カテゴリ:大桟橋・海岸通( 21 )


2014年 05月 11日

西波止場 その2

現在、日本大通りの港郵便局あたりの横断歩道を渡る時に港の方に目をやると、臨海線の高架越しに新港埠頭と大桟橋に挟まれた横浜港発祥の地でもある西波止場(西波止場に関する能書きはこちらをご参照下さい)とその先の海面を見ることが出来ます。

まあ景観的に「日本大通りの先に海がデ~ンと見えたらかっこいいじゃん」と思ったのかどうかは定かではありませんが、実は開港時には現在、県庁があるあたりに運上所と蔵や役宅などがありその周りはぐるりと黒塗りの高塀で囲まれ、波止場に至る道には関が設けられていたし、その後、1866年(慶應2年)の豚屋火事をきっかけに、日本人居住地と外国人居住地の間に防火帯として幅120フィート(約36m)の日本大通りが作られた時にも、東西上屋があったあたりに蔵がデ~ンと建っていたし、その後、税関が日本大通りのどん詰まりに移転したらしたで日本大通りは横浜税関庁舎へ至る参道のような存在になってしまったし↓

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昔の絵葉書写真より、広い通りが日本大通りで、税関正面玄関越しに東西上屋の屋根が見えます。


震災によりその税関庁舎が倒壊焼失した後も、税関庁舎跡にはカストム・ブローカー・ビル(すでに取り壊されたキッコーマン横浜支社ビルと現存する昭和ビルはもともとふたつでワンセット)、波止場側には東西上屋が建っていたし、さらに後年になって山下臨港線の高架が作られたので、歴史的に見ると現在のように日本大通りから西波止場とその先の海が見えたことは無かったと思われます(敢えて言えばペリー提督ご一行さまが上陸した時くらいだけど、その時には日本大通りはまだ存在していなかった)。

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1977年撮影の航空写真に80年代当時の状況を書き込んでみました


というこで、どういう主旨と経緯で、カストム・ブローカー・ビルを半分取り壊して現在のようなスッカラカンの景観にしてしまったのかは知るよしもありませんが(なにやら近い将来、貨物線の高架橋も邪魔だから取り壊すとか壊さないとか???)、

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*2014年撮影
(この位置から見るとカストム・ブローカー・ビルの片割れだったキッコーマンビルは意図的に取り壊されたような気が・・・・・・)


それはそれとしてとにもかくにもみなとみらい以前に西波止場へ行こうと思ったら、大桟橋から物揚場沿いに歩くか、回漕会社の軒先をかすめるようにして忍び込むか、はたまた新港埠頭の西門のあたりから倉庫と倉庫の間を通ってさらに臨港線の低い高架線をくぐってようやくたどり着けることから、表通りは観光客でひしめいていても一本裏手のこのあたり一帯では、観光客の姿を見ることなど皆無なちょっとした秘境のような場所でした。

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①1982年撮影・東西物揚場から象の鼻を見るの図


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②1982年撮影・東西物揚場から見た二号物揚場


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④1982年撮影・二号物揚場に繋がれたダルマ船。


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④1982年撮影・二号物揚場に浮かんでいた"浮きオフィス"


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⑤1982年撮影・現在のブルーブルーヨコハマ


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⑥1982年撮影・東西物揚場


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⑥1982年撮影・東西物揚場




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⑥1982年撮影・東西物揚場


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⑦1987年撮影・住友倉庫(ホルト上屋→戦前はバターフィールド・アンド・スワイヤー商会がマニラ麻の保管の為に使っていた)


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⑦1982年撮影・旧ホルト上屋こと住友倉庫の古めかしい電源部





*参考までに上の航空写真に写っている建物その他の過去記事は以下からどうぞ。
西波止場
横浜税関西門
山下臨港線 
海岸通1丁目 三菱倉庫京浜支店ニ号倉庫
海岸通2丁目 三菱倉庫横浜支店
海岸通3丁目 エヴェレットスチームシップ横浜支店
海岸通3丁目 ニューピータースグリル
海岸通1丁目 エキスプレスビル
海岸通1丁目 現・HAMA CAFE
海岸通1丁目 大桟橋入口界隈
大桟橋
北仲通2丁目・興亜火災海上保険横浜支店
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by yokohama80s | 2014-05-11 00:03 | 大桟橋・海岸通 | Comments(2)
2013年 10月 06日

大桟橋

 「大桟橋」と言えば、言わずと知れた横浜港を代表する埠頭・・・・・・というよりも、「横浜港そのもの」といっても良い存在で横浜を代表する超有名スポットでもあります。

 ということで大桟橋の来歴をザッと書き出すと、1859年の開港から35年間、現在の象の鼻にあった東西波止場、と山下公園のニューグランドホテル前のあたりにあった西波止場ことフランス波止場の荷揚場しか無かった横浜港に横浜築港第一期工事により完成した船舶を直接、横付けすることが出来た桟橋(水中に杭を打ち込んでその上に構造物を建築する構造)だったのですが1923年(大正12年)の関東大震災により桟橋部分が倒壊。

 翌年の1924年(大正13年)11月1日から復旧工事が始められ、翌年の1925年(大正14年)10月28日に日本郵船のロンドン航路に就航していた白山丸、シアトル航路に就航していた三島丸、東洋汽船でサンフランシスコ航路に就航していた天洋丸、所有会社不明の海洋丸(文献によると四隻中一隻が大阪商船所有の船舶だったようなのですが当時のの所有船舶リストに該当する船名が無いことから文献の誤植と思われます)の四隻の客船を桟橋に係留し千二百人を招待して桟橋復旧工事竣工披露会を開催(当時は1924年・大正13年5月24日に九~十一号岸壁、同年9月13日に四号岸壁、翌年1925年・大正14年3月28日に三号岸壁と、復旧工事が竣工するたびに復旧工事竣工式を大々的に執り行った)

 その後、大桟橋は外国会社が運行するサンフランシスコを初めとした北米航路、国内外の船会社が運行する欧州航路、シアトル航路、世界一周航路の客船や貨客船、さらに貨物船への高級雑貨の積み込みなどに使用されていました。

 ちなみに現在の、大桟橋旅客ターミナルは四代目にあたり、初代は桟橋中央部に上屋がある構造で震災により倒壊焼失、震災復旧工事に伴って作られた二代目は桟橋中央部に一階が上屋、二階に帝国ホテルのレストランなどが入った旅客ターミナルで、三代目が東京オリンピックに伴って建て替えられたもので、一階が税関諸施設、二階に旅客待合所や土産物店などが入った旅客ターミナルでした。

 ということで、1980年代はちょうど三代目ターミナルの時代なのですが、この頃になるとかつての華々しい栄光も昔話となり果てて、大桟橋にやってくる客船と言えばサビサビのナホトカ航路の船↓

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*1981年撮影(停泊中のバイカル)


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*1987年撮影(フェリックスジェルジンスキーのファンネル)


が夏場は週一、冬場は月一から月二でやって来るだけで、時々休養目的の貨物船などが停泊している程度で↓

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*1986年撮影


普段はもっぱらタグボートの待機場となっていて↓

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*1982年撮影


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*1982年撮影


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*1982年撮影


豪華客船がやって来るなどということは、年に一回どころか数年に一回程度の大イベントでした。
 ということで、当時の大桟橋は入出港する客船を見物する場所↓

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*1986年撮影
(運良く遭遇できた、当時、国内唯一の客船だったさくら丸の出港風景)


というよりも、桜木町駅から山下公園に向かう時に大桟橋に寄り道をして、「客船が見られたらラッキー」程度の存在でした(笑)

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*1980年撮影(船が居なくても老いも若きもみんな仲良く桟橋の突端まで行ってUターン^^)


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*1980年撮影(ヨチヨチ歩きの赤ん坊も例外ではない!)


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*1980年撮影






*2016/01/22・大桟橋の来歴を加筆し写真を追加しました。

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by yokohama80s | 2013-10-06 00:07 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2013年 09月 29日

海岸通1丁目 大桟橋入口界隈

開港広場前の交差点を大桟橋へ向かって進み、山下臨港線の高架橋を抜けた右側にあったのが↓

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①1981年撮影


1926年(大正15年)築の水上警察署。

もともと水上警察署は、ハシケなどで生活する水上生活者の生活を守ることを目的に設立されたのですが、戦前のセレブな方向けの海外旅行指南書・欧米漫遊留学案内には

「桟橋近くに水上警察署が在るから乗船前同署に立ち寄り旅券の査証を受けねばならない。若し之を忘れると乗船が許されないから注意を要す」
「(出港後まもなく)検査があるから甲板に出る様にと通知がある。之は密航者の有無を取り調べる為であって相当の時間を要す。之が終わると水上警察署のランチは離れ云々・・・」

とあることから、当時は水上警察が今で言う出入国管理業務を行っていたようです。

余談ですが、水上署の玄関ドア上のガラスには"YOKOHAMA HARBOR POLICE STATION"、直訳すると「横浜港警察署」と表記されています。

「リアルみなと署じゃん(商用港には"PORT"を用いる、と辞書に書いてありました)」という小ネタは置いておくとして話を元に戻すと、水上警察署を右に見ながらさらにズイズイと進むと、左手に先週の「マリン商会」と「YHM」こと現・HAMA CAFEがあり、西波止場へ抜ける路地を挟んでその隣に↓

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②1982年撮影


ジャパンエキスプレスコンピューターセンターという看板が出ている建物がありました・・・・・・というか現在も建物は現存しています(何に使われているかは知りませんが)。

この建物の右側にある、塔のようなモノにも、この建物を建てた回漕会社のモノと思われるYをモチーフにしたレリーフがありますが、先週の「YHM」と同じく何の略かは不明です。

ちなみに、この建物は1936年(昭和11年)にジャパンエキスプレスの前身にあたるニューヨコハマエキスプレスの分室として建てられたとのこと。

ということで、上の写真の建物の隣には掖済会大桟橋診療所のビルがありその先に↓

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③1982年撮影(撮影後ほどなくこの建物は取り壊されました)


港湾労働組合の建物があり、さらにその隣には↓

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④1982年撮影(取り壊された湾労働組合跡地から撮影)


西波止場二号上屋があり、さらにちょっと行った先には↓

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⑤1982年撮影


西波止場一号上屋がありました。

ちなみにこの二つの上屋は、共に1930年(昭和5年)に建てられたものですが、大桟橋の改修工事に際して例によってコソッと取り壊されてしまい、跡地にはアートだかなんだか知りませんが意味不明の衝立がズラッと並べられています。

そして道路を渡った反対側(大桟橋に向かって右側)に、通船会社の事務所などが入った旧大桟橋総合ビルがありました↓。

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⑥1982年撮影(通船桟橋側から撮影)


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*1980年撮影(通船乗り場)






*10月のUP予定

10月 6日: 大桟橋
10月13日: 日本大通14 日東倉庫日本大通倉庫
10月20日: 新港埠頭 旧東神倉庫生糸上屋
10月27日: 新港埠頭 三井LM倉庫

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by yokohama80s | 2013-09-29 00:04 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2013年 09月 22日

海岸通1丁目 現・HAMA CAFE

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今日のタイトルを見て「うん?」と思った方もおいでになるかと思います。

そうです、いつもは撮影当時の名称を使っているので、この建物を取り上げている建築マニアの方々にならってこの建物の名称を「マリン商会」にしようかとも思いました。

ところが写真を見てもおわかりのように当時、「マリン商会」は現在、設計事務所が入っている写真左の建物にあり、現在、 HAMA CAFEが入っている写真の建物は、通りに面した部分には「内外商運」が入っており、その裏側に入っていたのが「マリン興業」。

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となると、この建物の名称に便宜的にとは言え「マリン商会」というのは適当では無いような・・・・・・

かと言って、建物正面のレリーフにある「YHM」にしようと思っても、そもそも「YHM」の「Y」が横浜の頭文字だろうことは想像がつきますが、残りの「HM」がいったい何の略だか・・・・・・

ちなみにマリン商会という会社は現在も営業を続けていて、そのHPによると、創業が1969年で、80年代当時には船舶洋品、造船機器の販売、納入代行と海上コンテナの修理及び修理部品の販売を行っており、マリン興業の方は写真に写っている看板を見ると、「通船、綱取、台船、納品代行」を、また建物の裏手、西波止場に停まっていた「商会」のトラックには有限会社とあり、「興業」の看板には「KK]とあることから株式会社、と言う点から「興業」が先で「商会」がその下なのか、それともまったくの別組織なのか・・・・・・

さらに「内外商運」という会社は、戦後、専売公社の委託を受けて塩の輸送によってノシてきた四国だかあっちの方の船会社のことか、はたまたかつて横浜市内にGSを展開していた会社のことなのか、そしてこの二つの組織は同一の会社なのか???

とにもかくにもなんだかよくわからないので、わかりやく現在の建物の名称を使用することにしました。

という前置きはここまでにして、歴史的建造物をハリボテ建て替え化して固定資産税の増収に余念がない横浜市がどういう風の吹き回しなのか、海岸通1丁目だけは建築制限かなにかを掛けているようで、この近辺には震災後に建てられた一連のビル群が辛うじて残されていて写真の建物もその一つ。

歴史的建築総目録データベースによると、この建物の右隣にある"ジャパンエキスプレス・コンピュターセンター"こと"ニューヨコハマエキスプレス分室"が昭和11年(1936年)築となっていることや、1934年、36年(昭和9年、11年)に撮影された写真を見ると、どうやらこの並びの建物群は同時期に建てられたものと思われます。

ということで、そういう細かい話は近代建築マニアの方々に丸投げしてしまうとして、現在も大桟橋に行けばこの建物を見ることが出来ることから、僭越ながらその時にツレにドヤ顔で自慢出来るネタをひとつ(私がそう思っているだけなのですが・・・・・)。

それは現在、この建物を使用しているお店の切り文字看板に隠れてしまっていますが↓

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↑の部分。

まだわからない方は、瞬きしないでジ~ッと注目してみてください。

わかりましたか?

よ~く見てください、アルファベットのYHMを竹を組み合わせた風に作ってあります。

さらに良く見ると、普通はこういうレリーフは、石膏とか木型、金型などの型を使って作るものなのですが、このレリーフは「YHM」を囲む円は、幼稚園児の粘土遊びよろしくいかにも手のひらでコロコロ転がして作った風ですし、「YHM」の文字もコテで細工したのが明らかという、いかにも手作り感満点のレリーフです。

なにやらこのレリーフを見ていると、

「よお~だんな、ここんとこフツーの文字にしたっておもしろくもなんともねぇ~だろ。こんなふ~に竹を組んだみたくしたらかっけぇ~んじゃね?」
「それはいいけどメンドーじゃないかい?」
「なに言ってやがる! そんなもなぁ~ちゃっちゃっとできらぁ~」

みたいな、施主と左官職人との会話が聞こえてくるような気がします(*^▽^*)。

*写真はすべて1981年撮影。



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by yokohama80s | 2013-09-22 00:03 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2013年 09月 15日

海岸通1丁目 エキスプレスビル

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*1981年撮影


海岸通りと大桟橋通りと山下公園通りが複雑に混じり合う開港広場交差点の西側に、何気にこぢんまりとたたずんでいるのが写真の1930年(昭和5年)に建てられた3階建てのエキスプレスビル。

正確な名称は、「ジャパンエキスプレス旧本社(現・本店)ビル」ということになるのでしょうか?

それはともかく80年代には、バリバリ現役のオフィスビルでしたが、現在は観光客相手のお店が入ってけっこうな賑わいのようです。

それよりもなによりも驚いたのが、建物前に植えられている街路樹。

今、上の写真と同じアングルからこの建物の写真を撮ろうと思っても、育ちに育った街路樹に小さな建物がスッポリ覆い隠されてしまいます。

という話もさて置き、この建物の名称になっている「ジャパンエキスプレス」という名前を初めて聞いた時には、何を勘違いしたのか日通の英語表記だとばかり思っていました。

ところが「日通」の英語表記は"NIPPON EXPRESS"で、この建物はジャパンエキスプレス。

ということでグーグルセンセに聞いてみると、日通とはまったく無関係の別会社で、1927年(昭和2年)に船客送迎、旅客手荷物運搬、移民乗船斡旋などを行う会社として設立し(当時の社名はニューヨコハマエキスプレス)、1930年(昭和5年)に写真の本社ビル竣工を機に社名をジャパンエキスプレスとしたそうな。

余談ですが、昭和9年発行の戦前のセレブな方々向けの海外旅行ガイドブック「欧米漫遊留学案内」には以下のような記述が。

「手荷物はジャパン・エキスプレスに申込めば桜木町駅から本船内まで大小軽重により一個二十銭及至六十銭(今で言うと¥1,000~¥3,000くらい)、横浜駅からは二十五銭及至七十銭(¥1,300~¥3,500くらい)で引き受けてくれる」

「東京市(現在で言うと東京23区内のこと)からの手荷物運搬は郵船本社内の同出張員(ジャパンエキスプレスの人のこと)へ申込めば指定の場所まで引き取りに来てくれて大小軽重により一個八十銭から二円五十銭(¥4,000~¥12,500くらい)で自動車便で本船へ積み込んでくれる」とあります。

要は現在、飛鳥その他の国内クルーズ船が行なっている、「家から手ぶらで世界一周に行けます」の先駆けのようなもの、というよりもまさにそれそのもののサービス。

「な~んだ、昔からあったんじゃないか」といった感じです。

ということで今日の二枚目は↓

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*1982年撮影(左がエキスプレスビル、右が大桟橋共同ビル)


エキスプレスビルの右手にあったお寿司屋さんの看板。

実は私は、写真のトタンの部分がお寿司屋さんだとばっかり思っていましたが、よく見ると斜め下に向かって矢印が・・・・・・

私の拙い記憶では、矢印の先のエキスプレスビルには寿司屋は無く、近くにもそれらしい店が見当たらず、ここを通りかかるたびに寿司屋を探したことは覚えているのですが、それが見つかったのか、結局、見つからなかったのか???

確か見つけたような気がするのですが、それがどこだったのかの記憶がスッポリ抜け落ちています(^^ゞ




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by yokohama80s | 2013-09-15 00:06 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2013年 09月 08日

海岸通3-11 ニューピータースグリル

先週UPしたエヴェレットスチームシップ社の隣のビルにあったのが写真のレストラン・ニューピータースグリル。

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と言ってみたものの、このレストランに関する記憶が一切ありません(笑)

ということで、この写真があるネガを詳細に見てみると、まず三菱倉庫横浜支店が写っていて、その次ぎが↓

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の立ち飲み屋。

でその次ぎに、このレストランの写真で、その次ぎが先週のエヴァレットスチームシップ

さらにガラス窓に、郵船ビルの円柱が写り込んでいることから、海岸通の山下公園方向に向かって右側の、エヴェレットスチームシップの隣あたりのビルにあった、ということになります。

ということで、郵船ビルが写っている写真を漁ってみると↓

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*1980年撮影


う~ん、写ってないけど、どうやら画面右端のタイル張りのビル(名称不明)の一階にあったようです。

ちなみにタイル張りのビルの隣に写っている、なにやら古めかしいビルが気になったのでこれもまた漁ってみると↓

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かろうじてこのカットがあっただけでした。

撮影当時は一階に複数の飲食店、二階、三階に海事事務所や商社などが入った貸しビルのようですが、ビル正面のマルにニ、その両サイドに稲穂(もしかしたら小麦かも?)とリンドウ(もしかしたらスズラン?)だかなんだかの花があしらわれた紋章や、ビルの寂れっぷりその他から察するに、どうやら戦前に名のある商社かなにかの本社はたまた支社として建てられたビルだと思われますが、このビルの名称その他の詳細も不明です。

ただレストラン・ニューピータースグリルの建物は、航空写真などから推測すると1957年(昭和32年)から1963年(昭和38年)のあいだに建てられ、ビルにはレストラン、雀荘、喫茶店、宴会場などがあったようですが、いつごろ閉店したのか、はたまたいったいどんな料理を出していたのか、その他もろもろのことについては一切不明です。

ということで、適当に写真をUPして今日のところは終わりたいと思います(笑)

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・・・・・・と思いましたが、どさくさ紛れにもう一枚、ナゾのレストランの写真を↓

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後にも先にもこのカット一枚しか無いのですが、どうやら海岸通の一本裏側の元浜町通りにあったレストランのようで、看板には「アメリカンクッキング レストラン バー ロバート・ブラウン」と書かれています。

まあ実際には「ROBERT BR.....」までしか写っていないのでわからないのですが、「ロバートの後にBRとくれば、ロバートブラウンだろう」という根拠無き思いこみによる推測ですが、それってウイスキーの銘柄じゃないか・・・・・・みたいな(笑)

このレストランについても、「う~ん、ナゾです」(笑)

*写真はすべて1981年撮影



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by yokohama80s | 2013-09-08 00:03 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2013年 09月 01日

海岸通3丁目 エヴェレットスチームシップ横浜支店

81年頃に海岸通を万国橋方向から大桟橋方向にブラブラと歩いて行くと、海岸通3丁目交差点の海岸通と関内大通りの丁字路の角地にウナギの寝床状に横たわるちょっとモダンで小洒落たビルがありました。

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赤矢印(1960年に撮影された航空写真より)


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海岸通側の入り口ドアには、英語で数社の商船会社名が記されていて↓、

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元浜町へ向かう道路側のウインドーには、自社船の模型と↓

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某有名洋酒会社のイメージキャラクターや、船好きで知られる横浜在住の某有名イラストレーターのイラストが飾られていて↓

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「いかにも」感満点でした。

なにせこの頃は、外国の船会社の支社や代理店の大部分は、シルクセンターに事務所を構えているのが相場であって小さいながらも自社ビルということは、それなりに由緒正しい歴史ある会社とお見受けいたしました。

ということで、今頃になってググッたことをざっくりまとめてみますと、

EVERETT STEAMSHIP Co Ltd(エヴェレット汽船株式会社)

1917年アメリカで設立され社名の「エヴェレット」は会社設立時の投資家の名前から取ったもので、戦前から日本の主要港の横浜、清水、神戸、下関にも支店があったそうな。

そして戦後いち早く横浜に戻り、日本からアジア、ペルシャ湾に至る航路に定期貨物船を運行すると同時に、いくつかの海外商船会社の代理店業務も行ない、同時に自社船のアジア寄港地にも代理店を設け、これらの港における輸出入貨物の取り扱い及び船に必要な水、食料、燃料、その他の物資の供給を代行した。

とのこと。

しかし戦前、戦後と七つの海の荒波を乗り越えてきた歴史ある老舗外国商船会社も栄華盛衰、商船不況の荒波には抗し難く1984年頃にエヴェレットスチームシップ社は日本での業務を国内企業に売却し日本から撤退。

ちなみにこのビルは、航空写真などから推測すると、このあたりが接収解除になった1952年(昭和27年)から1955年(昭和30年)の間に建てられ、その後、この会社が山下町のビルに移転したのを機に1982年(昭和57年)に取り壊され、のちにマンションが建てられるまで駐車場となっていました。

*写真はすべて1981年撮影


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by yokohama80s | 2013-09-01 00:08 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2013年 04月 28日

海岸通2丁目 三菱倉庫横浜支店

 新港埠頭と橋を渡った本土側の海岸通には、新港埠頭内の赤レンガ1号倉庫の震災で焼失してしまった部分とその向かい、そして先週取り上げた新港橋を渡った所、さらに海岸通沿いに赤いスリーダイヤモンドマークが描かれた三菱倉庫が都合4ヵ所ありました(戦前から戦後にかけて赤レンガ2号倉庫前にもう1棟あったので、正確には5ヵ所)。

ということで今回は海岸通りの現在、県警本部ビルが建っている所にあった、三菱倉庫横浜支店のプレートが掲げられた事務所棟。

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 この建物が建てられた当時は、泣く子も黙る財閥系だっただけあって、なかなかご立派な建物をお作りになります。

 余談ですが実はこれらの写真を撮影した時にはまったく気がつかなかったのですが、事務所棟には建物の右側に板状の階段塔がついたてのようそそり立っていたようです。
「ようです」などと他人事のように言う理由は、最近になって、他人さまが撮影したこの建物の写真を見て初めて気がついたからなのです。

 言い訳のひとつ、ふたつもさせて頂ければ、当時の海岸通は街路樹が生い茂り、さらに電柱、電線が蜘蛛の糸のように空をはい回っていたもので、この建物の上の方を見てみようなどとは考えすらしませんでした。

というどうでもいい言い訳はこのあたりにして、現在の県警本部ビルが建っている場所には、三菱倉庫の建物が計三棟あったのですが↓

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*1983年の住宅地図より


歴史的建築総目録データで「中区海岸通」を検索すると、「三菱倉庫京浜支店 昭和4年2月築」、「三菱倉庫横浜支店 昭和9年」、「三菱倉庫横浜支店 昭和10年」と三つ出て来ますが、建てられた順番としては上の地図の番号順に昭和4年に①の倉庫棟が建てられ(ちなみに撮影当時は三つの建物共に「三菱倉庫横浜支店ビル」と「同海岸通営業所倉庫」という名称が正解のようです)、

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*海岸通側・その1


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*海岸通側・その2


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*正面向かって左の川西倉庫側


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*倉庫裏の運河側


次いで昭和9年に②の事務所棟が↓、

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そして翌年の昭和10年に③の倉庫兼事務所が②の事務所棟東側の凹凸にテトリス状にはまり込む形で建てられました↓。

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*当時、③の倉庫一階は日本綿花倉庫が使用していました。



*写真はすべて1981年撮影





*5月のUP予定
5月05日 北仲通5 帝蚕倉庫
5月12日 山下町203 加賀町警察署
5月19日 高島埠頭の市営上屋
5月26日 山下町106 旧森元歯科医院


*お知らせ
このたび5月放送予定の鶴見のケーブルテレビ局YOUチャンネル製作の「横浜ミストリー・フェンスの向こうのアメリカ~横浜本牧・米軍ハウスストーリー」に当サイトでUPした本牧地区の写真を数点提供させて頂きました。

放映日、放映時間などにつきましては、ご契約なさっているケーブル局の番組表でご確認下さい(たぶん横浜市内のケーブルテレビ局のほぼすべてで放映される・・・・・・と思います)。

今回はこの番組オハコのチープな再現ドラマ(ごめんなさいネ。でも個人的にはあのチープな再現ドラマは大好物ですwww)はなく、いたってマジメにジャーナルスティックに取り上げていてなかなか見応えがありますので、お暇とお時間とご興味のある方はぜひご覧下さい。

見てもゼッタイに損はしません(←コレ、ホント!)。

なおケーブルテレビ局と契約されていない方、契約はしているものの該当番組の放送予定が無い方・・・・・・ご愁傷さまあきらめてください。

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by yokohama80s | 2013-04-28 00:04 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2013年 04月 21日

海岸通1丁目・三菱倉庫横浜支店新港三号倉庫

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*1982年撮影
(三菱倉庫新港三号倉庫。ちなみにペンキで消されたマークは進駐軍によって描かれたエンジンリペアショップのマークと思われます)


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 新港埠頭から新港橋を渡った先、横浜税関と道路と山下臨港線の高架橋を挟んだ向かい側の運河沿い……今で言うとちょうど象の鼻パークがある所に壁にスリーダイヤモンドが描かれた三菱倉庫の古びたノコギリ屋根の倉庫が新港一号、二号、三号倉庫の三棟連なっていました。

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当時の大桟橋連絡橋から見た手前が三菱倉庫新港一号倉庫、その奥が同じく二号倉庫


例によって歴史的建築総目録データベースを見ると該当する倉庫は出ていませんが、昭和6年の「横浜税関陸上設備復旧図」には、すでに海側よりA号、B号、ニ号(カタカナの「に」)の三棟記載されていることや、当時の航空写真などにも写っていることから、この頃に建てられた倉庫であると考えて間違えないようです。

という建築マニア的な話は置いておくとして、ここで不思議なのは倉庫が同じ場所に三棟並んで建っているのに、その名称がA、BにCではなくてなぜかカタカナの「ニ」であること。

あれやこれやの古地図を見てみると、どうやら震災前のまだ新港埠頭が税関埠頭などと呼ばれていた時には、民間倉庫にはアルファベットを、税関の上屋にはレンガ倉庫は現在の1号が甲号、2号に乙号、木造倉庫にはイロハを割り振っていて、万国橋を渡った右側にあったものの震災後に無くなった倉庫がイ号上屋、赤レンガ1号倉庫の向かいにあり震災後に三菱ロ号倉庫になった倉庫がロ号上屋、震災後に6号と7号岸壁の間に建てられた上屋がハ号1号上屋とハ号2号上屋となっているので、その流れでニ号倉庫となったのだろうと思われますが、震災前の地図を見ると三菱ニ号倉庫があった場所には共同運輸倉庫と書かれているし、当時、西波止場にあった横浜税関横の現在、分庁舎があるあたりにもイロハやら1,2,3と番号がふられた倉庫があるし・・・・・・???

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*1987年撮影
(こちらは旧B号倉庫こと新港二号倉庫)


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*1987年撮影
(同上)


ちなみに現在この場所は、象の鼻パークというスッカラカンな場所になっています。





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by yokohama80s | 2013-04-21 00:04 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2013年 04月 07日

山下臨港線 

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*①1987年撮影(右側の線路が東西上屋へ向かう通称・税関線、左のトタン張りの建物が三菱ニ号倉庫)


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山下臨港線は、1958年(昭和33年)の山下埠頭の完成から遅れること7年の1965年(昭和40年)に、すったもんだの大騒ぎのすえに新港埠頭から山下埠頭までが開通した東海道本線貨物支線の一部で、現在は山下臨港プロムナードという遊歩道として山下公園までの高架橋が残されています。

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*2012年撮影


とは言うものの、実際には1912年(大正元年)に新港埠頭内の横浜港駅から、西波止場の旧横浜税関庁舎裏(震災前までは東西倉庫のあった場所に横浜税関庁舎があった→当時は日本大通のドンヅキ真正面に税関庁舎がデ~ンと鎮座していた)までの路線が作られ

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*②1987年撮影(現在の象の鼻パーク。高架線が山下臨港線で下の線路が税関線)


この時、人工島の新港埠頭から本土(?)側に線路を通す為に架けられた橋が↓

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*③1987年撮影


今年で満100歳になる新港橋梁の鉄橋。

新港橋梁は、現在は山下臨港線プロムナードの新港埠頭側の起点となる橋(正確には新港橋を渡った先にある象の鼻パークが起点ということになっていますが、こまかいコトは気にしない気にしないwww)で、

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*2012年撮影


この鉄橋が現存しているということは喜ばしいことなのですが、ペイント描きの「新港橋りょう」という文字も残して欲しかった、と思うのは私だけなのでしょうか?

まあそれはともかくとして、山下臨港線の高架橋は景観に配慮して意外に低い所を走っていて↓

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*④1987年撮影


大桟橋入り口では、なにげにウェルカムゲート風だったり↓

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*⑤1981年撮影


山下公園前あたりでは、公園通りと山下公園の間を高架橋が通っていたのですが、高架橋の両側は上手いこと街路樹に隠されてマリンタワーか、ニューグランドの上層階からでないと線路を見ることが出来ないようになっていました。

そして線路は山下埠頭へ左巻きして山下埠頭内の山下埠頭駅のヤード(操車場)に到着。

山下臨港線の終盤では、群馬へのビール用の麦芽輸送列車が有名でしたが、撮影当時の山下埠頭には葉たばこを扱う倉庫があり、JT(当時は日本専売公社)の宇都宮工場向けの葉たばこ輸送も貨車で行われていました。

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*⑥1982年撮影(現在、横浜航空貨物ターミナルが建っているあたりにあった操車場にて)


そしてこの通称・山下臨港線は、諸般の事情(?)により、1986年に廃止されるのですが、その3年後の1989年に死んだはずなのにラスト間際で生き返る安手のアクション映画のヒールの如く、日本丸~山下公園までが半年ちょっとのあいだ復活し、レトロ列車とやらが走っていたそうですが、不覚にもまったく記憶にございません(^^ゞ


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by yokohama80s | 2013-04-07 00:05 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)