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カテゴリ:山下町( 34 )


2017年 03月 26日

山下町の戦前建築 その二

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-写真①-
山下町75番地 大沢工業(1928年/昭和3年:ユニオンビル)X



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-写真②-
山下町89番地 シーベルヘグナー商会倉庫棟(1925年/大正14年築:シーベルヘグナー商会生糸倉庫)X



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-写真③-
山下町92番地 横浜繊維(築年不明:S.アイザック商会倉庫……?)



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-写真④-
山下町95番地 同撥菓子工場(1926年/大正15年~1927年/昭和2年築:ナブホルツ商会)◯



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-写真⑤-
山下町168番地 同潤会山下町アパートメント(1927年/昭和2年築)X


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-写真⑥-
山下町203番地 神奈川県警加賀町警察署(1926年/大正15年築)X



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-写真⑦-
山下町211番地 岡野商店倉庫(築年不明:横浜市水道局)X



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-写真⑧-
山下町204番地 ストロングビル(1938年/昭和13年築:ストロング商会)X



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-写真⑨-
山下町224番地 花園病院別館(1926年/大正15年築:神奈川県営輸出絹織物検査場)X



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-写真⑩-
山下町254番地 デスコビル(1926年/大正15年築:チャールズ・ルドルフ商会)X



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-写真⑪-
山下町256番地 ウインクレル商会(1926年/大正15年築)X



*1981年撮影。



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by yokohama80s | 2017-03-26 00:10 | 山下町 | Comments(0)
2017年 03月 19日

山下町の戦前建築 その一

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-写真①-
山下町10番地 ホテルニューグランド本館水町通り側通用口(1927年/昭和2年:ホテルニューグランド)△



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-写真②-
山下町24番地の1 互楽荘ビル(1932年/昭和7年築:互楽荘アパートメント)X



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-写真③-
山下町24番地の2 警友病院みなと寮
(1931年/昭和5年までに築:スタントン商会……?)X



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-写真④-
山下町25番地の1 ダンハムビル(1933年/昭和8年築:横浜印度商協会、通称インドクラブ)X



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-写真⑤-
山下町25番地の3 インペリアルビル(1930年/昭和5年築:インペリアルアパートメント)◯



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-写真⑥-
山下町47番地 警友総合病院(1934年/昭和9年築:神奈川警友病院)X



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-写真⑦-
山下町51番地の2 警友病院別館(1921年/大正10年築:露亜銀行横浜支店)◯



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-写真⑧-
山下町58番地 シェル石油横浜研修所(1929年/昭和4年築:ライジングサン石油本社)X



*1981年撮影。



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by yokohama80s | 2017-03-19 00:10 | 山下町 | Comments(0)
2016年 12月 25日

同潤会山下町アパート二号館の入口

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*写真はすべて1982年撮影






*来月のUP予定

1月 1日:瑞穂橋
1月 8日:東海道本線貨物支線・高島駅完全版
1月15日:船のポートレート
1月22日:海岸通1丁目 東西運輸
1月29日:ある日の出港風景

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by yokohama80s | 2016-12-25 00:01 | 山下町 | Comments(0)
2016年 12月 18日

同潤会山下町アパート 二号館

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 今回は、上の地図でいうと二号館の赤線部分の写真を
ということでまず最初は一号館と二号館の間の二号館側↓

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次は太平道側に口を開けている部分からその内側↓

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*写真はすべて1981年~82に撮影



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by yokohama80s | 2016-12-18 00:02 | 山下町 | Comments(0)
2016年 12月 11日

同潤会山下町アパート 一号館

 その昔、山下町168番地に所在した同潤会山下町アパート↓

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*1983年版・中区(北)明細地図より


のような配置になっていて、長安道側の中庭がある建物が一号館、その隣の「コ」の字型の方を二号館と呼ばれていました。

 ということで、今日は一号館の赤線部分から

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ということで太平道側にあった一号館のアーチを通り抜けて、中庭から見た一号館

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ということで、次の写真は、一号館と二号館の間から撮影した一号館

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*写真はすべて1981年~82年にかけて撮影。




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by yokohama80s | 2016-12-11 00:02 | 山下町 | Comments(0)
2016年 12月 04日

同潤会山下町アパートの外観

 その昔、長安道と太平道が交わるところの角地、番地で言うと山下町168番地にあった同潤会山下町アパートについては、2012年4月29日「山下町168 同潤会山下町アパート2012年12月23日「同潤会山下町アパート一号館」2012年12月30日「同潤会山下町アパート二号館」 でUPしているのですが、今月はそれらのまとめ+未UP写真をお送りしたいと思います。

 ということで、まず第一弾として長安道と太平道から見た同潤会山下町アパート編を、ということで、場所的には下の地図の

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赤線部分の左側、長安道の関帝廟通り側から↓

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こちら側(一号館)の一階部分は、店舗付き住宅として土間(店舗スペース)+6~8畳一間の1Kから、6畳+4畳半の2Kまでの全4タイプあったようなのですが、外観からは見分けが付きませんし、かつて軒を並べていた店舗の大部分が批点していまっていて、撮影当時に営業していたのは上から3枚目の写真の看板の文房具屋さんの隣りにあったパン屋さんだけだったと記憶しています。

 ということで、長安道と太平道のカドから見上げると↓

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で、長安道をちょっと下がって振り返ると↓

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もうちょっと下がると↓

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で太平道に戻って一号館から二号館へ↓

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↑ここまでが一号館の太平道側
↓からが二号館の太平道側

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*写真はすべて1981年~82年にかけて撮影。



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by yokohama80s | 2016-12-04 00:01 | 山下町 | Comments(2)
2016年 11月 13日

中華街・撮影場所不明の写真

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*中華料理屋の裏に放置されていた中華鍋


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*同じく放置されて(捨てられて?)いた金庫


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*業種不明のお店の窓


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*判読不明なお店の看板


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*……???


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*所在地不明の荷役会社の寮


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*天日干し中の何か、その1


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*天日干し中の何か、その2


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*昔懐かしいコンクリート製の塵芥入れ


 これら↑の写真は、中華街で撮影した物ということは確かなのですが、細かい場所どころかどの通りで撮影したのかさえわかりません。

 たぶん市場通りか香港路か、はたまた中山路のどこかだろうとは思うのですが???


*写真はすべて1982年撮影。


(今回は撮影場所が不明なので地図はありません)

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by yokohama80s | 2016-11-13 00:05 | 山下町 | Comments(0)
2016年 11月 06日

中華街番外編

 当ブログでは、山下町の中華街関連の写真は何回かUPしているのですが、今回は過去にUPしそびれた写真や、最近になってようやく撮影場所が判明した未UP写真を。

 ということでまずはシルク通りの 山下町72番地の蚕糸共同株式会社↓

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-写真①-
山下町72番地・蚕糸共同株式会社


ちなみに写真奥に見える団地は、その昔、 本町通りとシルク通りとの間の山下町73番地にあった公団の山下町第2団地1号棟。
現在はURの賃貸マンションが建っています。

 次が開港道の加賀町警察署北交差点前の山下町155番地にあった横浜ビルサービス↓

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-写真②-
山下町155番地・横浜ビルサービス


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-写真③-
山下町155番地・横浜ビルサービス


現在は時間貸しの駐車場になっています。

 次は旧前田橋通りこと現在の南門シルクロードのかつてのオリエンタルホテル(旅館)の二軒大通り側の山下町187番地にあった個人住宅と思われる建物↓

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-写真④-
山下町187番地


現在はこれまた時間貸しの駐車場になっています。

 でさらにその次は福建路と堀川通りの間の名称不明の通りのちょうど中土木事務所の裏手の山下町250番地にあった昔ながらの氷屋さん↓

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-写真⑤-
山下町250番地・岡野商店


この場所は現在は賃貸マンションが建っています。

 ということで、さらにお次は、長安道の中華学院の向かい側の山下町218番地にあったかつてこのあたりに建ち並んでいた外人バーの面影が残る↓

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-写真⑥-
山下町218番地・スナック九竜


私の記憶が確かなら、撮影当時にかつて隆盛を極めていた外人バーの名残を留めていた建物は、写真の建物だけだったかと思います。

 ちなみに現在、このあたりはカフェレストランなどが入った雑居ビルが建っています。

 お次は、太平道の横浜中央病院となりの山下町253番地にあった自衛隊神奈川地方連絡部横浜募集事務所↓

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-写真⑦-
山下町253番地・自衛隊神奈川地方連絡部横浜募集事務所


そして長安道の山下町276番地には↓

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-写真⑧-
山下町276番地・天地堂印刷



*写真はすべて1982年撮影。



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by yokohama80s | 2016-11-06 00:08 | 山下町 | Comments(2)
2016年 06月 12日

山下町95番地 同發菓子工場

 現在、開港道とシルク通りに挟まれた山下町95番地に、壁に「同發菓子工場」と書かれた蔦に覆われた鉄筋コンクリートの古びた建物があります。

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-写真①-
*1982年撮影


 どう見ても「戦前に建てられたらしい」ことは一目瞭然なのですが、「実際にいつ建てられたのか?」ということを調べてみても、1994年刊の中区解体新書に「真偽のほどはわからないが昭和10年ごろの建築といわれている」と記されている以外は、建築マニアの方のサイトを見ても「なんか古い建物があるね」と出ているだけ。

 そうなると「いつ建てられたのか?」をどうしても知りたくなるのが人情というもので、いろいろと無い知恵を絞って考えてみると、建物の建設時期が判明→その時にその場所に居た者が施主→施主の職業=建物の建設目的、という具合に芋づる式に判明するのではないか、と考えたワケです。

 ということで、1985年発行の中区史の山下町のページに掲載されている山下町街並図に、この建物らしき物が記載されていることから昭和5年以前に建てられたものと推測できることから、それ以前の写真を探してみたものの見つからず。

 調査早々に手詰まりとなったワケですが、ある日、国立国会図書館デジタルコレクションで1927年(昭和2年)に横浜市港湾部が出版した「横浜の港湾」という本を眺めていると、巻頭ページに昭和2年5月に現在の東洋船舶信号所から本町通りを写したパノラマ写真があるのを発見。

 さらにこの書物は、2年後の1929年(昭和4年)に改訂版が出版され、内容は同じなのですが巻頭ページの写真が昭和3年10月に同じ場所から撮影された新しい写真に差し替えられていて、さらにその5年後の1934年(昭和9年)に横浜市土木局が出版した「横浜港」という書物に同じ場所から昭和9年夏頃に撮影された写真があるのを発見。

 そこで「これら三枚の写真を比較してみれば、建設時期が判明するのでは?」ということで、本町通りと露亜銀行の建物を目安にして山下町95番地あたりの見当をつけて拡大してみると↓

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-写真②-
*昭和2年の本町通りは区画整理前の震災前の状態、昭和3年は区画整理工事中で昭和9年はほぼ現在の形に
ちなみに右下の写真は参考として横浜都市開発記念館のWEBサイト
WEBアルバム「横浜グラフ」-昭和9年の横浜-より五月後半「五月晴れの空からヨコハマを漫歩する」から


「ビンゴ!!!」と喜ぶ前に写真②について少し解説しておきます。

 左上の昭和2年5月に撮影された写真でシーベルヘグナー生糸倉庫の右に見えるのが日本大通の旧三井物産生糸倉庫と事務所棟で、そのさらに右手の開港記念館の尖塔の手前に見える白いビルは、窓の数や形と翌年に撮影された写真に写っていないことから、商工奨励館が建つ前に同所にあり震災で内部が焼失したアメリカ領事館が、その手前にあった竣工直前に同じく被災した中央電話局が建て替えの為に取り壊されたことで姿を現したもので、そのさらに右手に見えるのが建設途中の県庁旧庁舎で、本町通りは震災前の狭い通りのままで、山下町側の本町通りの両側には震災前に建てられた旧露亜銀行しかビルがありません。
 
 そして右上の昭和3年10月に撮影された写真では、この年に竣工したユニオンビルが95番地の右手に姿を現し、本町通りは鋭意拡幅工事中で、この写真が撮影された昭和3年10月に竣工した県庁旧庁舎にはまだ足場らしき物が確認出来る状態で、その下に見えるのが建設真っ最中の昭和4年竣工のライジングサン石油本社ビル

 左下の昭和9年の撮影時期は不明ですが、光線具合から個人的には7月くらいに撮影された写真だと思うのですが、とにもかくにも遠景が霞んで不鮮明ですがシーベルヘグナー生糸倉庫の右手にはチャータード銀行のビルが建ったことで三井物産が見えなくなり、本町通りその他にはヘルム商会のヘルムハウスアパートメント以外の有名処の建物はすべて出そろった形となっています。

 ちなみに右下の航空写真は、建物の位置を確認するのに参考にしました。

 ということで話を戻すと、昭和2年(1927年)に撮影された写真には現存している同發菓子工場の建物と同じ特徴を有する建物が写っているものの、翌年以降に撮影された写真に写っている建物の窓(写真①の面の二階の窓)が写っていないことから、この建物は昭和2年5月の時点では建設中だったと考えられ、そうなると遅くともこの年の夏までには竣工していたはず、という仮説が成り立ちます(前年の大正15年こと昭和元年の写真があれば決定的なんですが……)

 そうなると次なる問題は昭和2年当時に、この建物がある山下町95番地には「誰が居たのか?」ということですが、横浜開港資料館が発行した開港のひろば・第59号 「横浜の外国商館」展余話 時計の輸入商社に「山下町95番地に1887年(明治20年)から1931年(昭和6年)まで生糸の輸出と時計の輸入製造販売を行っていたスイス系商社のナブホルツ商会(Nabholz & Co→註:ナボールともナボルツともナボーツとも表記している書物もある)」という記述があります。

 そこでさらに"ナブホルツ商会"について調べてみると、山下町95番館のナブホルツ商会は在浜外国系生糸業者の中では最大手のひとつに数えられていたようなのですが、ネットで検索して出て来たのは前記の開港資料館の会報と、大阪時事新報の記事(神戸大学電子図書館システム・大阪時事新報1923/9/23より )だけ。

 この記事は、震災後に横浜の主だった生糸商達がこぞって神戸に移転して、それを受けた神戸市が震災で機能不全に陥った国内唯一の生糸積出港だった横浜港に取って代わるべく当時、京都にあった生糸検査場の神戸移転を政府に働きかけ、このことに危機感を持った横浜蚕糸貿易商同業組合が1923年(大正12年)9月19日に「今後、海外に向かって貿易の目的をもってする生糸の購入輸出行為及びその幇助を他市場又は港湾においてなしたる者には組合は永久絶対に売買取引を謝絶する←原文のまま。要するに横浜から追放する、すなわち日本の生糸市場からの追放を意味する」(1925年発行「横浜復興録」より)という恫喝まがいの決議文を発表したことに対して、「笑止千万、片腹痛いわ!!!」という神戸側の反応を報道した物。

 しかしあの手この手で東京築港と開港に関して61年もの長きに渡って妨害工作を繰り広げてきた横浜港湾マフィア(この場合の「マフィア」は反社会的集団を意味する物では無く、「結束の固い集団」という意味で、当時の横浜の政財官界の事を指す私の造語ですwww)がこの程度のことで白旗を揚げるワケがなく、このあと政府に対してあの手この手であれやこれやと画策を巡らし、最終的に「震災前と同様に国内の生糸積出港は横浜港一港で行う」ということに決定。

 これにより神戸で生糸貿易を再開出来るものと思っていた生糸商たちは、急遽、横浜に戻らざるを得なくなったものの、この時の横浜市内は横浜港を含めてどこもかしこも焼け野原と瓦礫の山。

 このため国は、震災で倒壊焼失した生糸検査場と付属倉庫を北仲通5丁目に、そして山下町224番地に輸出絹織物検査場をそれぞれ大正15年(1926年)までに再建し、震災で発生した火災により横浜に在庫していた生糸は昨年に取り壊された日本大通の旧三井物産生糸倉庫に保管されていた物以外はすべて焼失し多大の損失を被った反省と、大手生糸商社は自社の在庫量などを秘匿して取引を有利に進める為に自前の生糸倉庫を所有する慣習があったことから、横浜で生糸貿易を再開するために取るものも取りあえず事務所を神戸に残したままで、はたまたバラックの仮事務所の隣りに鉄筋コンクリート造りの防火構造の生糸倉庫を相次いで建設しています。

 ということでこれらの話を総合すると、この建物が建てられたと推測される昭和2年こと1927年当時に山下町95番地に所在していたのは、生糸輸出と時計の輸入製造を営んでいたスイス系商社のナブホルツ商会であり、ナブホルツ商会には耐火構造の生糸倉庫を建設する理由があることから、山下町95番地の同發菓子工場として使われている建物は、1927年(昭和2年)にスイス系商社のナブホルツ商会によって建てられた耐火構造の生糸倉庫である……可能性がきわめて高い、ということになります(ナブホルツ商会か建物を施工した会社による資料文献が無い限り、あくまでも推測の域を出ませんが……)
  
 その後、1929年(昭和4年)の世界恐慌に端を発したアメリカでの生糸価格大暴落の煽りを受けて(昭和4年の横浜港の生糸輸出額が当時の金額で5億7千万円だったのに対して翌年昭和5年は2億9千万円と約半分にまで落ち込みその後、回復することはなかった←昭和9年「横浜港概覧」より)、1931年(昭和6年)以降、ナブホルツ商会の名は歴史の表舞台から姿を消し、代わって山下町95番地の新たな主となったのが、当時、絹、人絹織物の輸出を行っていたインド系商社のキシンチャンド・チェララム商会、ジ・ラムチャンド商会、ウトマル・エンド・アスダマル商会の三社。

 この三社がそれぞれ一棟づつ建物を分け合ったのか、はたまた共同で使用していたのかについては定かではありませんが、これらのインド商社も第二次世界大戦により横浜から撤退し、 その後、1952年(昭和27年)に横浜市の要請により山下町95番地の現在、同發の事務所として使われている建物を、キシンチャンド・チェララム商会が店舗兼住宅として使用し云々かんぬん……続きはこちら(開港のひろば 127号)をご一読下さいということで以下省略。

 ちなみに撮影当時、建物の壁には会社名らしきものが複数書かれていますが↓

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-写真④-
*文字部分を拡大


アクメ・ファスト・フレート(旧露清銀行跡のアクメ貿易と同一と思われる)、バーナム・ワールド・フォワーディング(戦前に山下町76番地で絹製品などの輸出を行っていたボーマルブラザース商会と思われる)、インターコンチネンタル・トランスポート(?)、あとの6つは判読不能ですが、とにもかくに名称から考えるとすべてインド系商社のようなので、この建物が1970年代前半に現所有者に売却されるまではこれらの企業によって共同使用されていたものと思われます。

 最後に、蛇足になりますが仮に山下町95番地に現存する古びた建物が、本当にナブホルツ商会の生糸倉庫だったとすると、日本大通の旧三井物産生糸倉庫と、北仲通5丁目の帝蚕倉庫の辛うじて残っていた最後の一棟が取り壊された(帝蚕倉庫事務所横に"復元保存"するそうですが「オリジナルを壊しておいて"保存"もヘッタクレもあったもんじゃない!!!」と思うのははたして私だけなのでしょうか???)いま、横浜市内において唯一現存する戦前に建てられた生糸倉庫、ということになるのですが……。




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by yokohama80s | 2016-06-12 00:01 | 山下町 | Comments(0)
2016年 01月 31日

山下町92番地 横浜繊維

 中華大通りと開港道の分岐から開港道を加賀町署方向にテクテク歩いて、当時、オープンしたばかりのホリデーインこと現在のアスターホテルを過ぎて、中華街パーキングの先のマンションの隣りの、現在、コインパーキングがある場所に↓

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の、戦前建築臭がプンプンする怪しい建物がありました。

 ということで、撮影当時の住宅地図を見てみると、山下町92番地・横浜繊維K.Kとあります。
で、今度はその会社名で検索すると、現在、コインパーキングがある場所の隣りに本社を構える昭和21年創立の麻製品などを販売する会社と判明。

 さらに掘り下げて調べてみて判明したのは、この建物は撮影当時は横浜繊維の倉庫として使われていた建物のようで、その後、これらの写真を撮影してほどなくして取り壊され、跡地は現在まで駐車場となっています。

 ただこの建物は、どう見ても戦前建築のようなので、例によって国土地理院の空中写真地図検索サービスから昔の航空写真を見比べてみると、1944年と1946年、1947年の戦中から終戦直後に撮影された航空写真に該当建物と思われる建造物が写っていて、その後、1981年の写真まで同一の建物を確認できることから戦前に建てられた建物であることは確かなようです。

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*1947年撮影の航空写真から
(赤い四角が写真の建物……だと思われます)


 そこで近代デジタルライブラリーで横浜市役所勧業課が編集した横浜市商工案内を紐解いてみると、戦前の山下町92番地には、欧州への絹織物を輸出していた合名会社森友貿易商会、米国製化粧品の輸入と雑貨の輸出入を行っていたS.アイザック商会、屑糸、自動車タイヤなどの輸出入を営んでいたスゾール・ロンボウ商、外国人が経営していた洋食レストラン、不動産屋、ベルギー領事館とチェコ領事館があったようです。

 蛇足ですが、S.アイザック商会のシャチョーさんがチェコ領事をされていた関係から、戦前のチェコ領事館はS.アイザック商会に間借りしていたそうです(戦前、横浜にあった領事館の多くがこのパターンだったようです)。

 という話はひとまず置いておいて話を元に戻すと、昭和5年以降継続して92番地を所在地にしていた会社は、S.アイザック商会とチェコスロバキア領事館のふたつなので、この建物はS.アイザック商会関連の建物と考えるのが妥当なようです。

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*建物の床面の高さがシルク通りと同じ高さになています。


*写真はすべて1981年撮影。





*来月2月のUP予定
2月 7日: 金沢区幸浦・海辺の散歩道
2月14日: 金沢シーサイドライン
2月21日: 根岸町2丁目 スナック伽風豆虫
2月28日: NASUGB BEACH AREAとPX

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by yokohama80s | 2016-01-31 00:10 | 山下町 | Comments(2)