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カテゴリ:高島埠頭( 14 )


2013年 05月 19日

高島埠頭の市営上屋

高島埠頭の歴史はちょっと複雑。

まず初めに貨物の取扱量が増加したことにより新港埠頭内の横浜港駅と、初代横浜駅ことその後の東横浜駅が手狭になり、新たな貨物駅を建設するために現在のみなとみらい4,5,6丁目あたりが埋め立てられて広大な操車場を持つ高島駅が作られました。

しかしこの時には、まだ桟橋の類は無く新港埠頭側に荷揚場が設けられていただけで、あくまでも高島駅しかありませんでした。

そして震災前の1921年(大正10年)から、横浜港第三期拡張計画として外貿易用として瑞穂埠頭が、内貿易用として山内、高島の両埠頭の新設整備が始まり、高島埠頭として高島駅の東側の埋め立て工事が始まったものの2年後に発生した関東大震災により工事が一時中断。

その後、工事が再開され現在の旧ジャックモールウエストから東に、当時の海岸線から60度の角度を為す形の長さ約140m、幅約30m、3千トンの船舶二隻が係留可能な一号桟橋が1930年(昭和5年)に完成し、そこに横浜市によって1933年(昭和8年3月)に市営一号上屋が完成。

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*1984年撮影(1933年/昭和8年3月に竣工した市営一号上屋)


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*1984年撮影(市営一号上屋全体)


次いで1933(昭和8年)に、一号桟橋から100mほど北東に、長さ約170m、幅約50m、6千トンの船舶二隻を係留可能な二号桟橋と市営二号上屋が竣工(以上、1934年/昭和9年・横浜港概覧より)。

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*1984年撮影(1933年/昭和8年12月に完成した市営二号上屋正面。凸型の断面が切妻壁に残っています)


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*1984年撮影(市営二号上屋全体)


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*1984年撮影(上屋から海まで2m弱しかない高島埠頭二号桟橋)


ちなみに1934年に横浜市土木局が発行した「横浜港」という書物によると、建設当時の二号上屋は外観が一号上屋とほぼおなじく鉄骨モルタル平屋根で断面が凸型で、上屋内の床面を掘り下げて貨物線の線路が2本引き込まれ上屋の床面がプラットホームとなっていて天候昼夜を問わず作業が出来ることが自慢だったそうです。

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1934年横浜市土木局が発行した「横浜港」より


と、ここでひとつ疑問が。
戦前の書物の写真に写っている二号上屋と、80年代に撮影された写真の二号上屋の形が違うこと。

 そこで国土地理院の地図空中写真検索サービスを漁ってみると、1944年(昭和19年)に撮影された写真の二号上屋は凸型なのが確認出来ますが、終戦後の1947年(昭和22年)の写真を見ると建物の形は凸型のままのものの上屋の南側と北側の一部が損壊し、1949年(昭和24年)の空中写真では建物の形が凸型から切妻型(三角屋根)になっています。

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左が1947年、右が1949年に撮影された空中写真


 どうやら二号上屋は1944年(昭和19年)から1945年(昭和20年)の空襲により建物の一部が損壊し、80年代の写真では壁に凸型の跡が確認出来ることから1948年(昭和23年)~1949年(昭和24年)の間に損壊部分の修繕を兼ねて建物上部を凸型から切妻型に改築したようです。

 と言うことで話を戻すと、とにもかくにも高島埠頭は桟橋が二つ出来た段階で、太平洋戦争が勃発したことによりその後の工事が中断。

 戦後になって、横浜港は全施設が米軍により接収され高島埠頭が1947年(昭和22年)に他の埠頭に先駆けて日本に返還されたものの、高島埠頭の2桟橋だけでは横浜港の港湾機能回復にはほど遠く、やむなく出田町埠頭を急遽建設することに。

 さらに1950年(昭和26年)から翌年にかけて港内のブイ、山内埠頭、大桟橋、新港埠頭の接収が解除されたものの、それだけでは港湾機能はまだまだ不足。

 そこで急遽、1954年(昭和29年)に二号桟橋の150m北東に建設されたのが、長さ約190m、幅約70mの三号桟橋と、倉庫内の床面を掘り下げて線路を2本引き込んだ三号上屋(みなと博物館に模型が展示されています)です。

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*1984年撮影(三号桟橋基部にて)


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*1984年撮影


 ちなみに当初の横浜港第三期拡張計画では、三号桟橋の隣にもうひとつ四号桟橋が作られる予定でしたが↓

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1934年昭和9年「横浜港」より表高島及山内町地先内国貿易設備図


三号桟橋を作る時に大型船に対応するために桟橋の間隔と、桟橋自体の幅を広げたら四号桟橋を作るスペースが無くなってしまったようで、本来なら四号桟橋が作られる予定だった場所の根元部分に四号上屋が建てられただけで桟橋は作られることはありませんでした。

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1984年撮影(市営四号上屋)


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1984年撮影(市営四号上屋)


 というように、高島埠頭の桟橋はバラバラの時期に建設された為に新しくなるにつれて桟橋が広くなるという状態に。

 このような事情があった為なのか、1980年頃には船が繋船されていたのはほとんどが一番余裕があった三号桟橋で、一号、二号にはごくたまに艀や内航船が繋がれているだけでした。

 ちなみに戦前は横浜港を発着する北海道その他の国内航路や中国、サイパン、グアムなどへ向かう船は、貨物、客船、定期不定期を問わずここ高島埠頭から発着し、その後、寄港場所が大桟橋に変更される1980年ごろまでは東海汽船の大島航路が一号桟橋から発着していました。

 その後、みなとみらい計画により三本の桟橋は撤去された後に埋め立てられ、現在のみなとみらい地区が作られました。

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*1987年撮影(埋め立てられた一号桟橋と右の建設中の建物は横浜美術館)





*2014年3月1日
二号上屋に関する記述を加筆修正し写真を追加しました。

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by yokohama80s | 2013-05-19 00:05 | 高島埠頭 | Comments(3)
2013年 04月 14日

高島埠頭 表高島駅

東海道貨物支線こと高島線の表高島駅は、高島埠頭の突端に1934年(昭和9年)に 開業した貨物駅で、便宜上いちおう「駅」となっていますが駅舎などはありませんでした(詰め所があったらしいが、どこにあったのか記憶にありません)。

さらにこの駅の面白いところは、高島駅から表高島駅までは直線で200 mしかないところをなんと1.3 kmも遠回りするという点。

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*昭和39年・横浜市三千分一地形図より


なにせ昔の地図を見るとおわかりいただけると思いますが、表高島駅は高島駅と埠頭の入江を挟んで反対側。

そういうことで高島駅を出た列車は、現在のみなとみらい線高島駅のちょうど真上にあたるみなとみらい通りとすずかけ通りの交差点から高島線と分岐して左に急カーブ。

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*①高島駅を出て最初の踏切(臨港踏切)から高島駅方向を見るの図


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*②旧ジャックモールウエスト(46街区)の西側で、ちょうどこの辺りがカーブの頂点


両脇に倉庫を眺めながら一号桟橋の根本を通り↓

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*③現在の旧ジャックモールWESTとEASTとの間あたり


一号桟橋基部の踏切↓を

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*④一号桟橋入り口。すでに桟橋沖合の埋め立てが終了しています。


過ぎたあたりから線路は直線になり↓

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*⑤現在の旧ジャックモールイースト(45街区)の中心あたりからマリノスタウン方向を見るの図


倉庫脇をかすめるように通って↓

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*⑥現在のみなとみらい五丁目交差点の旧ジャックモールイースト側


かすめるように通って↓

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*⑥同上


線路側に貨車への荷物積み下ろし口がある冷凍倉庫脇を通って↓

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*⑦同上


さらに二号桟橋の根本を通過して

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⑧車止めが2号上屋前へ行く線路。撮影時には線路は撤去済み。


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*⑨かつては二号上屋内に線路が引き込まれていた


三号桟橋の根本を過ぎて、

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*⑩建設当時は上屋内に線路が引き込まれていた三号上屋


今で言うと京浜湾岸事務所の先にあった埠頭突端で終点↓。

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*⑪1984年撮影


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*⑫の写真の三年後


ちなみにこの路線は、これらの写真を撮影する以前の1982年(昭和57年)に廃止になっています。

*写真1984年~1987年撮影

*関連記事
高島埠頭
高島埠頭の市営上屋
高島埠頭 その2
東海道本線貨物支線 高島駅



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by yokohama80s | 2013-04-14 00:06 | 高島埠頭 | Comments(3)
2012年 10月 07日

東海道本線貨物支線 高島駅

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*1987年撮影(国道1号の築地橋を渡った先、今で言うと国道1号ととちのき通りの交差点あたりに駅の入り口がありました)


1913年(大正2年)~1995年(平成7年)までの間、横浜駅東口の南東・・・・・・というよりも、国道一号線をはさんだはす向かい、築地橋を渡った所から南は今の国道1号とすずかけ通り交差点、そして東はBLITZのあたりからマリノスタウン、スポーツパーク、水際公園のあたりまでの高島1丁目、みなとみらい5、6丁目にかけて東海道本線貨物支線(高島線)の高島駅という大きな貨物駅がありました。

この高島駅には、ちょうど今のキャッツシアターがあるあたりの国道1号側に、石炭の燃えがらの臭いや、蒸気機関車の汽笛が聞こえてきそうな大正時代に作られた扇形の機関庫があり、私が小学生低学年だった1970年頃までは、蒸気機関車が行き来していて、名店街(現ジョイナス一階)を歩いていても汽笛が聞こえてきたものです。

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*1984年撮影(そごうが入る横浜新都市ビルはまだ建設中。その隣が回転展望レストランが売り物だった旧スカイビル)


しかしその後、貨物輸送は鉄道からトラックに移行し1987年に国鉄民営化に伴い廃止・・・・・・になったと思いきや、国鉄民営化に伴って手続き上「廃止」となっただけで、民営化後も高島駅は1995年まで営業を存続。

ただ貨物駅としての営業を続けていたとはいっても、構内にあった広大な操車場はこの時すでに使われることはなく、民営化に伴って廃車となった貨車がズラリと連なって駐められているような状況でした(一説によると、このままここで解体したのだとか)。

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*1987年撮影(現・すずかけ通り西交差点あたり)


その後、1995年の高島駅廃止に伴いヤードその他は桜木町駅手前で京浜東北線と接続していた貨物線を残しキレイさっぱり撤去され、1997年にはその貨物線も地下化されたことにより、かつてここに広大な貨物駅があった痕跡は、今は何ひとつ残ってはいません。

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*1986年・市場大橋より撮影した写真をパノラマ合成(現在の水際公園のあたり)



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by yokohama80s | 2012-10-07 00:08 | 高島埠頭 | Comments(2)
2012年 06月 03日

高島埠頭 その1

高島埠頭は、ちょうど横浜駅の南東、築地橋を渡った帷子川河口、現在のみなとみらい4丁目~5丁目一帯にあった埠頭で、もともとは西半分(国道一号線側)の旧表高島町の埋め立て地に広大な旧国鉄の高島貨物駅が作られ、その後、1921年(大正10年)に横浜港第三期拡張工事の一環で内貿易用埠頭(国内向け貨物積出し用)として現在のキャッツシアターからみなとみらい6丁目にかけての埋め立て造成が開始されました。

しかし1923年(大正12年)の関東大震災により工事は中断。

その後、1930年(昭和5年)に現在のジャックモールイースト棟の南側あたりに一号桟橋が、

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*1984年撮影(現・ジャックモールのコンビニ付近にあった一号桟橋の市営一号上屋)


そして1933年(昭和8年)には、タワーマンションのあたりに二号桟橋が、1954年(昭和29年)には高島中央公園北交差点あたりに三号桟橋が作られました(位置的には現・横浜マリーナの最深部がちょうど三号桟橋北側先端部にあたりますが、三号桟橋自体は1988年までに撤去されています)。

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*1987年撮影(高島埠頭三号桟橋基部にあった市営四号上屋、現・みなとみらい6丁目3 関東地方整備局京浜港湾事務所の東側70mのあたり)


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*1987年撮影(高島埠頭の北端部、現・みなとみらい6丁目3 関東地方整備局京浜港湾事務所あたり)


しかし撮影当時の80年代には、桟橋自体が手狭で大型船の接岸には不向きなことからか、この埠頭に船が接岸して荷役作業をしている光景はほとんど見る機会はなく、高島埠頭を寄港地としていた大島航路の定期船も寄港地を大桟橋に変更し(ちょうど83年~85年までの時刻表コレクションが欠落している為に正確な時期は不明ですが、82年の時刻表には「横浜(高島)」となっていて、86年の時刻表には「横浜(大)」となっていることや、私のつたない記憶を元にすると83年か84年頃に寄港地が大桟橋に変更されたと思います)、埠頭に隣接する高島駅も広大なヤードが広がっているだけで、繁華街横浜駅の裏にポッカリ空いたエアポケットといった風情でした。

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*1987年撮影(現・ジャックモール東西棟の間あたり)


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*1987年撮影(現・ジャックモール西棟北側あたり)


そして1984年から、みなとみらい21計画によってまずは桜木町駅東側にあった東横浜駅から三菱造船、高島埠頭三号桟橋の南側にかけての埋め立て工事が開始され

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*1987年撮影(現・ジャックモール東棟南側あたり)


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*1987年撮影(現・みなとみらい4丁目交差点あたり)


気づいたときには現在のような姿に......。

はたしてジャックモールの辺りに立って、かつてここに桟橋があったことを想像出来る人が何人おいでになることやら......。

なにせかつて高島埠頭の桟橋があった場所は、いまやみなとみらい地区のど真ん中ですから。

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*1984年撮影(旧・金港倉庫、現・高島中央公園あたり)



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by yokohama80s | 2012-06-03 00:03 | 高島埠頭 | Comments(0)