カテゴリ:新港埠頭( 47 )


2017年 01月 29日

ある日の出港風景

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*1982年、新港埠頭にて


*来月のUP予定
2月 5日:海岸通の戦前建築・その一
2月12日:海岸通の戦前建築・その二
2月19日:海岸通4-23 横浜万国橋労働福祉センター
2月26日:日本大通の戦前建築

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by yokohama80s | 2017-01-29 00:05 | 新港埠頭 | Comments(0)
2016年 09月 25日

横浜港駅 計重台(完全版)

 以前、こちら(横浜港駅 計重台)で取り上げているのですが、未UP写真が出て来たので、今回あらためて「完全版」として再UPします。

 ということで、まずは「計重台」とは、「台の上に計量したい物を置き台の沈み込みから重量を割り出す重量測定器」、すなわち大きな計りのことで、まずは荷物を積んでいない空の状態の貨車の重さを量り、荷物を積み込んだらもう一度重さを量ってその差がすなわち積荷の重さということで、重さ辺りの料金を荷主に請求する時に使用されていたようです。

 で、横浜港税関埠頭こと、新港埠頭と大桟橋の震災復旧状況を記した、昭和9年に大蔵省が発行 「営繕管財局営繕事業年報. 第1輯(大正14年度)」によると、「貨車用計重台は在来五台なりしも利用の程度を考慮し強力なるものを二台新設するものとす」とされていて、さらに昭和9年に横浜市土木局が発行した「横浜港」の巻末にある「横浜税関設備図」を見ると↓

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十一号上屋万国橋側と変電所などがあった三角地帯の新港倉庫E号倉庫前の二カ所に貨車用計重台が設置されたようですが、80年代頃には十一号上屋万国橋側の1基しか無かったように記憶しています。

 ちなみにこの二カ所を現在の新港埠頭に落としてみると↓

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国際大通り・サークルウォーク交差点のみなとみらい側、赤レンガ倉庫行きの道路上と、新港中央広場ということになるようです。


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-写真①(1981年撮影)-


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-写真②(1983年撮影)-


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-写真③(1983年撮影)-


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-写真④(1983年撮影)-


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-写真⑤(1983年撮影)-


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-写真⑥(1987年撮影)-





*来月10月のUP予定

10月 2日:西区桜木町七丁目界隈
10月 9日:太田町通り
10月16日:弁三アパート
10月23日:住吉町四丁目界隈
10月30日:住吉町五丁目界隈

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by yokohama80s | 2016-09-25 00:05 | 新港埠頭 | Comments(0)
2016年 09月 18日

右突堤中央道路

 新港埠頭の右突堤中央道路とは、今は跡形もありませんが赤レンガ二号倉庫と道路を挟んで向かい側の中央公園にその昔あった新港埠頭変電所の前から、

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-写真①(1982年撮影)-


四号、五号、六号岸壁がある新港埠頭右突堤中央部を貫く道路のことを指します。

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-写真②(1984年撮影)-


↑写真①の撮影場所から中央道路を渡った歩道から横浜港駅の小口貨物積卸場を見るの図。

 そして写真①と②の場所から120mほど行くと

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-写真③(1983年撮影)-


六号上屋があり、そこから左突堤に抜ける道があり

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-写真④(1983年撮影)-


そして中央道路を挟んで右手側の現在は赤レンガパークのあるあたりには

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-写真⑤(1987年撮影)-


荷捌場があり、そこから四号岸壁と三号岸壁のクビレ部分に至る道が伸びていて

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-写真⑥(1983年撮影)-


中央道路沿いには

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-写真⑦(1981年撮影)-


横浜港駅の旅客用プラットホームがあり、右にプラットホームを見ながら80mほど先の左側に五号上屋があり

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-写真⑧(1981年撮影)-


さらに進むと、かつて旅客ターミナルがあった四号上屋跡のF号荷さばき地があり

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-写真⑨(1987年撮影)-


さらに進むと

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-写真⑩(1987年撮影)-


右突堤中央道路は海に突き当たって行き止まりとなります。

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(1982年撮影)




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by yokohama80s | 2016-09-18 00:14 | 新港埠頭 | Comments(0)
2016年 09月 11日

左突堤中央道路

 もともと新港埠頭は左右に二つの突堤を持つ埠頭で、、十、十一号岸壁がある方を、便宜上の名称なのかはたまた正式な名称なのかは定かではありませんが、いちおう"左突堤"と呼び、その中央部を貫通している道路を、これまた便宜上、そう呼ぶのか、はたまた正式なのかは存じませんがいちおう"左突堤中央道路"と呼ばれていたようです。

 まあわかりやすく言えば、ハンマーヘッドクレーンがある方の突堤です。

 ということで↓

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*-写真①-(2015年撮影)


↑が現在のお姿。
で↓

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*-写真②-(1987年撮影)


↑が29年前の風景。

 上の写真②の画面中央左下の道路のアスファルトが剥がれている所は、

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*-写真③-(1981年撮影)


往時の石畳が顔を覗かせていました。

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*-写真④-(1982年撮影)


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*-写真⑤-(1981年撮影)


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*-写真⑥-(1983年撮影)


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*-写真⑦-(1983年撮影)


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*-写真⑧-(1983年撮影)


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*-写真⑨-(1983年撮影)


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*-写真⑩-(1987年撮影)




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by yokohama80s | 2016-09-11 00:10 | 新港埠頭 | Comments(0)
2016年 09月 04日

米海軍横浜冷蔵貯蔵施設簡易冷凍庫

 新港埠頭七号岸壁には、本来なら同じく新港埠頭左突堤の東側、七号岸壁と並びの八号岸壁の八号上屋と同じく1929年(昭和4年)に建てられた、鉄筋コンクリート造りの七号上屋があったのですが、大戦中の1942年(昭和17年)11月30日に八号岸壁に係留されていたドイツ海軍の補給艦の爆発炎上事故により倒壊し、辛うじて倒壊を免れた中央道路側の壁と、八号上屋側と万国橋側の壁1/3が1957年に米軍が簡易冷凍庫を設置するまで衝立のような形で残され、七号上屋跡地は露天の貨物置き場として使われていた云々かんぬんということはこちらでくわしく触れましたので、そちらをご一読頂くということで以下省略。

 さらに戦後は、"NAVY COLD STORAGE FACILITY YOKOHAMA"こと直訳すると米海軍横浜冷蔵貯蔵施設として七号上屋跡に簡易冷蔵庫が設置され、さらに旧三井生糸倉庫、同F号、同B号倉庫、新港倉庫A号倉庫などと共に1994年まで接収され、接収初期の頃はアメリカ本国から冷凍船で横浜港へ大量に運び込まれた食料品を冷蔵貨車に積んで全国の米軍基地に配送するまでの一時貯蔵所として、その後は米軍艦船向けの冷凍食品の保管施設として使用されて云々かんぬんという話はこちらで触れましたので以下省略、ということで、今回は80年代当時に七号岸壁にあった簡易冷凍倉庫の写真を↓。

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写真①
*右突堤と左突堤の連絡道路にあった電源小屋


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写真②
*写真右側が七号岸壁、左が簡易冷凍倉庫


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写真③
*写真②の10mほど左側より


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写真④
*右突堤と左突堤を結ぶ連絡道路と左突堤中央道路との交差点


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写真⑤
*写真④の交差点角にある旧税関第二分室の建物


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写真⑥


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写真⑦


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写真⑧


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写真⑨


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写真⑩


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写真⑪


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写真⑫


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写真⑬


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写真⑭



*写真①が1982年、写真②、④が1983年、その他は1987年撮影。



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by yokohama80s | 2016-09-04 00:05 | 新港埠頭 | Comments(0)
2015年 12月 27日

新港埠頭 三号岸壁

 新港埠頭三号岸壁とは、今で言うとちょうどこのあたり(Google streetviewに飛びます)

 現在、岸壁に建っていた上屋も無く往時を思わせる物は何も残っていないように見えますが、四号岸壁との境目、今で言うと海保施設と赤レンガパークの境界あたりを覗き込むと新港埠頭が作られた当時のこんな階段(2013年12月8日・新港埠頭 三号岸壁の階段)が現在もその姿を目にすることが出来ます(三号岸壁と二号岸壁のクビレも現存しています)。

ということで、まずは現在の赤レンガパークのあたりの30年前の風景を↓

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*①通称・赤レンガ二号倉庫前から見た三号上屋(1986年撮影)


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*②三号上屋前というか現在の赤レンガ二号倉庫前のC号荷さばき場にて(1987年撮影)


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*③上に同じ(1987年撮影)


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*④これまた上に同じ(1987年撮影)


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*⑤三号岸壁と四号岸壁のクビレ部分に至る通路にて(1987年撮影)


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*⑥三号上屋前の引き込み線の車止め(1982年撮影)

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*⑦三号岸壁と四号岸壁のクビレ部分にて(1983年撮影)


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*⑧三号上屋と二号上屋との間にあった荷役連絡所(1982年撮影)


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*⑨二号上屋の一号岸壁側にあった荷役会社の休憩所その1(1983年撮影)


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*⑩その2(1983年撮影)


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*⑪三号上屋の内陸側の壁際に作られた庭園?(1981年撮影)


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*⑫上と同じ(1982年撮影)


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*⑬上と同じ(1982年撮影)


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*⑭(1983年撮影)






*来年1月のUP予定
1月 3日: 新年特別企画(どこかは秘密)
1月10日: 中華大通り
1月17日: 中華街・市場通りと香港路
1月24日: 中華街・中山路中山路
1月31日: 山下町92番地 横浜繊維

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by yokohama80s | 2015-12-27 00:03 | 新港埠頭 | Comments(0)
2015年 12月 20日

新港埠頭 F号荷さばき地

 新港埠頭の F号荷さばき地は、その昔、現在、海上保安庁の海上防災基地がある四号岸壁が国内船会社の北米航路発着場として使われていた時、一階が倉庫(上屋)と旅具検査場、二階に船客待合場、食堂、売店がある四号上屋↓

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*昭和9年発行 横浜港と其修築より竣工当時の四号上屋


を1979年に取り壊して出来たスペースを、貨物の積み卸しや分類、計量などを行う為に露天の貨物置き場として使用していた場所のことです。

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*①1986年撮影


 撮影当時には、東南アジアやアフリカ諸国向けのプラント設備や土木重機などがズラ~ッと置かれていました。

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*②1982年撮影


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*③1982年撮影


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*④1982年撮影


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*⑤1982年撮影


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*⑥1986年撮影


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*⑦1986年撮影


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*⑧1987年撮影


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*⑨1987年撮影


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*⑩1987年撮影


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*⑪1987年撮影


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*⑫1987年撮影


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*⑬1987年撮影




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by yokohama80s | 2015-12-20 00:00 | 新港埠頭 | Comments(0)
2015年 12月 13日

新港埠頭の三角地帯

 その昔、新港埠頭がまだ港として機能していた頃、万国橋から新港橋へ向かう道路と、万国橋から線路づたいに右突堤へ向かう道路、新港橋からレンガ倉庫前を通って万国橋~右突堤に向かう道路が形作る三角形の中州状の場所があり、そこにジャパンエキスプレスの大きな倉庫や、ノコギリ屋根が連なった新港倉庫、交番、変電所、港湾局の埠頭事務所などがありました↓。

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*昭和39年の横浜市三千分一地形図を現在の地図に重ねてみました。


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*万国橋から右突堤に向かう道路から
(画面右がジャパンエキスプレス倉庫と新港倉庫)


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*赤レンガ二号倉庫前から見た三角地帯にある変電所の建物



ということで、まずはジャパンエキスプレスの倉庫↓

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 お次が新港埠頭E号倉庫↓

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 で変電所があって↓

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 三角地帯の新港橋側には港湾局とか荷役会社などの事務所が建ち並んでいて、その中でなんとなくクラシカルな感じがする事務所↓。

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 写真に写っている看板を拡大してみると、リコーインターナショナルシステムズとなっていますが、建物の左側になにやら紋章のレリーフが。
ということで、ちょっと調べてみると1978年(昭和53年)の住宅地図の該当の建物には「運送業 KK武相組」となっているので、試しに1930年(昭和5年)の大横浜商工録を見てみると輸出入貨物立会業に元浜町4-35を所在地にする武相組がヒット。

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*1946年撮影の航空写真より
(余談ですが新港倉庫E号倉庫の屋根が焼け落ちているのが確認できます)


 ということは、この武相組という会社が同一の物だと仮定すると、この建物は戦前から戦後にかけてこの会社の現地事務所だったという可能性が高い、ということになりますが、ご多分に漏れずこの場所は今や道路の下に。
もしかしたら50年後くらいに、この場所を掘り返したら土台跡が出て来て大騒ぎ、なんてことになったりして……!?

 

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by yokohama80s | 2015-12-13 00:13 | 新港埠頭 | Comments(0)
2015年 12月 06日

横浜税関石炭庫

 その昔、新港埠頭に架かる万国橋を渡った所の橋のたもと、運河の岸辺に↓

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の煉瓦造りの小さな倉庫、はたもた物置状の建物がありました。

 建物の形状から考えると、物置というよりも暖房用の石炭(昭和40年代までは暖房用の燃料は石炭が使われていた→小学生の6年間がずっと石炭ストーブでした)を一時的に貯蔵しておく小屋だろとは思いますが実際のところは……???

 この件に付いては、こちら(2014年12月14日・万国橋)でも触れましたが、80年代後半の建築探偵ブームに乗じて出版された書物には、「明治時代に建てられた貴重な……」などと記載されていたのですが、個人的には「明治築はないだろう」と思ったもの、問題は「それではいったいいつ建てられたのか?」ということ。

 そこで国土地理院の地図・空中写真閲覧システムで新港埠頭を見てみると……
なにせモノが小さいので判然とはしないのですが、1944年(昭和19年)~1946年(昭和21年)の写真では確認出来ないし、昭和24年版の横浜市三千分一地形図でも以下同文。
で1947年(昭和27年)に撮影された写真に、それらしい物体(建物)が辛うじて確認出来ることから考えると、どうやら戦後になった進駐軍によって建てられたもの、というのが実際のところのようです。

 まあ今となってはそのようなことは、誰も気にしないとは思いますが。

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*写真はすべて1982年撮影。


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by yokohama80s | 2015-12-06 00:05 | 新港埠頭 | Comments(0)
2015年 02月 08日

一文字埋立地

新港埠頭が横浜税関陸上設備として竣工した当初には、十二号岸壁の万国橋側に十三号岸壁があったのですが、震災直前ごろまでに海面に向かってスロープがつけられた物揚場に変更され震災、戦争、接収時代を送ってきました。

そして米軍による接収が七号岸壁三井生糸倉庫一帯を除いて解除された後の1962年(昭和37年)、ほぼ山下埠頭造成と時を同じくして十三号岸壁物揚場の海面……というか、大岡川河口を幅約80m、長さ約260m(現在のみなとみらい16街区あたり)を埋め立てて、そこを流通拠点とすべく鉄筋コンクリート造りの民間倉庫が建てられたのが、当時、新港埠頭の一文字埋立地こと一文字地区。

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*赤枠内が一文字地区で黒枠が新港埠頭の既存地区


しかし当時すでに貨物輸送が、すでにトラックに移行していたにも関わらず、一文字埋立地の倉庫街は艀輸送を前提に作られていたことから撮影当時の80年代頃には開店休業状態。

ということで、とにもかくにもまず最初の写真は、戦後、旧13号物揚場に建てられた丸屋根倉庫が3棟連なった三井倉庫K号倉庫↓。

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*1981年撮影


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*1981年撮影


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*1982年撮影


でその次が、一文字地区根元部分にあった京浜輸入貨物取扱業共同組合新港上屋↓

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*1981年撮影


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*1981年撮影


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*1983年撮影


そのお次が、鈴江倉庫↓

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*1981年撮影


でその次が横浜冷凍新港埠頭工場↓

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*1981年撮影


で最後が関東郵船運輸倉庫↓

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*1981年撮影


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*1981年撮影


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*1981年撮影


……だと思います(笑)




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by yokohama80s | 2015-02-08 00:00 | 新港埠頭 | Comments(6)