カテゴリ:大桟橋・海岸通( 21 )


2017年 02月 19日

海岸通4-23 横浜万国橋労働福祉センター

 万国橋の上から関内方向を見ると↓

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*1987年撮影


↑のような、運河上に建っているビルがあります。

 地図などでこの建物を見ると、「横浜公共職業安定所横浜港労働出張所」、「万国橋合同庁舎」。
また現在、このビルの窓には「万国橋会議センター」という看板が張り出されています。

  ということで、ちょっと調べてみたことをザックリまとめると、このビルが建っている場所は、1858年(安政5年)、アメリカ側の「神奈川を開港せよ」という要求に対して「横浜も神奈川だ」と主張してなかば強引に半農半漁の一寒村だった横浜村が開港場として造成されることになった頃。

 明治42年横浜貿易新報社編「横浜開港側面史」によると、このとき期せずして立ち退きを余儀なくされた横浜村住民の、今風に言うところの一種の失業対策の一環として4人の漁師に渡船株を下附して神奈川~横浜間に渡船が就航。

 このルートが横浜と神奈川を結ぶバイパスルートに当たったことから期せずして大盛況だったそうで、1872年(明治5年)に新橋~横浜間の鉄道が開通するまで、50隻余りの船を使って輸送の任に当たっていたんだそうな。

 ちなみにこのとき神奈川宿側の渡船場(宮之河岸渡船場)が現在の青木町・州崎大神正面から国道15号に出たあたりに、そして横浜側の渡船場が↑写真のビルが建っている場所……ということになるようです。

 そして新橋~横浜に鉄道が開通し渡船が廃止されたあとも、横浜側の渡船場は荷揚場として使用され続けたようで、後年、日本郵船がこの場所の内陸側に支店を置くと突堤が拡張され倉庫を建てて震災まで使用され、震災後から戦前までは船舶職員職業紹介所、戦後は横浜労働公共職業安定所万国橋庁舎が置かれ、

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↑通称「海岸通のデベソ(私が勝手に名付けました)」の変遷↑


1971年(昭和46年)に横浜港湾福利厚生協会が運営する横浜万国橋労働福祉センターとして現在のビルが建てられ

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*1987年撮影


建物はそのままで、1994年(平成6年)にポートコミュニティ万国橋、2004年(平成16年)に万国橋会議センターに名称変更(こちらによると「愛称変更」となっている)をされて現在に至る、ということになるようです。

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*1982年撮影




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by yokohama80s | 2017-02-19 00:17 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2017年 02月 12日

海岸通の戦前建築・その二(旧税関埠頭構内編)

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-写真①-
横浜税関西門門柱(昭和初期……と思われる)◯

現在、この門柱は新港埠頭旅客ターミナル入口に移築され同ターミナル門柱として再利用されている……と思われる。

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-写真②-
横浜税関倉庫材料置場(~1934年/昭和9年頃までの築:横浜税関通関貨物検査場)☓


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-写真③-
三菱倉庫横浜支店新港3号倉庫(~1931年/昭和4年頃までに築:三菱倉庫に←カタカナの"ニ"号倉庫)☓


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-写真④-
三菱倉庫横浜支店新港2号倉庫(~1929年/昭和4年頃までに築:三菱倉庫B号倉庫)☓


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-写真⑤-
住友倉庫横浜支店海岸通倉庫(1929年/昭和4年頃までに築:ホルト上屋)☓

*ホルト上屋→戦前に山下町7番地にあった"バターフィールドアンドスワイヤー商会"の系列会社(はたまた子会社)の"ホルト合名会社"が所有していた倉庫で、主に"バターフィールドアンドスワイヤー商会"が輸入したマニラ麻の保管に使用していた……そうです。


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-写真⑥-
神奈川県警水上警察署(1926年/大正15年築)☓


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-写真⑦-
東西運輸(昭和10年前後の築:施主不明)◯


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-写真⑧-
内外商運(昭和10年年前後の築:施主不明)◯


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-写真⑨-
ジャパンエキスプレスコンピュータセンター(1936年/昭和11年築:ジャパンエキスプレス本社分室)◯


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-写真⑩-
横浜市営西波止場二号上屋(1930年/昭和5年築:官営西波止場第二号上屋)☓


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-写真⑪-
横浜市営西波止場一号上屋(1930年/昭和5年築:官営西波止場第一号上屋)☓


*写真はすべて1982年撮影。



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by yokohama80s | 2017-02-12 00:16 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2017年 02月 05日

海岸通の戦前建築・その一

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-写真①-
海岸通5-26・万国橋ビル地階倉庫部分(1928年/昭和3年築:旧関東運輸横浜営業所ビル)☓
*写真奥に写っている日新運輸倉庫(横浜海運倉庫)万国橋倉庫は煉瓦造りの明治建築なんだとか……?


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-写真②-
海岸通3-9・横浜郵船ビル(1936年/昭和11年築:日本郵船横浜支店ビル)◯


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-写真③-
海岸通3-13・武山ビル(昭和9年までに築:武山組or武山ストア)☓


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-写真④-
海岸通2-4・三菱倉庫横浜支店海岸通倉庫(1929年/昭和4年築:三菱倉庫横浜支店倉庫)☓


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-写真⑤-
海岸通2-4・三菱倉庫横浜支店ビル(1934年/昭和9年築)☓


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-写真⑥-
海岸通1-3・海事ビル(昭和初期築)☓


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-写真⑦-
海岸通1-1・横浜税関本関庁舎(1934年/昭和9年築)◯


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-写真⑧-
海岸通1-1・昭和ビル(1929年/昭和4年築:カストムブローカービルディング)半分◯で半分☓
*もともとは昭和ビルの右側に一階が渡り廊下で接続されていた1931年(昭和6年築)のキッコーマン横浜支社ビルがありふたつ合わせてカストムブローカービルだった。


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-写真⑨-
海岸通1-1・横浜海洋会館ビル(1929年/昭和4年築:大倉商事横浜出張所)◯
*一階部分が渡り廊下で右隣の横浜貿易会館と接続されている。


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-写真⑩-
海岸通1-1・横浜貿易会館ビル(1929年/昭和4年築)◯

*昭和4年に建てられたのは海岸通側の幅の狭い窓の右側までで、それより左側が1937年/昭和12年に増築された部分で建物の裏側から容易に確認できます。

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-写真⑪-
海岸通1-1・エキスプレスビル(1930年/昭和5年築:ジャパンエキスプレス本店ビル)◯


おまけ↓

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万国橋(1940年/昭和15年築)◯


*写真は最後の万国橋以外はすべて1981年撮影。



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by yokohama80s | 2017-02-05 00:14 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2017年 01月 22日

東西運輸

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 現在、かつての山下臨港線を再利用した山下臨港線プロムナードから象の鼻や大桟橋へ向かう階段を下りた目の前にこんな建物があります。

 この建物は、↑の写真を撮影した1980年代は東西運輸という運送会社の建物で、確証はありませんが現在公開されているあれやこれやの資料を比較してみると、昭和6年から10年の間に、内外通商(現ハマカフェ)と並びの建物と同時期に建てられたものだと思われます(ジャパンエキスプレスコンピュタセンターの建物は1936年/昭和11年に建て直されたもの)。


*写真はすべて1982年撮影。



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by yokohama80s | 2017-01-22 00:05 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2016年 06月 26日

海岸通1丁目 商船運輸現場事務所

 現在、開港広場前交差点から大桟橋に向かう道の裏側、いわゆる西波止場、象の鼻側はこんな感じ(グーグルストリービュー)になっています。

 山下臨港線プロムナードから見るとこんな感じ↓

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-写真①-(2014年撮影)


 そして1982年はこんな感じ↓

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-写真②-(1982年撮影)


 よくよく見てみると現在の遊歩道部分は、元々の物揚場の擁壁が波で浸食されたり接岸する船によって傷つけられないように1mほど沖に新たに擁壁を作って、その上に遊歩道を被せて何気に昔の物揚場を保存するような構造になっています。

 ちなみに新港埠頭の旧岸壁部分も、よくよく見ると元々の路面の上に新たにタイルを敷き詰めるという同じような構造になっています。

 ということは、現在、表層に敷き詰められているタイルを剥がすと、その下から昔の路面が出てくる……という仕組みなのでしょうか???

 ということで、それはそれとして話を戻すと、1955年(昭和30年)に建てられた横浜掖済会大桟橋船員診療所ビルはもともとは四階建てだったものを、のちに五階部分を増築した第二形態が写真②で、その後、おそらく耐震性などの問題から五階部分を撤去して第一形態に戻したのが写真①の現在の姿ということになります。

 そして写真①で、金網で囲われて雑草が生い茂っている現在のHAMA CAFEの建物の裏手にあたる場所に↓

 
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-写真③-(1982年撮影)


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-写真④-(1982年撮影)
*左手にある建物の間を抜けるとジャパンエクスプレスコンピューターセンターと現在のハマカフェの間に出ました。


こんな↑建物がありました。

 撮影当時の住宅地図を見ると、該当する建物は「東邦港運KK」となっていて↑の写真②③で壁に東邦港運と書かれている建物が「第一警備」となっていますが、確かこの二社はどちらも東邦港運と書かれた建物に同居していたと記憶しています。

 ということで壁に書かれた会社名を見ると↓

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-写真⑤-(1982年撮影)


商船運輸現場事務所と書かれています。

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-写真⑥-(1982年撮影)
 

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-写真⑦-(1982年撮影)


他にも塗りつぶされていますが、右に小川運輸、左は判読不能、となると、この建物は目の前の西波止場を拠点にしていた回漕業者の共同現地事務所ととして使用されていたようで、国土地理院地図空中写真検索サービスその他の航空写真を見てみると↓

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左が1947年7月、右が1949年2月に撮影された航空写真


1947年(昭和22年)まで東邦港運と現地事務所三社が入った建物があった場所は空き地になっていて、1949年(昭和24年)の写真に隣の東邦港運の建物と共に写っていることから1948年(昭和23年)頃に建てられたものと思われます。

 撮影当時は、戦前に建てられたものと信じて疑っていなかったのですが……。





*来月のUP予定
7月 3日:相生町1丁目界隈
7月10日:相生町2丁目界隈
7月17日:相生町3丁目界隈
7月24日:相生町4丁目界隈
7月31日:相生町6丁目界隈

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by yokohama80s | 2016-06-26 00:07 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2016年 06月 19日

海岸通3-13 武山ビル

 現在、海岸通3-9にある日本郵船歴史博物館こと日本郵船横浜支店ビルと海岸通を挟んで向かい側にはマンションが建っていますが、その昔は↓

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海岸通3丁目交差点のカドには↓

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-写真①-


1950年(昭和25年)から1955年(昭和30年)の間に建てられたエヴェレットスチームシップ横浜支店があり、その隣りの3丁目13番地には白いタイル張りの三階建ての↓

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-写真②-


1957年(昭和32年)から1963年(昭和38年)のあいだに建てられ、内部にレストラン、雀荘、喫茶店、宴会場などがあったニューピータースグリルビルがあり、そのまた隣りのもうひとつの3丁目13番地に↓

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-写真③-
*1980年撮影(郵船ビル前から海岸通を挟んでニューピータースグリルビル、武山ビル)


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-写真④-
*1981年撮影(武山ビル)


ナゾの紋章が掲げられた武山ビルがありました。

 このビルに関しては、上記のリンク記事をUPした時には名称と戦前に建てられたらしいこと以外には一切不明だったのですが、その後もこのビルはいつ、だれが、なんのために建てたのかをいろいろ調べてみた結果、ネットでは海岸通3丁目界隈が写っている写真が1934年(昭和9年)のモノしか見つからないうえに、昭和9年に撮影された写真で↓

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-写真⑤-
*1934年(昭和9年)に撮影された航空写真より


該当する建物を確認できることから、現時点では「このビルは昭和9年以前に建てられた」ということしか判明していません。

 つぎは「だれが?」ということに関してですが、横浜市勧業課の「横浜市商工案内」や、横浜商工会議所の「横浜商工名鑑」を紐解くと、震災後に該当住所に所在していたのは、縄、筵、麻袋、荷役用材料などを扱っていた青柳商店と、沿岸荷役労務供給と運送業を営んでいた大正15年創業の中嶋屋のふたつ。

 このうち中嶋屋の方は、昭和8年から12年のあいだに武山組と名称を改めていることと、「市史通信 第11号 -占領下の米軍施設-」に、オルモクアパートという名称で1945年(昭和20年)から1952年(昭和27年)まで米軍に接収されていた建物名に「武山ストア」という記載があること、さらに1990年代に取り壊されるまでの名称が「武山ビル」だったことなどを考え合わせると、このビルは武山組こと中嶋屋によって建てられたモノということになるようです。

 そうなるとこのビル正面に掲げられたナゾの紋章は、

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-写真⑥-
*1981年撮影


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-写真⑦-
*写真⑥より紋章部分を拡大


中嶋屋こと武山組のモノということになるのですが、「なぜにして稲穂を束ねるの?」とか、「左右に4つづつある花はなに?」などについては相変わらずナゾのままです。




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by yokohama80s | 2016-06-19 00:06 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2014年 12月 21日

海岸通り界隈

旧生糸検査場の建物を左手に見ながら万国橋通りを進み、海岸通四丁目交差点を右に折れるとそこからは海岸通りになります。

確か撮影当時の80年代初め頃には、交差点角の相模ビル1Fにルノアールがあったような記憶が……。

まあそのあたりは置いておくとして、取りあえず海岸通りを山下公園方向に進むと海岸通3丁目の左側には郵船ビルがあり↓

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*1981年撮影(1936年/昭和11年築の日本郵船横浜ビル)


その向かいには2階建てながらモダンな雰囲気のエヴェレットスチームシップ横浜支店があり、その隣りにレストラン・ニューピータースグリルが入ったビルがあり、さらにその隣にはナゾの紋章が埋め込まれた昭和初期に建てられた武山ビルがあり↓。

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*1981年撮影(昭和初期に建てられた武山ビル)


で郵船ビルの隣りが、1950年(昭和25年)に建てられた横浜ビルで、その奥の運河側に現在はバンクアートとかなんだかという意味不明の名称が付けられた旧川西倉庫があり↓

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*1982年撮影(右に写っているのが三菱倉庫横浜支店海岸通営業所倉庫)


その隣りの現在、県警本部がある場所には三菱倉庫横浜支店と三菱倉庫横浜支店海岸通営業所倉庫があり

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*1981年撮影(1929年/昭和4年に建てられた三菱倉庫横浜支店海岸通営業所倉庫を海岸通り側から)


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*1981年撮影(1934年/昭和9年に↑の隣りに建てられた三菱倉庫横浜支店)


そして海岸通りを挟んで三菱倉庫の向かい側にあったのが海事ビル↓

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*1981年撮影(昭和初期に建てられた海事ビルの元浜町側入口)


で三菱倉庫の隣りにあったというか、今もあるのが、建設時に当時の税関長が「国の建物が県庁より低いとは何事か!」と一喝してあの特徴的な塔屋部分が追加されたという伝説(?)がある1934年(昭和9年)に建てられた横浜税関本関庁舎があり↓

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*1982年撮影(西門玄関の柱頭部分)


そして税関庁舎の西門玄関(今で言うと「カスタム君」人形が置いてある資料展示室入口)の脇にあったのが税関西門

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*1982年撮影(この門柱は高さが低くなって新港埠頭旅客ターミナル入口門柱として移築されたようです)


さらに海岸通りを進むと海岸通1丁目の2棟連なったスクラッチタイルが特徴的な3階建ての建物が、通関事務代行業者が入居する建物として建てられたカストムブローカービルディング(カストムブローカー=カスタムブローカー=通関事務代行者)。

あれやこれやの情報を総合すると、どうやら2棟のうち正面向かって左側の昭和ビル(この建物は中央を境に所有者が違うようで正面左側が並木ビル、右が昭和ビルなんだそうな←建物の裏側に行くと左右で色が違っている)が1929年(昭和4年)築で、右側のキッコーマン横浜支社ビルが1931年(昭和6年)の築で、外観上は2棟の独立した建物に見えますが、実際には1階部分で繋がっていました。

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*1981年撮影(現・昭和ビル左側……撮影当時の住宅地図によると藤本ビル、グーグルマップでは並木ビル側の入口)


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*1981年撮影(同じく階段)


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*1982年撮影(昭和ビルのウラ側)


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*1982年撮影(キッコーマン横浜支社ビルのウラ側)


そしてカストムブローカービルディングの先に、東西上屋倉庫の開かずの門……というか塀があり、その先に1929年(昭和4年)に大倉商事横浜出張所(大倉商事の大倉とは大倉財閥のことで、ホテルオークラのオークラでもある←ヘンな説明ですが)として建てられた現・海洋会館ビルがあり↓、

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*1982年撮影(手前が横浜海洋会館で奥が貿易会館)


そのさらに隣りに海洋会館と同時期に同じ建築家により設計され、同じ会社の施工により建てられた大桟橋方向に折れ曲がったL字型の横浜貿易会館ビルがあります。

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*1981年撮影(当時、増築部分側にあったビル入口)


現在、海洋会館と双子ビルを形成している貿易協会ビルは最初にエキスプレスビル側と言うか、旧税関東門(戦前は貿易会館とエキスプレスビルのあいだというか、貿易会館の裏手に税関東門があった)側というか、大桟橋側のL字型のカド部分が1929年(昭和4年)に建てられ、1937年(昭和12年)に旧大倉商事横浜出張所ビルこと海洋会館ビル側が増築され、ここにめでたく(?)二組目の双子ビル……というよりも、海岸通り沿いにスクラッチタイルの四つ子ビルが連なることになり、この界隈に一種独特の雰囲気を醸し出す景観が形成されることになりました。

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*1981年撮影(レストラン・杉の木。確かスカンディアの下にあったような気がするんですが……?)


しかしカストムブローカービルディングの双子ビルの右側のキッコーマン横浜支社ビルは2000年(平成12年)に、そしてその裏にあった旧日本海軍霞ヶ浦飛行隊の格納庫を移築した東西上屋倉庫も2008年(平成20年)に取り壊され翌2009年(Y150が開催された年)に象の鼻パークが跡地に作られました。

これにより海岸通りに並んだ四つ子ビルが象の鼻パークの広場によって分断され、昭和ビル一棟だけがポツンと取り残されている景観は、横浜市による「歴史を生かしたまちづくり」の形骸化を象徴しているように私には思えて仕方がありません(「歴史を生かしたまちづくり要綱」が制定されたのは1988年)。

ということで気を取り直して話を元に戻すと、横浜貿易協会ビルと税関東門、当時は東西上屋倉庫の門に入る道を挟んで隣りにあるのが↓

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*1981年撮影


1930年(昭和5年)に建てられたエキスプレスビル(ちなみに"みなと寿司"はこのビルの地階にあったそうです)

そして臨港線の高架をくぐって大桟橋に向かうと、旧マリン商会の建物2棟(現HAMA CAFEと設計事務所)と、旧ジャパンエキスプレスコンピューターセンターなどの昭和初期に建てられた木造モルタルの小さいながらも雰囲気満点の建物が現在も残っています。

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*1982年撮影(西波止場側のこの建物だけが取り壊されました)


ちなみに↑の写真に写っている建物と、その左のアンテナ塔のある建物は航空写真を確認すると、どうやら戦後1950年頃に建てられた物のようです。

ということで、1983年に日本建築学会が日本各地に存在する明治大正昭和初期の建築物をリスト形式にして出版した「日本近代建築総覧」という本には、海岸通にあった建築物が17軒記載されていますが、このうち2014年現在も現存している建物は7軒。

この本のリストに含まれていない大桟橋入口付近の、現ブルーブルーヨコハマ、自転車店、設計事務所、ハマカフェなどを含めると実際には22棟中11棟(すでに取り壊された西波止場上屋や水上署その他は含まれていません)が現存していて、そのすべてが海岸通りから開港広場前交差点~大桟橋の海側の海岸通り1丁目1番地に存在し、現在でも戦前から高度経済成長期にかけて横浜港が活況を呈していた頃(あいだに大戦が挟まりますが)を偲ばせる横浜で唯一の場所となっています。



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by yokohama80s | 2014-12-21 00:06 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2014年 12月 14日

万国橋

桜木町駅から弁天橋を渡り、ハマ銀本店のバルコニーが見印の本町四丁目の交差点を左折して、生糸検査場の建物を左に見ながらさらに進んで万国橋通りと海岸通りとの分岐点にあたる海岸通四丁目交差点を突っ切り、ビジネス街には不似合いな高度経済成長期のデフォルトだった鉄筋四階建ての建物が並ぶ公団の海岸通団地を左手に見ながらさらに進むと人工島である新港埠頭に渡る万国橋があります。

まあこれは80年代当時の話で、今だとみなとみらい線の馬車道駅を降りてちょっと歩けばすぐの場所ですがね(笑)
それはともかく、この万国橋は現在のモノが1940年(昭和15年)に架け替えられた二代目。

初代は1915年(大正4年)に大蔵省が刊行した「横浜税関新港設備概要」によると1904年(明治37年)3月竣工の↓

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大正4年・横浜税関新港設備概要より


橋の中央部分に、ガス灯か電灯かは定かではありませんが、下を流れる運河を通行する船が橋に衝突するのを防止するために橋をライトアップする為に、橋の上にやぐらを組んでそこからぶら下げられた照明が特徴的なトラス橋。

でこの初代の橋梁そのものは関東大震災による深刻な被害は受けなかったようなのですが(護岸部分はグズグズに崩れてしまったようです)、本土側の万国橋通りと新港埠頭内の道路が震災復興に伴い道路幅が拡幅されることになり、道幅が狭い橋がボトルネック化することから当時の大蔵省は、橋の架け替えを画策したようですが予算不足により敢えなく頓挫。

ようやく予算が付いて二代目の橋梁が完成したのが、前述したように震災復興橋と言うには微妙な1940年(昭和15年)。
個人的には初代万国橋の姿をこの目で見てみたかったのですが……

それはそれとして、件の万国橋の手前……というか、たもとにあったのが1928年(昭和3年)に当時の関東運輸の社屋として建てられた万国橋ビル(戦前は本社ビルとか支社ビルと言っても、一社が占有使用するケースはまれで、大抵の場合は初めから空き部屋を賃貸する前提で建てられるのがフツーでした)。

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*1981年撮影


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*1981年撮影


当初は、「保存活用の協議を行う」とされていたものの、なにひとつ説明が無いままにアレよアレよという間に2012年に取り壊されてしまいました。

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*1981年撮影(海岸通団地側)


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*1981年撮影(海岸通団地側)


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*1981年撮影(運河側)


ということで、橋の右側を見ると↓

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*1987年撮影


運河の中に建てられた当時の職安ビルがあり、手前にははしけ溜まり↓

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*1982年撮影


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*1982年撮影


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*1982年撮影


がありました。

で右側の歩道を歩いて橋を渡った先に見えたのが↓

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*1982年撮影


写真のレンガ積みの建物。

80年代後半から90年代にかけての建築探偵ブームに伴って出版されたムック本の中に、このレンガ物置を「明治時代に造られた石炭庫で歴史的に貴重な建物」としていたモノがありましたが、当時のこの手の本は玉石混淆。

レンガ建築ならなんでもかんでも明治時代に造られた、と決めつけているヤツがたくさんありましたから真偽のほどは確かではありません……というか、震災後に現在の場所に新庁舎が再建されるまでのあいだ、万国橋を渡った右手に税関仮庁舎が置かれた時に作られたモノだと思われます……が昔の税関設備図を見ると二代目万国橋架設中にちょうどこのあたりに仮橋があったようなのでこの説もビミョーな感じで……???

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*1982年撮影


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*1982年撮影(左が旅具検査場で右が税関の新港埠頭庁舎)


*写真はすべて1981~82年に撮影。



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by yokohama80s | 2014-12-14 00:05 | 大桟橋・海岸通 | Comments(5)
2014年 05月 25日

象の鼻波除堤

「象の鼻」と言えば今では大部分の横浜市民が、大桟橋の基部にある横浜港発祥の地と理解していると思います。

ところが私が小学生の時分には、「横浜港発祥の地は大桟橋」だと教わった記憶はありますが、「象の鼻」どころか「西波止場」という名前すら聞いたことがありませんでした(忘れただけ?)。

ということで、三つ子の魂なんとやらで、「象の鼻」という名前を知ったのはみなとみらい関連の再開発が一通り終わってから・・・・・・ってことは21世紀になってから・・・・・・というか正直に告白すると数年前、「象の鼻パークの"象の鼻"っていったいなんのこと?」みたいな・・・・・・というか恥を忍んで告白すると、数年前の某国営放送の番組を見ていて初めて聞いたワケでして・・・・・・

そんなこんなで80年代当時、大桟橋の歩道橋から横浜税関方向に見えた、なにやら奇妙な形の年代物の防波堤を見ても「ふ~ん」という感じ。

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*①1981年大桟橋歩道橋より撮影(正面の倉庫が三菱倉庫A号倉庫)


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*②1981年大桟橋歩道橋より撮影


ということで、今時の小学生(横浜市内の)でも知っている話を、いい年こいたおっさんが今さらながら改めて調べてみると、開港以前の1851年(嘉永4年)の絵地図には↓、

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嘉永4年 横浜村付近傍之図より


現在、羽衣町にある厳島神社の前身である州干弁天(しゅうかんべんてん→"州"を"洲"と表記している文献もあるようです)が大岡川河口に張り出し、そのさらに海側に州干島(茗荷島とも呼ばれていたらしい→ややこしいなぁ統一しろよ・・・・・みたいな・・・・・・)という半島があり、その先端の大岡川河口に「象が鼻("洲干の鼻"とも言ったそうですが、戦前の書物ではほぼ「象が鼻」で統一されているようです)」と名付けられた湾曲した半島がデ~ンと描かれています。

しかし1859年(安政6年)の開港時の絵地図には↓

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安政6年 横浜開港地割之図より


州干弁天の海側にそれらしいモノが「あれっ?」というくらい控えめにチョコンと描かれ、1864年(元治元年)の絵地図では↓、

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元治元年 横浜明細全図より
*絵地図は三枚とも横浜市史稿・附図の物を加工しました。


すでに本家本元の「象が鼻」は絵地図から消え去って、代わりに西波止場に象の鼻波除堤が作られています。

ということで、絵地図を並べてみてもなんだか良くわからないので、今度は近代デジタルライブラリーで1928年(昭和3年)発行の「横浜の史蹟と名勝」その他の書物を読み解いてみると、どうやら上記の絵地図で本町一丁目と書かれている通りが現在の馬車道通りで、海岸通りと書かれているところが元浜町、さらに丁目が現在とは逆とのこと。

で現在の弁天通、本町、北仲通、太田町の5~6丁目一帯の一万二千坪が鬱蒼とした松林に囲まれた州干弁天の境内で、現在の弁天通が参道で、県立博物館と日本興亜馬車道ビルの間に鳥居が、その先にヒョウタン型の池があり、そこに架かる太鼓橋を渡った弁天通6丁目106番地(・・・・・・ってどこ?)に茅葺き屋根の社があり、北仲通5~6丁目の旧生糸検査場と帝蚕倉庫にかけて州干島と呼ばれた半島と、さらにその先に象が鼻と呼ばれた砂州があり、対岸の現在の桜木町駅あたりに姥ヶ岩という岩礁が海面から顔を覗かせ文久元年(1861年)に埋め立てられるまでは風光明媚な景勝地として有名だったそうです。

となると、どうやら本家本元の「象の鼻」こと「象が鼻」は、今で言うところの旧生糸検査場こと第二合同庁舎のど真ん中あたりに埋まってしまっているようですが↓、

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*2014年撮影(北仲橋より、象が鼻はこのあたりのようなのですが・・・・・・)


なにぶんにも測量に基づいた西洋式の地図が始めて作製された明治4~6年ごろには、州干弁天や州干島、象が鼻一帯はガッツリ埋め立てられてしまった後なので、正確なところは「よ~わからん」というのが実際のところのようです(上の写真の三段護岸が安政6年の横浜開港地割之図で弁天社の松林が描かれている部分にある半島状の部分と形状がクリソツなことを考えると「象が鼻っていったいどこ?」という無限ループに・・・・・)。

ということでこれらのことを踏まえた上で推理してみると、開港時に作られた東西ふたつの防波堤からなる開港場は外海に口を開けている形状だったことから、北東の風が吹くと波がザッブンザッブンと打ち寄せてなにかと都合が悪いということで、後に西波止場右側の防波堤の先に湾曲した形に作り直した時にその形状がかつて景勝の地として有名だった「州干弁天」の「象が鼻」に似ていたことから、それになぞらえて「象の鼻」と名付けられたのだろうと思われます。

と言うのも当時、細く湾曲しているだけで即座に象の鼻をイメージ出来るほど、象という動物がポピュラーな存在だったとしたら、日本全国そこかしこに象の鼻と名付けられた砂州が無いと辻褄が合わないような・・・・・・?

まあそれもそれとして先々週UPしたように象の鼻波除堤の内側こと西波止場は船溜まりとなっていて、波除堤基部から大桟橋はタグボートの停船場というか待機場となっていました(象の鼻の写真が上の2枚しか無いことをさりげなく絵地図と文章で誤魔化す今日この頃なのであります)。

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*③1982年撮影


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*④1982年撮影(バンパー代わりの古タイヤはかつて旅客機で使用されていたモノ)


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④1984年撮影(放水銃の整備中。タグボートは消防艇としての役目も担っている)


③の写真のように、タグボートは常に船尾を桟橋に向けて繋船していたために、タグボートが出港するときには大桟橋全体がビリビリビリビリとあまりに振動するもので、「そのうち崩れるんじゃないか」と心配になったことを憶えています。

まあ今現在は、杭の上に載っている桟橋ではなく埋め立てられた人工島、すなわち「岸壁」となっているようですが、そうなると「大桟橋」という名称が・・・・・???

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*⑤1982年大桟橋一号物揚場にて撮影


という話はひとまず置いておくとして、そう言えば現在、象の鼻の基部には何もありませんが、昔は波除堤の根元には税関船員詰所が建っていました。

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⑥1982年裏象の鼻基部・税関船員詰所裏にて撮影


などと言いながらも、この建物が写っている写真は、上の写真と先々週の記事の写真(波除堤基部の鉄筋2階建てのビル)しかありません。

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⑥1982年撮影
(正面真ん中に写っている二階建ての建物が税関船員詰所)


ということで、先々週の記事の最初の写真の真正面に写っている二階建て建物が税関船員詰所の建物です、などと、これもさりげなく誤魔化してみる今日この頃なのであります。






*来月6月のUP予告

6月 1日: ハンマーヘッドクレーン・その一
6月 8日: ハンマーヘッドクレーン・その二
6月15日: 日本鋼管鶴見製鉄所・天井クレーン
6月22日: 鶴見区大黒町2 大黒倉庫
6月29日: 新港埠頭 三噸可動式起重機

以上、名付けて「鉄骨特集」をお送りしますのでお楽しみに。

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by yokohama80s | 2014-05-25 00:06 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)
2014年 05月 18日

横浜税関特別通関貨物検査場

みなとみらいで再開発される以前は、先週UPしたホルト上屋こと住友倉庫と山下臨港線の"低いけど高架線"の隙間の奥に、くすんだベージュ色のコンクリート平屋建て廃屋然とした倉庫が見えました(先週UPした住友倉庫の写真の左隅にチラッと写っている建物)。

グーグルアースに横浜市三千分一地形図のKLMファイルを落としてみると、ちょうど現在の象の鼻テラスがある場所になります。



ということで住友倉庫と臨港線の隙間を通り抜けると目の前に現れるのが、写真の"横浜税関業務部特別通関貨物検査場"という看板が掛けられているものの、使われなくなって久しい風情のL字型の建物。

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*1987年撮影(分かりにくいと思いますが左線路脇に屋根が見えるのが貨物検査場の建物)


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これなら分かるでしょ?


「特別通関貨物」とはどういう貨物を指しているのかは定かではありませんが、昭和8年晩の税関設備図に記載があることや、震災復旧の状況が記されている書物にも「復旧すべき施設」として記載されていることから、この建物は震災後の昭和8年までに建てられたと見て間違いないようです。

そしてL字型の建物の両端を結ぶような形で山下臨港線 の高架線の工事が始まったのが1961年(昭和36年)で開通したのが1965年(昭和40年)、また80年代当時、万国橋を渡った右側にあった税関庁舎の一階に貨物検査場があったことなどから考えると、写真の施設は昭和35年くらいまで使われていたということになるので、かれこれ20年以上も放置されていたものと思われます。

まあ場所が場所なだけに、取り壊したところで転用のしようが無かったのでしょう。

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*1982年撮影


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*1982年撮影


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*1986年撮影


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*1982年撮影


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*1982年撮影


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*1986年撮影


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*1986年撮影


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*1986年撮影

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by yokohama80s | 2014-05-18 00:05 | 大桟橋・海岸通 | Comments(2)