80年代のノースピアはごくたまに貨物船や輸送船のたぐいが停泊していただけで、「使っていないのなら早く返せ」的なことが言われていましたが、冷戦終結後のアメリカ軍の戦略転換により、ここ最近のノースピアは、音響測定艦やら海洋観測艦やらが頻繁に出入港したり、米軍がチャーターしている高速フェリーが沖縄との間を行ったり来たりしていたり、先日、ニュースで大騒ぎしていた新型輸送機を米国本土から運んできたチャーター船が岩国の次ぎに何気に立ち寄ってみたりと、コンテナ埠頭である本牧、大黒埠頭を除けば今や横浜港で一番賑わっている埠頭なのでは? という気さえしてきます。

このぶんだと当分返して貰えないでしょうけど、返ってきたところで跡地にタワーマンションが建てられるだけで、たいした違いはないと言えば言えなくも無いような気もします(笑)



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by yokohama80s | 2012-10-28 00:04 | 山内・瑞穂・出田町埠頭 | Comments(2)
2012年 05月 20日

山内埠頭 巨大ボラード(係船柱)

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*1982年撮影


現在は、旧岸壁を埋め立てて「コットンハーバー」などと小洒落た名前で呼ばれている、1932年(昭和7年)竣工の山内埠頭の、第2京浜から市場を抜けて岸壁にぶつかる道の、岸壁と平行に並んで建っている上屋と上屋のちょうどど真ん中に設置されていた高さが1mくらいある特大サイズの係船柱ことボラード(BOLLARD/日本では係船索を八の字に巻き留めて船をつなぎ止めるのに用いる船や岸壁に設置された2本セットの柱のことをボラードと呼び、岸壁にある係船柱をビットBittと呼ぶが、本当は逆。よって当ブログでは係船柱をボラードと表記します......っていうか、そうしないと記事が成立しなくなるので)。

国土変遷アーカイブ 空中写真閲覧で山内埠頭を見ると、一番古い1947年昭和22年)撮影の航空写真で、上屋と上屋の間に、このボラードと思われる突起物が辛うじて確認できることから(たぶんそうだと思う程度ですが)、この埠頭が作られた当時から存在していたものと推定されますが正確なところは「?」です。

それはさておき、この巨大ボラード、船を係船するのに岸壁から奥まった道のど真ん中にあって、船を繋ぎ止めたら荷役作業のジャマになるだろうことは明らかだし、このような巨大なボラードは他の埠頭では見たことがないことなどなどから、
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*1987年に撮影した一般的なボラード。


船を繋ぎ止めるためではなく、ボラードの別の意味でもある「道路の車止めや車線を分けるために設置された支柱」だと私は推測しています。

埠頭内の道路のボラードとして、船を繋ぎ止めるボラードを設置する、という昔の人のユーモアのセンスには脱帽するしかありません(←ねっ、ボラード=係船柱じゃないと話が成立しないでしょ)。


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by yokohama80s | 2012-05-20 17:16 | 山内・瑞穂・出田町埠頭 | Comments(0)