2017年 02月 19日

海岸通4-23 横浜万国橋労働福祉センター

 万国橋の上から関内方向を見ると↓

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*1987年撮影


↑のような、運河上に建っているビルがあります。

 地図などでこの建物を見ると、「横浜公共職業安定所横浜港労働出張所」、「万国橋合同庁舎」。
また現在、このビルの窓には「万国橋会議センター」という看板が張り出されています。

  ということで、ちょっと調べてみたことをザックリまとめると、このビルが建っている場所は、1858年(安政5年)、アメリカ側の「神奈川を開港せよ」という要求に対して「横浜も神奈川だ」と主張してなかば強引に半農半漁の一寒村だった横浜村が開港場として造成されることになった頃。

 明治42年横浜貿易新報社編「横浜開港側面史」によると、このとき期せずして立ち退きを余儀なくされた横浜村住民の、今風に言うところの一種の失業対策の一環として4人の漁師に渡船株を下附して神奈川~横浜間に渡船が就航。

 このルートが横浜と神奈川を結ぶバイパスルートに当たったことから期せずして大盛況だったそうで、1872年(明治5年)に新橋~横浜間の鉄道が開通するまで、50隻余りの船を使って輸送の任に当たっていたんだそうな。

 ちなみにこのとき神奈川宿側の渡船場(宮之河岸渡船場)が現在の青木町・州崎大神正面から国道15号に出たあたりに、そして横浜側の渡船場が↑写真のビルが建っている場所……ということになるようです。

 そして新橋~横浜に鉄道が開通し渡船が廃止されたあとも、横浜側の渡船場は荷揚場として使用され続けたようで、後年、日本郵船がこの場所の内陸側に支店を置くと突堤が拡張され倉庫を建てて震災まで使用され、震災後から戦前までは船舶職員職業紹介所、戦後は横浜労働公共職業安定所万国橋庁舎が置かれ、

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↑通称「海岸通のデベソ(私が勝手に名付けました)」の変遷↑


1971年(昭和46年)に横浜港湾福利厚生協会が運営する横浜万国橋労働福祉センターとして現在のビルが建てられ

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*1987年撮影


建物はそのままで、1994年(平成6年)にポートコミュニティ万国橋、2004年(平成16年)に万国橋会議センターに名称変更(こちらによると「愛称変更」となっている)をされて現在に至る、ということになるようです。

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*1982年撮影




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by yokohama80s | 2017-02-19 00:17 | 大桟橋・海岸通 | Comments(0)


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