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カテゴリ:鶴見・大黒埠頭( 20 )


2016年 04月 03日

起重機船第50吉田号

 過去に当ブログで、 ベイブリッジの橋桁設置の為に大黒埠頭地先の埋立地に接岸していたクレーン船について世界最大級のクレーン船世界最大級のクレーン船 その2の2回に分けて写真をUPしたのですが、未UP写真がゴッソリあったので、今回はまとめてUPということで。

 ということで、あらためて説明すると、ジブと呼ばれるクレーンの支柱が円形なのが3700トン吊非自航ジブ俯仰式起重機船第50吉田号(吉田組)、角張っているのが3700トン吊非自航ジブ俯仰式起重機船武蔵(深田サルベージ)

 なにやら吊り上げ能力が 3,500トンを超える大型起重機船は現在、国内に4隻のみだそうで、国内外の橋梁工事で活躍していて、最近では2009年の東京港のゲートブリッジの橋桁設置(You Tube「東京ゲートブリッジ 下部トラス桁架設工事記録」)では、前記の2隻の起重機船の他に国内最大の4100トン吊の海翔(寄神建設)を加えた3隻がそろい踏みして作業を行っています。

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*写真はすべて1987年撮影。



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by yokohama80s | 2016-04-03 00:03 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)
2015年 07月 19日

京浜運河

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*①千鳥町の川崎市営埠頭より京浜運河を挟んで対岸の東扇島を見るの図
(京浜運河の神奈川県側はほぼ当初の計画通りに航路幅6~7百m、干潮時水深9メートル、1万トンの船舶が航行及び錨泊可能なように作られている)
 

 京浜運河のあれこれについては、こちらの過去記事(東京港 -プロローグ編-)ですでに触れていますし、ググるとごっそり出て来ますので「以下省略」ということで^^。

 で結局のところ、東京~横浜を意味する"京浜"と名がついているものの浅野らが計画した京浜運河(横浜港から墨田川河口=東京港まで連続した港湾地帯を造成する構想だった)と言えるのは戦前までに完成していた鶴見川左岸から浮島町と東扇島の間のみで↓

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*②東扇島より扇町方面を見るの図
(写真左奥に船が停泊しているあたりが、扇町の三井埠頭と旧日満倉庫の私営埠頭)


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*③東扇島より浮島方面を見るの図
(ここが京浜運河東口こと川崎側の入口)


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*④東扇島の運河入口(川崎航路の京浜運河東口)を示す白灯台


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*⑤首都高湾岸線建設告知の看板(東扇島にて)


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*⑥東扇島拡張工事


東京側は戦争により運河の完成を見ることなく京浜運河事業そのものが事業廃止となり、戦中から戦後にかけて埋め立てられた品川埠頭、大井埠頭、京浜島と勝島、平和島、昭和島を挟む水路にその名前を残すだけとなっています↓。

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*⑦高浜水門と芝浦排水機場
(この水門の向こう側が京浜運河東京側の芝浦側起点になります)


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*⑧京浜島の京浜大橋
(ここが京浜運河の羽田側の入口)


 ちなみに京浜運河の神奈川側は、昭和46年(1971)の大黒埠頭の埋立により鶴見川右岸から横浜港まで水路が延長されたことにより期せずして「横浜港から東京港の間に港湾設備を完備した工業地帯を整備する」という浅野総一郎による京浜運河構想は神奈川県のみ完成した、という見方も出来るのではないでしょうか(川崎側が多摩川河口手前の浮島で東京側と分断されていますが……)

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*⑨灯台の右側が京浜運河の横浜側入口


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*⑩大黒大橋からの図
(現在でも鶴見航路ことつばさ橋をくぐった船舶が大黒大橋手前まで入って来ます)


 
*写真はすべて1987年撮影。



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by yokohama80s | 2015-07-19 00:12 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)
2015年 07月 12日

鶴見線沿線・浜安善~浅野~新芝浦

 安善駅を出て浅野駅方面に向かってすぐに丁字路に突き当たります。
右に行けば産業道路、左に行けば米軍鶴見油槽所。
ということで、今週はこの丁字路を左に折れて、とにもかくにも安善駅から分岐した米軍油槽所に向かう線路を左手に見ながらコンビナートに囲まれた道を進むと↓

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*①


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*①


運河を渡り、さらに進んで踏切を渡ると右手にあるのが在日米軍鶴見貯油施設↓

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*②


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*③


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*④


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*⑤


 地図で下調べをした時点で想像がついていましたが、「まあ、こんなもんでしょ」ということで、来た道を戻って
安善駅の踏切を渡って、産業道路に出る道を進んで、最初の信号を左に折れてしばらく進むと丁字路にぶつかるので、そこを左に折れると安善駅のつぎの駅である浅野駅に到着。
 
 この駅には、線路と道路をまたいで旭運河と工場(当時は日本鋼管鶴見製鉄所)を結ぶ天井クレーンの錆びた鉄骨がありますが、そちらは過去に触れた(当ブログ記事「日本鋼管鶴見製鉄所・天井クレーン」)ので以下省略。

 ということで、今度は海芝浦へ向かう、鶴見線海芝浦支線の線路を左手に見ながら5分ほど歩くと見えてくるのが↓

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*⑥


東芝の京浜事業所の白いビル。
私の記憶が確かなら、この↑の写真に写っている3つのビルは戦前に建てられたものだったと思うのですが、あれやこれやの資料には何も書かれていないので「よくわかりません」ということでスルーして、東芝の工場入口の守衛所直前にあるのが、新芝浦駅↓

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*⑦


 でこのさらに先にあるのが、一般乗客は電車を降りても駅から一歩も出る事が出来ないことで有名な……というか、最近ではなにやら駅のホームからの眺めがメディアなどで頻繁に取り上げられたことから人気スポットになり、駅の地主でもある東芝さんが公園まで作っちゃった海芝浦駅があります。
しかしこれらの写真を撮影した当時には、日曜日に鶴見線に乗ろうなんていう酔狂な人はほぼ皆無だったし、日曜は列車本数が極端に少ないことから私は車で来ちゃったし、ということで海芝浦支線探訪はここで終了です^^。

*写真はすべて1986年撮影。



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by yokohama80s | 2015-07-12 00:02 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)
2015年 07月 05日

鶴見線沿線・大川~武蔵白石~安善

 JR鶴見線とその沿線の埋立地については、こちらのサイト(ちょこっと鶴見線など)に詳しいですし、最近は「都会の中のローカル線」ということで鶴見線とその支線は人気を博しているようで、ググればごっそりと出てきますので、ご興味のあるムキはそちらをご参照頂くとして、ここでは撮影当時の話などを。

ということで、とにもかくにもまず最初は、当時、クモハ12という旧国電のブドウ色の電車が1両でトコトコ走っていた鶴見線大川支線沿いに白石運河に架かる大川橋を渡った先に大川駅があって、田舎の駅のように歩行者用の踏切を渡って駅前の道路をさらに渡ったところにあったのが↓

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*①大川駅前のバス停


 そしてそのさらに先には↓

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*②昭和電工川崎事業所大川地区あたり


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*③昭和電工川崎事業所大川地区あたり・その2


などがあるものの、予想に違わず工場の壁に囲まれてたいして見る物(写す物)も無いのでUターンして武蔵白石まで来た道を戻ると↓

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*④川崎区白石町1丁目・大川支線・武蔵白石踏切


工場向けの送電線があり……そう言えば、「浅野総一郎はこのあたりの工場の電力確保の為にあっちこっちに水力発電所と送電網まで作ったんだっけ」などと思いながら進んだ先には、当時は大川支線と鶴見線との分岐駅だった武蔵白石駅の都会の駅とは思えないクラシカルな駅舎↓

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*⑤鶴見線武蔵白石駅


 その脇の自転車置き場(?)を横目に見ながら↓

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*⑥鶴見線武蔵白石駅舎脇


5分ほど歩くと隣り駅の安善駅に到着。

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 話は少し前後しますが、川崎市と横浜市の市境を越えた安善駅手前くらいから道路の両側には工場地帯には似つかわしくない住宅が建ち並んでいる一角があります↓。

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*1944年に撮影された航空写真より


 なにやらこの三角地帯にあたる寛政町1~18番地あたりには、大正末頃に浅野セメントや、東京湾埋立会社の従業員住宅と商店などが建ち並んでいたそうな(撮影当時にはまったく気づきもしませんでしたが、現在もコンクリート造りの住宅が数棟残っているそうな)

 そこで今さらながら地図を見ると、工場地帯のど真ん中に住宅地があり、さらにその区画が山下町の中華街みたいに周りに比べるとちょっとヘンな角度になっている、ということは、「は、は~ん、これは江戸時代に埋め立てられた新田跡だな」と思って町名を見ると↓

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*⑦鶴見区寛政町・安善駅前


「寛政町」。
 ということは、町名に元号が使われているということは、西暦1789~1800年の「寛政年間」に埋め立てられたということに。
 
 そこで歴史的農業環境閲覧システムのKMLファイルをグーグルアースに落として現在の地形と明治初期の地図と比べてみると……「海の中だ」みたいな^^。

 で今度は今昔マップで埋め立て前の明治の頃の海岸線をなぞってみると、現在の産業道路の1本海側の寛政中学と東部総合技術校の間の道がもともとの海岸線とピッタリ一致。
 となると、「寛政町=寛政年間の新田説」は敢えなく却下、ということになり、「なぜにして三角形」という疑問はナゾのままとなりました^^。

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*⑧鶴見区寛政町18のタバコ屋
(最近、この近辺を徘徊する写真好きの間で人気があるようです)


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*⑨鶴見区寛政町19の焼き鳥屋さん


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*⑩鶴見区安善1丁目・浜安善方向へ行く踏切を渡った先にあった自治会の掲示板


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*⑪鶴見区寛政町21(現在の大塚家具)・佐久間鋳工所



*写真はすべて1986年撮影



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by yokohama80s | 2015-07-05 00:08 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)
2015年 03月 29日

首都高速湾岸線 大黒ジャンクション

大黒埠頭にある大黒ジャンクションは、首都高速道路湾岸線と神奈川1号横羽線から分岐した神奈川5号大黒線との合流部分にあたり、湾岸線から大黒パーキングに行くときや、大黒出口で首都高を降りる時にグルグルグルグル何回転もして、出口に降りたときには目が回って頭がクラクラするというクセ者ジャンクション(笑)

撮影当時ですら、どこからどこへ向かうのか、はたまたどの橋脚とどの橋脚が結ばれているのかがまったくわからない状態で、向きも、高さも、形も、大きさも違う橋脚が、竹の子かキノコのようにあちらこちらにポコポコポコポコ不規則に生えている不思議な風景を作り出していました。

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*写真はすべて1987年撮影。






*来月4月のUP予定
4月 5日:関内の戦災復興建築(防火帯建築)
4月12日:元浜町通り
4月19日:入船通り6丁目界隈
4月26日:南仲通5丁目 ダイワビル

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by yokohama80s | 2015-03-29 00:01 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)
2015年 03月 22日

ベイブリッジ地組立ヤード

ベイブリッジについては、すでに当ブログでも何回か取り上げていますので、あれやこれやの能書きは過去記事↓
横浜ベイブリッジ
世界最大級のクレーン船
世界最大⑨のクレーン船 その2
横浜ベイブリッジ 1984年8月~1988年2月
をご参照下さい。

ということで、能書きはサラッと。
撮影場所は現在で言うと、T4バースあたり。
で「この橋桁はどうやってここまで持ってきたのか?」ということですが、このタイプの鉄製の橋の場合は船を作るときののブロック工法が採用されていて、造船所で橋桁のパーツを作りそれを船でこの場所に運び込み↓

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*2号物揚場に繋がれていた橋桁のブロックを運んできた台船


それをクレーン船で吊り上げられる最大の大きさまで組み立ててから、クレーン船で吊り上げて橋脚の上に据え付ける、という方法が採られています。

ということで、この場所で橋桁を組み上げたということは、例えてみれば臨時の造船ドックのような場所と言っても良いのかもしれません。

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*ちなみにJVに名を連ねているのは左から日本鋼管(造船屋さん)、横河工事(鉄橋屋さん)、住友重工(造船屋さん)の3社


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ちなみにこの橋桁は、2隻の3700トン級のクレーン船によりベイブリッジ最初の橋桁として本牧埠頭側の橋脚に設置されました↓。

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*1988年撮影



*写真は最後のカット以外はすべて1987年撮影。



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by yokohama80s | 2015-03-22 00:05 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)
2015年 03月 15日

大黒埠頭の海岸線

さて今週は、凹型をしている人工島である大黒埠頭の第二期埋立地(凹方のくびれ部分から沖)の海岸線の写真を。

撮影当時は、これらの場所は鋭意工事中だったワケなのですが、今ほどガードが固くなく……というより、「ここから工事現場」的な表示が一切なく、中央緑地の駐車場に車を止めて、現在の海釣り公園へ向かう道を「行けるところまで行ってみよう」とテクテクテクテク歩いてみた時に撮影したもの(先週の写真もそうなのですが^^)。

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*①現在のT5バースあたり。右側は本牧沖(1984年撮影)


1984年当時は凹型のくびれ部分に防波堤しか無かったのに↑↓

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*②現在の3号物揚場あたり(1984年撮影)


その3年後の真夏に行ってみると、東京湾からの心地よい海風に吹かれながら「3年前にはここは海の上だったんだ」と思うと一種不思議な感覚に囚われたものです。

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*③現在のY-CC前のカープールあたり(1987年撮影)


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*④大黒防波堤東灯台基部(1987年撮影)


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*⑤大黒防波堤東灯台基部(1987年撮影)


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*⑥大黒防波堤東灯台基部(1987年撮影)


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*⑦現在のC4バースあたり。沖に見えるのは扇島の日本鋼管(1987年撮影)


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*⑧現在のC4バースあたり。沖に見えるのは扇島の日本鋼管(1987年撮影)


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*⑨現在のC4バースあたり。沖に見えるのは扇島の日本鋼管(1987年撮影)





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by yokohama80s | 2015-03-15 00:07 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)
2015年 03月 08日

大黒埠頭第二期埋立地

今週は、凹型をしている大黒埠頭のくびれている部分の沖側、撮影当時は鋭意埋立造成中だった大黒埠頭の南側、↓の写真で赤く囲った部分の写真を。

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*1988年撮影の航空写真から


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*①埋立が始まったばかりの現在のT5バースあたりから(1984年撮影)


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*②現在のT6バースバス停付近(1987年撮影)


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*③同じく現在のT6バースバス停あたり(1987年撮影)


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*④撤去された仮桟橋。現在のT5バースあたりにて(1987年撮影)


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*④現在のT5バースあたりにて(1987年撮影)


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*⑤現在のT9コンテナ埠頭あたり(1987年撮影)


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*⑥現在のT9コンテナ埠頭あたり(1987年撮影)


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*⑦現在のT9コンテナ埠頭あたり(1988年撮影)


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*⑧現在のT9コンテナ埠頭あたり(1988年撮影)


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*⑨現在のT9コンテナ埠頭あたり(1988年撮影)


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*⑩現在のT9コンテナ埠頭あたり(1987年撮影)


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*⑪現在のT9コンテナ埠頭あたり(1987年撮影)




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by yokohama80s | 2015-03-08 00:06 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)
2015年 03月 01日

大黒埠頭第一期埋立地

大黒埠頭に関する概要については横浜市港湾局のサイトを見て頂くとして、今回取り上げるのは、大黒埠頭第一期埋立工事によって1971年(昭和46年)に着工し1984年(昭和59年)竣工した部分↓の赤丸で囲った部分の写真を。

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1988年撮影の航空写真より


とその前に、現在と撮影当時とでは、大黒埠頭内の道路の位置が違っていますので、取りあえず撮影場所は横浜市港湾局の地図を参照しました。

ということで↓

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*①現在のT5バースあたり(1984年撮影)


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*②現在のT3バースあたり(1984年撮影)


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*③大黒大橋たもとのC1バース(1984年撮影)


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*④2号物揚場にて(1984年撮影)


当時は、今と違ってコンテナバース以外なら自由に出入りが可能で、さらに大黒埠頭は入出港する船がほとんど無かった為に夏休み中の日曜日などには非公式の臨海公園となっていました↓。

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*⑤2号物揚場の防波堤(1984年撮影)


またこの頃の大黒埠頭には、上の写真の画面左のあたりに浮き桟橋があり、そこから大桟橋までの通船というか水上バスが定期運行されていて、関内方面と大黒埠頭を行き来する倉庫会社その他のスーツを着た人達や、大黒埠頭内で働く人達の通勤などに利用されていました↓。

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*(1984年撮影)


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*⑥2号物揚場の神奈川倉庫事業協同組合倉庫(1987年撮影)


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*⑦2号物揚場の神奈川倉庫事業協同組合倉庫(1987年撮影)


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*⑧現在の3号物揚場あたり(1987年撮影)


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*⑨現在の首都高大黒JCTあたり(1987年撮影)


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*⑩現在の大黒パーキングあたり(1987年撮影)


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*⑪現在のC2バースバス停あたり(1988年撮影)


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*⑫現在の大黒税関付近で建設中の倉庫(1988年撮影)


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*⑬大黒ふ頭中央緑地にて(1988年撮影)


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*⑭大黒ふ頭中央緑地から見た建設中のベイブリッジ(1988年撮影)





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by yokohama80s | 2015-03-01 00:08 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)
2014年 09月 28日

首都高大黒大橋地組立ヤード

首都高1号線・横羽線の生麦ジャンクションから分岐して、大黒埠頭の大黒ジャンクションを結ぶ首都高速神奈川5号大黒線の大黒大橋は、先週の産業道路の大黒大橋に平行する形で京浜運河に架けられた上下二階建て構造の橋で1989年(平成元年)に開通しました。

ということで↓

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①1987年9月撮影


産業道路・大黒大橋の大黒町側から見た図で、左に見えるのが東電の横浜火力発電所で、下に見えるのが首都高大黒大橋の作業用仮設道路。

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②1987年9月撮影


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③1987年9月撮影


↑すでに橋脚は完成しています。

ってことで、橋を渡って大黒埠頭側の、現在の首都高湾岸線・つばさ橋の袂あたりに↓

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④1987年9月撮影


「仮称・高速大黒大橋 地組立ヤード」という看板の向こうに、すでに組立が終わった橋桁が。

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⑤1987年9月撮影


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⑥1987年9月撮影


あとはクレーン船で吊り上げて橋桁に載せるのを待つばかり、という状態。

そして月日は流れて、三ヶ月後の12月↓。

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⑦1987年12月撮影


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⑧1987年12月撮影


橋桁に据え付けられていました。






*10月のUP予定

10月 5日:本牧埠頭・シンボルタワー
10月12日:新港埠頭・起重機車庫
10月19日:倉庫壁の落書き
10月26日:新港埠頭・新港サイロ

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by yokohama80s | 2014-09-28 00:04 | 鶴見・大黒埠頭 | Comments(0)